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花嫁候補と暗殺者

「昨日の『ローズ王国物語』見た?」

 そう聞いてきたのは一週間前に転校して来たばかりの本物の美少女、桜蘭だ。ツヤツヤした黒髪とブラウンがかった大きな目で私を見つめてきたので、内心男子みたいにドキドキしてしまった。

「もちろん!アラン様、いつも通り素敵だった〜!!カッコ良すぎた!アリアも見たでしょ?」

 私が答える前に幼馴染のサラが鼻息荒く、割り込んだ。

「子どもの頃からやってる番組だし、私も大ファンだけど……実は昨日の番組はまだ見れてなくて」

 サラの顔色が変わり、ずれた眼鏡を直しながら言う。

「昨日の授業の事だよね。実は私もショックだったんだ。アラン様が冷酷な犯罪者だったなんて」 

 え?そっち?私の気持ちを感じ取ったサラが「え?そう言う事じゃなくて?」と聞き返す。

「いくら犯罪者とはいえ、視聴率の為にプライバシーを侵害してもいいの?バルバトス帝国では違法とされてる動画も出回っているんだよ?」

サラは不愉快そうに首を振る。

「犯罪者だし仕方ないじゃん?先生もそう言ってたし」

「それって、犯罪者に対してはモラルも必要ないって事?しかも戦争中の出来事なんでしょう?それに私たちと同じくらいの子だって」

 サラは一重の目を見張り、責めるように私を見た。

「何千人ものバルバトス帝国民を殺したんだよ?同罪でしょ。死刑にならないだけマシじゃない?」

 「じゃあ、帝国民はローズ王国の人たちを誰一人として殺していないの?」

「それこそ戦争中だったから仕方ないんじゃないの?悪いのは帝国に牙を剥いたローズ王国なんだから」

 サラはイライラした口調で言う。

「本当に全てローズ王国が悪いのかな?そんな事ってある?小国がバルバトス帝国に逆らうの?」

「それ以上は言わないで。その考えは危険だわ」

私は息を飲む。サラの父親は帝国の国家治安機関で働いている。それでも私は幼馴染を信じたい。

「サラ。あなたは賢いわ。検閲やプロパガンダ、情報統制がこの国で行われている事は分かるでしょ?」

 サラはついに眉を吊り上げた。

「アリアってばいい子ぶって何?

 私は誰がなんと言おうと見るわ!アラン様の花嫁候補も気になるし、彼に唯一選ばれた平民のローランについても知りたいから!あなたがいつまで見ないでいられる?一時の罪悪感にかられてるだけの偽善者よ!」

 肩で息をしていたサラは「私、今日はこっちから帰る!」とさよならも言わずに行ってしまった。

サラの言う通りだ。私だって所詮は他人事だ。

 自分さえ楽しめればそれでいいのに、胸が痛むなんて勝手だと思いながら靴先に視線を落とす。

「アリアはすごいね」

楼蘭の言葉に私は肩を落とす。

「違うよ。サラの言うように私は偽善者だよ。アラン様の結婚相手の事も気になって仕方ないんだから」

「時計職人の娘で、ローラン」

「そうローラン・キーフブルク。みんなあの子を羨ましがってる」

「私、ローズ王国物語に関しては誰よりも詳しいと思うよ」

「楼蘭も大ファンだったんだね!」

私の罪悪感を和らげようと、大げさに話してくれていると思うと胸がほわんと温かくなった。

 「その逆。あんな番組、なくなればいいと思ってる」

見たことのない冷たい楼蘭の口調と表情に急激に心臓が凍りついた。

 「ごめんなさい。学校でもサラともローズ王国物語の話ばかりで、つまらなかったでしょ」

「なんでアリアが謝るの。あなたって本当にいい人よね」

輝く瞳で見つめられ、心地よい声で褒められ、私は思わず赤面した。

「何でローズ王国物語が嫌いなのか聞いてもいい?」

 真新しい紺色の制服が良く似合う楼蘭をまじまじと見つめた。アサヒ国から入国したばかりで、番組の事も良く知らない楼蘭がそこまで嫌う理由は昨日の授業の内容を以前から知っていたせいなのかな?他国ではきちんとした情報が与えられているのかも。

