実は有能なユマ様
暫く歩くと城の中枢部に到着し、ユマ様の執務室前の廊下で三人の男が何やらひそひそと話をしている姿を目撃した。
『嘘だろう、これ。レナニーノ様でも三日はかかった書類だぞ。どんな方法があれば一日で仕上げる事が出来るんだ?』
『こちらも、すでに計算が済まされている。持ち帰って皆で手分けして作業するはずだったのに』
『放っておいた仕事がいつの間にか終わっている。どこでこの書類を手にされたのだろう?』
俺は口元をほころばせる。多分、ユマ様は余りの忙しさにキレたのだろう。普段、ひた隠しにしている才能を、こんな場面で開花させてしまっている。
俺は二人の令嬢を、ユマ様の執務室の隣にある客室にお連れした。そのまま執務室に入ろうと扉に向かうと、少し開いていたようで中から人の話し声が聞こえてきた。
俺は二人の令嬢と共に、ピタリとその場にとどまる。中から聞こえてくる声はユマ様とレナニーノ様の側近、クワントロ・ネビール。
何やらユマ様がネビールに向かって、小言を言っているらしい。
「どうしてこんなに、どこの部署も〔ほうれんそう〕が出来ていないんだ」
「ほうれんそうとは?」
「報告、連絡、相談。働く者ならば当然の行為だろう。自分一人が分かったふりして、何かあったらどうするつもりだ。全部有能な兄上がなんとかしてくれるとでも思っているんじゃないだろうな」
「ありえますね」
「ありえますね。じゃない! 早急な案件かそうでないか仕分けする為にも、兄上の前にお前が各書類を手にするのだろう。ならば気付いているはずだ。ほとんどのものが兄上の采配にかかっている事を」
「レナニーノ様がそれを望まれますので」
「望まれるじゃないんだよ。それでは今回のように兄上の身に何かあったらどうするつもりなんだ?」
「そこは優秀なユマノヴァ様もおいでになるので」
「胡散臭すぎる。大体お前は俺を亡き者にしようとしてたじゃないか」
二人の令嬢の息を呑む音が聞こえた。
どうやらユマ様が仕事の体制がレナニーノ様お一人の肩にかかっている現状に、ご立腹なされているようだ。
しかしあの側近、クワントロ・ネビールという男はレナニーノ様に陶酔しており、レナニーノ様の望まれるままにしか動かないという困った奴で、レナニーノ様の王位争いにおいて敵対となるユマノヴァ様を、一時期は本気で抹殺しようと行動していた。
俺はこの会話を二人に聞かせていいものかどうか悩んだが、ここまで聞かせてしまったのだ。今更追いやるなど出来ないし、この状況下でもしもネビールがユマ様に刃を向けたらと思うと、その場を離れる事も出来なくなった。
「全部簡単に防がれておいて、そのような事を今更申されても」
「おい、サラッとなかった事にしようとしてるんじゃないぞ。未来永劫恨んでやるからな」
「はいはい。で、この様な押し問答をしていても書類は溜まっていきますし、そろそろ本腰入れてやってはくれませんかね。本日分が明日に残るような事になれば、レナニーノ様に余分な負担になります。ご迷惑はかけたくないのですよ」
「どの口がそれを言う。それに明日になれば兄上が機能するという保証があるのか? どうせ数日は俺に回ってくるんだろうが」
「では、明日のご自分に負担をかけないように頑張られては?」
「ここからこちらは終わった。各部署に持って行け。それと各部署の仕事内容と働く者の個人書を持ってこい。吟味して役割を振りなおしてやる」
俺はチラリと扉から部屋の中を覗き見る。書類の半分以上が既に終わっているようだ。ネビールの不貞腐れた横顔が目に付く。
「……本当にユマノヴァ様は優秀であられる。貴方様のいつでも王位継承権など放棄してやるというお言葉がなかったら、私は自分の命を懸けてでも貴方様を闇に葬った事でしょう」
「少しぐらい殺気を隠せ。やらなければ文句を言うし、やったらやったで殺害予告をされるなんて一体どういう状況だ。それよりもサッサとお前の仕事を片付けろ。そろそろ俺の可愛い婚約者が顔を出す。お前のそのしみったれた顔を見せたくない」
「失礼ですね。けれど私もレナニーノ様が恋で悩んでいるというのに、あっさりと手にした貴方様の婚約者など見たくもありません。この書類を持ってレナニーノ様の執務室に戻ります」
