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「こらーっ!!!あんた達!今何時だと思ってるの!」
「うげっ、母ちゃんだ!」
夕日が辺りを照らし地平線に沈み出した頃、彼らの母親達が公園前で腕を組み、仁王立ちしていた。
「夕飯の手伝いもしないで!ほら、帰るよ!」
「えーっ」
「文句言わないの!」
「早く来なさい!」
「ほんっと子供って元気よねぇ〜」
どうやら全員の親が来ていたようで、文句を垂れつつも彼らは母親達の方へ歩いて行く。
けれどラティアの親は、当然ここに現れるはずもなく、そしてみんなに付いて行くわけにもいかない。
ボーッと見送っていると、それに気がついた男の子が話しかけてくれた。最初に話しかけてくれた子だ。どうやら凄く面倒見がいいらしい。
「お前の親は?」
「え、…あ、平気!」
何が平気なのか自分でも分からなかったが、取り敢えずラティアは微笑んでみせた。
「ほら、何やってんの!帰るよ!」
「分かったって!あ、名前、また今度教えろよな!」
気をつけて帰れよー!と走りながら叫ぶ彼に笑って手を振った。
同年代の子と遊んだ事が無かったラティアにとって、今日という日はとても大切で本当に楽しかった1日となった。
(私も帰らなきゃ…。──あ、身分証、忘れてた)
遊びに夢中になってしまい、身分証を作るのを完全に忘れていた。この時間から作ってくれる所はあるだろうか?
慌ててラティアは作ってくれる場所を探しに走ったのだった。
──結果を言うと、身分証は作れなかった。
理由は簡単。もう終業時間に入っていたのだ。どこもまた明日来て下さいとの事だった。
もう辺りはだいぶ暗くなって来ている。
1人で宿に入る訳にもいかず、ラティアはトボトボと外壁の近くを歩いていた。運良く外壁が崩れていて、外へ出られる場所がないか探していたのだ。
でも結局、そんな都合の良い場所が見つかる事もなく、ラティアは川に架かっている大きな橋の下で一晩過ごす事にした。
まだ春という事もあって、凍える程寒くはなかったが、やはり夜は冷え込む。出来るだけ小さく身体を丸め込んだが、あまり効果はない。取り敢えず眠ってしまおうと、ギュッと目を瞑っていると、ふわりと体に何かがかけられた。
びっくりして目を開けると、誰かの上着がラティアにかけられている。横を見上げるとそこには月明かりに照らされた黒髪の男の人がラティアの横に座っていた。ラティアの目が開いたのに気付いた彼は、ふっと微笑む。
「こんなとこで寝てたら風邪引くぞ」
「え…あ、すみません…?」
慌てて上着を返そうとするが、良いから使えと無理やり羽織らされてしまった。
「何か事情があるんだろう。明日はちゃんと家帰れよ」
「……」
身分証を取った後は、この街を出て新しい先生を見つけに行こうと思っていたラティアは、その言葉に返事を返す事は出来ず、上着に身を埋めた。どうせ心配してくれる人は兄2人だけなのだから、名も知らないこの人にそれを教えるつもりもない。だけど、親切にしてくれたこの人に嘘を言うのも申し訳無かったので、結果黙り込んでしまった。
身体を埋めた上着は爽やかで、ほんのりと優しい香りがした。
昨夜はいつの間にか眠ってしまったようで、気が付くと朝になっていた。
むくりと起き上がると、上着を貸してくれた男の人が昨日と同じ体勢で座っている。昨日は暗くて分かりづらかったが、とても綺麗な青い目をしていた。
「お、起きたか」
もしかして、ずっとここにいてくれたのだろうか。何の関わりもない赤の他人なのに、上着まで貸してくれて。こんなにも親切な人が世の中にはいるのかと、子供ながらにラティアは物凄く感動した。
たくさんの感謝を伝え、彼と別れた後、ラティアは身分証を作る為に昨日の商業施設へと向かっていた。
昨日の晩、離宮に戻らなかったので、ケイティが慌てて王妃に伝えに行く可能性もあるのだ。もしかすると追っ手がかかるかもしれな……いや、やっぱりないかも。
だけど念の為と、まだ人気が少なそうな場所を選んで歩いて行く。
角を曲がると商業区域の一角に入ったのか、物を売ってる人がチラホラと目に入ってくる。
と、突然横にある通路奥から、凄く嫌な禍々しい気配を感じ、思わずそちらを見る。
空間が歪んだように見えた後、黒い点が出来た。
その黒で出来た球体の周りを、紫色や濃い黒の煙がふわりふわりと段々大きくなる様に覆っている。いや、あれは球体から出てきてるのかもしれない。球体は見るからにどんどん大きくなっている。
