ゆっくりしたいのに
「ユ・マ・さ・ま」
ひょっこりと執務室に顔を出したのは、俺の婚約者、今は男装姿のアリテリア・ホワント伯爵令嬢。
「やあ、今日は従者姿なんだね」
俺は仕事の手を止め、アリのそばまで足を運ぶ。
「ブライアン様に用意して頂きました。似合いますか?」
俺に全身を見せようと、クルリと回る姿はなんとも愛らしい。
「うん、可愛いね。あれ? 今日はティンの他にも妖精がいる」
アリの周りに二つの光を見つけて、俺はティン以外の存在を言葉にする。
「分かりますか? 離宮で会いました。ユマ様の離宮は居心地がいいみたいですよ。何人か住み着いている子もいるみたいです」
「ハハハ、妖精に気に入られたのであれば光栄だ」
俺は笑って、アリをソファへと誘導する。
従者にお茶の用意をさせて扉を閉めさせる。この時ばかりは仕事の訪問者は受け付けない。シフォンヌ嬢とブライアンにも座るように言って、四人でお茶をする。
「レナニーノ様の具合は如何でしょうか?」
アリが珍しく兄上の話をしてきた。
あれから一か月。流石に城でも引きこもる兄王子の様子は、貴族の間でも噂になってきた。
「相変わらずだよ。仕事の方は構わないんだけれど、そろそろ周りが煩いからなあ……。特に王様とか、王様とか、王様とか」
ハア~っと思わず溜息が出る。
何故か父王は兄上の現状を、俺にどうにかしろと怒鳴りつけてくるのだ。聖女との仲はお前に任せただろうと。任せてくれと言った覚えは一向にないけどな。まあ、あのお茶会を開催した結果引き起こしてしまった現状だから、責任は少~しだけ感じているよ。少しだけね。
だって、あの場がなくても聖女に言い寄っていたら、どうしたってあの答えは返って来る。結局は聖女に気持ちがなければ、兄上の想いには答えられないのだから。
「ユマ様は十分以上に責任を果たしているじゃないですか。こんなに毎日仕事漬けで頑張っているのに、現状を変えたいならば王様が動けばいいんだわ」
「アリ、こんな所でそんな事言わないで」
アリがプリプリと怒り出してそんな事を言う。慌てるのはシフォンヌ嬢。誰かに聞かれたら不敬罪になるからね。
けれど俺は少し喜んでしまう。俺の為に女の子が怒ってくれる姿は、ちょっと嬉しい。ブライアンが怒るのとは違う感じだ。
「ありがとう、アリ。けれど俺も近いうちに聖女と話をしてみようかと思っているんだ。もう一度だけでも兄上に会ってちゃんと話をしてもらう為に。聖女はあの時しっかりと自分の気持ちは言ってくれたけど、あのまま逃げられたのでは兄上も気持ちの切り替えが出来ないだろう。ただ俺が聖女と接触すると、また何を言われるか分からなくて……」
「いいですよ。私が聖女様とやり取りします。どこかにお誘いしますか?」
アリは世間知らずだとシフォンヌ嬢は言うけれど、なかなかどうして聡い娘だ。俺の言わんとする事を理解し、自分が動いてくれると言う。感謝しかない。
「ありがとう。て俺、最近アリに礼ばかり言ってるね。こちらの事情に付き合わせてばかりで申し訳ない。アリの方は? ジュメルバ卿はその後何も言ってこない?」
俺はアリの状況を聞いてみる。毎日のように城に来ている彼女の姿からは、思い悩んでいる様子はない。ジュメルバ卿は諦めたのだろうか?
