60 ディナンシェの過去①
とある辺境のギルド支部。
「次、これ行くから」
受付の机に数枚の依頼書を置き、さっさと手続きして、と視線で促す。
「でっ、ですが、その……。三ヶ月以上休まれていませんよね?一日くらい、お休みをとられてはいかがですか……?その、体調管理もしっかりしないと、命が危なくなりますので……」
受付嬢は顔を真っ青にしながら注意をしてくれるが、僕はそれを首を振って遮る。
「自分の体調くらい分かってるつもりなんだけどな?」
「はっはいっ!差し出がましい事を申しました。申し訳ありません……」
きつい言い方をしてしまったので、完全に萎縮してしまっている受付嬢。
この受付嬢の言う通り、僕はここ数ヶ月休みをとっていなかった。
ギルド職員の仕事の中にはきっと、冒険者を早死にさせないように様子をしっかり観察し、危険だと判断した場合は休みを促すようにする事も含まれているに違いない。
「いや……、心配してくれてありがとう」
無茶をする冒険者を心配してくれていることくらい分かっているので、ニコリと微笑んで礼を言うと受付嬢は困ったように眉を下げた。
* * *
「よぅ、おチビ。今日はいくつ依頼受けたんだ?」
ギルドから出た所で、何故かいつもやたらと絡んでくるオッサンズパーティーのリーダー、コモンに話しかけられた。パーティー名は他にあるといつも文句を言ってくるが、覚える気は全くなかったので勝手にそう呼んでる。
「何個でもあんたらにはカンケーないでしょ」
「うむ!確かに関係ないな!」
わははと笑いながら即座にそう返してきたサンダラに、リーダーはため息をついた。
「おいおい、サンダラをちょい黙らせと──」
振り返ったリーダーが言い終わる前に見たのは、全身を、いや主に口元をぐるぐる巻きにされたサンダラ。パーティー仲間の二人、ギュアゲッシモとケインはやりきったというように、イイ笑顔で親指を立てている。
ただ、一人だけ仲間とぐるぐる巻きにされた男を見比べ、おろおろしているのがいる。黒ぶちメガネをかけたボサボサの黒髪の男。少し猫背ぎみだ。
名前も知らないし、ここら辺で見かけたことは無かったように思う。オッサンズパーティーの一員に入ったのだろうか。
「……ああ、うん、それでいい……」
疲れたように自身の頭を押さえながら、反対の手でわしゃわしゃと僕の髪をかき混ぜてくるリーダー。反射的に手をはたき落とした。
「やめろよ」
「ああ、悪いな、つい」
苦笑するリーダーの瞳の中は、なんだか僕を憐んでいるようだ。それに、息子に対するような態度。
ムカつく。
「で?いくつ依頼を受けた?」
「カンケーないって」
「分かった。じゃ、行こう」
仲間と去るのだと思い、踵を返したら何故かついてくるオッサンズパーティー。
「は!?なんでこっち来るんだよ!」
「行こうって言ったろ?手伝ってやる」
「いらないね!まさか……報酬狙い?」
そう言ったら即座に頭を軽く叩かれた。
「おめぇ、バカだろ。リーダーはおめーの事心配してんだよ。好意くらい素直に受け取れ」
「そうそう。報酬なら君についていくついでにモンスターでも狩るから心配ないよ。お金を稼ぐ方法なんていくらでもあるんだし」
「木の実や薬草採取もありだな」
最後はリーダーも話に混ざって頷いている。足首から先だけぐるぐる巻きから逃れていたらしいサンドラは、小さい歩幅で必死に着いて来ながらも、首を激しく縦に振っていた。……こいつも賛成なのだろうか。
なんやかんやで、結局一緒に行動する事になってしまった。
オッサンズパーティーは何やら楽しそうに僕に話しかけてくる。無視し続けても、それは変わらなかった。
いつもこうだ。無視され続けてるのに、何が楽しいのかよく分からない。しかも頭を撫でまわされたり、背中をバシバシ叩かれる。ほんと、何がしたいんだ。
「──良いお仲間をお持ちなんですね」
森を入って暫くすると、黒髪のボサボサ頭に話しかけられた。
オッサンズパーティーは、何やら珍しいキノコを採取出来たようで、勝手に盛り上がっている。
「……ハ?仲間じゃねーし」
「えっ!?はわわゎゎゎ……。すっ、すすすみません!てっきり、パーティー仲間で仲がよろしいものと………」
……そうか。僕はこんなパーティーのメンバーだと思われてるのか。最悪だ。
「……そういうあんたは?新しく入ったんだろ?」
「ふふふ。気になります?やっぱ気になっちゃいますよね???」
