大聖堂
お茶会から三日後。
五時には大聖堂へ向かわなければならない。天気はいつも通り快晴で木々の葉が日差しでより鮮やかな緑に輝く。
木の葉が風に揺れるようにローラの心もざわついていた。落ち着かず、つい部屋の中を行ったり来たりしてしまう。見かねたフィーミアが散歩に誘ってくれた。
衛兵に会釈し、薔薇城の外へ出ると、ローラは伸びをして深呼吸する。
「お城の薔薇園へ行きましょうか」
ガーネット王妃が開催したお茶会以来、庭園へ行くことはなかったのでローラは頷いた。
「そう言えばジュリア様がローズ教会が管理する薔薇園があると言っていたけどお城の薔薇園とは何か違うのかしら」
「大聖堂へは何度も足を運んだのですが、薔薇園への門には通常、鍵が掛かっていています」
「鍵をかけるなんて特別な薔薇でも栽培しているの?」
心地よい風を感じながらローラは思いを巡らせた。
「ブラッディ・ローズという品種の薔薇を栽培しているようです」
ローラは思わずフィーミアの方を向いた。
「血だらけの薔薇って、ネーミングセンスが酷いわね」
「この世のものとは思えないほどに美しく真っ赤な薔薇だそうですよ」
フィーミアの話す声のトーンも落ちていく。
「知れば知るほどにローズ大聖堂は不吉なイメージばかり。薔薇城の隣に千年前に建てられたようだけど、薔薇城とは違って普通の建物なのにね」
「はい。ジュリア様が怖がるのも無理はないですね」
歩きながらローラは頷く。
「それに教会の周りに植えられた白薔薇。この国の気候もあるのでしょうけれど、花がないのを見たことがないわ。強い品種なのかと思いきや、教会の周りでしか見たことがないし、不思議だわ」
「この薔薇城にしても白薔薇にしても謎が多いですね」
「それに王宮やこの国の歴史書の数が著しく少ないから、調べても何もわからないのよね。読書が趣味だからアランの書庫にも行ってみたけれど、そういう類の本は置いていない。どちらかといえば宗教色の濃い本ばかり。ローズ教会の寄贈本ばかりでつまらなかったわ。
家に置いてあった本のほうがよほど面白かった。その家もパパに売られて戻ることもできないし、もう読むことができないなんて悲しい」
青空を見上げるローラの横顔にフィーミアは問いかけた。
「どのような本がお好きでしたか?」
「特に小説が好きだったんだけど、今になって思うとすべて、教会が指定してる禁書だったのかもしれない。SFとかファンタジーものが多かったし」
「空飛ぶ乗り物に、離れていても声が聞こえる通信機器、絵のように空間を映すことのできる機械。『星の軌跡』という小説は読んだことがあります」
「そうそう!それそれ!小説の話ができる人がいたなんて嬉しい」
ローラは満面の笑みを浮かべた。
「いくつもの国を旅して王になる主人公の物語を読んだのだけれど、その物語には当然のように赤ちゃんや子供、年老いた男女が出てきた。初めは物語の設定だと思った。けれど、そう思ったことへの違和感が出てきたわ。
宇宙の始まり、進化論、そんな本を読んでいくうちに、抱いた違和感が正しいことを確信した。
この世界の状態がおかしいことに」
フィーミアは黙っていた。
「サリオットでも王都でも、私は赤ちゃんを見たことがない。子供や老人と呼ばれる人たちも。生れてこの方、見たことがなかったから普通に生活をしてきたけれど、
この世界はとても不自然で歪んでいる」
フィーミアは悲痛な面持ちで俯く。
「知っているのね。あなたも」
ローラは立ち止まり、天を仰ぐ。
「そんな禁書ばかり持っていたパパは何者なんだろう。王都へ来て分かったけど、パパが教えてくれたことはすべて異端だわ。今頃何をしているの」
ずっとニールのことを心配していたローラは、別れの日に渡されたロザリオを無意識につかんだ。
「私が調べて参ります」
「フィーミア、ありがとう。
パパ……どうかご無事で」
切なそうに目を細めたローラの長い髪が風でなびく。
緩やかな坂の下にある庭園の入り口である薔薇のアーチを見たローラは駆け出した。やり切れない思いを拭うように息を弾ませ走る。
美しく咲き誇る薔薇のアーチの前で、肩で息をしていたローラは視線を感じて振り向いた。
「相変わらずお元気そうですね。お姫様」
「お久しぶりですね。ゲッカ男爵」
ローラとゲッカの間にフィーミアが割って入る。
