第9話
「ナ……ナナリー姫……? 何故ここに……?」
「いえ……準備が整ったらしいのでずっと待っていたのですが……っ! 魔王さん達が中々来ないものですから、様子を見に来たのです……っ!」
勇者ケンジの剣を、両の手の平で抑えながら、ナナリー姫は魔王アビスの問いに答えました。
「……まあ、ケンジさんがあれだけ長時間喋りっぱなしでしたからね……。むし
ろ、様子見に来るのが遅いとも言えますし……」
「……敵側のやたら長い演説のおかげで危機を脱するって、魔王としてどうなんだろ……」
ヘルマジシャンの呟きに肩を落としつつ、魔王アビスは立ち上がります。
「……ち、ちょっと待て。今、ナナリー姫と聞こえたが……っ!? それにその顔は、事前に確認したブロマイドと同じ……っ!」
「はい……私がナナリーです……っ!」
その名を聞いた勇者ケンジは急いで剣を引き、後方へと飛び退りました。
「そ、そうでしたか……ご無事で何よりです。しかし何故、そこにいる魔王を庇い立てするのですか? それにその、俺の剣を白刃取りする程の力量は一体……?」
勇者ケンジの質問には答えず、ナナリー姫は言います。
「勇者さん、魔王さん達に乱暴するのは止めて下さい。私はこの通り元気です。魔界ガラスさんに送って貰ったお父様宛ての手紙にも、そう伝えているはずです」
「……確かに、そのような内容の手紙が来たと聞き及んではおります。しかし魔物達が献血など、そんなもの嘘に決まっています! 考えてもみて下さい! スライムとかゴーストとか、血の通ってない奴が大勢いるのに何故そんな無駄な事を!」
「突っ込むのそこかい」
「あ、魔王様の調子が戻って来たみたいですわね」
「無駄なんて事はありません! ヴァンパイアさんとかの食事になります!」
「あいつら、血以外のもの食ってても生きられるんだけどね……」
「お静かに。わざわざご自分の首を絞める必要もありませんわ」
魔王アビスとヘルマジシャンのヒソヒソ話をよそに、勇者と姫の会話はどんどんと白熱して行きます。
「元気であれ何であれ、魔王アビスが姫を誘拐したと言う事実は動かしようもありません! 天網恢々《てんもうかいかい》、俺はこの場で奴らを討伐し、悪事に対する報いを受けさせねばならないのです!」
「その必要はありません! 魔王さんは私がちゃんと叱りましたし、もう悪さはしないと約束して下さいましたから!」
「失礼ながら、叱った程度では報いとはなりません! 奴らにはもっと、己の行為を心の底から後悔する程の――」
「……いや、とっくに後悔してるんだけどな。死に掛けたし」
「――何?」
横合いからの魔王アビスの呟きに、勇者ケンジは反応します。
「いや、だから我、姫のアークパニッシャーまともに喰らって死に掛けた事ある
し。今の姫、最強魔法普通に撃てるし」
「おい、それは一体何の冗談……」
「その節はすみません。うっかり撃っちゃいまして……」
「……姫様、本当の事なのですか?」
「はい。今の私、そう言う事が出来るみたいで」
「では先程、俺の剣を白刃取りしたのも偶然ではなくて?」
「やってみたら、普通に出来ました」
「……ううむ……」
勇者ケンジは唸り、顎に手を当てて考え込みます。
「……姫様が噂に聞く秘術アークパニッシャーを使い、魔王アビスに勝った……。勝った後、姫様はそれ以上魔王アビスに危害を加えるつもりはない……。そして、ここの魔物達と事を荒立てる様子もない……」
「お? これは穏当な方向に話が進んでるっぽいか……?」
「……これはつまり、姫様が魔王アビスを従えたと言う事……。言い換えれば、姫様が魔物達の頂点に収まったと言う事……」
「あ、駄目ですね。不穏当な方向に進んでるっぽいですわ」
「……つまり! 今の魔王城の長はナナリー姫と言う事! 姫様を取り戻すためには、まず姫様に勝たねばならないと言う事か!」
「そして行き着いたのは、全く訳分からん結論だったわ。この勇者の思考回路どうなってんだよ」
「……ええっ!? 私って魔王城の長だったんですか!? ……そ、それは責任重大ですね……」
「終いには、ナナリー姫も前向きに勘違いし始めましたわ。もう収拾が付かない気配が濃厚ですわねコレ」
あらゆる意味で斜め上な人間の勇者&姫の会話に、魔物の王と側近はまるっきり付いて行けませんでした。
