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扉が開き空っぽのエレベーターに、恵は促されるように乗り込んだ。扉を手でおさえていた三浦が後に乗り、そのまま3階を示すボタンを押し静かに上昇し始めた。エレベーターは途中で止まることもなく指定された階までスムーズに動いていた。
恵は、上昇している間も視線を前には向けられず、手すりのような銀色のプレートに写り込む自分たちを見ていた。沈黙という苦痛より、これから待ち受ける事実の方が恐ろしくて何も言葉が出てこなかったのだ。
(あの時は仲良かったけど、あの後……あんなに避けられていたのに……怖い……)
三浦から何を言われても、病状の事を信じることが……彼との再会を想像する事が出来なかった。
彼の事で思い出すのは一緒に笑いふざけあったこと、部活の稽古で汗を流したイメージしかない。後半は、いろいろあって話せてはいないが病弱ではなかったはずだった。
(あんな事を言った私に、いまさら彼は会いたいのだろうか……会うの怖い……な)
この数日、恵は彼に会うのを躊躇っていた。断りを入れようかとも本気で思っていた。
だからこそ病院に入る前に聞いておきたかった。
『……部長しか会わせたいと思うヤツ浮かばない』
高校の後半は、彼には意図的に避けられていたはずで……恵自身も歩み寄ることもしなかった。だからこそ、今さら恵に会いたいなんて思うはずがないと悩んでいた。
チャイムと共にエレベーターがゆっくり止まる。扉が開いた先はナースステーションになっていた。何人かの看護師さんたちが、恵たちにも見向きもせず中で作業をしているのが見えた。
その入り口付近にはインホメーションの掲示と患者さんから頂いたのか、看護師さんたちが作ったのか折り紙やリボンなどで飾り付けられていた。まるで幼稚園かのようで、薬品の独特の匂いと、意外にも明るい病棟が和ませる為だと思っていても、失礼ながらそこだけ異空間に見えた。
そのナースステーションと廊下を挟んで両側にいくつもある病室が、この病院の大きさを物語っていた。
三浦は恵が降りたことを確認し迷うことなく、ナースステーションから右側の廊下を奥に向かい歩いた。恵は三浦の後ろを付いて歩きながらも、目新しい病棟の雰囲気にのまれそうになっていた。
病室を何個か通りすぎた時、少しひらけた場所に出た。そこは第2待合室と書いてあったが、三浦はそこも通り過ぎる。
そこは程ほどの広さで、日当たりもよく机やイス、自動販売機など設置されていた。少し低い半透明のパーテーションで仕切られていたが、日曜日の午後でも使用している人は誰もいなかった。恵たち二人も立ち寄らず、そのまま黙って廊下を歩き続けた。
さすがに県内外でも有名な病院だけあって、廊下や壁の白と各病室の引き戸のグレー、手すりの木目調とシンプルな色合いでも落ち着いた雰囲気の作りになっていた。その一つ一つの部屋の前に消毒液の入った容器のキャップやノズルの赤だけが目立つていた。病棟は先ほど見たナースステーションの飾り付けが必要な空間なのだと、実感させられるくらい無駄や複雑さが無く殺風景だった。
三浦が、恵に気を利かせてゆっくりと歩いている現状も、この病院のスリッパの違和感も、この見慣れない簡素な景色が目的の病室までとても長く感じる。
恵の前を歩いていたその背中が、数ある部屋の中から迷いもせず1つの扉の前で立ち止まった。無言のままその病室の主が書かれているプレートを指差した。
【312 和田野 健】
(……そ、そんな……)
そこには見覚えのある名前が書かれていた。その久しぶりの彼の名前をみて、高校時代の思い出が一気にあふれ出る。
(……健くん……)
【和田野】とは恵の地元では珍しく、高校に入って初めて出会う名字だった。なので1年生の4月……クラスの自己紹介で何度聞いても違和感しかなかった。
あの時、偶然隣の席になり名字よりも名前で話していた恵。出身中学が同じ友人たちは、同級生で他にも【ケン】がいたらしく名字で呼んでいた。
恵も途中一度だけ『和田野くん』と呼んだが、本人から『ん?今さら変えなくていいよ。逆に違和感あるし。めぐは、今まで通り健でいいよ』と言われていた。
今のクラスに【ケン】は彼一人だった。
そのプレートを眺めながら……彼の笑顔が浮かんだ。
恵は、その懐かしい名前に久しぶりに会える喜びと、本当に現実なんだと襲ってくる恐怖で苦しくなり足が震えた。
無意識に両手で口を押えて動けなくなっていると、肩をポンとたたかれた。現実に引き戻され悲しそうな三浦と目が合いコクリとうなずかれた。
"大丈夫? "
と聞かれた気がして、恵もうなずくことしか返せなかった。病室前で手の消毒後、三浦がうやうやしくノックをしてくれた。
「はい……どうぞ」
優しそうな声の返事に、恵たちは入室許可を頂いた。
三浦がグレーの引き戸を開けると中には女性が立っていた。この病室で待っているという事は、この方が彼のお母さんなのだろう。そのまま三浦が先に入室し恵が続いた。ベッドの足元は見えるが、まだ病室の主の顔は見えなかった。
三浦が壁際により恵の目の前に、彼のお母さんが立っていた。
恵は何も言えず頭を下げた。
恵が顔を上げると、彼のお母さんは少し頷き微笑んでいた。三浦にも何も聞かず、そのまま右手をベッドの方に向け恵のみイスに座るように促された。
"どうぞ。こっちに座って"
と言われたような気がした。
恵もコクリ頷きベッドの脇に置いてあるイスを確認する。
三浦が、恵のお見舞いを事前に伝えてくれていたのだろう、きちんとした挨拶もしていないのに入室時の軽く頭を下げただけで、そのまま恵のみが、ベッドの横のイスに案内され……
(……ッ……健……くん……)
久しぶりに会った彼は、点滴やモニターが付けられていて眠っているようだった。モニターの一定のリズムだけが響いている病室。何も言えない恵を察して、反対側から彼のお母さんが彼に声をかけてくれた。
「健……大丈夫? あなたにお客様よ」
弱弱しく瞳が……
(……あっ……)
恵たちを見た彼は、一瞬幻でも見ていたような驚きをし視線を隣に移した。彼はお母さんに目で合図をし、それからすぐ彼のお母さんは、病室に入ったばかりの三浦と部屋を後にした。病室には、彼と恵のみ残された。
(……どうしよう……話せないし……まともに、見れない)
ベッドのすぐ側に座った恵に、唯一繋がれていない彼の右手が動いた。恵はとっさに優しく、そっと両手で握った。ゴツゴツとした男の人の手なのに、力が殆ど入ってはいなかった。男の人と手を繋ぐなんて初めてに等しい恵は、反射的に握ってしまった自分を恨んだ。
そんな彼の手は、ひんやりと冷たかった。
恐る恐る彼に視線を移すと、優しい視線と目が合った。明らかに具合の悪そうな彼に、どこから何を話せばいいのか悩んで結局何も言えない。
そこに冒頭の言葉を、彼は申し訳ないように話してくれた。
『最後』だ、なんて……
恵は何も言えなかった。
(最後……って、……どうしよう何を言えばいいの?
もう健くんの顔見れない……ダメだぁ……
大丈夫……大丈夫……今、話さなくても大丈夫……だよね)
ありがとうございました。
話が長くなり次と分けました。