「私の本当の名前がローラン・キーフブルクだと言ったら?」

  思いもよらない答えに息を飲み、そして笑い出してしまう。

「楼蘭も冗談なんて言うのね!あなたの名前の発音がロウランだからっていくらなんでも無理があるわよ!」

 楼蘭は微笑んだ。

「ローラン、ローラとみんなから呼ばれている少女にはある能力があったの。母親の血を飲んだ事で覚醒した能力」


 は?何を言っているの?


 そんな気持ちが一瞬で消え、私は大声で訳の分からない叫び声を上げていた。


 どういう事?さっきまでは確かに楼蘭の姿だったのに!画面で見た少女、ローラン・キーフブルクが目の前にいた。

「ローラン!?」

 周りに不審な目で見られたけど、そんな事はどうでもいい。

「『魅了』と呼ばれる洗脳に近い能力なの。使い方によっては、見た目も違うように見せられるし、記憶もある程度は操作できる」

 何、そのチート能力!

「その能力で?逃げ出したっていう事?」 

 昨日の授業で当時の帝国皇帝らが、スペッター王国の人々の記憶を全て消したと聞いたのにどうやって?全くニュースにもなっていないけど?

 楼蘭、いえローランは蕩けるような笑みを浮かべた。

「監獄から逃げ出してきた『犯罪者』がこの帝国で何をすると思う?」

  冷や汗が出て、唾を飲み込むとごくっと音がした。肉食動物に狙われた獲物になったような気がする。

「復讐」

 呼吸が浅くなり、掠れた声で答える。

「手伝ってもらえる?私達、友達でしょう?」

 買い物に付き合ってくれとでも言うような気軽さでローランは告げた。心臓が波打ち、奥歯を無意識に噛み締める。

「知ってて近づいたの?私が反政府組織の人間だって」


「話が早くて助かるよ」


私は二度目の悲鳴を上げた。




*******




「ローラ!ローラ!」


 二度目に呼ばれたローラはビクッと震え、大きな目をさらに見開きぽかんと口を開けた。

 ニールはにこりとし、艶々した茶髪をローラの耳にかけてやる。

 口を開こうとしたローラの瞳が夕焼け色に染まる。

 うそ!

 ローラの瞳孔が見開いたかと思うと、ピンク色の小さな唇から隣家に響きそうな大声が迸る。

「ごめんなさい!」

 水で湿っていた火薬が突如着火したような娘の姿にニールは慌ててなだめにかかる。

「いいんだよ。いいんだローラ」

「あたしったら!買い物にもいかなければ庭のトマトとジャガイモの世話もしてないじゃない!」

 今にも家を飛び出しそうなローラは、エプロンをたたみ、買い物カゴを探してリスのようにあたりを見回した。

「買い物はもう済ませたよ。今夜は僕が作ろう」

それを聞いたローラはブリキ人形のように絨毯のうえに崩れた。小柄なローラは額に手をあてうなだれている。

「ごめんなさい……」

 ニールは膝をつき、細く柔らかい手でローラの頭をなでた。その手はピアニストのようにすみずみまで神経が行き届き、時計職人としての地位を確立させてきた。

「僕はちっともローラを責めていないよ。ママが亡くなってローラは本当に頑張っていたからね。同じ年の子のように遊ぶ時間をつくってあげられなかったのは僕のせいだよ。僕がもっと早く、新しいママを見つけていればローラに苦労をかけずに済んだのだから」

