第2話
ナナリー姫を連れたカオスドラゴン&デーモン達一行は、やがて荒れ果てた大地にそびえ立つ、禍々しい雰囲気の城へとたどり着きました。
「ふははははっ! あれこそ、我らが魔王アビス様の居城なり! その名を魔王
城!」
まんま過ぎる名前の城を代表デーモンはドヤ顔で紹介しますが、誰一人とて反応を寄越しません。ナナリー姫は一通り心配し終わって以降、する事がないのでのんびり居眠りの最中、デーモン達はガン無視、カオスドラゴンはノドが疲れて無言で飛ぶだけ――と、テンション枯渇状態の一同なのでありました。
その後、魔王城の中庭へと降り立ったデーモン達は、気持ち良く熟睡中の姫を持ち上げて、篝火が揺らめく地下牢へと運びます。そして縄を解いた上で強固な鉄格子の向こうへと押しやり、外からガッチリと鍵を掛けてしまいました。
「クックックッ……貴様ら、良くやった」
「おお、魔王アビス様!」
「わざわざこのような場所にご足労頂かなくとも……」
カツン、カツンと響く足音に振り返ったデーモン達は、驚きつつも一斉に臣下の礼を取ります。
そこに現れた黒マントの男は、左右の両手を持ち、左右の両足で歩く姿こそ人間に似ております。しかし、紫色の肌と額にぎょろりと覗く第三の瞳、頭部に鋭く生えた二本の角を見れば、明らかに人間とはかけ離れた存在であると分かります。何よりも、全身から発せられる並々ならぬ威圧感は、そこらの魔物とは比べものにならない大物感を醸し出しています。
彼こそが魔王アビス。ナナリー姫誘拐を命じた張本人にして、この魔王城の主。デーモン達はおろか、四天王であるカオスドラゴンでさえまるで勝負にならない程の強大な力量を有する、島の魔物達の圧倒的頂点に立つ存在なのです。
「ふっ、そこの小娘がナナリー姫か。恐ろしさのあまり気を失ったと見える――」
「むにゃむにゃ……無理です、食べられません……」
「いえ、魔王様。寝てるだけです」
微妙な沈黙が流れる地下牢に、姫の寝息だけが幸せそうに響きます。
「……まあ良い。これで、我が悲願を達成するための生け贄を――」
「……ですからそんな、白いドレスを汚さずにカレーうどんを食べるだなんて無理です……」
「――生け贄を、手中に収めたと言う――」
「……え? どんなにガンコな汚れでも、これ一本で落とせるんですか?」
「――手中に収めたから、すっごく嬉しいな――」
「むにゃ……あ、おはようございます〜……」
「――ねえ、さっきから我の話の腰折られまくりなんだけど。この姫、誘拐されてる自覚あるの?」
「あ、どうも。あなたが魔王アビスさんですか? 初めましてこんにちは、このたび誘拐されて来ましたナナリーと申します」
「あ、バッチリ自覚あるんだ」
とことんマイペースなナナリー姫を前に、魔王アビスの威厳がぐんぐん急降下して行きます。
「ところで、ここは牢屋ですか? すみません、出来ればちゃんとしたベッドのあるお部屋にお泊まりしたいのですけれど……」
「訂正、自覚あるか怪しいなコレ。……ククク、矮小なる人間の姫君よ。貴様は我の生け贄としてここまで連れて来られたのだ。そのような者にベッドなど不要よ」
「生け贄、ですか?」
手早く威厳を復活させた魔王アビスの言葉に、ナナリー姫は首をかしげます
「左様。我らが信奉する邪神様に王族の血を捧げ奉る事によって、我が暗黒の力を更に高める儀式を執り行う。究極の力を得た我は、世界中の魔物達を軍団としてまとめ上げた上で人間共の国へと侵攻する。さすれば、我ら魔の者が再びこの世界の支配者へと返り咲く事も容易いであろう。その時こそ、愚かなる人間共を一人残らずこの大地より一掃してくれようぞ」
「そんな……」
魔王アビスの口より語られる恐るべき野望に、さしものナナリー姫も驚きと不安を隠せません。
「そ……そのような事をしてはいけません。だって海に落とされたら、人間は呼吸が出来ないじゃありませんか!」
「あ、『大地より一掃』をそう言う意味に取ったのね。……とにかく、我はそのために貴様をここへ連れて来たのだ」
「そんなの駄目です。メッ、です。すぐに止めて下さい!」
「足掻け足掻け。儀式の準備が整う日まで、貴様はせいぜいその牢の中で己の無力を噛み締めておるが良い。……ではさらば! はぁ――はっはっはっはっ!!」
必死に懇願するナナリー姫の言葉も、鉄格子の向こうには届きません。既に勝ち誇っているのか上機嫌な高笑いを上げながら、魔王アビスは立ち去って行きまし
た。
「何と言う事でしょう……」
牢の中で一人、ナナリー姫は焦ります。
このまま魔王の恐るべき所業を許せば、お父様も、城の兵士や侍女達も、プレジールの全国民も――ひいてはこの世界の全ての人類が、残らず海に落とされてしまいます。
しょっぱいし、息が苦しいし、何よりも泳げない人用の浮き輪の数がまるで足りません。
これは、大変な事です。絶対にさせてはいけません!
