その頃、教会では
「アリテリアの存在に気付かれたか」
バンッと机に報告書を叩きつけ、秀麗な顔を歪ませるのは教会のトップ、ダルトア・ジュメルバ枢機卿。
教会の中だとは思えない程、煌びやかな家具や彫像品で溢れかえるこの部屋は、ジュメルバ卿の私室となっている。その中央で先程受け取った書類には、第二王子とジュメルバ卿が狙う令嬢との正式な婚約が決まったと書かれていた。
「まさかあの女好きの第二王子に先を越されるなんて……油断しましたね」
教皇の側付きとして常にその身に付き従う修道士、ジャック・ダルマンの冷静な言葉に怒りが過熱する。
全く王族はどこまで知っていて、どこまで邪魔をする気なのかと大声で怒鳴りつけてやりたい。が、そんな事が出来るはずもなく、結局は腹の探り合いしか出来ないのが現状だ。
それもこれもこの国の王族は、脳まで筋肉で出来ているのではないかと思うほど単純な者ばかりだったのが、第一王子の出現により簡単に扱えなくなってしまったのが始まりだ。
この国は王族と教会で権力を二分している。
魔法の存在を忘れて久しいこの国では、魔獣を退治するのに武力で応戦する。その筆頭が王族である。王族は力でもって民を引き連れ、己が先頭で戦うのだ。
その勇気ある行動には、もちろん感謝しかない。それが民の一致だ。だが、それだけでは民を救えないのも事実である。
力重視の王族にはもちろん政を行うブレーンも存在してはいるが、その影響力は薄い。
魔獣との戦いに明け暮れる日々に不安を抱く者の救いとなったのが、今の教会である。
創立者は、その時代には珍しく力の弱い伯爵位の貴族であった、それが影響したのか、教会はただの民の心の拠り所だけではなく、権力者に対し発言権を得てしまったのだ。
それを皮切りに力の弱い貴族が教会に寄り添いだし、政に口出しする。意図せず教会に権力が集まったのは、致し方がないのかもしれない。
そうして力ある王族と民の心に寄り添う教会とが権力を二分する事で、この国は調和を保っていた。
それが十九年前に産まれた第一王子、レナニーノ・クロ・リガルティによってその均衡が崩れ去ろうとしているのだ。
教会の憂いの全ての元凶、第一王子。彼は王族特有の武力に恵まれている。それは分かるが、まさか頭脳にまで恵まれるとは思わなかった。今までの王族ではありえない程の才覚を発揮している。その上、リガルティの宝石と呼ばれた母親の容姿までその身に引き継ぎ、その見目の良さから醸し出す柔らかな雰囲気から、周辺国ともよりよい関係を築いている。
王族はあくまで力で魔獣から、他国から国を守るだけの者だとの認識から、頭脳を使って国の発展を導く存在にもなりつつあるのだ。
自分達の日々の暮らしを良くしてくれる存在。そこに明かりを見出す者が続出し始めたのだ。心まで救ってくれる王族。民は教会ではなくレナニーノ王子に救いを求め始めたのだ。
そうなると教会の存在価値とは?
王族が民の憂いを全て晴らしてくれるのに、権力を二分する必要がどこにある?
教会が力を得ているのは、この国だけである。力だけを保持する王族だからこそ、この国で教会は権力を手にする事が出来たのだ。他国ではそうはいくまい。
そしてその第一王子の功績に力を貸しているのが、先程の第二王子だ。
彼は第一王子程恵まれてはいないが、それなりに見目好く口が上手い。飄々とした態度から警戒する者はほとんどいないが、その実、諸外国との外交では彼の評判は頗る良い。
民からの信頼度で言えば、第一王子よりも厚いのではないかと思えるほどだ。
だが、彼が何をしたかというと、それは誰もよく分からない。ただ民に聞けば皆口をそろえて良い人だと言う。少々女好きの面も見られるが、それが良いという者までいるほどだ。
教会の行く末を案じ頭を抱える中、吉報が舞い込んだ。
それは、魔獣を一瞬にして消滅させる力を持つ聖女が現れたという噂。
私は早速その村に行き、聖女イルミーゼを見つけた。その力は私の目には神々しい程光り輝いていた。
魔獣だけではなく、教会まで救ってくれる少女。一早く見つけ養女に引き入れられたのは僥倖だった。
これであの忌々しい王子達の上を行く事が出来る。今までと同様、いや、今まで以上に王族の上を行く事が出来ると内心喜んでいたのも束の間、今度はその第一王子が聖女を自分の王子妃にしようと近付いてきた。
ゆくゆくは王妃とする為、彼女をどこかの高位貴族に養女に出してほしいと打診してきたのだ。