「お前が聖女に殺意を向けなくて良かったよ。疲れた。とっとと行け」
「レナニーノ様が好意を向けている方に何かしたら、私がレナニーノ様に嫌われるじゃありませんか。そんな無駄な事は致しません。では、失礼」
そうしてネビールは処理された書類を片付けると、ユマ様の机から離れようとした。が何かを思い出したのか、またもやクルリとユマ様に向き直る。
「ああ、そういえば貴方様の元婚約者ディリア・スープレー公爵令嬢の妊娠が表ざたになったようですね」
「は?」
「どうやら彼女の侍女をやっていた者が責任を取らされて解雇されたのですが、その際退職金も紹介状ももらえなかったそうです。まあ、当たり前ですよね。令嬢の不始末は付いている侍女の責任でもあるのですから。しかしそれを逆恨みしたようで、結局は令嬢の妊娠を喋ったそうです。せっかく貴方様が婚約解消は自分の所為だとして泥をかぶったのに、意味がありませんでしたね」
クラッとした。
ユマ様がわざわざ汚名を背負ってまで守った秘密だというのに、なんとも呆気ない方法で表ざたになってしまった。スープレー公爵はどうするのだろうか。
ユマ様も疲れたように椅子の背に体を預けている。
「……馬鹿が。そんな事をして何になるというんだ」
「皆が皆、貴方様のように善人ではないという事です。己を犠牲にして人の為に動くなど、愚の骨頂。それではこの国の王は務まりませんね」
「煩い。誰が善人だ。俺はそんなもんじゃない。それに王は兄上だと何度も言っているだろう。それで何が不満だ」
「いいえ、私に不満などありません。このままレナニーノ様の良き手駒になってくださったら、もっと言う事はございません」
「その軽口、いつか身を亡ぼすぞ」
「レナニーノ様の御為なら喜んで」
そうしてネビールはユマ様に一礼すると、反対の方の扉から出て行った。
もしかすると俺達がここにいた事を知っていたのかもしれない。知っていて尚こんな話をしたとすると……アリテリア様を怯えさせ、ユマ様との間を壊そうと考えたのか?
俺はアリテリア様に視線を向ける。
アリテリア様が怯えていたらどうしようかと思ったのだが、彼女は俺と目が合うと、コクリと頷いた。そうして『入ってもいいですか?』と小声でたずねてくる。
「は、はい。お待たせしました、こちらへ」
俺はノックと共に扉を開けて、ユマ様にアリテリア様の来訪を伝える。
落ち込んでいるかと思ったユマ様だったが、アリテリア様の顔を見てニッコリと微笑む。
「いらっしゃい、アリ。お疲れ様。力は上手く放出出来た?」
「はい、スッキリしました。ありがとうございました」
少年姿のアリテリア様を連れて、ソファに座るユマ様。そのまま呼び鈴を鳴らすと、ネビールが出て行った扉から従者が顔を出す。
お茶の用意を頼むと控えている俺とシフォンヌ嬢に向かって「お茶の用意が出来たらお前達も座れよ。立っていられると落ち着かない」と言葉を掛けてくる。
ユマ様は昔から俺がそばに立っていると、監視されているようで嫌なのだと言う。
王族なのだからそこは慣れて欲しいのだが、そういうところがユマ様なのだと、俺は改めて思う。
「なんか意外です。ユマ様の周りは侍女さんがいっぱい侍っているのかと思っていたのですが、身の回りの事は従者さんがされるのですね」
二人の従者がお茶の用意をして出て行った後、俺達が座ったのを確認してそんな言葉をアリテリア様が口にする。
ユマ様はなんとも言えない顔で「やっぱりアリは俺の事、女たらしだと思っているのかぁ」と溜息を吐いている。
仕方がない。ユマ様の周りの評価は散々なものであるし、つい先日も兄王子やその婚約者から同じような言葉を、直接アリテリア様の耳に吹き込まれたばかりだ。
そんな落ち込んだ様子のユマ様の態度に、アリテリア様はコテンと首を傾げる。
「だってユマ様はカッコイイし優しいから、侍女さん達もそばに寄りたいだろうなと思ったのですが、違いました?」
揶揄った感じは一つもなく、純粋にそんな言葉を述べられてユマ様はというと……顔を真っ赤に染めて、絶句していた。
うわっ、初めて見た。ユマ様のそんな表情。




