第三十九話 休日の過ごし方(後)
あの後、昼食の時間になるまで、書庫で本を読み続けた信也であったが、昼食を終えた午後からは、直人と共に中庭で身体を動かしていた。
とはいえ、監督役であるクラーク達がいない現状に加え、ヒーアマンから模擬戦などの、危険を伴う訓練はしないようにと言われていたこともあって、ランニングや素振りなどをニ時間ほど行なったところで、切り上げる事となったのであるが……
「ふぅ……休憩ありとはいえ、これだけやれば結構疲れるよな」
一息ついた信也は、素振り用の重りをつけた剣を地面に置いて、額に浮かんだ汗を訓練着の袖で拭う。
この世界に召喚されて以降、体力が人並み以上となった信也ではあるが、それでも二時間も運動していれば、多少の疲れを感じるというものだ。
だが信也と共に訓練をしていたはずの直人は、信也程に疲れた様子も特に見せず、どこか不満そうな面持ちとなっている。
「いや、オレはなんか物足んねぇんだよな。もっと思いっきり動きてぇ」
「おいおい、何を言ってるんだよ。ヒーアマンさんからも、程々で切り上げる様にって言われてただろ?」
「まあそうなんだけどよ。でもなあ……」
素振り用の鉄槌を降ろした直人の表情は、もっと身体を動かしたいと訴えている。
だがそれでも、今やれる訓練はこのくらいでしかなく、それもやり過ぎないようにと、釘を刺されているのだ。
「だいたい物足りないってさ……直人は午前中も走ったり色々してたんだろ? さっきの素振りにしたって、無駄に重いやつ振り回してたじゃないか」
「あんなの大した重さでもないぜ? それにまだまだクラークさん相手だと力負けするんだから、ガッツリ鍛えねぇとさ」
「だからってやり過ぎは駄目だろ。直人は、朝からやってるんだろ? 明らかにやり過ぎだろ」
直人が朝から一人で身体を鍛えていた事は、昼食の時に直人自身が話していた。
その時は、休日なのに直人らしいなと、笑って済ませていた信也であるが、いざこうして訓練に付き合ってみれば、休日には似つかわしくない程の訓練量であると感じられる。
「直人の趣味がトレーニングだってのは、俺もよく知ってるけどさ……それでもちょっと張り切りすぎじゃないのか?」
「あー、張り切りすぎてるか。そんなつもりはなかったんだけどな……でもまあオレの場合は、休み過ぎで体力が余ってるだけだなッ!」
信也の言葉を受けて、少し考え込んだ様子の直人であったが、それも一瞬のことでしかない。
すぐにいつもの雰囲気に戻った直人は、体力が有り余っていたから、少し張り切りすぎてしまったのだろうと、胸を張って言い放つ。
「ああ、まあ……直人なら、そうなのかもな。それに俺も、偉そうな事は言えない……か」
普通ならば誤魔化しとも思えるような言動なのだろうが、直人があまりにもハッキリと言い切るものだから、信也も思わず納得してしまう。
それに直人程ではなくとも、信也もこうして休暇中に身体を動かしているのだから、傍から見れば直人と同じ様に、訓練のやり過ぎだと見えているのかもしれない。
「まあそういう事だ。それより、そろそろ夕梨の所に行く時間じゃねえのか?」
「……あっ」
直人の様子が気になって、少々話し込んでしまっていたが、どうやら次の予定の時間になってしまったようだ。
まだ剣などのも片付けや、汗臭くなった服の着替えなどもしないとと、焦りを覚えた信也であったが……
「ほら、さっさと行っていいぞ。ここの後片付けは、オレの方でやっとくからよ」
「ああ、ごめんな。あとは任せた!」
直人から出された助け舟に乗った信也は、そのまま後片付けを直人に任せて、次の予定へと向かうのであった。
最低限の着替えだけを慌てて済ませた信也は、夕梨と待ち合わせをしている厨房へと到着した。
普段は信也達のために雇われた料理人が、忙しそうに働いているそこには、のんびりとした様子で手鍋を揺らし、何かを作っている夕梨しか居ない。
