怒ったアリ
俺が聖女の力は妖精によるものかとアリにたずねると、アリはコクリと頷いて肯定した。
「痕跡は有りましたね。妖精の光る元、粒子みたいなものが彼女の周りに残っていました。ティンにも聞きましたが、いつも一緒にいる子はティンと共に城の庭で遊んでいたそうですよ」
ね。という様に自分の肩に視線を向けるアリ。今日も肩にティンが乗っているようだ。
「その妖精は、聖女の今の状況の事は何も言っていなかったのかい? 例えば辛そうだとか楽しそうだとか」
「家族と別れて寂しそうだとは言っていますが、聖女の仕事は苦ではないと本人が言っているそうです。ただその子は他の妖精よりも無口らしく、それ以上の事は分からないみたいですね」
「そうか。では聖女に関して、俺は余計な事はしない方がいいね。兄上との事も、今は様子を見た方がいいだろう」
俺は軽く肩を上げる。
ここ数日は前世を思い出す日々が続いた。ここにパソコンがあればとサラリーマン時代を懐かしく思う。だって計算とか普通に大変なんだもん。
先日のお茶会の件から兄上は、全く機能しなくなってしまった。
何をしていてもボーっとして、周りに対して一切反応しないのだ。当然、仕事は全て俺に回ってくる訳で、仕方がないなと蓋をあければ、とんでもない事にほとんどが兄上の采配で回されているものばかりだった。
例えばある村が今年は不作で国からも援助が必要となった場合、物品の仕入れ先を決める者と村の人口からどれほどの数が不足しているかを決める者、更に金額はいくらまでと予算を決める者とがいて、領主との話し合いも別の者がおこなうのだが、そこまではいい。それは会社として専門の者が動く方が効率がいいに決まっている。だが各部署が仕事をした後に、それぞれが一枚の紙となって兄上に提出され、それをまとめ上げるといった具合なのだ。
本来ならそれをまとめ上げるのは兄上ではなく、各部署の上司となる。兄上の仕事はそれを許可するかどうかとか、不備があるかを確認するもののはずだ。
優秀な兄王子といえど、これでは時間がどれほどあっても足りないだろう。その上〔ほうれんそう〕が出来ていない為、上司の報告もなく、各部署同士の連絡もなく、途中の相談もなく勝手にやってしまうのだ。もしも兄上が碌に目を通さずにサインしようものなら、とんでもない事になってしまう。
そして俺が確認したところ極めつけが、人事が真面に機能していないのではないかという事だ。
明らかに計算の出来ない者が会計をしたり、話下手な奴が営業をしている様な感じだ。
それを兄上のブレーンでもある側近のネビールに、処理済みの書類を片付けさせる為に呼びつけた際、文句を言ってやったのだが、奴はあっけらかんと兄上の望みだとほざきやがった。
奴は兄上の信者で、兄上の為なら命も惜しくはないという奴だ。
それはいい。そういう奴がそばにいる事は、兄上の様にいずれ王に就く者としては必要な存在だ。だからといって、兄上の言うままに仕事をしているだけでは、この様に窮地に際してはフォローが全くきかなくなってしまう。
自分達で責任をもって、仕事を仕上げるという気持ちになってもらわないと困るのだ。
俺は憎まれてもいい。今後兄上が王となるに至って、せめて仕事の流れぐらいは最善の状態でむかえてもらいたいと思う。俺もいつまで城にいるか分からない身なのだから。
兄上が機能しない間に少し状況を変えておこうと考えた。けれど、聖女の、男女間の問題は自分で解決してもらうしかない。
乙女ゲームでは、ヒロインには複数の攻略対象者が存在する。もちろん、この世界にも彼らはちゃんと存在しているのだ。今の聖女には、教会でそばにいる修道士の攻略対象者が一番近いかもしれない。だから兄王子でないと駄目だという事はないのだ。
バッドエンドだって聖女が力を失っても、それを王族が武力で補って魔獣は退治されるし、誰とも結ばれなくても聖女の力で魔獣は討伐されるしで、この国自体には問題はない。
