01.ウェディング・ソング/斉藤和義
「ぎ、ギター弾けると……やっぱ、モテたり、とか、するんスかね?」
結婚式の二次会で、持ち前のコミュ障をフルに発揮していた俺は、誰とも話すコト無くただただ酒を煽った結果、初対面の人間に話し掛ける程度のスキルを手に入れていた……
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遡るコト一週間前。
「ツナオちゃ~ん! いいじゃんどうせヒマなんだからさぁ。世話になってる上司の結婚祝ってよ~」
架電の終わったタイミングを見計らい、主任である田白が俺の肩を力任せに揉みながら、隣の空席に腰掛けて来た。
その日も俺、末野綱男は、三十畳程の部屋にギチギチに詰め込まれたオペレーターが、朝から晩まで電話を掛け続けるという座敷牢のような職場に居た。
もしこの状況を、SNS上で
『オレオレ詐欺の現場で働いてるなう♪』
などとアップしようものなら、いいねがひとつも付かずにTLをスルリと流れ落ちて、友人の2~3人は減らせる自信がある。
しかもここのコールセンターは、ワンクリックでリストに架電出来るタイプではなく、顧客リストの電話番号を、オペレーターが目視しながらダイヤルを指押しし、電話口の年配者や奥さま連中に聞いたコトも無いような健康食品やら通信商材やらを売り込むという、ビジネスモデルとして成り立っているのかも怪しい業務効率改善の余地しか無いような環境なのである。(あぁ説明長い……)
お陰で業務に不慣れな新人は、ヒューマンエラー続出で間違い電話を連発しまくったり、誤案内発生で契約をキャンセル希望するお客様に、スーパーバイザーやら主任が口八丁手八丁で思いとどまらせるといった光景が日々繰り広げられている。
俺は3年と数ヶ月のキャリアによって、羅列した番号を脳内で形に変換して、いくつものパターンを覚えてプッシュするという無駄な特技だけを修得しており、もしも初見の電話番号を速打ちする競技があったとしたら、確実に上位に食い込む自信がある。
しかしながら、偉大なG○○gle大先生(伏せ字)の力をもってしても、そんな奇っ怪な選手権は未だ探し出すコトが出来ていないし、例えあっても参加する気など、サラっサラのサラサーティーほども無い。
もしもすべての人間一人一人に対して、平等に能力を振り分けていたとしたら、俺のこのスキルはあまりにも不公平じゃないかジーザス!
ここ数年はプライベートを含めても間違い電話を掛けた記憶は皆無であるが、もちろんスマートフォンならリンクをタップすればダイレクトで電話が掛けられるのだから、そもそも間違えようもないのだ。
そんな職場の上司が、今まさに隣でニヤニヤしながら俺を一週間後の結婚パーティーに誘っている。
「いや、急に言われても、結婚式って来週じゃないっスか! ヒマとか勝手に決めつけられても困るんスよね……あと俺、派遣契約の身なので田白さんは上司じゃなくて派遣先の管理者っすよ?」
お互いの立ち位置を浮き彫りにして、断り文句の伏線を張った切り返しで強気に出てみる。
「そういう細かいコト言ってるとモテないよ? ほら! ウチの嫁さんの友達もいっぱい来るから、出会いのチャンスあるかも知れないじゃん」
悔しいが、結婚パーティーのお誘いテンプレートに淡い期待を抱いてしまった俺は、押し切られるカタチで渋々だが参席を承諾してしまった。
そして冒頭のセリフの数時間前、仕事帰りの疲弊した労働者は、完全に場違いな結婚パーティー会場の前に立ち尽くしていたのである。
「平服でお越しくださいって言われても、正直何着てイイかわかんないっつーの」
披露宴から流れてきた参列者は、ビシっと礼服やドレスを着飾り、パーティーからの参加組でさえ、どこぞのセレクトショップで奮発したであろう“イケてる”服装で、誰が主役なんだかわからないほど楽しそうにしている。
とりあえず襟シャツにネクタイ絞めときゃイイか?ぐらいの意識で挑んでしまった今朝の自分を恨みつつ、つい最小ボリュームでボヤいてみる。
何とかして数時間だけは、身分不相応なこの場を切り抜けるコトだけを胸に、会場の隅でステルスを発動させていよう。