 ブロンドの髪に甘いマスクのニールは実際よくモテたが、ニールが相手をすることはなかった。

ローラは花柄のスカートをつかむと顔をあげて勢いよく言う。

「パパは悪くないよ!ママのことがまだ好きなんでしょ」

 ニールは少し驚いたように目を細め、頭をかいた。

そして暖かい眼差しをローラに向け、そのまま抱き上げると、木の椅子に座らせ悲しそうにいう。

「僕の可愛い娘を困らせているのは王宮からの手紙なのかな?」

 ローラは戻ってきた不安に表情を暗くした。

「そろそろ話してくれないかい?本来なら僕は手放しで喜びたいところなんだよ。大事な娘が国中で最も勇敢で有能なアラン王子の花嫁候補になったとすれば、どんな親でも名誉なことだからね」

 それを聞いていたローラは重くのしかかる事実についに耐え切れず涙をこぼす。りんごのような頬に次々と零れる涙に、ニールも胸が痛んだ。

「ごめんなさい!あたし他に想っている人がいるの!」

 打ち明けたローラはたまらないと次々に涙をこぼす。 

 ニールがぬぐっても新しい涙がとめど無く流れてきた。

「ローラ。そんなに泣くと可愛い顔が台無しだよ。第一、そこまで悩む必要はない。王宮に断りの手紙を出せば済むことじゃないか」

 ローラの混沌とした心の渦が少し収まる。

「パパ?」

ローラは濡れた瞳で父親を見上げ、いぶかしむように言った。

「本気で言ってるの?」

「花嫁候補は十人はいるじゃないか。うちの娘に目をつけたことはいいセンスといえ、無理に候補にすることなんてこの国の国王でもできないことだよ」

「でも……」

「もし国王が暴挙にでれば、監査局が黙っていない。まぁそんなことにはならないよ。とにかく僕が王宮へいって断ってこよう。だから、ローラは安心しなさい」

 ローラは小さく頷き、赤く腫らした目をこすった。やがて、椅子から立ち上がると籠からチーズとハムを取りだしピンクのエプロンをつける。

「やっぱりあたしが作る!パパは仕事で疲れたでしょう」

 入り口の左側にあるキッチンに入っていき、イスに座っている父に笑いかけた。ローラは包丁をとりだし、ジャガイモの皮をむきだす。ニ―ルは机の上を拭きながら独り言のようにいった。

「てっきり僕は街中の女の子はすべて王子のことを思い焦がれているのかと思っていたよ。茶に近いオレンジの髪に小麦色の肌、赤の礼服を纏われた姿は僕からみても眩しいからね」

 ローラは手をとめて正面の窓の外に視線をさ迷わせた。

「……そうだね。でもあたしの場合もやっぱり憧れだったよ。ほとんどの女の子が王子様を好きだとは思っても結婚できないでしょ。やがてその子たちは違う誰かを好きになって結婚する。だからね、その好きは憧れでしかないってこと」

 ニールは体をひねりローラのほうを向いて話していたが、感心したように頷いた。

 食卓にチーズの焼けた匂いが漂った頃、玄関のドアを二回ほどノックする音がした。ローラはすぐさまドアのほうを見て立ちあがったが、それを制しニールは玄関のドアの前に立つ。

「どちら様ですか?」

 ニールの声に表からの返事はない。その代わりドアの下に挟まれた手紙を見つけた。

「どうやらローラ宛の手紙らしいね」

 手紙を受け取ったローラの頬は上気し、目は潤んでいた。

「出掛けるのかい?」

「すぐに戻るね!」

 ニールの目は、キッチンの向かい側にある洗面所へかけこんだローラを見ていた。長くつやつやした髪を結い上げ、バラを象った髪留めをつける。紅花からとった口紅を薄くのばし一度微笑んでみる。かけこんだのと同じ勢いでリビングに戻り、

「行ってきます!」

と父に声をかけてあっという間にでていった。三十秒と経っていない。そんな娘の様子にニールは寂しげな笑みを浮かべた。

 