何を言っている? 彼女は私の、教会のものだ。このまま私の娘として王妃に望むのならまだしも、私の手から離して高位貴族の娘になどしてしまったら、教会とは何も関係がなくなってしまうではないか。そうなれば王族の計画通り、教会の立場は消え失せてしまう。
聖女に王子を無視するように言い聞かせようかと思うものの、それで私や教会に反発心を持たれてもいけない。
聖女には、教会は居心地の良い場所として認識してもらい、ここから離れたくないと思わせなくてはいけないのだ。
執拗に聖女との距離を縮めてこようとする第一王子をどうしようかと悩む日々を過ごす私の元に、神のお導きか、またしても聖女が舞い降りた。
彼女は人目のない場所で、小さな奇跡をおこしていたのだ。
小さな風を巻き起こし木の実をそっと落とす姿に、聖女と同様神々しさを感じた。
もしも今の聖女があの見目好い第一王子におちたとしても、彼女さえいれば教会は王族の支配下におちる事はない。
私は彼女に近付いた。彼女は貴族の娘だった。これは簡単に養女に迎え入れる事は難しい。その上、第一王子の件がある。同じ轍は踏まない為にはどうするべきか? 私は考えた末に彼女を妻にと申し入れた。
三十九歳の私が十五歳の小娘を迎え入れる。これは少々無理があるかと思うものの、これしか方法がない。
案の定、彼女の父親であるホワント伯爵は難色を示した。けれど私は枢機卿。簡単に断れる存在ではない。伯爵は娘の意思に任せると言った。
それならば話は簡単だ。小娘一人をその気にさせるぐらい訳がない。
都合の良い事に私の容姿は、二十代でも通用する程若々しく、見目も良い。サラサラの銀髪は乙女が羨むほど。枢機卿という立場がなければ女など選り取り見取りといったところか。
夢見る少女の願いなどしれている。優しく包容力のある男らしい大人の男が望みだろう。まさに私はそれを地で行く者。断られるはずがない。
だが、彼女は普通の好みとは違っていたようだ。中々私に心を開かないばかりか、会おうともしない。逃げるその姿にとうとうしびれを切らしてしまった私は、信者を彼女の屋敷の周辺に配置する事にした。彼女が外に出たら速やかに教会へお連れするよう命令して。
落ち着いて二人で話してみよう。それでも受け入れられないと言うのなら、暫く教会で二人っきりで過ごしてみるのもいい。私と二人きりになれば、彼女もこの美貌に見惚れるはずだから。
急がずゆっくりと私のものにして、そして力を教会の為に使ってもらう。
彼女が聖女と同等の力を出せるようになれば、聖女の事は第一王子に教会からの貸しとして、譲り渡すのもいいかもしれない。あくまで聖女は教会のものとして、交渉するのだ。
そこまで計画を立てていたのにもかかわらず、気が付けば彼女は第二王子の婚約者として周囲に認められてしまっている。
なんだ、それは? 先約は私だとホワント伯爵に詰め寄るも、彼は娘が決めた事なのでとのほほんと返してくる。狸め……。
やってくれるな、王族。弱冠十九歳と十六歳の子供に、この私が翻弄されるとは……。
「枢機卿、彼女はまだ王子妃になった訳ではありません。ただの婚約者なら覆せます。屋敷に忍び込み、攫ってきましょう」
私が悩んでいるとジャックがさらりと盗賊まがいの事を言う。私はハッと鼻で笑う。
「物騒な事だな。流石にそれは認められないな。もし見つかったら……」
「見つかりません。教会には直接お連れせずに廃墟に連れて行きます。実行するのもゴロツキにさせます。実は信者だという者が幹部にはいるのですよ。そういう者は口が堅いのです。それにもし見つかったら見つかったで、その方が都合がいいです。ゴロツキに一瞬でも誘拐された令嬢など、何もなくても傷者扱いされますからね。そのような状態で第二王子の伴侶になどなれるはずがありません。彼女は第二王子に見放され、そこを枢機卿がお救いして差し上げればよいのです」
ニンマリと笑うジャックは悪人面を隠す気もないようだ。危険な事だと分かっていて、それでも私の為に実行しようとしているのだろう。
この者の忠義は以前にも感じている。この者は私の為ならなんでもやる男だ。
私は彼の気持ちを汲み取る事にした。
後のない教会の今後は、このような男に託すべきかもしれない。だが私は関係ないという姿勢だけは取っておこう。もしこの計画が見つかった時、私に火の粉が降りかからないように。
私は「好きにしろ」と言い残し、その場を後にしたのだった。




