渋谷で5時/鈴木雅之&菊池桃子
夜の渋谷なんて、職場の主任である田白の結婚パーティー以来であるが、改めて人の多さに驚いている。
血気盛んな若者に狩られるようなデッドストックのスニーカーは履いていないものの、大きなギターのハードケースがすれ違いざま通行人に当たってトラブルを起こさぬよう、慎重にスタジオへと向かった。
繁華街から、少しだけ離れた所に立地している雑居ビルの前に到着すると、腕時計は19時まであと10分ほどあり、見上げたエントランスの看板には4階に『Studioポワトリン』と書かれていた。
とりあえず、エレベーターに乗り込み4階のボタンを押し、頭上に表示される通過階数のランプを無言で眺めながら、行き先階への到着を待つ。
エレベーターのドアが開くと、ライブ告知のチラシやメンバー募集の貼紙が、これでもかというほど貼り散らかされ、タバコの煙が充満した不良の溜り場のような景色が目に飛び込んできた。
初めてライブハウスに足を踏み入れた時にも思ったが、音楽と……いや、バンドと無縁の生活を送っている人間にとっては、どちらも少々刺激が強い場所という印象である。
奥でボヤでも起きているんじゃないかと思われるほどの、真っ白い煙の先でユウコが手を振っていた。
濃い霧の中で俺に向かって手を振る女性……もし寝起きだったら『あ、俺死んだ?』などと思ってしまうような光景だった。
「お疲れぃ! 場所すぐわかった?」
「あ、はい。まぁなんとか」
この雰囲気の中で物怖じしないユウコが、職場の椛島優子とは別人なのではないかと思ってしまうほど、その場に馴染んでいて、余所余所しい返事をするコトしか出来なかった。
「正直、来てくれないんじゃないかって心配してたんだよね? とりあえず一安心」
丸テーブルに座っているユウコを囲むように、自分よりやや歳上であろう男が3人。こちらを値踏みするような視線を送ってきていた。
「じゃあ早速。イカれたメンバー紹介するぜ!」
ユウコは一人だけケラケラと笑っている。今そういうの要らないんですけど……
「ヴォーカルの相賀さん、ドラムの折手さん、ギターの真秀さん。3人ともワタシが地下アイドルやってた時からの知り合いだから」
自分の左隣から順に、時計回りで指差しながら早口で紹介されたが、そんな一度に覚えられないっての。
「どうも、はじめまして。ゆうゆから聞いてますよ! えーと、スエノ君だっけ? ギター初心者なんだよね?」
俺の一番近くに座っていた男が立ち上がると、威圧されるほど背が高く、見上げるカタチでペコリと頭を下げた。
「ちょっと『ゆうゆ』は止めてよオリテさん! 恥ずかしいなぁもぅ……三十路過ぎてそんなアイドル時代の呼ばれ方されたくないから」
オリテと呼ばれているこの男は……たしか2番目に紹介されたからドラムだったハズである。
「まぁ今日は初めてなんで、気楽にやってください。俺もそんなに歌が上手いワケじゃないから、バンドに慣れるための踏み台にでもしてくれたらイイよ」
続いてユウコの左隣の男が立ち上がった。ヴォーカル……というコトであれば、この髭面の男がアイガか。
「お! ヨロシク」
となると、この言葉少なに座ったまま挨拶をしてきた顔色の悪い男が、残るギターのマシュウか。
「この3人、いっつもワタシのライブに来てくれてて、連携したヲタ芸するんで他の常連さんから『キモい三連星』って呼ばれてたんだよね!」
「ヒドいよゆうゆ! 今は全員ヲタ芸に身体がついていかない40代なんだから! SiziUとか可愛い呼び方してよ」
軽快なアイガの返しを聞いて、年配者の自虐的ジョークほど気まずいモノは無いなと、スタジオのロビーで俺だけを完全なアウェー感が包み込んでいた。
まぁ面と向かって『キモい』って言われる辛さは、俺もよく知っているけど……