「う、うわー!!!“窓”だ!!!魔物が来るぞ!!!」
「逃げろ!」
「いやぁー!!!」
「誰か騎士団を呼べ!」
「ギルドにも報告だっ!!!」
近くにいた人々は逃げ惑い、パニックになっている。
あまりの恐怖に、ラティアは一歩も動けなかった。黒い球体から目が離せない。というより、何故か離してはいけない様な気がした。
黒い球体は直径が大人の上半身程で止まると、更にぶわりと黒や紫、それに似た色の煙が一気に吹き出し、中から3つの爪の様な物がゆっくりと中から出て来た。
それはまるで、物語で読んだ事のある龍の爪の様だった。
ぞわりと身体中に鳥肌が立つ。
中から出て来た“それ”は、まるで体重を感じさせない軽やかさでタンッと地面に二本足で着地する。顔はトカゲの様である意味可愛いらしいと言えるかもしれないが、その身体から発せられる邪悪な魔力は人々の身体を恐怖で凍りつかせる。身長は人の倍くらいはあり、シューシューと息が漏れている口からは、蛇の様な長い舌がチロチロとのぞいていた。
「これが、魔物…」
“窓”や“扉”から出て来た、こういう奴らの事を魔物と呼ぶとヨハネス先生から習っていた。
魔物はこの世界とは別にある異界から来るらしい。“窓”や“扉”は大きさによって呼び方が変わる。窓くらいの大きさなら“窓”、扉以上の大きさがある時は“扉”となる。
それらは様々な場所で、不定期に開く。その原因はまだ分からないと聞いた。
そして、その中から出て来る魔物は、大体が人間や動物が好物だという事も…。
まるで小さい恐竜のような魔物はよだれをダラダラ垂らしながら、辺りを見回す。まるでどれから食べようかと品定めをしてるようだ。
魔物を初めて見たが、ラティアでも感覚で分かる。
これはダメな奴だ。
本能が早く逃げろと警笛を鳴らしている。でもラティアは動けなかった。
「っあ!」
逃げていた女性が目の前で転んでしまう。
それを見た魔物の目が細まる。
上半身を起こし、再び逃げようとした女性へ向かって、ラティアは咄嗟に飛んだ。
ガギンッ。
「っ!」
髪の毛が数本宙を舞う。
間一髪だった。すぐ上で魔物が勢いよく口を閉じた音がする。あの音で、歯がどれだけ鋭いのか分かりゾッとした。噛まれてたら一発であの世行きだっただろう。咄嗟に体が動いたのは奇跡だった。
でもまだ安心できない。と言うより絶体絶命の大ピンチだ。
咄嗟に女性を押し倒し、自分が上に被さるように倒れたまでは良かったが、すぐ上には魔物がいる。逃げるにしても、さっきの魔物のスピードじゃ到底逃げ切れる訳がなかった。
ラティアの下にいる女性が状況を確認しようとしたのか、顔をこちらに向けた。そして口をパクパクさせたまま、顔色が真っ青を通り越して真っ白になってしまった。
それを見たラティアは悟った。今から食べられてしまうんだと。だってほら、耳元でシューシューと音がしてる。
──ドッゴオオオンッ
不意に強い風が巻き起こり、今まさにラティアを食べようとしていた魔物は向こうの建物へ吹っ飛ばされた。
「よぉ、また会ったな」
何が起こったか分からなかったラティアに届いた声は、昨日の晩から今朝別れるまで聞いていた声だった。
「それにしても、魔物を前にして悲鳴一つ上げないで動けるとはな。それとも上げられない程びっくりしてんのか?ま、どっちでもいい。その根性、気に入った」
黒髪の男の人は魔物に怯える様子は見せずに、スタスタとラティア達の側に来た。
魔物は既に復活したのか、吹っ飛ばしたであろう、黒髪の男の人を睨みつける様に見ている。
「ちょっと待ってな。すぐ終わらせる」
スラリと腰に挿した剣を抜いた男性は、魔物に来いよ、とばかりに嗤った。
それを見た魔物は、ラティアには見えない速度で大口を開けて彼に迫る。
ズバンッ──。
たったの一閃。それで勝敗は決した。
魔物は真っ二つに切り捨てられ、それを横目で見ながらもピッと剣についた血を振り落として、彼は周囲を確認している。
「すごい…」
「ゲートはもう閉じたか。怪我人もいないな」
黒髪の男性は、ラティアの側までやって来ると、ラティアの頭をグリグリ撫でた。
「坊主、お前のお陰で死人を出さずに済んだ。ありがとな」
ポーっと女性が彼に見惚れてるのを尻目に、ラティアは助かった事で安心したのか、ああ、私、男の子に間違えられてるのか、と何故か全く関係ない事を他人事のように思っていた。




