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彼の所に通っていた生活が終わったあの日から、恵の日常は三浦から留守電が入っていた以前の、だらけた生活に戻っていた。
仕事が休みの日はお昼過ぎにダラダラと起き、そのままパジャマのままで何をするわけでもなくグダグダとゴロゴロと一日が終わる。何事も無かったように、ただただ無意味な時間だけが過ぎていった。
そんな恵をみても両親は何も言っては来なかった。
あの日……葬儀の日に譲り受けた彼のツバを、どうしたらいいのかだいぶ悩んだ。恵は剣道を高校卒業以来してはいない。
恵は、家にいても仕事中でもツバの事で悩んでいた。
(頂いたのは嬉しかったけど、どこにしまう? 飾る? )
その日も帰宅後、ベッドに寝そべりながらツバを手に取り、彼との思い出に浸る。
◇◇◇
通称コミ英と呼ばれる授業は、何故か移動教室でしかも音楽室で行っていた。
今思い出すと不思議なのだが、高校では特別室を利用する時、出席番号順に座ることになっていた。
教室で席替えをしても、特別教室になると新学期の並びに座らされていた。
教室を入ってすぐ前の席から、男子の相澤君から男子最後の和田野君まで順に座り終えると、男子の後すぐに女子の阿部さんが来てという感じて教室の廊下側半分が男子、校庭側が女子というように分かれて座っていた。
コミ英の授業は、教科担当の先生の趣味で英語の歌や、字幕映画を観るのが多かった。
先生いわく、アニメでも映画でも英語に親しむのが重要とのことで"使える英語じゃなきゃ意味がない"とテストも映画のワンシーンが使われていたりと楽しかった。
英語は苦手だったけど、オペラを観たり楽しみだった授業の1つだった。
その音楽室の机は隣の人と繋がっているタイプの机で、私の隣は和田野健くんだった。
ちょうど教室の真ん中で男子が終わり。最後の健くんの後ろにも女子が数名座り、偶然にも隣が私になったのだ。
喜劇映画の時なんかは、価値観が一緒だったので鑑賞しながら小声でずっと話して笑っていた。
家庭科室や技術室では、男女1番から3人ずつの席だったので離れてしまったけれど、高確率で隣の席になる事が多かった。
(授業中話しすぎて怒られた時は、恥ずかしかったな~プププ……楽しかったけど…… )
今まで忘れていたのがウソのように、彼とのエピソードが溢れてきた。
そんな彼との忘れていた思い出に浸りながらあれこれ考えて、高校の試合用の手ぬぐいの上にツバを置くことにした。
そのまま置くことを躊躇ったからだ。その為に、押し入れの奥底にしまい込んでいた衣装ケースを久しぶりに取り出した。中学、高校と使用した部活用具一式が変わらず入っていた。
試合でしか使わないその手拭いは、当時の顧問で八巻先生の座右の銘で作られていた。紫に染色されている生地に”雲外蒼天”の文字と高校名が白で、色あせも傷みも少なく当時のままだった。この衣装ケースにも、あの集合写真は無かった。
その紫の手ぬぐいの上にツバを置き、小さなお花とお水と窓際の棚に置いて毎日手を合わせていた。
"おはよう……今日も頑張って仕事行ってくるね……"
"ただいま……今日も疲れたよ"
と心の中で話しかけていた。
今日は次で最後になります。
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