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みそギ!~三十路で始めるギター教室~  作者: ボラ塚鬼丸
入門編
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04.涙がこぼれそう/The Birthday

「ピーピー……ピーピー……」


 毎日定時に鳴るケータイのアラームを何度か止めた記憶を辿ると、身体の軋みで目が覚めた。


 昨夜は泥のように眠ってしまい、胎児のようなポーズのまま部屋の隅で寝ていたようだ。


 身体を起き上がらせずに、スヌーズ機能を止めたケータイの時刻を見ると、最短で準備しないと仕事に遅刻という時間になっていた。


 昨日出会った彼女達はちゃんと帰れたのだろうかと、不安を抱きながらもガバッと身体を起こして部屋を見渡す。


「朝……アサアサ! 朝になったってーのに! この悪夢がさめてくんない……」


 ホントに夢であって欲しい。


 寝落ちする前の倍くらい空き缶が増えており、六畳間にパズルの如く女性が四人横たわっている。


「あのーちょっと皆さん? 昨晩は帰られなかったんでしょうか?」


 恐る恐る声を掛けると、エリカだけが目を覚ました。


「あらおはよう。昨日はぐっすり眠ってたようだけど、ちゃんと休めたかしら?」


「いや、そんなコトより俺、もう仕事行かなきゃならないんで、戸締りだけお願いしますよ?カギの締め方は一階と同じだと思いますから」


 ユニットバスではないが、トイレと洗面台が一緒になった風呂場で鏡を見ると、無精髭の三十路が映っていた。


 冬場だからそこまで汗は掻いていないが、一気に洗顔と歯みがきだけして、最低限の身支度で家を出る。


「いってらっしゃい」


 出掛けにエリカの声が聞こえたが、『いってきます』なんて言葉はもう何年も発していないので、照れ臭くて急いでいるフリで会釈だけしてドアを閉めた。


 駅まで向かう道すがら、改めて結婚パーティー以来入浴もままならなかったコトに気付き、急に三十路の自覚が芽生えて、加齢臭も気になってしまう。


 デオドラントスプレーでも買おうとコンビニに立ち寄った。


 薬局やディスカウントショップに比べて、やや割高なスプレーを手に取りレジに向かって財布を開くと、自分の思ってた枚数の札は無く、手持ちがチケット一枚になっていた。


 あの大量の空き缶はそういうコトか……


 ただイタズラにタイムロスしただけで、手にしたスプレーを棚に戻して駅に急いだ。


 今はコンビニのキャッシュディスペンサーで金を下ろす程の余裕は無いので、昼休みまで我慢しよう。


 出来るだけ、電車内では人に近づかないように乗車し、ドアトゥドアで約一時間、新宿のオフィス街にある職場まで辿り着いた。


 昨日が休みだったとは思えない程の疲労感を背負い、タイムカード代わりの生体認証で入室。


 さて、出社はしたものの、先日は結果的に無視してしまった佐向亜依子と顔を合わせるのが気まずい。


 さらに言えば、加齢臭予備軍の体臭にも気付かれたくない。


 だがそんな時に限って、朝礼の前に廊下で佐向亜依子にバッタリと会ってしまう。


「あ、スエノ先輩おはようございます。田白主任が昨日から一週間新婚旅行で公休なんで、今日から入る新人の研修お願いしてもイイですか?」


 社員でも管理職でもない俺に研修をしろと。


 やや困惑したのが表情に出ていたのだろう。佐向亜依子は続けて畳み掛けてきた。


「他の社員がみんな都合悪くて、2~3日だけでイイからお願いします! スエノ先輩しか頼れる人居ないんですよぉ」


 先日の非礼を怒っている素振りもなく、佐向亜依子は俺を頼ってくれている。


 好きな人から頼られてイヤな気がするハズもなく、緩む口角を出来るだけ悟られないように困った演技で答えた。


「しょうがないなぁ……ホントに2~3日だけですよ?」


 責任者手当ても出ないのに、安請け合いしてしまう自分が悲しい。思えば昨日から女性の言いなりになってばかりだ。


「良かった~ホント助かります。新人さん二人なんですけど、そんなに負担にはならないと思いますから。いま研修資料お渡ししますね?」


 新人二人か。どっちも面倒なタイプじゃなきゃイイんだけど。


 以前、コールセンター経験者っていう即戦力で入ってきたヤツが、講師の研修に補足説明入れまくった挙げ句、

『自分が活躍出来るフィールドじゃない』

と謎の理由を残して研修最終日で退職したり、架電デビュー日にお客様からイレギュラーな質問されて、保留のまま放置して帰宅するヤツが居たりと、新人は地雷の宝庫だったりする。