「何かご用ですか?」
ゲッカは苦笑する。
「警戒されたものですね。下がりなさい。私はローラン様とお話しをしているのです」
フィーミアは頭を下げる。
「私は大丈夫。男爵様と少し薔薇園を歩いてくるわ」
フィーミアは唇を強く噛んだ。
「かしこまりました」
頭を下げたまま答えるフィーミアの様子をふっと笑いながら、ゲッカはローラの腰に手を当て庭園の小道に進む。
「何のご用でしょうか」
「ローズ教会へ行くのは止めたほうがいい」
内心、驚いたが表情に出さずに言う。
「どこでお聞きになったのか分かりませんが、私の意志は変わりません」
「母親と同じ道を辿りたいのか?」
ローラは耳を疑う。
「どういうことですか?私の母を知っているのですか?」
自分を産んでから亡くなったと聞かされていたローラの記憶に母の面影はない。
「法王の餌食となった」
「そんな」
急な立ちくらみでふらついたローラをゲッカが長い腕で支える。
「ゲッカ男爵!何ということを!」
血相を変えて飛んできたフィーミアがローラをゲッカから引き離す。しゃがみこんだローラにフィーミアは寄り添う。
「教えてください。なぜ……母は殺されたのですか」
息が苦しい……ローラは青ざめた顔でゲッカを見上げた。
「ローラン様、男爵の話が真実とは限りません」
ゲッカはせせら嗤う。
「茶番だな。ここで生き残りたいなら、大聖堂には近づくな。特に法王には」
そう言い残し去っていくゲッカの背中をフィーミアは睨み付けた。
「ローラン様、大丈夫ですか?」
「ええ。ちょっと驚いただけ」
フィーミアの手を借りて立ち上がったローラはゆっくりと歩き始める。
「ゲッカの話をどう思う?」
「ローラン様を大聖堂へ近づけないための嘘ではないでしょうか」
ローラは首を傾げる。
「そうね。わざわざ会いに来て忠告する理由が分からない。一体、何がしたいのかしら」
「男爵ではありませんが、私も大聖堂へ行くことは控えるべきだと思っています。お考えは変わりませんか?」
「もしゲッカの言うようにママが法王の手にかけられたのであれば、尚更、行くべきだと思う」
フィーミアは溜息を吐く。
「ローラン様のお気持ちは分かりました。ですが、くれぐれも慎重に行動して下さいませ」
四時半を回ったが、まだ外は明るい。一年を通し、日の入りは大体六時頃だ。
ローラはフィーミアを引き連れ、ジュリアの部屋をノックした。
「ローラ、来てくれてありがとう。でも、本当にいいの?」
赤いドレスを纏ったジュリアは先ほど庭園で見た薔薇のように美しい。
「個人的に会いたいと思っていたので大丈夫です。行きましょう」
「本当にありがとうございます。私一人ではとても心細かったと思いますわ」
三人は城の外へ出て、左側にあるローズ大聖堂を目指す。緊張からか誰も話さず、黙々と歩いた。やがて、白薔薇の甘い香りが漂いはじめ大聖堂が近いことを告げる。
白薔薇のアーチが見え、その先に向かい合った天使が彫られた鉄の扉が見えた。天使が描かれているにもかかわらず今のローラには地獄の門にしか見えない。大きな扉の前に来ると、ジュリアがノッカーにゆっくりと手を伸ばし、ローラの方を見た。ローラは頷く。心臓の音が煩い。
甲高い金属音が二回ほど鳴り、ほどなくギギーと重い扉が開く。
「待っていましたよ」
大柄のイスカリア法王に見下ろされローラは妙な汗をかいた。法王の方はチラリとローラを見たが何の感慨もなく招き入れる。
「祝福を授けます。祭壇の前までいらっしゃい」
良く通る声が教会の中に響く。この前と同じ甘い香りと異常な緊張感でローラの頭はくらくらした。
「ローラン、あなたも祝福を受けにきたのですか?」
突然名前を呼ばれ、飛び上がるほど驚いたが、はいと返事を返す。
「では順番に行うのでそこのベンチに座っていなさい」
言われた通り最前列のベンチにローラは座った。フィーミアは横の方に控えている。
祭壇の前に立ったジュリアの肩に法王が手を乗せると、耳元で呟いた。
「一人で来なさいと言ったのに悪い子ですね」
動揺したジュリアにさらに告げる。
「前回の収花祭の時も……。本当に悪い子だ」
そう言って首からかけていた黄金のロザリオをジュリアの目の前にぶら下げた。ロザリオは金色に輝き光を放っている。ジュリアは目を見開きそのロザリオを見ていたが、やがて夢うつつのような状態になった。