「何と言う真実、何と言う運命……っ! ……しかし、初めて"勇者"を名乗ったボードルザの戦いの時から、俺は俺の宿命から絶対に逃げないと誓ったんだっ! 例えそれが、どれ程過酷であろうともっ!!」
「……ど、どうやら、私は魔物さん達を守るために頑張らなきゃいけないみたいですね……。し、仕方ありません! だって私、魔王城の長らしいですからっ!」
「ナナリー姫、どうかお覚悟をっ!!」
「勇者さん、行きますよっ!!」
「………………すみません。せめて外でやって頂けませんか?」
魔王城・玉座の間にて、決戦の火蓋を切ろうとする勇者ケンジとナナリー姫に、城の主である魔王アビスは力なくそう言うのでした。
「喰らえぇ――――っ!! 崩天爪牙ざぁ――――んっ!!」
「ええ――――いっ!!」
荒涼とした大地の上で、奥義と魔術とが荒れ狂っておりました。
勇者ケンジの地を割く必殺剣をナナリー姫は紙一重で回避し、最上位火炎魔法を発動させます。万物を焼き尽くす炎が襲い来るのを勇者の剣閃が消し飛ばし、無力化させてしまいます。
渾身と渾身がぶつかり合い、極限と極限がしのぎを削り合い、天と地が轟々と鳴動する、正に最終決戦と呼ぶに相応しい圧倒的大迫力でありました。
「……なあ、ヘルマジシャン」
「何ですか、魔王様?」
「……我ら、一体何してるんだろうな……」
その勇者VS姫による最終決戦を遠方から体育座りで眺めながら、魔王アビスは覇気なく呟きました。
「……だって、アレ見ろよ。あんなん、我らが総力を挙げて挑んでも全然勝負にならんだろ。例えが儀式成功して、我が邪神様に力を与えて貰ったとしてもさ……」
「いやまあ、そうでしょうけど……」
「……そもそも、我らがさらった姫と我らを討伐しに来た勇者とが戦ってて、その間当事者である我らは蚊帳の外っておかしくない? 何? 我ら問題の中心にすらなれないの? どんだけ無力なんだよって話じゃない、コレ」
「き、気にしちゃ駄目ですよ魔王様。見てる人はきちんと見てくれていますので、挫けず頑張って行きましょう」
「……それ、世界の支配を目指す魔族の王に掛ける言葉じゃなくない? どっちかって言うと、スタメン入り目指して毎日コツコツ頑張ってる部員とかに掛ける言葉じゃない?」
「ああもう、そんな拗ねた態度なんか取って。元気出して下さいよ」
「……もうヤダ。世界の支配とかどうでも良い。どーせ我に世界征服とか無理だもん。どーせ我、駄目魔族なんだもん……」
「へ、平気、平気ですよ。魔族によって得意な事違いますから」
「……つまり、我は世界征服が苦手な魔族なんだな……」
「ああ、うっかり余計な一言で魔王様がますます……」
完全にイジケた魔王アビスをよそに、勇者ケンジとナナリー姫の戦いは激しさを増して行きます。姫の魔法が吹き荒ぶ大嵐を呼び、大地を絶対零度に凍てつかせ、隕石の大豪雨を降り注がせます。それら全てを勇者ケンジは剣圧で消滅させ、雨の隙間を縫う程の精度で躱し、間隙を突いて姫に斬り掛かります。遠く離れている魔王達にも、激戦の熱気と衝撃と轟音とが伝わって来ます。
「……あー、凄い迫力……。我と大違いだわー……」
「もう、何かある度に魔王様の自信がなくなって行く、負のスパイラルに突入してますわね……」
「……本音ぶっちゃけるとだな……」
唐突に、魔王アビスがボソリと切り出します。
「我が世界の支配者になって、魔族の世を作ろうとしてるのって、正直意地みたいなもんなんだよね。魔族はまだまだ健在なんだぞって言う感じのさ。だって悔しいじゃん? 昔は我らの存在感バリバリだったのに、今はもう全然さっぱりだし。それでも、ちょっと前までは『我らは世界征服さえ目指さない、最近の軟弱な魔族共とは違う』みたいな感じに粋ってみてたけどさ。最近は、それにも酔えなくなってるって言うか……」
「予想してた以上に本音ぶっちゃけましたね……」
「だってお前、正直に答えてみ? 本気で我らに世界支配出来ると思う?」
「…………包み隠さず正直に言えば、微妙ですかね……」
「だろ? 戦力の要と言えんのが我と四天王だけで、全体の層が薄いって言うか。仮に支配に成功したとして――」
魔王アビスは絶賛戦闘中の勇者と姫を指し、