 喧嘩腰の若いヤツとか、明らかに言うコト聞かなそうなギャルじゃなければイイんだけど……


 俺が担当する研修初日に辞められでもしたら、ホントに気まずい。


 不安を抱えながら研修室に入ると、パツンと眉下ぐらいで切り揃えられた前髪で、全体的に長く真っ黒な髪、服装も黒を主体としており、加えて黒マスクとメガネの女性。


 細身でピタピタの長袖シャツに、明るい髪色で見た感じ確実にモテそうなチャラい男が居た。


「おはようございます。担当者不在で、数日間だけ研修務めさせて頂きます末野と申します。宜しくお願いします」


 どちらの相手もどんな人物かわからないので、挨拶だけはしっかりとしておいた。

 この数日は、特に女性に舐められっぱなしなので尚更だ。


「宜しくお願いします。妹尾です」


挿絵(By みてみん)


 風邪なのかその予防なのか、それともこれから花粉の季節対策なのか、装着したマスクの影響で表情が読み取れない上に、抑揚の無い小さな声で挨拶されたコトに不安を抱きつつも新人名簿を見る。


妹尾梓(セノオアズサ) 二十一歳』


 またもや二十代前半か。自分の年齢を考えないようにしても、否応なしに意識させられてしまう。

 しかし掴み所が無いというか、隙が無い。髪型やメガネ、マスクや服装やそのすべてが、他者との交流を断つ為の武装に思えて仕方がないのだ。


「自分、大野っス! 大野幹夫っス! 役者志望なんで。妹尾さんもヨロシクぅ」


大野幹夫(オオノミキオ) 二十歳』


 細身で金髪。身体にピッタリくっ付くようなロングTシャツを着たもう一人のチャラ男が名乗ってきたが、一言で言うと暑苦しい。

 こういう若くて元気なヤツは、過去の記憶では研修中に飛ぶ(バックレる)ケースが多いのだ。


 まぁほんの数日間だけの研修担当だ。ソツ無くやり過ごせば、あとは戻ってきた主任がなんとかするだろう。


 少なくとも自分が面倒見ている間は、簡単に飛ばないように注意しておけばイイ。


「二人はコールセンターって初めて? 接客業の経験あったらそんなに難しくないと思うけど」


 当たり障りのない質問で、うわべだけのコミュニケーションを取る。きっとこういうの、相手に伝わってるんだろうな。


「いえ、無いです」

「自分、接客は結構やってたっス! コンビニ、居酒屋、ファーストフード……あと洋服屋っス!」


 無口な未経験者と、短期でコロコロ職場を変える接客経験者か……ホントに俺で研修大丈夫なのか?


 簡単な自己紹介も終わったところで資料を手渡し、オペレーターが架電している部屋の隅で座学に入った。


 他業種で、しかも接客業から流れてきた新人にはあくびが出るほど退屈な所謂『常識』パート。

 丁寧語や謙譲語などの言葉遣いから、個人情報取り扱いのコンプライアンスについて、途中で十分の休憩を挟んで二時間ギッチリと詰め込んでやった。


 自分が入りたての頃に受けて以来の新人研修は、今ではおざなりになっていて、意識せずに出来ているコトもあれば、無意識の内に出来ていないコトも多くなっている。

 襟を正す意味でも、たまには研修担当も悪くない。


 ……に、しても、だ。


 なぜ大野は俯いたまま動かなくなっているのだろうか?


「あ、大野君聞いてる?」

「え? あ、はい、全然聞いてますよ」


 少し間をおいて、資料を持ち直しガバッと身体を起こす。

 あぁこれ、確実に寝てたヤツだね。研修受け持つの初めてだから、俺の教え方は緩急も付いてなくて退屈なんだろう。


「とりあえず、ここのセクション終わったら昼休みだから、もうちょっと頑張ろうね?」


小学生に訊いても百パーセント答えられるような、ごく当たり前の常識をケーススタディでレクチャーし、午前中の研修が終了した。


 新人は三日間の研修中、稼働時間は四時間と短い。昼の休憩を含めても拘束時間は五時間だけだ。

 かつて、この昼休憩を待たずして退職した者もいるが、今回は大丈夫だろうか?