「Dスタのカバシマ様どうぞー」
受付カウンターから、金髪で細身の店員が声を上げた。
ユウコはハイハイと受付に向かい、マイクと数本のシールドが入ったカゴを受け取った。
「ムサいオッサンばっかりでイヤになってない? 加齢臭対策で一番広い部屋にしといたから!」
言いたい放題のユウコを他所に、嫌がる素振りを一切見せないメンバーが不気味でならないのだが、主従関係というか、そういう性癖の集まりだろうか? 既に上手くやっていける自信が無いのだが……
ユウコに続いて廊下を進むと、サクラ達と入っていたSENSATIONAL WINDの設備よりも、一回りほど分厚い『D』と書かれた扉があった。
重々しいその扉をガチャリと開くと、昨日まで練習していたスタジオの2倍はあろうかという広さである。
あまりに広い部屋と機材の充実に、上京したての『おのぼりさん』が如く、ついつい辺りをキョロキョロ眺めてしまった。
「あら? お客さんこういうトコ初めて?」
ユウコが、いかがわしい店で働く嬢のような口ぶりで、俺をからかうようにそう言った。
「いや、そんなコトないんすけどね……俺が入ったコトあるスタジオより広くて、つい」
いくら初心者とはいえ、舐められたくないというつまらないプライドが芽生えてしまい、期せずしてコッソリ練習してたコトを暴露してしまった。
「えー! なんだ影練してたの? スエノ君の初めての女になれると思ったのにぃ!!」
いや、言い方よ。なんでこの人は何でもエロい感じに言うかな……他のメンバーにもこうなのだろうか?
「ちょ、ちょっと! 周りで聞いてる人が勘違いするような言い方やめてくださいよ。あの、前に話した例の女の子バンドに教えてもらっててですね……」
イヤな汗が出ているのは、重たいギターを担いで渋谷まで足を運んだから、だけでは無さそうである。
最初に声を掛けられた時も『ワタシ色に染めたい』とか言ってたし、ホントにこの人はよくわからん……L☆Dのメンバーもそうだが、大人しくしてれば男の方から勝手に寄って来そうな器量なのに、バンドやってるとこういう感じになっちゃうんだろうか?(個人差あります)
「真面目か! ワタシと歳変わんないのに、そんな中学生みたいな反応しないでよ? じゃあ、アンプの繋ぎ方とかは大丈夫そうだね」
相変わらず自分の言ったコトにケラケラと笑っている。
「アンプ、どっち使う?」
背後で急に声がしたので、驚いて振り返るとマシュウが立っていた。
「ぅおお! あ、えーと、じぇ、JCで」
多少のコトにビクついて、気弱で軟弱なヤツだと思われたくないが、こう初対面の人間が多いと必要以上にキョドってしまう。
「じぇじぇじぇって、あまちゃん懐かしい! あとスエノ君、JC選ぶとか、やっぱロリコン体質なの?」
出たよオヤジギャグ……しかし俺がマキと話してて、素で勘違いしたヤツを地で言うかね。
ユウコを一瞥し、ここは敢えて無視しつつギターのセッティングに取り掛かろうと、ハードケースを開きギターを取り出した。
「わー! スエノ君、綺麗なギター使ってるね? それが例の借り物のヤツ?」
「あ、そうです。自分のじゃないんで、キズでも付けやしないか常に不安で……」
ユウコが食い付いてきたが、他のメンバーは俺になど見向きもせず、着々と準備を進めていた。
「じゃあ、これから本格的にバンド始めたら、ワタシと一緒に自分のギター買いに行こうね?」
本気でバンドをやっている人を前にして、『自分のギター』という言葉に少しだけ後ろめたい気持ちが芽生え、一緒に買い物に行こうと誘われているコトにも疑問を持ったが、とにかく余計なコトは考えず、今日のスタジオ練習を乗り切ろうという想いでセッティングを続ける。
俺はアンプに繋いだギターをジャランと鳴らし、準備万端であるコトをユウコに目配せした。