昨日街を見て回った時に購入した食材を使って、今日の夕食を作るつもりなのだそうだ。
「悪い、待たせた!」
「別にそんなに待ってないよー。むしろ予定通りってやつだねぇ」
聞こえた声に手を止め、信也の方へと振り向いた夕梨は、相変わらず変化の乏しい表情を少し緩めると、信也を厨房へと迎え入れた。
遅れて来た信也に対して、夕梨は怒る事もなく、特に気にした様子もない。
それどころか、信也が遅刻してくるのを予想していた節さえあるようだ。
「それじゃ早速だけど、ひと仕事お願いしよっかな」
「ああ、任せてくれ!」
「うんうん、良い返事だねぇ。それじゃあちょっと面倒くさい野菜の皮剥きをお願いするよー」
夕梨はそう言うと、調理台の下にある保存箱から、新たな野菜を取り出した。
それは昨日市場で購入した野菜の一つで、見た目は大根とよく似ているのだが、色が茶色となっている。
初めてこの野菜を見た時は、てっきり一本丸々煮込んだ状態で売っている、惣菜の類かと勘違いした程であった。
「これの皮がすっごく硬いらしくて、剥くのが大変らしーんだよぉ。ただ味は甘いらしくて、デザート向きな野菜なんだってー」
「へえ……見た目は大根なのに、デザート向きなんだな」
夕梨から手渡された茶色大根をじっくりと眺めてみるが、やはり色以外の違いが分からない。
「しーんーやー。観賞用で渡した訳じゃないんだよ?」
「おっと、皮剥きだったよな。ごめんごめん」
夕梨から注意を受けた信也は、笑って誤魔化しながら、皮剥き作業に取り掛かる。
形こそただの大根にしか見えないが、茶色大根の皮は非常に硬く、切るのに苦労する物であるらしい。
とはいえ、料理が上手な訳ではない信也には、どうやれば簡単に茶色大根の皮が剥けるか見当もつかない。
だからとりあえず大根と同じやり方で良いかと考えた信也は、まずは輪切りにするべく包丁で切れ込みを入れようと試みた。
しかし信也の想像以上に茶色大根の皮は硬く、刃がなかなか思う様に通らない。
悪戦苦闘の末になんとか切れたものの、途中から自分は何を切ってるのかと疑問を覚えてしまう程である。
断面を見てみれば茶色い部分は五ミリ程で、中身はまるで西瓜の様な赤色をしていた。
「な、なんだこれ? 切れはしたけど、馬鹿みたいに硬いな」
「でしょー。だから料理人の人達もこれ切る時は、大根サイズの木の棒を切るイメージで叩き切ってるらしーよ?」
「どう考えても、食べ物に抱くイメージじゃないんだよな……どんだけ硬いんだよ」
夕梨の説明を聞いて、なんとも言えない気持ちになった信也であるが、実際にこうして刃が簡単に通らなかったのだから、大げさだと笑い飛ばす事も出来ない。
その後も皮の硬さに辟易としながらも、なんとか茶色大根を六つに切り分けた信也は、いよいよ皮剥きに取り掛かる。
とはいえ見た目が大根だからと輪切りにしてみただけで、この異様に硬い皮の攻略方法が分からない。
試しに桂剥きの真似事をやってみたりもしたが、当たり前の様に包丁の刃が通らない。
無理矢理に力を込めれば、或いは可能かもしれないが、かなりの確率で失敗して、指なりを切りつけてしまうだろう。
「なあ、夕梨。ここからどうすれば良いと思う?」
「あっ、切り分け終わってたんだぁ。気付かなくてごめんね。はい、仕上げはこれ使うんだよー」
いよいよ困った信也が夕梨へと声を掛けると、夕梨は待っていたと言わんばかりに丸い金型を取り出した。
「食べられる所は色が違うそーだから、そこに合わせたサイズの金型を置いて、これをギュッと押し込めば皮剥き完了だよー。食べられる所は硬くないから、ここまで来れば簡単だねー」
そう言いながら自身が取り出した道具で実演して見せた夕梨は、言葉の通りに簡単に中の赤い部分を取り出してみせた。
金型を押し込む時も、そこまで力んだ様子がなかったので、どうやら本当に可食部分は硬くないようだ。
「なんか俺の知ってる皮剥きと違う……」
「そんな細かい事は、気にしたらダメだよぉ? ほらほら、これって生でも食べられるらしいから一口食べてみよーよ」