光に圧倒されていたローラは思わずジュリアに駆け寄ろうとしたが、法王が近寄るなと手で制した。光が徐々に収まりその場に崩れ落ちそうになるジュリアを片手で法王が支える。
「恐怖は神の愛により消え失せました。もう監視されているという恐れはありませんね」
まだぼうっとしたジュリアがこくんと頷く。
「ジュリア、大丈夫ですか?」
駆け寄ったローラの手を取ったジュリアはふらふらと椅子に座る。
「ローラ、私は大丈夫よ。法王様の言う通り、監視されているという恐怖心も消え去りました」
ほっとしたローラに法王が告げた。
「次はローラン、あなたの番です」
得体の知れない恐怖を感じていたローラを強い緊張が襲う。勇気を奮い起こし、祭壇の前になんとかローラは立った。法王を避け、後ろに見える美しいローズ女神と薔薇の彫刻に目を向けた。口がカラカラに乾き心臓が激しく波打つ。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。あなたは異端者ではないでしょう?」
疑われている? ローラは法王に焦点を合わせた。
「もちろんです」
「私は異端者を絶対に赦すことはない。覚えておきなさい」
驚くほど冷たい目を向けられたローラは背筋が凍った。
「ではローズ女神の祝福を与えます」
法王のひんやりした冷たい手が肩の上に乗せられ、吊るされたロザリオが目の前にあった。そのロザリオからジュリアの時と同じ光が発せられた。
この光をどこかで見たような気がする。
あれはいつだったんだろう。
光に包まれ恍惚としたローラの脳裏に、赤毛の美女が浮かび上がる。
ママだ。
自然と出てきた言葉にローラは愕然とした。母親の顔は覚えていないと思っていた。
グレーの綺麗な瞳が朱に染まり、腰まである髪がたなびく。体から赤いオーラを発しているようだ。
ママが怒っている。とっても。
『この子だけは、ローランだけは何としても守って!お願い!』
ママ、いや!ママ!
「ローラン様!大丈夫ですか?」
目の前の心配そうなフィーミアの顔にローラははっとした。
「ここは……」
「ローズ大聖堂です」
フィーミアに抱きかかえられていたローラは、頭を押さえて起き上がろうとした。
「ローラ!大丈夫?」
ジュリアが差し出した手を掴んだローラはジュリアの手が震えていることに、自分の頬が涙で濡れていることに気づく。
「ジュリア様、私は大丈夫です」
涙を拭い、立ち上がったローラは視線を強く感じた。
青白い顔を珍しく紅潮させたイスカリア法王が、獲物を狙うようにローラを凝視している。
「まさか、お前だったとは!」
禍々しい笑みを浮かべた法王が言う。
「あり得ないとは思ったがロザリオを使って良かった」
思わずローラは後ずさりした。
「今度こそ絶対に逃がしはしない」
手を伸ばしてくる法王に、ローラはまた一歩、後ずさる。
「ローラン、母親のことを知りたくはないか?」
そう言いながら舌舐めずりした法王は「知りたいならば日を改めてまたここへ来なさい。
いや来ることになるだろう」
と予言めいたことを告げる。
法王が言い終わるより早く、ローラは逃げるように教会の扉へ向かった。
重くて開かないドアを開けようと何度か引っ張るが開かずに焦る。後ろから手を伸ばしたフィーミアが軽々と扉を開け、飛び出したローラの目に白く欠けた月が映る。
ローラは振り返らず小走りでどんどん歩く。一刻も早くこの場所から立ち去りたかった。
「ローラン様、お待ちください。ジュリア様が……」
フィーミアの言葉がようやく耳に入ったローラが後ろを振り返ると、ドレスの裾を捲し上げ、息を切らし遅れながらも必死についてくるジュリアの姿が目に入る。立ち止まったローラも息を弾ませ「ごめんね」と謝った。
「私を見る法王の目つきが……人を人とも思わないような鋭いあの目つきが怖くて。逃げてしまったの」
追いついたジュリアは息を弾ませながらも「何を立ち止まっているのです。早く行きましょう!」と歩き出す。後ろからついていく形でローラたちも歩き始めた。
「ジュリア、ロザリオをかざされる前に法王に何か言われていませんでしたか?」
冷静になろうとローラは尋ねる。
「何か言われてました?」
え?法王に何か言わて、明らかに動揺してたはず。どういうこと?
