ユマ様の離宮にて
建物の中だというのに、小さな竜巻がそこかしこに発生している。
その中心にいるのは、今は第二王子の婚約者となったアリテリア・ホワント伯爵令嬢。
彼女は彼女の中にある妖精より賜った力を竜巻として、静かに放出しているのだ。
だが、誰も彼女だと認識する事は出来ないだろう。何故ならば今の彼女は、どこからどう見ても可愛らしい少年にしか見えないのである。
白地のシャツに青のベストを羽織り、茶色のスラックスをはいている。そして長い茶色の髪は青の帽子の中へと隠されている。身なりのいい商会の息子といった風情だ。
ここは城の敷地内ではあるが、中心から一番離れた場所にある離宮。第二王子ユマノヴァ・クロ・リガルティの私有物である。
彼女はその中に設備されている鍛練場で力を使う事が、ここ最近の光景となっていた。
婚約者と周囲に認知され、彼女は正式に王子妃教育を受ける為に城に出入りしているのだが、その合間にこのユマ様の離宮で力を放出している。
そのまま伯爵令嬢である姿でここに出入りしてもなんら問題はないのだが、婚約破棄して日も浅いうちに婚約をした彼女に、口さがない者が何を言うか分からない。
彼女の身を案じたユマ様は、いっその事アリテリア様だと認識されないように男装姿で通うのはどうかと提案した。
アリテリア様が頻繁に城に通う状況で、ジュメルバ卿に全く狙われないとも限らない。もちろん護衛は付けてはいるが、やはり万が一を考えてしまう。そうした事から、王子妃教育の時以外は男装姿でいてはどうかと言われたのだ。
そして魔法を使っている現場を他者に見られた場合でも、男装姿ならすぐに彼女だと気付く者はいないだろうと、身元を隠す為の予防策でもあるとも言われた。
この離宮で着替えて、授業を受け、またここに戻って着替える。とてつもなく面倒くさい事を平気で言う。
もちろん、シフォンヌ嬢は半目になった。
「……ユマノヴァ様、もしかしてアリテリア様の男装姿、気に入ってます?」
ギクッと肩を揺らしたユマ様にハア~っと大きく溜息を吐く俺とシフォンヌ嬢。
「流石ユマ様です。それなら私だって誰も分かりませんよね。私もあの姿の方が動きやすいです」
――純粋なアリテリア様がユマ様の毒牙にかかってしまわれた。
二人でキャッキャウフフと盛り上がっている姿に、俺とシフォンヌ嬢は否を唱える事が出来なかった。
因みにシフォンヌ嬢は城の侍女のお仕着せを着ている。とても似合っている。と、彼女への感想は置いておいて正直、ここでアリテリア様が人に見られる事はない、と俺は思う。
ここは第二王子の離宮の鍛錬場なのだから。人払いをしていたら、まず人は寄ってこない。
何故かというとこの国の王族は、脳筋……ゴホン、ゴホン。体を資本とした者が多い。よって彼らは体を鍛える為、個人の鍛錬場を有している。
古くからその脳筋……コホッ、王族の中には自分の鍛練風景を見られるのを嫌う者がいた。どこに裏切り者が潜んでいるか分からない城の中で、自分の実力をさらけ出すのは無謀である。力はいざという時にだけ披露するものであって、常に皆の目の当たりにするものではないと考える者は少なくない。まあ、ユマ様に言わせれば、単に太刀筋や癖を研究されて弱点をついてこられるのが嫌なのだろうなという事らしい。
その為、王族の男子は皆一人ずつ離宮を与えられ、その中に鍛錬場を設置する。個人の空間などないに等しい王族の、男子にのみ許された特権の一つでもある。
しかし、彼女の力は本当にいつ見ても不思議で素晴らしいものだと感嘆して見ていると、一通り放出出来たのか竜巻が小さくなって全てが霧散した。
「ふう~」
「お疲れ様です、アリテリア様」
「大丈夫、アリ?」
彼女がこちらにやって来るのを拍手で迎える俺、ブライアンとハンカチを差し出す彼女の親友であり侍女のシフォンヌ嬢。
