夢
アランと別れ、ローラを探していたゲッカ男爵から、地主の娘である侍女のフィーミア・エステルを紹介された。
朗らかでトロンとした垂れ目気味の少女だった。同い年のローラは一目見て、栗毛で色白のフィーミアを気に入った。
「ローラン様、こちらがローラン様のお部屋になります。何かありましたらなんなりとお申し付け下さい」
自宅の自分の部屋の八倍はありそうな部屋に圧倒されながらローラは言う。
「ありがとう。今日はすごく疲れちゃって、もう寝ようかな」
「ではすぐ、湯殿の準備を致しますね」
「え…?自分で勝手に入るよ」
「いけません!」
「いいってば!」
ローラは赤くなって頭を振った。
「いけません! 花嫁候補とあろうお方がそのような事では困ります!」
普段はほんわかしたフィーミアの気迫にローラはなすすべもなかった。
そんなローラが眠りについたのは夜も更けた頃だった。
天蓋のついたベッドでシルクの慣れない感覚になかなか寝付けず、何度目かの寝返りをうつ。
広すぎる部屋に戸惑いを覚え、ベッドの端を往復した後、瞼はようやく重くなりはじめた。そんなローラの耳元にどこからともなく囁くような歌声が響びく。
とりもどして とりもどして
とりもどして
私に触れていいのは 彼方だけ
愛しいひと
彼方はどこにいるの
会いにきて 会いにきて
会いにきて
私が必要なら
私は待ている
塔の中心 秘密の部屋で
甘えるような声が途切れ、ローラは目を開けた。暗くて広い部屋のなかに唯独りでいることが急に恐ろしくなる。
背筋が寒々しく、頭から上掛けをかぶった。あの旋律が繰り返し谺し、呼んでいる。
(塔の中心 秘密の部屋で)
彼女はそこにいる……彼のみを受容するために。
何千の時を超えて。願いを叶えるために。
ローラは上掛けを蹴飛ばし、目を見開いた。背中とうなじにじっとりと汗が浮かぶ。薄桃色の天蓋をじっと見つめていたが、ベッド脇のランプを消さないでおいたことを思い出した。今さっき見た夢の詳細は不鮮明になっていたが、嫌な感じの夢だとはわかる。
夢の夢をみた……
起きたつもりがそれも夢だったと、ローラは奇妙な気分になる。
私はなにかを考えていたはず……そう……確か、
『秘密の部屋』
一種の胸騒ぎをローラは覚えた。触れてはいけないものを垣間見てしまった気がする。ローラはおもむろに起きあがると、値のつけられないほどの絨毯のうえを歩き、侍女のフィーミアが片付けたわずかばかりの所持品のある机の前に立った。
右の一番上の引出しからニールに渡された母の形見、掌におさまるキルト袋を取出した。何度か開けようと思ったが、つい忘れていたのだ。それがこの深夜に解かれようとしている。小袋の紐に手をかけほどいてしまうと桐の小箱が現われ、袋を左手の指にはさみ、開けにかかる。
っ綺麗…………!
蓋を開けた途端に眠っていた煌きが目覚めた。それはまるで影灯籠の影が輝きを放ち壁にその輝きを灯影したように、壁には無数の陰陽が揺らめく。
球状の水晶がはまったプラチナリングがこの時を待っていたかのようにローラにその美しさを誇って魅せる。自然発光によって水晶のなかは艶やかな小さい無限の光が瞬いていた。
ああ……この輝きだった。
夢のなかで……最後に新星のように瞬いたのは
この光だった。
胸が急に痛む。何故か溢れてきた切なさに押し潰され、ローラは頬を濡らした。
指輪が呼んでる。彼を。
彼の名前は……、そう彼の名前は。
ローラは気を失った。
朝になって部屋にやってきたフィーミアは、あやうく悲鳴を上げるところだった。ローラが絨毯の上に無造作に転がっていたのだ。下手に騒ぎを大きくしないようにと、とりあえずローラに近づく。
「ローラン様、ローラン様、いかがなされました」
寝息を確認して胸をなでおろすと、ローラの頭を自分の膝に持ち上げ、もう一度呼んだ。
「ローラン様、ご気分がすぐれないのですか?それならばお医者様をお呼びしますが……」
ローラは薄目を開けて、フィーミアの気遣うような顔を見た。
「……フィーミア?」
「はい!大丈夫ですか?」
体を起こしてもしばらく物思いに沈んでいるローラをみて、フィーミアは何かあったのですか?と何度も心配そうに聞く。
ローラは目を見開き左手の指輪を見た。リングは朝日に照らされ水晶の透明な光を放っている。昨夜のような神々しい光は消え、無垢な水晶が太陽の光を浴びているだけだ。
夢……?
そんなわけないと思いながらフィーミアに支えられ立ちあがる。
「今日は、歴史に語学、乗馬にマナーとお忙しいですが、どうなされます?」
大丈夫、何ともないと答えながらもまだ夢のことを思い煩っていた。
ローラが目覚めた時刻、いつもならとっくに起きているはずのアランは眠っていた。
あぁ、またこの夢か……。
アランの呼吸が緊張で浅くなる。
周りがよく見えない。
喉が異様に渇き、白薔薇の甘い香りが漂って来た。
嫌だ……この先は……。
靄がかかったような、仄暗い場所。
アランは重苦しい気持ちでそう思う。
自分の前に誰かいる。
アイツだ。
悍ましく、残酷で身体が竦むような恐怖の存在。
『その身体を返せ』
よく知った声が耳元で凄む。
『俺の身体を……返せ』
今すぐ逃げ出したいのに、金縛りに遭ったように、身体が言う事を聞かない。
『……たいだろう?お前も。本能の赴くままに』
誘惑するような艶っぽい声に、激しく動揺する。どこからか、白薔薇の甘い香りが漂い、酷く喉が……渇く。
目の前の男が、ゆっくり近づいてくる。総毛立つほど嫌だが動けない。
助けて! と言う声さえ出ず、涙だけが出た。
首筋のあたりに顔が近づき、男は口を開けた。暗がりの中でも異様に鋭い犬歯だけがハッキリと見えた。
首筋に刃のような犬歯を突き立てられ、痛みに震えた。
血が吸い上げられる感覚があり、痛みと共に言いようのない快楽を感じた。
やめてくれ!
声にならない声で必死に抵抗するが、男は意に介さず、血を飲み続ける。
『いい気分だろう?』
最悪だ!いい加減にしろ!
『人の皮を被った化け物が何を言っている?……を、……を取り戻せ』
アランはハッと目を覚ました。心臓がバクバク鳴り、滝のような汗をかいていた。
恐る恐る首筋に手をやり、少しほっとする。
あれは、夢だ。
自分に言い聞かせる。
あれは、俺じゃない。
必死に自分に言い聞かせる。
夢の中で見る悍ましい男は、いつも自分なのだ。
アランは起きたばかりなのに、鉛のような身体をなんとか起こした。
シャワーを浴びよう。
そうしなければ、気持ちを切り替えられそうにないとアランはベッドから出た。




