聖女の本音は
フッフッフッ、悪質な感情も清らかな心には太刀打ち出来まい。二十九歳の俺が打ち負かされたようにな。
「……アリテリア様は、本当にユマノヴァ様がお好きなんですね」
悪役令嬢が去った後を見ながら俺がニヤニヤ笑っていると、溜息交じりに聖女が呟く。いや、違うけど。単にアリは優しいだけです。後ちょっと、負けず嫌い?
「悪かったね、イルミーゼ。けれど君も見ていただろう。私の相手はあのような方だ。婚約者といってもお互いに気持ちは一切ない。私の気持ちは貴方だけにある。どうか貴方の気持ちを聞かせてはくれないだろうか」
おお、兄上があんな修羅場を迎えたというのに、まだ聖女の本心を聞こうと食い下がっている。頑張るな、王子。見直したぞ。
「……申し訳ありません、レナニーノ様。私は聖女です。私の一存では、今ここでお返事を申し上げる訳にはいきません」
「どうして? 私は貴方の気持ちが知りたいだけだ」
「では、申し上げます。私には貴方がくださる気持ちを、そのまま同じだけ返す事は出来ません」
「同じでなくても、今は良い。一緒にいればその内同様になる」
「レナニーノ様……」
これは堂々巡りだな。
兄上は何が何でも聖女の口から自分を求める言葉を言わせたいようだし、聖女は先程のガーネット嬢にビビりまくっている。兄上を慕っている様な発言は絶対にしないだろう。それに、今ここで無理矢理聖女に気持ちを言わせても、上手くいくとは思えない。無理をすれば父王と母上のように、見えない傷が残ってしまう。まあ、父王はその傷にも気付いていないのだが。
それにイルミーゼ様は、ゲームの聖女とは性格が少し違うようだ。ここまで兄王子に言われても思わせぶりな事を言う訳でもなく、甘える訳でもない。ゲームの聖女なら他の攻略対象者を狙っているとしても、ここで兄王子をキープ♡ ぐらいの事は考えてそうだが先程から一向にその気配はない。
悪役令嬢であるガーネット嬢は、嫌というほどそのままなんだが。いや、ゲームより数倍パワーアップしている。
〔聖女の祈りの先に〕の悪役令嬢は、確かに使用人を人扱いしていないし、下級貴族を見下していて心底性格は破綻していたけれど、ヒロインをいじめるのはあくまで兄上を好きだからだ。
ヤキモチが度を越していた。と見て取れる場面もある。だからこそ攻略対象者の兄王子をくっだらね~と思って見ていたのだが、この世界のガーネット嬢は兄王子を本気で好きなのかさえ疑ってしまうレベル。マジで王妃の座しか見ていないようなのだ。正確にいうと、王妃に付随する権力と金。
まあ正直な話、ゲームのヒロインも悪役令嬢も好みではない俺は、どちらにも加担したくないし反対する気もなかった。好きにしてくれ。と思っていたのだが、先程の態度を見て、あのガーネット嬢を「義姉上」と呼びたくないなとは思う。だって俺のアリに喧嘩売ったしね。
これは少し様子を見た方がいいかもしれないなと、俺は聖女に助け舟を出す事にした。
「今日のところは引かれた方がよろしいのではないですか、兄上。このように騒々しい中、聖女様も考えがまとまらないでしょうし、二度と会えない訳でもないのですから」
俺がそう言うと、聖女の色よい返事が聞けない苛立ちからか、兄上は俺を睨みつける。
「煩い! 邪魔をするな、ユマノヴァ」
「冷静さが欠けていますよ、兄上。どうしても聖女様に答えを言わせたいのであれば、私が相手になりましょうか?」
「は? 何を言って……」
「落ち着けと言っているのです。相手の気持ちも汲めないような有様では、真面目な思考回路が働くとは思えません。今ならば簡単に私に倒されますよ」
スッと俺が椅子から立ち上がると、ブライアンが俺に剣を二振り手渡す。鍛錬用の刃を潰した剣だ。
侍女達がサッとアリと聖女を引き離し、従者達が机を片付ける。
使用人達の余りの動きの良さに、皆がそれを念頭に入れていた事が分かる。流石脳筋国。最後は力で解決。ハハ、空虚な笑いが俺を誘う。けれど今は仕方がない。
「どうします? 血が上がっているのでしょう。体を動かせば少しはスッキリしますよ」
俺は剣を一振り兄上に向ける。目を大きく見開く兄上は、はじめ何を言われているのか理解できなかったようだ。けれど俺の思惑を察し、兄上がそれを手にしようとした瞬間……。
「やめてください、レナニーノ様、ユマノヴァ様。すいません。ごめんなさい。はっきりしない私が悪いんです。正直レナニーノ様の顔は好みです。ドンピシャです。垂涎ものです。でも無理なんです。あんな怖い婚約者がいて、煩い貴族達がいて、私にはアリテリア様みたいにかわす事は出来ないんです。そこまで頑張れるほど、レナニーノ様の事もお慕いしていませんし、俺様王子なところも好きじゃないです。だから王妃なんて絶対に嫌!」
分かったら私の事は諦めてくださいぃ~~~と、叫んで彼女は……走り去ってしまった。
――え?
残された俺達は誰も動けない。
ひゅう~っと、どこからともなく現れた風が俺と兄上の間を吹き抜ける。
俺はそ~っと兄上に目を向ける。あ、放心している。だよね。うん、そうだよね。イケメンもこうなると台無しだ。
俺に手を差し伸べられても嫌だろうし、暫くはそっとしておいてあげるのが親切ってもんだろう。
行き場のなくした剣をブライアンに返すと、俺はアリのそばに行く。そしてシフォンヌ嬢に守られているアリに手を伸ばした。
「ごめんね。こんなお茶会になって。今日のところは帰った方がいいよね。送るよ」
「あ、うん。お願い」
アリも驚き過ぎてすっかりタメ口に戻っている。
使用人達の『え、マジで行っちゃうの? これどうするんですか? 私達動けないんですけどぉ~』という無言の訴えを無視しながら、俺はスタスタと歩く。
少しだけホッとした顔をしているのは、俺達の後をついてこられるブライアンとシフォンヌ嬢だけ。
すまん、後は任せた。諸君らの忠義は無駄にはしない。まあ、ガンバレ~。と俺は心の中で残していく使用人達にエールを送った。
そうして俺達四人は、そのまま兄上を置いて庭園を後にしたのだった。