「いつもありがとうございます。ブライアン様」
アリテリア様はシフォンヌ嬢からハンカチを受け取り、俺に礼を言う。警護に対する礼だろう。
「いいえ、本来ならばユマ様も同席するはずでしたが、本日は多忙でこちらに向かう事が出来ず、失礼いたしました。もしアリテリア様にお時間がおありならば、ユマ様の執務室にご案内いたします。お茶でも一緒に如何かとユマ様もおっしゃっていましたので」
「ありがとうございます。けれど、お邪魔になりませんか? お忙しいのでしょう?」
アリテリア様は多忙という俺の言葉に、遠慮した姿勢を向ける。俺はハハッと笑い声をあげた。
「アリテリア様もご存知でしょう。先日の件でレナニーノ様が機能しないのです。ユマ様の多忙というのは、レナニーノ様の公務が全て回ってきてしまっているからなのです。まあ、ユマ様も無関係ではないので、渋々ながら処理しているという感じですかね」
「そうなのですか。あの、他の方がお手伝いはしてくださらないのですか?」
「この国の王族はレナニーノ様とユマ様以外、脳筋……いえ、体を資本としている方が多いので、ご公務は不得手な方ばかりなのです。国王様も普段からレナニーノ様に任せきりで、その補助をユマ様がしているといった感じだったので、レナニーノ様が機能しない今、全てがユマ様に回ってきていると言っても過言ではないでしょう」
「それでしたら尚更、本日はご遠慮申し上げます」
「いえいえ、ユマ様なら問題ありません。それにアリテリア様の訪問を心待ちにしておられるのはユマ様自身ですから。自由が利かず、今頃は少し苛つかれている事でしょう。癒してくださると助かります」
俺が笑顔でそう言うと「私で癒しになるのでしょうか?」と小首を傾げる。なるほど、ユマ様が可愛いと評するのはこいうところかと妙に納得してしまう。
「もちろんです。どうぞこちらに」
俺は扉を開け、彼女達をユマ様の元へと誘導する。
「けれど、本当に離宮には誰も来ないのですね。城の敷地内だというのに、人の気配が全くなくて驚きました」
シフォンヌ嬢が感嘆の溜息を吐く。使用人の躾が行き届いているのだろうと感心しているのかな? 俺はそうではないと勘違いを訂正する。
「ハハ、実は国王様の兄の一人に血を好む方がいまして、離宮に近付いた者は容赦なく剣の練習台にされていた事があるのです。その中には間者もいれば純粋に道に迷った使用人もいました。けれど彼は見境がなかった。人払いを信条とした離宮に許可なく近付いたのであれば、何をされても文句は言えないだろうというのが王族の考えです。まあ、ユマ様は個人の空間があってもいいんじゃない。という考え方なので、あえて否定する事もしてはおりませんが、このような状況になった今、それもいい様に作用していて良かったと思います」
要は皆、王族の離宮に近付くのを怖がっているのだと俺がにこやかに話すと、女性二人は……引き攣っていた。しまった!
「申し訳ありません。怖がらせる話をしてしまいました。ああ、本当に私は武骨で、ユマ様にもいつも言われるのです。もう少し周りの反応を見ろと。本当にそうですよね」
俺が慌てて謝罪すると、アリテリア様もシフォンヌ嬢も「いえいえ」と手を横に振ってくれる。
「少し驚きはしましたけれど、そういう理由なら確かに一番安全な場所だと言えるでしょう。安心してこれからも使わせていただきます」
アリテリア様はニコリと笑って、シフォンヌ嬢と共に頷きあう。
ああ、良かった。俺の言葉の所為で二人が王族を、ユマ様を怖がってしまったらどうしようかと本気で焦った。
それに何よりシフォンヌ嬢に嫌われたらと、内心泣きそうになった。
シフォンヌ嬢が絡むと俺は少し情けない男に成り下がるらしい。自分の意外な部分を垣間見て、レナニーノ様の事は言えないなと一人反省した。