 その白い上質紙は二つ折りにされ上面に、僕の花娘へとかかれていた。


『突然お手紙をさしあげたこととこれからお誘いすることをお許しください。

 今からセントラル広場へきていただけませんか。

 不躾なことは承知していますが、大事なお話があります。

 セントラル広場の天使の噴水の前で待っています。

 あなたが来てくださることを祈っています。

                     アラン』


 ローラは手に発光石のランプを持ち、窓から漏れる家々の明かりに照らされた小径を進んだ。市街地に通じている細道をはさんで両側には同じ形の居宅が並び、家に沿った緩やかな坂は蛇行している。どの家もカーテンが閉まり、夕食の団欒の声が聞えてくる。慣れた道を下ると、赤レンガが途切れ、アーチ天井の教会が木の影から現われた。

 宿の明かりが漏れ昼間の市街地とは違った雰囲気はローラのお気に入りだった。男たちの陽気な声や怒鳴り声、ギターの音色などがくぐもって聞こえる。

う やがてそれも聞こえなくなり石畳に反響するローラの足音だけが響く。街の東にあるセントラル広場は半分が芝生でもう半分は広葉樹の雑木林となっていた。林は王都の境まで続いている。 


 ローラは林のなかの噴水の前で辺りを見まわす。ここだけ集中して木々が群生しているため広場からこの噴水は隠されたようになっている。天使の表情はわからないほど風化しているが涌き水を利用しているのか噴水として機能していた。

 時間が止まったような無風に木々は沈黙する。皓月の明かりが影を落とし、水の滴る音だけが聞こえた。


「来てくれてありがとう」


 ローラの背後から声がし、心臓が嬉しさに波打つ。声変わりしてからは低くよく響くアランの声……ローラは甘い野イチゴを食べたような気持ちになる。


 アランは私が花嫁候補になったことを知らない。

 なんて……話せばいい?