「誰か! 誰かここから出して下さい!」
いても立ってもいられず、ナナリー姫は鉄格子の間から顔を覗かせながら、外に向かって叫びます。
「大人しくするのだ、人間の姫よ。我らが貴女の言葉に耳を貸すとでも思うのか」
しかし返って来たのは、見張り番の魔物――スケルトンからの冷たい答えだけ。姫は左右の手それぞれに鉄格子を掴みつつ、更に言葉を重ねます。
「お願いです、ここから出して下さい! 今すぐに魔王さんを止めないと!」
「無駄だ無駄だ、貴女は無力。左様にか細いその身体で、一体何が出来ようか」
必死に訴える姫の姿も、牢の外にいるスケルトンから見れば滑稽な足掻きに過ぎません。相手の気勢を削ぎ落とすように、せせら笑いを送るばかりです。
まだまだ、私の訴え方が足りないみたいです。
そう思ったナナリー姫は一つ大きく息を吸い、あらん限りの大声を肺から吐き出しました。
「今すぐに、ここから出して下さ――いっ!!」
ゴギュンッ!
両手に力が入った拍子に鉄格子は異音を上げ、左右に押し広げられるように曲がった挙げ句、根本から引きちぎれてしまいました。先程まで哀れな人質を閉所へと隔絶していた鉄格子は、今やアメ細工のようにぐにゃりと歪んだ元・鉄格子だった棒へと変貌を遂げ、姫の手に握られておりました。
「…………」
「……あら? 折れてしまいましたね、ごめんなさい。……それはそうと、ここから出して下さいっ! お願いしますっ!」
「…………いや、あの、その。……姫?」
「はい?」
「…………いえ。ちょっと待って下さい」
眼前で起こった信じられない事態に、スケルトンは手の平を向けてタンマの合図を送ります。
……え?
……今、この姫が己の腕力だけで牢の鉄格子ひん曲げた?
……我ら魔物ですら、余程の力量を持たなければ出来ないのに?
……どゆ事よ?
スケルトンが混乱している間、ナナリー姫は律儀に待ち続けます。一分程、深呼吸をしたり素数を数えたりして心を落ち着けた後、スケルトンは恐る恐る尋ねました。
「……あの、姫。それは一体……?」
「ああ、この鉄格子曲げちゃった事ですか? すみません……力を入れたら、何か簡単に折れちゃいまして……」
「そうでしたか。それは仕方ありませんな」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです……」
「お気になさらず、たまには斯様なる事もありましょう」
「すみません。そのように言って頂けると、気が楽になります」
「いえいえ。過ぎた事をいつまでも気に病む事はありますまい。はっはっは」
「そうですね。ふふふ」
しばらくの間、一人と一体は朗らかに笑い、
「……あ! ここからお外に出られるじゃありませんか!」
「おのれ気付かれた! 誰か、誰か!」
スケルトンによる『気付いてないみたいだから、何となく雰囲気で流そう』作戦は失敗に終わりました。次善策として、大声で詰め所にいる他の魔物達を呼び出します。すぐに、三体の魔物が現場へと駆け付けました。屈強なオーガに、棍棒を持ったトロル、ハルバードを構えたリザードマンと、いずれも腕に覚えのある魔物達です。
「おいおい、何があった!?」
「姫が外に出そうだ! すぐに取り押さえるのだ!」
「って、鉄格子破られてんじゃねーかっ!? どーなってんだっ!?」
やって来た魔物達も異常事態を察して混乱します。が、その間にオリの外へと出たナナリー姫の姿を目にし、すぐに警戒態勢を取ります。
「お、お前達! 決して姫を逃がすな!」
「まかせとけって、スケルトンの旦那」と、オーガ。
「なあ姫さん、大人しく引き下がった方が身のためだぜ? 抵抗するんなら、こっちもある程度乱暴な扱いしなきゃならなくなるぜ」と、トロル。
「牢を破るとは驚いたが、我々を相手に逃げられると思わない事だな」と、リザードマン。
「ここを通して下さい! すぐに魔王さんのところに行かないと!」
立ち塞がる魔物達にも、ナナリー姫は動じません。
「し……仕方ない! 構わんから、力ずくで姫を捕らえるのだ!」
「「「やってやらぁ――っ!!」」」
ナナリー姫へと向かって、魔物達は一斉に襲い掛かりました。
「ご、ごめんなさい……ちょっと手で払い除けただけなんですけど……。……そ、それよりも、早く魔王さんのところへ急がないと!」
「「「「……ぎゃふん……」」」」
三十秒後。
牢番の魔物達を一体残らず石造りの壁へとめり込ませたナナリー姫は、地上へと続く階段を駆け上がって行きました。