「怖いぐらいに静かですよ。何か考えているのかもしれないです。あの執着の様子からいって、簡単に諦めるとは思えません」
俺の質問に答えてくれたのは、シフォンヌ嬢。
「しかしユマ様の婚約者と認められた今、ホワント伯爵邸には護衛をしっかり張り付かせているし、ここへ来る時は必ず変装してもらっている。道中も俺が送り迎えさせてもらっているんだ。奴の手下は信者だろう。訓練を受けている騎士や兵士には到底敵わない。何か企んでいたって手も足も出ないさ」
お茶を飲みながらブライアンが、シフォンヌ嬢の不安をあっさり否定する。
その言葉にムッとするシフォンヌ嬢。あ、やばい。
「だが、あのジュメルバ卿だ。教会のトップの名は伊達ではない。何をして来るか予想できない以上、気は抜かないように頼む。兄上があの状態では、まだ俺は自由に動けない。ブライアンが頼りだ」
そう言うとブライアンは顔を引き締め「はっ、もちろんです」と頭を下げる。その様子にシフォンヌ嬢も怒りを収めてくれたようだ。
本当に頼むよブライアン。お前とシフォンヌ嬢の仲が悪くなると俺達も居心地悪くなるんだから。
まあ、ジュメルバ卿に関しては実は俺も放置しているわけではない。
この数日、兄の代わりに始めた公務におや、おや? という内容が含まれているのだ。
以前から疑っていた彼は、やはり後ろ暗いところのある人物だった。だから水面下でじわじわと追い詰めていこうと思うのだが、それまでに妙な行動をとられてはたまらない。
俺は改めてアリに注意を促す。本当は俺がずっとそばにいれられればいいんだけれど。
「周りの貴族からも何も言われてはいないかい? 何かあれば隠さないで言ってほしい」
「心配ご無用です。だって私まだ令嬢姿で登城していませんもの。いつも男装姿です。この姿を見て私がユマ様の婚約者だなんて誰も思いませんよ」
「アハハ、違いない」
えへへと笑いながら言うアリに気持ちがほっこりする。本当にいい子だなあ。
「あ、でもユマ様の噂は離宮からここに来る間に耳にしますよ」
そう言うアリに俺は首を傾げる。
「最近は執務ばかりで部屋を出る事もないけれど、何かしただろうか? アリに不快な思いをさせたかい?」
「フフフ、優秀ですって。執務を一手に引き受け、尚且つレナニーノ様と同等に捌いている姿に、今までの姿は演技だったのではと言われています」
「う~わぁぁ~」
聞きたくなかった。それを言われない為に十六年間生きてきたのに、どうやら余りの忙しさからキレてしまって本領発揮してしまったようだ。悲しいサラリーマンの性だな。
「人事まで動かしたのだからやり過ぎでしょう。それに伴って仕事がやりやすくなったと下っ端官僚からは絶賛の嵐です」
「だって~、余りにも滅茶苦茶だったんだ。あれじゃあ、仕事が増える一方だ。上司の貴族が脳筋ばかりで、目も通していないサインだけがしてある書類ばかりを回してくるんだぞ。やめさせる訳にもいかないし、苦肉の策で脳筋の下にまともな官僚を配置したんだ。それに各々の個性がまるでいかされていない部署で仕事したって、意味がないだろう。だから人事にちょこちょこっと手を入れただけだぞ」
自分の為だったんだと言うが、三人には温かい目で見られてしまった。ブライアンは分かるが、何故二人まで?
「……ネビール辺りが、また悪巧みしそうですね」
笑顔を収めたブライアンが思案顔で、俺に警戒した方がいいと言う。
その内容は物騒なもので、お嬢様方の前で言うなよと言いたいけれど、アリもシフォンヌ嬢も頷いている様子に、二人も心配してくれている様で気持ちがまたもやほっこりする。
「問題ない。奴のやり方は意外と単純なんだ。基本的には毒ばかりだしな。奴は俺を兄上の為に利用出来ると思っているから、本気では殺しに来ない」
俺は三人を安心させる為に笑ったのだが、その言葉にブライアンの突っ込みが入った。
「いや、問題だらけじゃないですか。毒ってなんです? 初めて聞きましたよ」
「そうか? 銀のスプーンでかき混ぜればすぐに反応する単純なものばかりだぞ」
しかも自分で入れて持ってくる。と俺がケラケラ笑うとブライアンは顔を両手で覆ってしまった。
いや、確かにその行動はどうかと思うが、本気を感じないならオッケーだと思う。
要は注意を促したいのだろう。俺の行動一つで敵が増えるのだと。決して兄上を裏切るなと。そういう捻くれた奴なんだ、ネビールは。
そんな話をしていると、ノックもなしに突然バタンと招かれざる客が現れた。
その姿に俺は目を丸くする。ブライアンも同じ表情をしているが、アリとシフォンヌ嬢はキョトンとなる。それもそうだろう。現れたその無礼な訪問者は、俺の元婚約者ディリア・スープレー公爵令嬢だったのだから。




