姫への道も一歩から
畳にぺたりと座って退屈そうに児童書を捲っていた黒髪の長い少女に、いとこが声を掛けたのは、本当にただの気まぐれだったのだろう。
今思えば、かれはまだ少女と大差ない十一歳の子供であったし、とくべつに面倒見のいいほうではなかった。
「面白い?」
ぱさっと本を取り上げて、その人が少女に問うと、少女は首をかしげて、上目遣いにそのひとをみた。そのひとの長くてふわふわとした髪は美しく、まつげは零れるように長い。少女は手を伸ばして、かれの腕を触ると、目を見開いて、お姫さま! と叫んだ。
「……お姫さま?」
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お姫さまの腕を力いっぱい引っ張りながら、わたしのお嫁さんになってと騒いだ日から早七年。少女も、ものの分別がつくようになり、―――美しく長い髪をもったいとこが、男のひとであることをとっくに理解するようになっていた。
けれど、と少女は思う。
大人たちも、ただ失礼でしょうと引きはなそうとしていないで、きちんと少女がそのひとの性別を取り違えていることを教えるべきであったのだ。そんなことを思いながら、あのときから背も伸び、少し大人になった少女は、短く切りそろえられた髪を揺らしながら、畳にぺたりと座って文庫本を捲っていた。
部屋の中では線香の匂いが鼻につく。庭の向こうには冷たくて灰色の四角い石が並んでいて、少女はずっと昔から、この死の匂いのする家が嫌いだった。
けれど、ずっとここで育ってきた従兄はそれも平気らしい。従兄はいつも冷たく構えていて、剃る予定もなく未だに長い髪を揺らしながら、平然とこの家の四男をしている。
「随分と早熟な子供だ」
不意に声が聞こえて、顔を上げると、ひょいと手元の本が取り上げられた。車輪の下。表紙に記された文字を読み上げながら、従兄は少し馬鹿にしたような声でさえずった。
「七歳でアンデルセン童話なんか読んでいた時点で、行く末は心配だったけどね」
「小学生なんだから童話ぐらい読ませてよ…」
思わず友達に使うような話し方をしてしまった少女の頭を、こつんと男のひとは小突いた。元より長かった髪はさらに伸びていて、相変わらずふさふさのまつげと奇麗な顔立ちを持っていたが、しっかりと筋肉のついた身体や、あれから数年間にかけて、たけのこのように身長が伸びていったために、彼を女性と見間違う人間は随分と少なくなった。
「本ばっかり読んでいては、ロクな大人になれないよ」
「嘘ですよ、そんなの」
「頭でっかちになるからね。堅実に数学とか英語の勉強をしていたほうがいい」
「…大人みたいなこと言わないでください」
まだ自分だって学生のくせに。少女が反抗的に従兄を見上げて言うと、昔は可愛かったのに、と男は呆れたように言った。
それから不意に、檀家のひとに貰ったやつです、とどら焼きを取り出し、男は少女に手渡した。ネコ型ロボット。少女が呟くのに対して、どら焼きに齧り付いていた従兄はわざとらしく少女に目配せをして、それから意地悪く微笑んだ。
「冷たいね」
「反抗期だから」
「昔は求婚してくれたのに…、僕を捨てるなんてひどいひと」
「あなた、自分の年齢自覚しなさいよ。倫理的じゃないわ」
「ほら。やっぱり頭でっかちなお姫さまだ」
いーっ、と威嚇のポーズを取った少女の頭に、さきほど取り上げた本をぶつけて、お下品ですよと男は咎める。わたしはどうせお姫さまになれないから良いっ、と噛み付くように吐き捨てた少女の頭を、呆れながら撫でた本物のお姫さまの手つきは鬱陶しく、少女は乱暴に取り上げられた文庫本をもぎ取ったが、男はお転婆なお姫さまだと小馬鹿にした笑みで煽るのみであった。