不気味な含み笑いをしだした男を見て、即座に視線を逸らした。
「いや、いい。聞いた僕がバカだった」
「すみませんすみませんっ!ぼくが調子乗りました!」
男から離れるように早足にしたのに、苦労もなく追いつかれた。それもそうだ。十五歳の割には小さい方である僕と彼では、歩幅が違う。メガネと髪でほぼ顔は隠れているし、猫背気味。年上であることは分かるが、何歳なのかは見当がつかない。
「実はぼく、このパーティーに短期契約して頂いてるんですよ〜。三日間の短い臨時荷物持ちなんです。ちなみに今日が最終日」
「へぇ。でもあんた、そんなに荷物持ってないじゃん」
「自分で言うのも何ですが、ぼく、非力ですから。代わりに空間収納の魔法を少〜し使えるので」
「ふーん。すごいんだね」
「いやぁ〜。ほんともう、能力を与えて下さった神様に感謝感謝ですよ」
ヘラヘラと笑っているが、髪の毛の間から僅かに覗く目は僕を見透かそうとしているようで、思わず目を逸らしてしまった。
「あ、まだ名乗っていませんでしたね。ぼくはシュカって言います。あなたは?」
流石に名乗られて名乗り返さない人間ではない。あまり気乗りはしなかったが、正直に答えた。
「……ディナンシェ」
「そうですか!ディナンシェさん、今日はよろしくお願いしますね!」
「あんたは、良いのかよ?」
「はい?」
シュカに尋ねると、彼は何がなんだか分からないと言うように首を傾げた。
「金稼ぎに来てるんでしょ。僕についてくる事になったら、今日は収入が少なくなるんじゃない?さっさとやめるように言った方が良いよ」
「ああ!それならお構いなく。ぼく、人間観察が趣味なんですよね〜」
全く意味が分からない返しに、今度は僕が首を傾げる番だった。
* * *
ザシュッ。
何とも言い難い肉の斬れた感覚を振り払うように、剣についた血を一振りして落とす。
人型のモンスターを相手にするのは、あまり気持ちの良いものではない。だけどそれを放っておけば、奴らは増え、やがて人を襲うようになるのだ。
人は簡単に死ぬ。そう。いとも簡単に。
『ディナ〜ン!』
ひまわりのような辺りを暖かく包み込む笑顔は、もう、二度と、見ることが出来ないのだ。
怒りを隠すように剣を強く握る。
オッサンズパーティーがついて来なければ、この場を荒らすように剣を振るっていただろう。だけど、今は自分を抑えて。確実に仕留めるように剣を振るう。
一人の時は違う。毎日毎日、どうしようもない怒りをモンスターにぶつけるかのように暴れ回った。それでも心はちっとも晴れない。
依頼以外のモンスターもひたすら倒す毎日。昨日よりは強くなっているだろうか。いや、まだ足りない。もっと、もっと、もっと。強くならなければ。
あの日から、世界は淀んだ様に見え、ひどく息がしづらい。
「おいッ!おチビ!」
リーダーの怒鳴り声でハッと我に返った。
肩で息をしながら周りを見回すと、モンスターは全滅していた。
「お前、ほんと大丈夫か?」
「ッ、だい、じょぶだって」
それぞれその辺りに座って休憩する。
これで受けた依頼は終わりだ。オッサンズパーティーが手伝ってくれたおかげで、夕方に終わった。あとは帰って報告するだけ。
「さぁ〜て、帰るか。おチビ、報告終わったら晩飯、一緒に食いに行くぞ!」
「僕は遠慮す──」
る、と言いかけた言葉は言葉にならなかった。
うなじにバチッと静電気が当たったような感覚に陥り、その後ゾワッと悪寒が走り全身が震える。
なんっだ、コレ……。
絶対に敵わない。本能で、分かってしまう。
「どうした?行くぞ?」
呑気なオッサンズパーティーの奴らは、誰も気がついている様子がない。
元より僕は気配察知に長けている。他の人が気付かないような小さな気配でも分かるのだ。
急に現れた遠くからの大きな気配。これを僕は知っている。──魔物だ。僕の家族を簡単に奪っていった憎い仇。
これを倒すためだけに僕は必死で修行してきたのに……。
まだ、この場所からは遠い。現れたのは山の方からだろうか。なら町からも離れている。
思わず唇を噛み締める。
僕に勝手に着いてきたとはいえ、見捨てるなんて事はしない。いくら関係ないとはいえ、僕を心配してついて来てくれている。心の底では分かっているんだ。
僕に出来る事は少ないだろう。精々、囮になって出来るだけ町から離れ、一太刀でも浴びせられたら……。いや、こんな弱腰じゃダメだ。何の為に、今までモンスターで訓練してきたのだろう。
絶対に、倒してみせる!
