17.I'm Broken/Pantera
この数日は、仕事中も右手で太ももの辺りをピッキングしてしまう程、どっぷりとギター漬けの日々である。
帰宅すれば即練習に没頭する毎日で、完全に生活のルーティーンに組み込まれていた。
ただ相変わらず、ミチヨとマキがつるんで家に上がり込むコトが増えてきたんだが、ランチタイムの弁当の残りを破格で売り付けられているので、コンビニ弁当ばかりだった食生活よりは、やや豊かになった気もしている。
それから、まったくのド素人だった俺が、徐々にギターを弾けるようになってきているコトを感じられるのも嬉しい。
「先輩、最近何かありました?」
何コレ? 天使?
コード進行を思い出しながら、休憩室の片隅で昼食を取っていると、いつの間にか佐向亜依子が目の前で俺の顔を覗き込んでいた。
「うおぉ! ビックリした!」
久々にちゃんと顔を見たが、やはり可愛いコトには変わりない。
元々は彼女の気を引く為にギターを始めたというコトを改めて思い出させられた。
「表情、明るくなりましたよね?」
「いや、別に何も無いよ。元々が仏頂面だったけど、普通になっただけじゃないかな」
ギターの練習しているコトなど、口が裂けても言いたくない。
彼女を納得させられるぐらいの腕前になったら、堂々と披露して、あわよくば告白してやるんだ。
「どうしたんです? 急に鼻息荒くなったみたいですけど」
おお! 危ない危ない。勝手にイメトレして空回りするところだった。
「まぁ嬉しいコトとか楽しいコトがあるのはイイですけど、ご飯連れてってくれるの忘れないでくださいよぉ?」
しまった! ギターの練習に集中しつて完全に忘れてた。
「あ、いや、別に忘れてないですよ? どこ行こうか厳選に厳選を重ねておりましてね」
「先輩……何か誤魔化す時、いっつも敬語になるからバレバレですよ」
「はい、スミマセン……でも必ず行きますから! もうちょっとお待ちください」
ギターで一曲弾き語りが出来るようになれば、俺の中で何かが変わる気がしたので、とりあえずサクラ達との約束をやっつけてしまおう。
「はいはい。じゃあ期待しないで待ってますから」
んー可愛い。二人でメシなんて喰ってても、きっと味なんてわからなくなるんだろうな。
休憩後は一旦ギターのコトは忘れて、脳内の片隅で佐向亜依子とのディナーのシミュレーションをしながら業務に就いた。
帰宅したらまた練習を再開しよう。
最近、調子の良いイヤフォンを家電量販店で購入していたので、帰りの電車では課題曲であるボブ・ディランの曲をスマートフォンでループして聴いている。
気付くと右手のピッキングが起動してしまい、人前で恥ずかしい思いをするのでポケットに手を突っ込む癖が付いた。
家に着くと、すぐにハードケースからギターを取り出して、コンポのCDを再生してコードだけ追いかける。
ややつっかえはするが、三コードではなく四つ目のコードであるAmを覚えた上で、何とか最後まで弾き切るコトが出来るようになってきた。
が、歌いながらだと思うようにいかず、更に英語の歌詞が頭に入っていないのだ。
サクラからのXデーが宣告されるのは、恐らく一週間を切っているだろう。今は桜の開花が少しでも遅れるコトを祈るばかりである。
『ドンドンドン』
この時間のノックは夕飯が届いた音だ。百円玉を二枚握り締めて玄関に向かう。
「ちょっと! ヘタクソなギターの音がうるさいんだけど!」
「だから上手くなる為に練習してるんでしょうが!」
そう言ってドアを開けると、当然の如くミチヨとマキが立っている。
どうせまたウチで宴会を始めるんだろうが、来るとわかっているから酒の用意をしてしまっている自分も嘆かわしい。
「それで、ギターは上達したかね」
ミチヨがドヤ顔で偉そうに俺に訊ねてきたが、昨日も聴いてるヤツには答える気にすらならなかった。
「ところでさ、当初はサクラが俺に教えるって話じゃなかったっけ? 結局は弦楽器の二人が俺の部屋に入り浸ってるだけのような気もするんだけど」
「サクラ忙しいからねー。スタジオも安くしてもらってるから、立場的に弱いんだよ。っていうか、ボクから教わるの不満? アミオ君はサクラみたいなコがタイプなの?……ヒドイ!」
後半の芝居掛かった部分には突っ込む気すら失せていたが、俺のタイプは佐向亜依子のような物腰の柔らかい感じの女性なんだよ! と、力強く心の中で叫んだ。
「いや、上手くなるなら誰が教えてくれてもイイんだけどね? 歌いながらってなるとなかなか難しくて」