末端の派遣労働者は、祝日だろうが退勤直行で参加してるっていうのに、職場でよく見る顔ぶれが、既にすっかり酔って出来上がっているのは釈然としないものだ。
このやり場のない気持ちをぶつけるべく、元を取ろうと必死にフリードリンクのアルコールを煽る。時系列は定かでないが、全種類一通り飲み尽くし、何周目かのビールを手にしていた時にそれはやってきた。
余興の弾き語り。
こういう素人芸が苦手な俺は、会場の壁に寄り掛かってその光景を冷ややかに眺めていた。
「ギターとか弾ける人ってぇ~格好良くみえますよねぇ? センパぁイ」
心地好い周波数の、甘ったるい声が足元から聞こえた。
その快感に全身鳥肌を立てて目をやると、いつのまにか隣には、入社二年目の佐向亜依子がカクテルグラスを片手に、スカートを長い足に巻き込んでしゃがみ、壁にもたれていた。
背の高い彼女に並んで立たれると、ヒールもあるので確実に俺は見下ろされてしまったであろう。
スラリとしたスタイルだが、か細く小動物のような印象の彼女は、やや気合いの入ったメイクも手伝ってか、くるりと首元でカールした髪から覗く頬がアルコールで桜色に染まり、普段より一層魅力的にさせていた。
あぁ、やっぱりこのコは可愛いなぁ。いや、可愛いだけじゃない。気配りも出来る良いお嬢さんなのだ。こんな素敵な女性を生み育ててくれたご両親に感謝したい。
実際職場でも彼女のファンは多く、気まずくならない程度にアプローチを掛けている男性社員やバイトも多いようだ。
まぁ敢えなく全員撃沈しているみたいだが。
ついでに言うと、弾き語りの男も所謂美形というワケではないが、確かに雰囲気のある男前だった。
「女の人って、そういう人のコト好きになっちゃうモンなんすかね? あと、派遣の人間に対して先輩はやめてくださいよ」
年下とはいえ、かたや正社員と派遣労働者という立場の違いからか……いや、何も持っていない自分と比べて、一芸に秀でた弾き語りの男前との差に苛立ったのだろう。やや卑屈に、皮肉混じりで返した言葉にも、彼女はしっかりと返答をくれた。
「ん~、やっぱ何か持ってる人って魅力的じゃないですかぁ~。あとぉ……私より先に生まれて、私より先にあの会社で働いてるんだから、やっぱりスエノ先輩は先輩ですよ~」
フニャフニャと笑いながら、ぱちくりと潤んだ大きな瞳でこちらに語りかける。
何コレ? チョー可愛いんですけど。酔っているからか、語尾が緩くなっているところがまた可愛らしさに輪を掛けている。こういうのがきっと男心をくすぐるんだろうな。
「でもぉイイなぁ田白主任! 奥さん羨ましい! 私も幸せになりたいなぁ……」
いや、アナタの容姿なら相手選び放題でしょ?
結婚願望が強いのか、良い恋愛から久しく遠ざかっているのか、何だか荒れているようにしか見えなかった。
自分に自信がある男なら、きっとこの流れで彼女を口説いたり出来るんだろうが、その選択肢にすら入る余裕の無い俺は、彼女に相応しいステータスとかけはなれた自分が急に惨めになり、彼女の愚痴に対しても薄っぺらい慰め程度の言葉しか出ない。
「まぁ……ほら、そういうのは人と比べるモノでもないし」
自ら発した巨大ブーメランに貫かれながら、愛想笑いを返すのが精一杯だった。
これ以上このやり取りを続けられては、彼女の言葉にきっと俺は自我が保てなくなるぐらいのダメージを負う気がして、視線を前方に戻す。
………が、視点が定まらないどころかグルグルと景色が回る。完全に飲み過ぎだ……
「ちょっと先輩聞いてますぅ?」
佐向亜依子はこちらに何か話し掛けているようだが、それどころではない。
彼女の問い掛けを遮り、越冬前に巣材をかき集めて頬袋をパンパンにしたシマリスのような顔で、会場の対角線上にある手洗いを目指す。
口元を押さえるこの右手を少しでも緩めれば、楽しい会場を地獄絵図に変えてしまう。
朦朧としながらも、頭の中では学級図書だか教科書だかで読んだ、片腕一本でダムの決壊からオランダを救った少年の話が駆け巡っていた。
幸いなコトに、ちょうど男前が歌い終わって会場は拍手に包まれており、俺の異変には気付かれてはいないようだ。
余興が終われば手洗いが混雑する……急げ! 頼む間に合ってくれ!