型抜きした赤色の部分を包丁でサッと切り分けた夕梨が、その内の一つを信也の口へと無理矢理に放り込み、更にもう一つを自身の口へと運ぶ。
口に入ったそれを噛んでみれば、歯応えは見た目通りの大根の様にシャキシャキとしてみずみずしい。
しかし味は見た目から想像出来ない程に遥かに甘く、一口噛む毎に出てくる甘味が口の中に染み渡っていく。
そしてゆっくりと味わった後に飲み込めば、口の中から甘さがスッと抜けて、スッキリとした清涼感だけが残った。
「美味っ!? なんだこれ!?」
「うわぁー、思ってたよりもあまーい。それに後味もなんだか爽やかだねぇ。これなら今日のデザートは美味しいの作れるよー」
最初の茶色い大根という見た目からは、とてもじゃないが想像できなかった味に、信也はただただ驚くしかない。
一方で夕梨は、茶色大根の想像以上の甘味や、爽やかな後味に満足気な様子で、今晩のデザート作りにやる気を漲らせている様である。
「よーしッ! それじゃ信也は残りの型抜きお願いねー。それが終わったら、次は――」
やる気に比例してか、次々と指示を出していく夕梨に従って、信也は厨房内を動き回る事となった。
その後、玄米を臼と手杵を使って精米したり、材料が足りないからと追加で出てきた茶色大根を叩き切ったりなどなど……色々と厨房内を奔走した甲斐あって、無事に夕飯を作り終える事が出来たのであった。
「ふう……なんとか夕飯の時間までに間に合ったな」
「だねー。時間ギリギリだったけど、楽しかったよー」
完成した料理の数々を、配膳係の使用人達が順次運び出していくのをのんびりと眺めながら、二人は一仕事終えた後の満足感を感じている様である。
暫くそうやって人の流れを見ていた二人であったが、そろそろ最後の皿が運ばれようとしているタイミングで、夕梨がポツリと呟いた。
「…………楽しかった?」
届いた声は小さかったが、自分に向かって言っているだと気が付いた信也は、今の気持ちを素直に答える事にした。
「ん? ああ、そうだな……料理はあんまりした事なかったけど、正直言って楽しかった。異世界ならでは……とはちょっと言いにくいけど、珍しい事もやったし、こうやって一緒に何かするってのは良いもんだよな」
この世界に召喚されてから、日常を思わせる様な事をほとんどしてこなかった信也としては、こうやって夕梨と一緒に訓練以外で何かをするのは、本当に久しぶりの事であった。
特に魔族との遭遇以降、信也は強くならなければとの想いが強くなった事もあって、休日も碌に休まず自主訓練に励んでいるのである。
そういう意味では、ここ数日の休みは良い機会だったと言えるだろう。
「ふふっ、それなら良かった。良い気晴らしになったって事だよねー。やっぱり休みも大事だよねぇ」
どうやら夕食作りの手伝いとして信也に声を掛けたのも、信也の息抜きをさせようとの意図があったようだ。
そういう意味では、夕梨の狙い通りと言った所だろうか。
そして信也の答えを聞いて満足したらしい夕梨は、一度大きく伸びをすると、厨房から出るべく歩き出した。
「よーし。それじゃあ私達も食堂に行こっか。もう皆待ってるかもよー」
もう既に最後の皿も運び出され、静かになった厨房には信也と夕梨の二人しか残っていない。
一人先に厨房の入口に立った夕梨は、信也の方へとクルリと振り向くと、口元を笑みを浮かべて手を差し伸べた。
「ああ、そうだな。せっかくの作りたてが冷めたら勿体ない」
「よーし、行くよーッ!」
自分に向かって伸ばされた夕梨の手を掴んだ信也は、そのまま夕梨と並んで廊下を小走りに駆けて行く。
隣を走る夕梨の顔をのぞき見れば、表情の変化は微かなものだが、それでも喜びの感情がギッチリと詰め込まれているのが信也には良く分かる。
そんな夕梨の横顔を見て、信也は微笑ましい気持ちになりながらも、この笑顔を護ろうと決意を新たにするのであった。