「――何かの理由で凄い力持った人間が現れたら、それだけでもう危ないじゃん。我と四天王討たれたら、もう終わりじゃん。……無理だわ。もう無理。心折れた。もう支配とか目指すの止める。あははははー……」
そう言って魔王アビスは力なく笑い、
「……本当、道化だよな……」
最後に、自嘲気味に言いました。
「……魔王様はナナリー姫を恨んでおいでなのですか?」
「……ん? 何だよ急に?」
「いえ。つまるところ、ナナリー姫がいきなり強大な力量を得さえしなければ、今回の計画は相応に上手く行っていた訳ですから。当の姫にしてみれば魔王様の悪事を止めさせた程度にしか思っていなくて、魔族の抱える葛藤なんてまるで分かってないでしょうし。何か思うところでもあるのかしら、と」
「……あー、そう言う事ね。……そりゃああの姫を魔王城に連れて来てから、こっちは散々振り回されっぱなしだったからなー。我も部下も、調子狂わされてばっかだったし。……でもなー……」
魔王アビスは言いました。
「恨むとか、そう言うのは全然ないんだよな、不思議な事に。むしろ最近の魔王
城、姫のおかげで雰囲気明るくなったよなー、って思うし。あいつらとか、もう完全に入れ込んじゃってるし」
魔王アビス達の隣でナナリー姫へとあらん限りの声援を送る、カオスドラゴン、ブラックナイト、ダークゴーレムを指します。
「それにさ。振り返ってみると、正直ちょっと楽しかったかも知んない。色々深刻に、大上段から物事考えるのとかどうでも良い、って思える位には」
「ですわね。私も、あの姫と一緒の毎日嫌いじゃありませんでしたよ。それに、魔王様はふんぞり返った態度してるより、砕けた態度でいる方がお互いやりやすいって事も分かりましたし」
「うん、それ我も思った。こっちのが気楽で良いわー」
「まあ一見凄そうに見えて、実際には色々残念な魔王様にはそちらの方がお似合いですわ」
「隙あらば遠慮なくディスって来るなー、お前」
「事実ですから」
そう言って、二体は穏やかに笑いました。
「……これで決める!! 奥義――」
「……勇者さん!! 魔物さん達に酷い事したら――」
そうこうしている内に、勇者対姫の戦いはクライマックスへと突入しておりました。両者それぞれを中心として大気が激しく逆巻き、大地が激しく振動します。渾身の大技の前兆に空間そのものが打ち震え、戦慄くような、尋常ならざる気配が渦を巻いて周囲へと拡散して行きました。
「――聖天昇竜ざぁぁぁぁぁんっ!!」
「――メッ!! ですよ!!」
瞬間的に、周囲一帯をまばゆい光が包み込みました。一瞬遅れて魔王アビス達の元に、叩き付けるような爆音と、空気全てを他所へと押しやるような風圧と、視界を合切塗り潰すような砂埃と、砲弾のように飛ぶ大小の岩とが襲い掛かりました。ある者は咄嗟に地面に伏せてやり過ごし、ある者は飛来した岩を魔法の障壁で防
ぎ、ある者はカオスドラゴンやダークゴーレムの巨体の陰に隠れて、津波のような戦闘の余波から逃れました。
長いような短いような時が過ぎ、砂煙が晴れて行きます。魔物達も固唾を呑ん
で、結末を見守っております。
そこからは、
「…………み、見事です……」
手にした剣を弾き飛ばされ、抉れた地面に片膝を付く勇者ケンジの姿が現れました。一方のナナリー姫は大きく息を乱しつつも、しっかりと両足で台地の上に立っておりました。
傷を負った様子は見受けられないとは言え、勝敗の結果は明らかでありました。囚われの姫君が、救いに来た勇者を接戦の末に下した感動的瞬間が、歴史の上に刻まれたのです。
「……だ、大丈夫ですか……勇者さん?」
切れ切れの息を整えながら、ナナリー姫は勇者ケンジの元へと歩み寄ります。
「……え、ええ、怪我はありません……。しかし、俺の剣技のことごとくを退けて見せるとは……完敗です」
「いえ……危ないと思った事は一度や二度じゃありませんでした。勇者さんの剣術こそ、素晴らしい冴えでした」
「ふっ……あなたは大した人ですよ、ナナリー姫」
「いえ……あなたこそ、勇者ケンジさん」
勇者と姫が、河原で殴り合った末沈む夕日をバックに友情を芽生えさせる的な、色気皆無な展開を繰り広げていると――
「見付けたぁ――――――っ!!」
「クレーネちゃ――ん、ちょっと待ってよ――っ!!」
突然、天空から大声が降って来ました。




