スタートは赤ん坊から
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「うぎぃ……」
「ひぎゃあぁぁぁ!」
俺が前世の記憶を思い出したのは、三か月と一週間の乳母マァムの乳を吸っている時だった。
まだ歯は生えていないが、歯茎で思いきり噛み締めてしまった。
そりゃあ、痛いよな。許せ、マァム。
俺は正真正銘の赤ん坊だ。
なので、考える時間はたっぷりある。
よし、ここで一旦整理しよう。
……ぐぅ~~~。
はっ、しまった。そうだ、赤ん坊は寝るのが仕事だ。
一日のほとんどを寝て過ごす。しかし考える事は出来るのだから。しっかりしろ、俺。
……ん? 気持ち悪い……。
「みぎゃあぁぁぁ」
いかん。赤ん坊は寝て、泣いて、吸って、排泄して、そのサイクルで思った以上に忙しい。そしてまたもや……ぐぅ。
あああああ、このままじゃ駄目だ、駄目だ、駄目だ。
ん? あれは母親、今の俺の母親が来た。
う~ん、本当に綺麗だな。{リガルティの宝石}と言われるだけの事はある。
「ユマ。ユマノヴァ・クロ・リガルティ。私の坊や」
うん、うん。その名前で思い出したんだよな。
「王妃様、ユマ様をお抱きになりますか?」
「ええ、王の許可は取りました。少しだけ……いいかしら?」
「もちろんですわ。ユマ様もお喜びになります」
そうなんだよなぁ。この人、母親とはいえ〔宝石〕だから、母親らしい事させて美貌が崩れる事を嫌がるんだよなぁ。
もちろん、本人じゃなくて周りが。主に国王と呼ばれる父親が……。
この人自身は、俺に触れたくて仕方がないんだ。うん、今も俺を抱いて、花が綻ぶような笑顔を向けてくれている。
俺も負担をかけないように、大人しくしていないとな。
……でも、ちょっとだけリップサービス。
「だぁ」
キャッキャッと笑顔を振りまく。
「フフフ、やはりお母様だと分かるのですね」
マァムが嬉しそうに王妃を見る。
「もう少し、この子のそばにいられればいいのだけれど……」
「フェルシア様、それは……」
「フェルシア、ここに居たのか」
バンッとノックもなしに現れたのは、この国の王様。つまり〔宝石〕の旦那さんだ。
「フェルシア、お前のその細腕で赤子を抱くのは辛かろう。余が抱いてやるからこちらに」
「あ、でも少しならと先程許可を……」
「うむ、だから少しは抱いたのであろう。こちらに」
「……はい」
あ~あ、可哀そう。
ヒョイと王妃から俺を奪った王様はご満悦だが、王妃は悲しそうに俺を見つめる。
王様も悪い人ではないのだが、如何せん、美しい妻を愛し過ぎているのだろう。
だけど、愛って自分の考えを一方的に押し付けるものとは違うと思うんだけどな。いくら相手のためとはいえ。この悲しそうな表情に、気付いてやれたらいいんだけれど。
「ユマノヴァ、お前はこのリガルティ国の第二王子だ。我が国は武に秀でた国だ。お前も立派に体を鍛え、兄レナニーノの支えとなり力を尽くせ」
はいはい、またそのセリフですか。聞き飽きましたよ。ていうか、そのセリフ一日何回言えば気がすむの? 何より手足もまともに動かせない赤ん坊に、体を鍛えろとか早いでしょう。
王様は自分のセリフに満足したのか、俺を寝台に戻すと母を伴って部屋から出て行った。
マァムは俺の機嫌を見て、隣で刺繍を始める。
うん、今なら少し考えがまとまりそうだ。
俺の前世は早川優馬という日本人だ。享年二十九歳。
営業畑で働いていた俺は、まあ、口は上手かった。死因も調子のいい事を言っていた俺の背中を仲間が叩いて手にしていたスマホが車道に転がり、それを取ろうとしてトラックに引かれたというもの。
そして俺は先程の、王様のセリフにあった今の俺の名も国の名も王族の名も、全て知っていた。
前世の元カノが置いていった〔乙女ゲーム=聖女の祈りの先に〕に出て来た攻略対象者の弟だ。つまりモブ。
なんでモブの弟の名前までしっかり覚えていたかというと『これでもやってイケメンの勉強しなさい!』と言って出て行った、最後の彼女の言葉通りにしたわけではないけれど、なんとなくピコピコとやったゲームに今の俺、ユマノヴァ王子の兄が出て来た。
しかしこの王子様、顔は良いが頭はお花畑の屑野郎だったぞ。
ヒロインや他の攻略対象者共々、お花畑の仲間と行動した〔悪役令嬢〕といわれる自分の婚約者に対する最後の断罪は『頭おかしんじゃねえの?』と思われるほどの馬鹿っぷりだった。
だってそうだろう。婚約者がいるのに、その女の目の前で他の女とイチャイチャして、その婚約者がヤキモチ焼いて女に手を出したら罪に問うなんて『お前男としてどうよ?』ってレベルだよね。
しかもそのヒロインと呼ばれる女も、王子だけじゃなく他の奴ともベタベタして、全員でその女庇うって何? 聖女かなんか知らないけれど、俺なら他の男とベタベタしている女なんていらない。共有なんて出来るわけがないだろう。
女のイケメンの定義って……いや、元カノ限定なのかもしれないが、あれをイケメンと言うならば、顔が良くて口が上手ければいいってだけじゃないか。
そんなの前世の俺だって出来てたぞ。
――で、そんな屑王子のモブ弟ユマノヴァ王子、こいつもなんだかよく分からないが、ヒロインが好きなんだけれど攻略対象者より劣るからか、ヒロインのハーレムには入れてもらえない。可愛さ余って憎さ百倍的な感じで、悪役令嬢と一緒にヒロインをいじめていたらしくついでに断罪されていた。
え、こいつも馬鹿なの?
こ~んなヒロイン一人に振り回されている国だけれど実はこの国、先程の王と王妃のように男尊女卑が激しい国なんだよね。
男は常に上位で、女は従うのが当たり前。美しい女なら特にそう。
大人しい女が多い中、ヒロインのハチャメチャ行動は謎だけど、そんな自由なヒロインに心奪われた攻略対象者達の気持ちも分からなくはない。な~んて考えてしまうのは、日本の現代社会を知っている俺だからなのだろうか?
そういや、俺の歴代の彼女達も自由な人達だったよな。
うん、決めた。
俺はこのユマノヴァ王子の人生、とことん女に優しい男になってやる。
確か王子は十二歳で婚約者が出来るんだっけ? この国の公爵令嬢だったと思うが、ゲームのストーリ上、話には出てきたが現実には登場していない。
なんせユマノヴァ王子自体がモブだから。
けれど公爵令嬢というからには、母上と同じような美しくも自分の意見一つも通らない可哀そうな女性だろうから、俺は、俺には我儘言っていいんだよというように接していこう。
そんな事を考えていたら、足の間が温かくなってきた。え、これって……。
気付いたら俺は激しく泣きじゃくっていた。
ごめん、マァム。君には優しく出来ないね。