 休憩中に現金をおろし、消臭スプレーを購入する予定だったのだが、精神的に疲れてそれどころではない。あと二時間、何とか持ちこたえなければ……


 確かロッカーに、買い置きの栄養補助食品があったハズだと思い出し、社内の自販機で極力量の多い飲料水を購入して休憩室へ。


 隅のテーブルでモソモソとブロック状のクッキーを口に詰め込み、水で流し込んでうつ伏せる。


「あれ、だいぶお疲れですかぁ?」


 突っ伏したままだが、不覚にも口角が上がってしまう囁き。

 顔を上げると、アイドルが取材にでも来たのかと思ってしまった。いつのまにか佐向亜依子がテーブル正面の椅子に腰を下ろしていた。


「あ、いや、そんなコトも無いっすよ? ちょっと寝不足で……」


 研修中に居眠りをしていた大野のように、ガバッと身体を起こす。


「無理なお願いしちゃってゴメンなさい。研修担当手当ての代わりにはならないですけど……はい、これ」


 彼女は満面の笑みで、エナジードリンクを俺の前にトンと置いた。


「いやいやいや、そんな気を遣わなくても大丈夫ですから」


 女性に優しくされ慣れていない為、彼女の顔も直視出来ず慌てて椅子から転げ落ちそうになった。


「まぁまぁほんの気持ちですから。あ、そういえば一昨日っていつ帰ったんですかぁ? 先輩、私の愚痴も聞かないでどっか行っちゃうんですもん」


 頬を膨らませて怒る仕草も可愛らしい。恋人の距離感なら、笑って謝りながら頭でも撫でてあげるところなのだが。


「ゴメンなさい。ちょっと飲み過ぎちゃいまして……怒ってます、よね?」


 伏し目がちに謝り、自分の頭を掻くのがやっとだった。


「別に怒ってないですけど……その代わり、今度ご飯でも奢ってください」


 怪我の功名ってヤツだろうか。怒られるどころか、食事に行くチャンスまで降ってきた!


「あ、いや、はい! もちろん! その、いつでも奢ります。ゴメンなさい」


 あまりに急なコトで、かなり気持ち悪い返答をしてしまったようだ。


「あはは! そんなにキョドらなくても! じゃあ期待しないで待ってますね?」


 彼女は慌てふためく俺の言動に、クスクスと笑い席を立った。

 これなら、案外ギターなんて弾けるようにならなくても、どうにかなりそうな予感。


 このやり取りで疲れも吹っ飛んだ気がするので、午後の研修も何とか乗り切れそうだ。


 浮き足立ってオペレーションルームに戻るが、佐向亜依子のコトで頭が一杯になり、ヤル気の無い大野も、何を考えてるのかわからない妹尾も気にならず、あっという間に研修は終了した。


 通常勤務ならば、この後も夕方過ぎまで架電し続けるのだが、臨時とはいえ研修担当になってしまったので、初日の所感やら明日以降の準備で事務作業が続く。


 しかし何をしていても、佐向亜依子とどこに食事に行って、その後どうするかのシミュレーションばかりしてしまい、仕事が手に付かない。


 そわそわしっ放しで業務を終えたが、まともに風呂にも入っていないコトに気付き、今日はとりあえず帰ってゆっくり湯船に浸かりたい。

 普段はシャワーだけで済ませてしまうが、今日に限っては浴槽にお湯を張って疲れを流そう。


 帰り際に佐向亜依子と会話をしたかったのだが、彼女は業務が残っているらしく、デスクのパソコンを親の仇のように睨んでいる。


 まぁ上司が不在なら致し方あるまい。さっさと帰って明日に備えるとするか。


 会社を出ると、若手社員を引き連れたスーツ姿のサラリーマンが繁華街に吸い込まれてゆく。


『課長! 課長!』と慕われている彼は同世代ぐらいだろうか?


 自分もまっとうに働き続けていれば、余程のコトが無い限り、今の年齢で管理職ぐらいにはなれていただろう。


 そんなステータスがあれば、自分にももっと自信が持てただろうし、卑屈なこの性格も少しはマシになっていたかもしれない。


 ぼんやりとそんな『たられば』の妄想をしながら、道行くビジネスマンを眺めていると、ポケットのスマートフォンが震えた。


 大方出会い系サイトのスパムメールだろうと画面を開くと、普段は使うコトのない、というより繋がる相手の居ないメッセージアプリの着信だった。


「ボディーソープ切れてるから買ってきて? あとビール」


 吹き出しの横にある送信者の画像アイコンはミチヨだった。いつの間に登録してたんだ?