紳士用トイレの扉を左手でドンと押し開くと、突き当たりの個室からは今まさに用を済ませた人が、スッキリとした顔で出ようとしている。 半ば引きずり出すように身体を入れ換え、後ろ手でカギを締める余裕もなく便器を抱えた。
嗚咽……嗚咽……
この数時間をリセットするが如く、もう出すモノも無いってぐらい胃袋を空にした。
パーティー会場で、アニメ版『あしたのジョー』の力石戦以降の矢吹丈みたいになるところだった。現実ではキラキラとした修正は入らないのだから、考えただけでもゾッとする。
足元フラフラで一試合終えて個室から出ると、さっきまで弾き語りで会場を盛り上げていた男前が用を足していた。
「こんな格好で失礼。結構苦しんでたみたいだけど大丈夫かい?」
男前は小便器の前に立ったまま、横目でこちらを気遣ってくれていた。
「あ、はい。何とか……」
無愛想に思われたかもしれないが、直前までダムの決壊を食い止めていた疲労で、答えるのがやっとだった。
「それは何より。参加費の元は取りたいけど無理しないようにね」
洗面台で手を洗い、口をゆすいでいると、男前に気遣われた自分が急に情けなくなってきた。
酔いも手伝ってか、情けないついでに恥を忍んで、知りたかったコトを訊いてみようと思い、お待ちかね冒頭の言動に繋がるのだ。
「ぎ、ギター弾けると……やっぱ、モテたり、とか、するんスかね?」
卑屈に聞こえたのか喧嘩腰に見えたのか、男前は少し驚いた表情を見せる。
路上で酔っ払いに絡まれるコトなど日常茶飯事なのだろうが、すぐにその表情は、男前が男前たる毅然とした態度で笑顔に変わる。
「んーモテるかどうかは、やってみなきゃわかんない……かな?」
体勢は相変わらず便器の前だが、肩越しに満面の笑みで返す男前の余裕有り余る返しに、若干のイラつきを覚える。
「ツナオちゃ~ん! 俺の親友に絡んじゃダメだよぉ? めでたい席なんだから血で汚さないでよ?」
ちょうど手洗いに入ってきた本日の主役である田白が、明らかに上機嫌でカットインしてきた。
「ツナオちゃんよぅ。コイツはね! 学生の頃からギター片手に世界回っちゃうような冒険野郎なの! マクガイバーなの! 俺達みたいなぬるま湯に浸かってるような特攻野郎Bチームとは、くぐってる修羅場の数が違うんだから! スゲェ奴なんだから!」
首からチェーンをジャラジャラとぶら下げた、モヒカンのミスターTが頭を過る。
田白は、屈強なモヒカン頭とはかけ離れた男前に歩み寄り、後ろから肩を揉みしだく。
「ちょ! 今はやめろってば!」
男前は身体を上下に揺すり、慌てて用を足し終えてジッパーを上げ自分の衣服が無事なのを確かめた。
「お前やめろよ! めでたい席を血で汚す前に、俺の一張羅が別のモンで汚れるトコだっただろ!」
「いやぁ~歌聴いて感動しちゃったよ」
「ったくよぉ……そもそも俺は地に足ついてないだけで、出世して結婚してるお前の方がよっぽど立派だと思ってるよ」
男前は田白を肘で小突いた。
手洗いで、しかも男同士の馴れ合い褒めちぎり合いを、目の前で繰り広げられて何だか気が抜けてしまったところで、相変わらずの男前スマイルが追い討ちをかけてきた。
「モテるかどうか知りたかったら、ギター、やってみたらイイよ。自分にわかんないコトがあるって悔しくない?」
それは決して上からの物言いではなく、探求心で世界を駆け巡っている人間の意見という感じがして、それ以上何も言い返せず、その場に立ち尽くしてしまった。勝ち目なんてハナから無かったのだ。
そのまま男前は田白に絡まれてしまい、外の会場からはお決まりの宴たけなわのフレーズが響いた。男前に色々と聞きたかったがその先の話は聞けずじまいだった。
出せるモノは出し切った感があるものの、酔いが醒めきっていない頭で思考が混濁している。
あれこれ釈然としないまま、それでいて心なしか敗北感を背負わされながら、会話の途中で置いてけ堀にしてしまった佐向亜依子のコトなど、すっかり忘れて帰路についた。
日付が変わるまでまだ二時間ほどあるが、賑やかな渋谷の繁華街から比べて、山手線を五反田で私鉄に乗り換えて数駅も過ぎると、乗客がどんどん少なく寂しくなる。
終点間際小さな木造の駅舎。自宅の最寄り駅に着いた。
近々駅ビル化の計画が立っているが、これはこれで情緒のある風景なのだ。
二月中旬の、ピリピリと顔を刺すような寒さに首をすぼめ、やや賑わった大きな寺がランドマークである古い街並みを、白い息を吐きながらトボトボと歩き、何故か不動産屋とクリーニング屋と整骨院の比重が多い商店街を抜け、片側三車線の国道を渡って緩やかな坂道を登る。
古くからある大きな邸宅が建ち並ぶ住宅街には、やや似つかわしくない自分の年齢をゆうに超えている木造アパートに到着する。
成人男性にしては比較的体重が軽い方の俺でも、階段を駆け上ると建物全体を揺らしてしまう程の薄い構造。
各部屋の外置き洗濯機が並んだ薄暗い廊下の突き当たりで、肥満児が体当たりでもしようものなら簡単に破られてしまいそうなドアに鍵を差し込み、狭い玄関で靴だけ脱ぎ捨てて、クッションフロアの床に転がり込んだ。
もう胃の中はカラッポのハズなのに、吐き気と頭痛に苛まれながらも、先程まで繰り広げられていた宴での出来事を反芻し、冷ややかな床に頬を当て固く目を閉じる。
今思い返しても、地中に埋まってしまいたくなるようなあの愚行をきっかけに、まさか俺の人生が大きく動くコトになるとは、まだこの時は予想だにしなかった。