 急に振り向けなくなりローラは指を組んだ。

「こんな時間に呼びつけて済まなかった」

「ううん……」

 アランの視線をローラは首筋のあたりに感じた。振り向かないとと思うのだが体が固まっている。

「ローズに聞きたいことと、聞いて欲しいことがある。ローズは?」

 アランが十歳の時に七歳のローラにローズという名を贈っていた。

 ローラの唇は誰かに縫いつけられたように沈黙を守った。

「……多分ローズの言いたいことと、俺が思ってることは一緒だと思うんだ」

 ローラが沈黙の呪縛を解き振り向こうとした、まさにそのタイミングでアランが言う。

「王子の花嫁候補になったんだろ」

 ローラの背中が凍てつく。先に言われたことで完全に混乱してしまった。 

 さらにアランは追い討ちをかけた。

「候補になれて嬉しくないの?」

 ローラは今度こそどうすることもできなかった。肯定することも否定することもできず、心が乱れる。振り向く勇気すらなく、立ってもいられない。 

 全身の力が抜け噴水の枠にローラが座りこんだその時、二人の間を一塵の風が吹きぬける。

 慌てたのはアランで、ローラの肩に手を置きどうしたのか訊く。いまだに顔を上げないローラの手を取り、片膝をついた。

「俺にまで隠し立てすることか?」

 ローラはこめかみに親指と人差し指をおき両目を隠していた。

「……バカだね」

 困惑気味に青年がローラを見た。

「私はずっと泣いてたのに。花嫁候補になってからずっと。アランに会えなくなるって。アランも悲しんでくれてるってそう信じてたんだ」

 掴んでいた手の力を弱めて青年は言う。

「ローズはいつだって俺の大切な妹だった……」

 青年は現在一八歳。相手にされてない。ローラの瞼は熱くなる。

「昔はね。でも今は違う。違うからこそ今日、君に会いにきたんだよ」

 ローラの涙を拭おうとアランは白い手袋を外したが、その手をローラがつかみ顔を上げて叫ぶ。

「結婚するの?」

 ローラの突然の申し出に青年は思わず吹きだした。

「そういう事になるのかな……?」

 照れたようにアランが苦笑する。ローラは目を真丸に見開き、口を開けたまま固まった。アランの顔や服装を穴があくほど眺める。

 ローラは突然立ちあがった。後ずさりしたかと思うといきなり駆けだす。  

 青年の足に勝てるはずもなくあっけなく二の腕をとられ、引きとめられた。ローラの顔は下をむいたまま震えていた。

「とんだご無礼を!お許し下さい!わ、私の知っている人にあまりによく似ていたものですから!」

「ローズ!」

 ローラは顔を真っ赤にしていう。

「お許し下さい。放して。どうか放して」

 躊躇したが、アランはいわれた通り手を放す。ローラは両手を握りあわせ、消え入りそうな声で呟いた。

「こんなところへなんの用ですか?あたしになんの恨みがあるのでしょう。そっとしておいて……お願い、お願いです」

 ローラは振り返り、真摯な態度で懇願した。

「私には、もう心に決めた人がいるんです」

 青年は目を伏せて訊く。

「彼の名はアランと?」

「そ、そうです。でも、役者なんです」

 目も合わせられないままローラは絞りだすように言葉を紡ぐ。

「アラン王子」

 国で王子しか身に付けることを許されていない赤の礼服には、金で家紋の獅子が刺繍されている。見紛うことのない王子である証をローラは畏れた。

「あなた様とは……全くの別人です」

 あまりに煌びやかすぎた。ローラはうつむいて顔さうえ見れない。

「君を騙すつもりじゃなかったんだ」

 アランは少し弱い口調で告げる。

「俺が変装して君に会っていたのは、暗殺から身を守るためだった。こんなことを言ってすぐに信じてもらえるとは思わない。でも、今日会ってはっきりさせておきたかったんだ。君を無理に花嫁候補にしたことは本当にすまないと思っている。本当に愚かなことをした。さっき君を泣かせてしまって思ったんだ。こんな風に泣かせるくらいなら始めから……候補にしないほうが良かったのかもしれない。君を争いに巻き込むべきじゃなかったのに」

 アランもローラなら理解してくれると信じたい気持ちがあった。

「俺は一国の王子だ。駆け落ちするわけにはいかないし、いずれは王妃を持つ身だ。身勝手すぎたことを許して欲しい。君が静かな生活を送れるように配慮すべきだったのに」

 王子は頭を垂れ王室の最敬礼をした。ローラにはこの青年がいつも森で会っていた人物とは思えない。五感そのものが拒否している。

 アランは確かに変装がうまかった。

 でも自分は農民の出だといっていたのだ。

「いま気づいたよ。ローズはこのままのほうが幸せなんだって」

 王子の片手がローラの右肩に置かれ少し戸惑うが、オレンジがかったゴールドの瞳から目を逸らせない。ローラは初めて王子の顔を目の当たりにした。 

 これまでよく見たことがなかったが、熟練の彫刻家が生涯で最も素晴らしいといわれる作品を作ったとすればこんな風だろう。  

 頭の片隅でそんなことを思いながら、ローラは強い眼差しが閉じられるのを呆然と見ていた。目を閉じると長い睫が影をつくり、子供のような安らかな顔になる。ローラの思考はそこで中断した。

 二人の影が重なったのはほんの一時だった。

「これは別れの餞別に貰っとく」

 悪戯っぽくウインクした王子の顔に、森で会っていたアランの面影が重なる。 

 ローラは空気を求めて喘ぐ魚のようで声が出ない。

「ア、アラン!」

 ようやく叫んだ時、既に赤の外套は闇にまぎれていた。無意識に唇に手を当てる。

 本当にアランがあのアランが、王子様だったら?