まあ、王族と教会との間の確執はあるが、正直俺にはそんな事どうでもいい。国さえ、民さえ機能すれば万事オッケー的な考えだ。
俺からすれば、要は聖女一人の問題である。だからこれ以上聖女に関わる気はない。
問題はアリを狙うジュメルバ卿ただ一人。この内容は乙女ゲームには全く描かれていないものだ。そもそもアリの存在だって、妖精の存在だってゲームとは全く関係ないものなのだから。
今アリにも確認したが、聖女は確かに妖精に力をもらっている。
その妖精から聖女の今の生活は不服なものではないらしいと聞いて、改めて聖女から手を引く事を決意した。まあ、俺ってば所詮モブだしね。
「流石のユマ様もお手上げですか?」
ニヤニヤ笑いながら、ブライアンが口を挟んでくる。
煩いなあ、敵ばかりの周囲には慣れているが、男女間の厄介ごとは引き受けていないんだよ。
俺が不貞腐れていると、アリが首を傾げながら聞いてくる。
「ユマ様は、聖女様が気になりますか?」
「え、別に。王都の教会の内部とジュメルバ卿の思惑を知りたいだけ。アリの件があるからね。あと、聖女と兄上がどうなろうと知った事ではないが、正直ガーネット嬢がこのまま義姉になるのも嫌かな」
俺が正直に答えると、アリはあからさまにホッとした表情になる。ん? なんか心配する事でもあっただろうか?
アリが俺をジッと見つめるので、俺は意味も分からず笑ってみる。ヘラッ。
「ユマ様が優秀なのもお心が広いのも、ついでに言うと周囲が敵だらけなのも、理解しました。その上で私、思うのですが……」
アリはそのまま居ずまいを正して俺を真正面から見据えると、ハッキリとした口調で言い切った。
「ユマ様はもう少し怒ってもいいと思います。うん、怒ってもいい」
「へ?」
「王様に対してもレナニーノ様に対しても、もちろん先程のネビールとかいう男や元婚約者に対しても、ちょっとユマ様に対する扱いが雑過ぎる。理不尽過ぎるよ。もっと怒って」
王様や兄王子に怒れと言うセリフに、隣にいるシフォンヌ嬢が悲鳴を上げる。
「な、何を言っているの、アリ? そんな言葉、誰かがどこかで聞いていたらどうするつもり?」
「だって酷過ぎるものは酷過ぎる。私だって妖精に勝手に力を与えられてこんな風に生きにくい状態だけれど、ティンの事は好きだしシフォンヌに出会えた事も感謝してる。だから今の状態でも仕方がないと思っていたわ。だけどユマ様の状態は仕方なくない。ユマ様は頑張っているのよ。それを誰も彼もが当たり前に思っている状態は違うと思うの。ユマ様が怒らないから調子に乗っているのよ」
そういうアリの周りには、小さな風が吹いている。
まずい。アリの気持ちに作用して、魔法が発動し始めている。ここは城の執務室。こんな所で魔法が発動しようものなら、大問題になる。
ブライアンも気付いたのか、俺と目が合う。
俺はブライアンに、今から俺がする事をシフォンヌ嬢に止められぬよう、彼女をアリから離してくれと頼む。
ブライアンが頷き、アリの魔法に気が付いたシフォンヌ嬢を彼女から引き離した。その隙を狙って、俺はアリを抱きしめる。真正面から。
「!」
俺の突然の行動に驚いているアリからは、余計な力が抜けていく。もちろん、魔法も不発となり、小さな竜巻のような風の塊は消滅した。
ホッとしながら腕の中にいるアリを見下ろす。どうやら驚き過ぎて唖然としているようだ。ごめんね。
俺はそっとアリの体を離すと、大丈夫かとたずねる。
「ありがとう、アリ。俺の事で怒ってくれるなんて、凄く嬉しい。けれどここで力を出してはいけないよ。人払いはしているけれど、誰かに見られたら大変だからね」
「あ、私……」
「うん、大丈夫だから安心して。ほら、ティンも心配しているよ」
俺は唖然としているアリに一際輝く光を指さし、安心するよう背を撫でる。
「あ、うん。ごめんね、ティン。貴方の力を変な事に使うところだった」
そう言って、肩の光に頬をくっつけるアリ。
良かった。どうやら落ち着いたようだ。