「僕、用事思い出したから!!!先帰っといて!!!」
「何だ?俺らもついてってやるよ」
「いい!!!要らないから!さっさと帰って!」
僕の必死な様子に、ディアゲッシモがニヤリと笑う。
「分かった。お前、大の方我慢してんだろ。ほらリーダー、近くにいちゃ逆に可哀想だ。先に行ってようぜ」
その言い方にムッとするけど、ここは我慢だ。この際、どんな理由でも受け入れてやる。
「だがなぁ……」
「ディナンシェだってそんなお子様じゃないでしょ。じゃなきゃたった一人で行動して、この森で生き残れてないって」
渋るリーダーをケインが宥めてくれる。
僕は頷いてみせた。
「いつもちゃんと帰ってるでしょ。だから心配いらない。先に帰ってて」
暫く考え込むリーダー。一秒一秒時間が過ぎていく事に焦りが募っていくが、ジッとリーダーの目を見つめる。早く。どうか早く行ってくれ。アレに気付く前に。
「……ハァ。分かった」
頭を抱えながらもリーダーは頷いてくれた。
「ちゃんと帰って来るんだぞ。帰ったら一緒に飯だかんな」
「分かった」
そう答えると、呆れたように僕を見て、それから仲間を引き連れて町へと戻って行った。オドオドと最後まで僕の事を気にしていたシュカが、なんだか印象的だった。
最後まで彼らの背を見送って深く息を吐く。
後は自分が出来る精一杯の事をするだけだ。
大切に思う人間は、もう二度と作らないって決めた。だって、失うのが怖いから。それなのに。これはオッサンズパーティーが悪い。嫌がってる僕にしつこく付き纏ってくるから。嫌でも気になってしまうじゃないか。
別に大切じゃない。そう。ただ気になるだけ。僕の目の前で死なれでもしたら寝覚めが悪くなるし、町にいた方が安全だろうから。
別に僕自身が死にたいと思ってる訳じゃない。ただの力試しだ。どこまで強くなったかの。
だから……。だから、こんなに震えなくてもいいのに……。
こっちに近づいて来てる。こんな嫌な気配だ。分かる。分かってしまう。
意を決して、近づいてくる方へと足を向ける。冷や汗が流れ落ち、震えも止まらない。情けない事に何度も手を滑らせながら剣を抜いた。
まだだ。まだもうちょっと遠い。こっちへ来るな。消えろ。せめて、これが夢だったなら……。
願いばかりが頭をよぎって、現実味を無くす。
やがて。
木陰からずるりと現したその姿に、僕は息を飲んだ。
オークだ。身体から上半分は。大きさも僕の倍はある。ただし、下半身はスライムのようで、ずるりずるりと地面を這って移動している。右手だけは人間のようでその手には古寂びた斧が握られていた。
目が、合った。
「ひっ……」
ギラリと輝いたその目の鋭さに呑まれ、指一本動けない。オークが手に持っている斧が振り上げられ────。
────死。
カチカチと歯が鳴るその音と共に、あの時の恐怖が蘇る。
笑顔が、
血が、
動かなくなった身体が、
僕を一瞬過去の世界へと引きずり込んだ。