 一つの疑念を打ち消すようにまわりから否定する声がした。

 そうよ。そんなわけない。アランと同じ名前で、アランと同じ色の瞳。ただそれだけのこと。

そう考えた後、はっとしたローラは頬が熱くなり手を当てる。

 ローラは熱に侵されたような眩暈を感じ、しゃがみこんだ。

 まだ高鳴る胸に手を当て、苦しげに息を吸う。

 どうしよう……、どうしよう……。

 訳の分からない感情に、どう対処していいか分からない。

 帰らなきゃ。パパが心配してる。

 その一念だけでゆっくり立上がり、

 蝶のような足取りで、ふらふらと来た道を引き返した。




 セントラル広場からローラが立ち去り、風に煽られた木々が揺れはじめた。

 澄んでいた空に雲が垂れこめる。満月の光が隠されると同時、示しあわせたように木陰から四つの闇――黒を身に纏った男たち――が這いだした。鋭い目の男がチャンスを逃した口惜しさと、命令を確かめる意味で問いかける。

「ゲッカ男爵、どうして殺らなかったんです?」

 呼ばれた男は口元に品のよい笑みを浮かべた。

「妙案を思いついたのさ。お前たちを使うより、より安全な方法をな」

 問いかけた男が不服そうに顔を顰めたが、鋭い目だけは爛々と光っている。 

 長年狙ってきた獲物を狩れないなど暗殺者としての自尊心が許すはずもない。男は五年という歳月をかけ、王子を殺すためだけに生きてきたといっていい。 

 今日、王子は女と逢引するために、わざわざ自分が王子だといいふらすような無防備な姿を暗殺者の目の前に晒したのだった。あの用心深い王子が自分から殺してれと願い出るような真似は二度とない――その確信があっただけに暗殺者は悔しくて仕方なかった。

 その激情は恨みに近い。

「アラン王子は民から好かれている。新王誕生の際に妙な噂が流れれば暴動が起きる可能性がある」

男爵と呼ばれた男は不出来な部下をもったことに初めて感謝し、続ける。

「色恋沙汰を聞く趣味はないが、これは面白い情報をつかんだものだ。王子の判断は賢明だったが、時期を逸したようだな。それにしても……アラン王子の熱のあげようは見物だ」

 男たちの間に哄笑が起こったのと同時。閃光がきらめき、鋭い目の暗殺者は胴と首が別々になった。骨まで切断した切り口は切り分けた肉のように水平で、噴水のような血飛沫が吹き上がった。残された大男は珍しく恐怖を感じ、動くこともできない。太刀の突風で残り二人のマスクは切り裂かれた。

「他に王子を独断で殺したい奴はいるか?」

 下らないプライドで。いい放ち、返り血で汚れたマスクをとり去る。先ほどの月彩のようなプラチナシルバーの艶のある髪が零れ、金色の美しい双眸が二人を見やった。するともう一人の暗殺者もまた破かれた黒い布をとり去り、濁った灰色の瞳を向けた。

「貴方様が手にかけなければ、この愚か者を私が殺っていました」

 無感動な瞳で首のはなれた胴体を一瞥した後、深く頭を垂れる。俯いたため白髪が顔を覆い隠し表情が読めない。

「見ない顔だな。名はなんという」

 銀髪の男は面白そうに男を見つめた。

「クロードと申します」

「ひぇ!」

 短い悲鳴をあげた大きな影は顔を引きつらせた。

「知っているのか?」

 氷のような瞳をむけられ、大男は喉を鳴らす。

「へ、へぇ。この男はもしかすると、

仲間内で噂されている白髪のクロードかもしれやせん。なんでも冷酷無慈悲で鬼のような仕事振り。手段を選ばない残忍な奴らしいっす。パレスエリアでは有名な殺人鬼ですぜ」

 銀髪の男は話し終えた暗殺者を見つめる。

「体ばかりでかい木偶の棒が」

 身の危険を本能的に感じた大男は逃げ腰になった。

「俺の前に二度と現れるな」

 その言葉が終わるより早くクロードの大釜が大男の目を深々と貫いた。釜は男の頭蓋をつき、後頭部から先端を出している。痙攣し、絶息した男が重力でずるずると落ちてゆき、クロードは何の感慨もなく武器を引き抜く。その無造作な動きに屍体の顔面は抉られ、二つに割れた目玉から血の涙が滴たった。 

 ゲッカは呆れて首を振る。

「あなた様が顔を見たくないと仰ったものですから」 

 クロードは深く頭を下げた。


 

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