「んー、それは慣れだね。アタシ、ベース弾きながら歌うのチョー苦手だったし」
「だからそれを、この短期間でド素人がやろうとしてるんだってばよ」
一連の会話をしつつ、自然と身体はミチヨから弁当を受け取り、代金を支払っている。習慣とは恐ろしいモノだ。
「そうそう。アミオさん! 最近暖かくなってきたから、桜の開花ももうすぐだよ? 早ければ今週末とか」
Xデーの宣告が近い。それまでに俺の弾き語りスキルを出来る限り高めなければ。
「たぶんもうすぐサクラ来るから、そこで日取り決めちゃおうよ」
もう、ホント来ないで欲しい。上司に肩を叩かれる直前のリストラ対象者みたいな気分で、ミチヨの持ってきた青椒肉絲の味もわからなくなっていた。
動揺を隠すように弁当を掻き込み、それを自分で買って振る舞っている発泡酒で流し込む。
少しでも技術を向上させようと、夕飯もそこそこに再びギターを手に取ると、玄関ドアがノックされた。
「はいはいはいー」
さも自分の家かのようにミチヨが解錠する。
「いやぁだいぶ暖かくなったねー。マツノさんこんばんは」
こちらも当たり前かのように部屋に入り、ミチヨから油淋鶏弁当を受け取るサクラ。俺もホントはそっちが良かったよ。
「んじゃお疲れさんでーす」
サクラは一連の流れで冷蔵庫から取り出した発泡酒を片手に、乾杯をして油淋鶏に取り掛かった。
こちらとしては、ギターを抱えながらも、いつ死刑宣告されるのかヒヤヒヤしながらその様子を窺うしかない。
大口で鶏肉を一切れ頬張り、咀嚼して発泡酒で流し込む。感嘆の声を漏らしたサクラが、改めて俺の方に向き直り、ソースの付いた口許からXデーが漏れ出てくる。
「マツノさん、今週末の土曜日でどうですか? 仕事何時までです?」
あまりにも突然だったので、つい手元のギターを強めにダウンピッキングしてしまった。
『プツッ』
土曜日の死刑宣告のショックに加え、ギターの一弦を切ってしまったコトに驚き、ムンクの叫びのような表情でサクラを見ると、他の二人も俺と同じような表情で弦の切れたギターを見ている。
ミチヨはパーカーのジップを下ろすと、この状況を予測していたかのように同じ顔をしているTシャツを覗かせた。
後から訊いたら、キングクリムゾンというバンドのTシャツらしい。
「あら~やっちゃいましたねアミオさん! ちなみに余談なんですが、ギターじゃなくて、バイオリンの弓の張り替えって幾らぐらい掛かるか知ってます?」
唖然としている俺に声を掛けたのは、持ち主であるサクラではなく、ビックリ顔Tシャツを着ているミチヨだった。
「バイオリン? 弓? いや、全然知らない」
ギター弦が切れたコトに驚いていて、なぜギターではなくバイオリンの、しかも弦ではなく弓の話をしているのか、それが何かの参考になるのかすらまったくわからず答えた。
「そうなんだ? バイオリンの弓って6,000円ぐらい掛かるみたいなんすよねー。あ、マキって替えの弦持ってる?」
「ううん? 昨日張り替えたばっかで今は持ってないや」
「そっかー。じゃあ新しい弦買わないと。もしアミオさんが良かったら、アタシ明日買って来ますよ?」
弦の交換がどんなモノなのか、替えの弦が幾らぐらいするモノなのかわからない以上、ここはミチヨに委ねるしかない。
「じ、じゃあお願いします」
「はーい了解です。サクラって何の弦張ってた? アーニーボール? ダダリオ? ヤマハ?」
「えーとね、アーニーボールのピンク色のヤツ」
「わかった明日買ってくる。で、アミオさんて幾らぐらい出せそうですか?」
出たよ金の無心! コレ、確か初めて会った日にも言われた気がするなぁ。
流石にバイオリンの弓程の金額は掛からないと思うが、弦を切った負い目もあるので半分ぐらいで様子を見るか。
「えーっと、三……千円ぐらい?」
給料日後だったが、下手に設定を高くすると痛い目を見そうだったので、妥当と思われる所を狙ってみた。
「そうっすかー。まぁ何とかなるかな? 消耗品ですからねぇ」
言うや手のひらを俺に向けたので、渋々財布から千円札を三枚取り出して乗せる。
「あざす! では明日張り替えましょう。弦も切れてて今日は練習難しそうなんで、ちょっとお休みしますかね」
「あ、うん」
言われるがままギターをケースに仕舞った。
とりあえずこの先、花見での弾き語りが終われば浪費も軽減されるであろうという望みを胸に、新たな発泡酒の缶を開けた。