 いや、そんなコトよりもまだ俺の部屋に居座っているのだろうか?


 そもそもそんな、熟年夫婦のような連絡を寄越すコト自体があり得ないのだが。


 無関係なビジネスマン達のコトなどどうでも良くなり、今は自宅の安否に対する不安しか無い。


 心なしか早歩きで駅の改札を通り抜けるが、帰りの電車がいつも以上に遅く感じる。


 部屋に金目の物は無いし、マズイ物も無い……とは言い切れないが、色々と物色されると困る。


 自宅の最寄り駅に到着する頃には、焦りは諦めに変わり、銀行で生活費をおろしてドラッグストアでボディーソープと廉価の発泡酒を購入。


 溜め息混じりに自宅アパート前に着き、自室を見上げると電気が煌々と点いている。


『ただいまを言う相手も居ない』と、一昔前のうがい薬のコマーシャルよろしく普段は寂しい思いをしているのだが、今は自宅に明かりが灯っている。


 ただ今日は何だか複雑な気分でしかない。


 階段を駆け上がり、相変わらず薄暗い廊下を抜けてシリンダーに鍵を捩じ込み解錠からの帰宅。


 ドアを開くと、玄関左手のトイレ一体型のバスルームから、大量の湯気と共にバスタオルを身体に巻いたエリカが出てくるところだった。


挿絵(By みてみん)


 一瞬何が起きてるかわからず、部屋を間違えたかと思いドアを閉める。


 小首を捻りながら、もう一度階段を降りてアパート全体を見上げ、自室の明かりを確認。


 階段を上がる。薄暗い廊下で、ひとつひとつ部屋のドアを数えながら一番奥のドアの前に立つ。


 毎日見ている光景だが、一つ違うのは部屋に人の気配がするコトだ。


 鍵を差し込みドアを開けると、浴室からやや湯気は漏れているが誰も居ない。


 奥からケタケタと笑い声が聞こえ、続けてキッチンと六畳間を仕切る立て付けの悪い引き戸が開き、ミチヨが腹を抱えて登場。


「アハハハ! おかえりー! いやぁビックリしたねー?」


 靴を脱ぎ部屋に上がると、出掛けた時にあった空き缶の山は無くなっていたが、湯上がりで無言のエリカと、何故か俺のお気に入りのTシャツと母校の高校ジャージを身に付けたマキ、引き続き笑い転げているミチヨが俺を迎え入れてくれた。


 三人とも俺が出勤した時と服装が変わっているが、一度帰ってまた来たのだろうか?


「あ、ビール買ってきてくれたんだ? ありがと……って発泡酒じゃん! しかもあのドラッグストアのプライベートブランドのヤツ」


 駄々を捏ねながらも、みんなで缶を開けている。何てヤツらだ……


 このままウチに居座るのだろうか。不安そうに発泡酒を飲む彼女達を眺めていると、それを察したのかマキが回答してくれた。


「もうすぐサクラが帰ってくるから、それまで居させてね? 住み着いたりしないから安心してってば!」


 ヒマ潰しで勝手に俺の部屋に居続けるコイツらは……


「あ、そうそう! この曲チョー格好イイね? ボク一日中ずっと耳コピしてたよ。アレンジしたらライブでも()れそうなレベル」


 そう言ってコンポの再生ボタンを押すと、中学時代に好きだったアイドルグループの曲が流れた。


 解散するちょっと前ぐらいにリリースされたその曲は、切ないメロディだがアップテンポなリズムで、自分も当時聴き込んでいた覚えがある。


「これさー、コード進行とかムチャクチャ渋いよね? 特にこのサビ前からのココ」


 昨日から部屋に置きっぱなしの、というか暫定的に所有者が俺になっているギターを、マキはおもむろに弾き始めた。


 そのフレーズは、確かに昔から知っているアイドルソングそのものなのだが、何かが違う。むしろ格好良くなっている。


「んで、サビの中盤はミュートカッティングで刻んで、後半のココはギターだけリズム崩して……こう」


 彼女が何を言っているのか理解出来なかったが、凄いというコトは確かだった。


「いやー侮れないわアイドルソング。勉強になるねー」


 帰って早々に、ギターを掻き鳴らすマキに見惚れてしまっていたが、この数日でクタクタになっているコトにようやく気付いた。


「お楽しみのトコ悪いんだけどさぁ、俺にも生活があって……まともに風呂にも入れていない状況だし、俺の財布は無尽蔵でもなけりゃここは君達のたまり場じゃないんだよね?」