「確かに見たのですが、覚えてないですか?」
「あのロザリオを見て恐怖心が消えたのと同時に、頭に靄がかかっているような気がして……。何か大切なことを忘れているような……」
遠くを見つめるジュリアの横顔に、ローラは言いようのない不安を覚えた。
自分の部屋に入ったローラはようやく安堵して座り込んでしまう。
「ローラ様、大丈夫ですか?」
「何回、大丈夫って言わせちゃったかな。情けなくてごめんね」
「ローラ様はよく対峙されていましたよ」
ローラは首を振る。
「あの光の中でお母様を見たのですか?」
「……ええ。ママのことは何一つ覚えていないと思い込んでいたみたい。鮮やかに頭の中に浮かび上がってきた。真っ赤な髪の女性が」
「良かったです」
「フィーミア?フィーミア!どうして……泣いているの?」
目から零れ落ちる涙を拭いもせず「ただ嬉しくて」と一言だけ言う。
「私も嬉しいけど……泣きすぎじゃない?」
フィーミアは泣きながら笑った。
「でも、ママは赤毛でパパはブロンドなのにどうして私の髪色は茶色なんだろう。まさかパパが本当のパパじゃないとか?」
フィーミアが思わず吹き出す。
「考えすぎでは」
「隔世遺伝とか?」
頭を傾げるローラにフィーミアは笑ってしまう。
「分かりませんが、気になりますか?」
「うん。あんなに綺麗な人、見たことがない。私とは全然、似てないし……」
肩を落とすローラの背中をフィーミアがポンポンと叩く。
「今に似てきますよ」
「そうかなぁ」
溜息を吐いたローラは思い出したように言う。
「そういえば、ガーネット王妃に少し似ていたような」
ぶんぶんと首を振り「そんなワケないか~」とまた溜息を吐いたローラはぎょっとした。
「え? フィーミアまだ泣いてるの?涙腺おかしくなちゃった?」
相変わらすボロボロと泣き続けるフィーミアに困惑する。
「すみません。ちょっと顔を洗ってきます」
ローラは心配そうに部屋を出ていくフィーミアを見送った。
一人部屋に残されたローラは立ち上がり、バスルームへ向かう。
お湯につかってゆっくりしようと、薔薇の形のボタンを押し湯船にお湯を溜める。もくもくと上がる蒸気をぼーっと見ながら法王のロザリオが頭を過った。
あのロザリオの光をどこかで見たような……。ああやって発光する光……。
そうだ!ママの形見の指輪!
今までなんで忘れてたんだろう。それとも夢?あの指輪も光っていた気がする。
ローラはバスルームから慌てて出ると、チェストの引き出しの前まで走った。一番上の引き出しを開け、キルト袋の中の桐箱に入っている水晶体の指輪を取り出した。
「光らない。やっぱり夢だったのかなぁ」
そう言いながらも指輪を左手の薬指にはめてみるとかなり大きい。
「この指輪のサイズだと男性用だと思うんだけど。もしかして親指用?」
親指にはめてみるがやはりブカブカだ。
「本当にママの指輪な、痛っ!」
思わず叫んだローラが親指に痛みを感じ、急いで指輪を外す。指の内側に針で刺されたような傷があり、血が出てぷっくりと膨らんでいる。
「何なの!」
顔を顰めて指輪の内側を覗きこむが棘のようなものは見当たらない。中指で内側をなでてみたが凹凸もない。
「痛いし、光らないしもういいや!」
ローラは指輪をさっさとしまったが、その後、引き出しの中で発光していたことを知る由もなかった。