 彼女達にイラついていたワケではないが、なんだかこのままでは俺の財布や部屋が他人に乗っ取られるような気がして、自分でも驚いてしまうほど語気が強くなっていた。


 三人は申し合わせたように、眉間をぐいとおでこに引き上げると残念そうに苦笑いした。


「ホントはサクラが帰ってくるの待ちたかったんだけどね。いや、迷惑掛けて申し訳ないとも思ってるし、図々しくお風呂まで借りちゃったのも謝るよ。仲間のギターが人手に渡りそうなトコ、助けてくれてホントに感謝してるし、楽器始める人が増えるのってバンドやってる人間からしたら、やっぱ嬉しいし……」


 ミチヨが不器用にも気持ちを伝えようとしつつ、何かを言い淀みながら俺に熱弁を振るった。


「まぁなんだ、その、大人になってからだと色々大変なんだろうなぁとか、誰かが居た方がイイのかなぁとか……あー! もうこういう空気ちょっと耐えられないわ。Tシャツで伝えてもイイかな」


 そう言うと、腕に白い三本ラインが入った紫のジャージの、フロントジップを下ろして胸を張った。


 メキシコの民芸品にあるようなドクロのイラストの下に、『THE BIRTHDAY』と書かれている。


挿絵(By みてみん)


「昨日アミオさん寝てる隙に、財布からちょっと拝借したんだけど、見えちゃったんだよ……免許。写真見て笑ってやろうと思ったら、誕生日当日じゃん? だから、何かそんな日にタカってばっかで悪かったなぁ~なんて思って、アタシらなりに反省して考えてさ」


 リボンで口を閉じた、パステルカラーの不織布製ラッピングバッグを、モジモジと出しながら続けた。


「言い出しっぺはサクラだから、会ったらちゃんとお礼言っといてね? じゃあ、そろそろサクラも帰って来るから、アタシ達はこれで」


 立ち上がり、右手の人差し指を左手で握り左手の人差し指を立てて、ミチヨはドロンと忍者のポーズで、残りの2人にも立ち上がるよう促した。


 マキが手塚治虫先生のブラックジャックが描かれた、俺のお気に入りTシャツの肩口を両手でつまみ上げる。


「今度ちゃんと洗って返すからね? 発泡酒ごちそー様でした」


 深々と頭を下げてから目の前を通りすぎる。


 エリカは相変わらず無言で俯きながら、ぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。


 部屋の収容人数が一気に減って、やや室温が下がり静寂が耳に突き刺さった。


 ただこの数日で忘れていたが、俺の部屋なんていつもこんな感じじゃないか。


 彼女達が置いていったラッピングバッグのリボンを解いて中身を引き出すと、黒く光る艶やかな皮のギターストラップとピック、『L☆D mix』と殴り書きされたCDが入っていた。


 きっとL☆Dは彼女達のバンドであるlittle(リトル)date(デイト)の略だろう。


 ストラップは全体的に細く、可動式の肩当てが付いており、ピックは様々な形のモノが五枚。


 喜び勇んでケースからギターを取り出して、ストラップを取り付け肩から下げてみる気にはならず、プレゼント一式を袋に戻した。


 考えたら帰ってきて何もしてないコトに気付き、床に置いた仕事用のトートバッグを持ち上げようとすると、中から佐向亜依子から貰ったエナジードリンクが転がり出てきた。


 卑屈になり過ぎて、誕生日を誰かが祝ってくれるなどと思いもしてなかった自分に嫌気がさした。


 こんな時にどんな言葉を発したら良いのか、次に彼女達に会った時、どんな顔をしたら良いのか、誰かが作ってくれたトークスクリプトには書き記されているのだろうか?


 自分のコミュニケーション能力の低さと、屈折した性格に蓋でもするように、ラッピングバッグを押し入れに仕舞い、エナジードリンクを冷蔵庫に入れ、散らかった部屋をただ無言で片付けた。

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