第1話
とある世界のお話です。
プレジール王国と呼ばれる国に、一人のお姫様が住んでいました。
その名をナナリー。少女特有のあどけなさの中から、高貴さを覗かせる整ったかんばせ。黒い宝石のように深くつややかな、腰まで届く長い髪。陶磁を思わせる透き通った白い肌。目にした誰もが思わず嘆息する、それはそれは美しいお姫様で
す。
居城内の庭園に舞い込んだ小鳥達と戯れながら優雅に紅茶を嗜むその姿は、城内の有志達の手によってブロマイド化され、貴賤を問わぬ非公式ファンクラブ会員達のマストアイテムとして密かに国中へと流通している程。穏やかで分け隔てない性格も相まって、国中の誰からも愛される人気者として日々を過ごしておりました。
そんなある日の事。いつものようにナナリー姫は、庭園にて優雅なティータイムを楽しんでおりました。新規ブロマイド制作のため物陰に潜んでベストショットを狙う有志と、姫の傍らに控えつつ絶妙なポジショニングによって写真機の魔手からガードする侍女との熱く静かな戦いを脇に、平和で穏やかな時間が過ぎて行きま
す。
その時です。
「あら……? お空が急に暗くなりましたね」
先程まで頭上に広がっていた青空が、突如として暗雲に覆い尽くされました。紫色の不気味な雷がパリパリと空を走り、否が応でも不穏な空気を煽り立てます。
衛兵や侍女達が騒然としながら空を見上げる中、黒雲の中から巨大な影が姿を現し、そのまま庭園へと降り立ちました。
その巨体は爬虫類を思わせる鱗に真っ黒く覆われ、背中からは対となる二枚の大きな翼が生え、後部には太くたくましい尻尾が揺らぎ、地を踏みしめる四足には鋭く尖った爪が妖しく輝いています。荒々しい牙が並ぶ大きな口からは、時折ちろちろとドス黒い炎が漏れ出しているではありませんか。
紛う事なく、ドラゴンです。それも、禍々しい暗黒の気を全身から放つ、一目見ただけで超ヤバいと分かるタイプのドラゴンです。更に周囲には、背中の翼を羽ばたかせながら庭園へと降り立つ人型の存在が。デーモン系の"魔物"です。
魔物とは、魔法的な力によってこの世に誕生した存在です。かつては全世界規模で暴れ回り、人間達との間で激しい戦いを繰り広げていましたが、徐々に押されるようになってやがては勢力衰退。現在では人里離れた山奥なり迷宮なりの限られた場所に住み着くだけの、基本放置しておけば大体OKな存在へと落ちぶれておりました。
その魔物が多数、しかも悶着を起こす気満々な様子で城へと乗り込んで来たのです。危機を察した小鳥達がマッハで逃げ出し、庭園がにわかに緊迫した雰囲気に包まれます。
「あらあら、お客様ですか? クッキーはいかがです?」
『『『姫様っ!?』』』
が、ナナリー姫は一切動じずのほほんと笑顔を浮かべ、テーブル上のクッキーをドラゴンに向かって勧めます。鋭い眼光の前に晒されながらも平然とティータイムを継続する、胆力と言う概念を超越したマイペースっぷりです。
そんな姫様をスルーして、デーモン達の代表と思われる一体が、高笑いを響かせながら庭園の人々に語り掛けます。
「ふははははっ! 我らはここより西方の島を領土とする、"魔王アビス"様の手先なり! 魔王様の命により、そこのナナリー姫の身柄、我らが預からせて頂く!」
「あら、そうでしたか。ではまず、お父様に相談をしませんと」
『『『姫様ぁ――っ!?』』』
魔物によるお前を連れ去るぞ宣言を前に、ナナリー姫はおっとりと頬に手を当てて、建設的な返答をします。常識をブッちぎる斜め上な回答に、思わず侍女達も恐怖とは別の悲鳴を上げます。
「……一体、これは何事か! お主達、何者であるか!」
異変を聞き付けた国王が、兵士達を引き連れ庭園へと飛び込んで来ました。眼前に広がる衝撃的光景を前に思わず息を呑みますが、それで臆する王様ではありません。魔物達をキッと睨み付け、問いただします。
「ふははははっ! 一足遅かったな、人間の王よ! ナナリー姫は頂いて行く
ぞ!」
叫ぶや否や、代表デーモンは手にした縄の片端をナナリー姫に向かって投擲しました。
「あら? あらあらあら?」
何らかの魔力が働いているのか、縄はグルグルと姫の身体に巻き付き、ガッチリと拘束してしまいました。続けて手に持ったもう片端をクイッと引っ張ると、姫はあっと言う間に椅子の上から代表デーモンの手元まで引き寄せられしまいました。
「ナ、ナナリー! ……おのれ魔物共め、このまま逃がすと思うでないぞ! 行
け、兵士達よ! 姫を取り戻すのだ!」
「了解!」
「お任せあれ!」
「今こそ我らが武勇、天地に轟かせる時なり!」
勇ましい叫びと共に、兵士達が武器を手に手に、前へ出ます。研ぎ澄まされた剣に、兵士達の全長を上回る槍に、いくつものトゲが生えた鉄棍に。後方では弓を引き絞る弓兵達や、攻撃魔法を準備する魔法兵達もスタンバイします。
これぞ国王自慢の、プレジール王国軍の勇姿です。一糸乱れぬ統率と旺盛な戦
意、何より国家に対する熱き忠誠心は、そんじょそこらの相手とは比べものにならない強さを彼らに与えます。勇気凛々と鬨の声を上げ、一同は巨大ドラゴン目指して突撃して行きました。
『ギャオォォォォォオオオッ!!』
「くっ……こんな時に限って口内炎の古傷が……」
「我ら勇躍し堂々刃を交えるも、朝食抜いた分わずかに一歩及ばず……」
「玉骨はたとえ野山の苔に埋まるとも、魂魄は常に王城の天を望まんと思う……」
「いやお主ら全然戦ってないよね!? 速攻で逃げて来たよね!?」
ドラゴンが吼えた瞬間、マジビビリした兵士達は華麗なるUターンで敵前逃亡を果たし、続けて『必死に頑張ったけど駄目だったぜ』アピールを行います。無駄に迫真味のある演技を前にプレジール王国軍神話の崩壊を見て取った王様は、頭を抱えて嘆くほかありませんでした。
「ふははははっ! つー訳で姫は頂いて行くぞ! さらば!」
「と言う事ですのでお父様、行って参りますねー」
「娘は娘で、まるで事態飲み込んでおらんし!? 何か道端で出会った友達と話が盛り上がって、そのまま家へ遊びに行くからお父さんじゃーね、みたいなノリだ
し!?」
笑顔で出立の挨拶をするナナリー姫をドラゴンの背に乗せ、魔物達はそのまま黒雲の向こうへと飛び去ってしまいました。
「ナナリィ――――ッ!! ……お、お主達、急いで姫を追い掛……きゅう……」
『『『陛下ぁ――――っ!?』』』
ショックを受けるやら突っ込みやらの、あまりに急激な感情の起伏に精神の限界を迎えた王様は、そのままバッタリ倒れてしまいました。
「お……おい、どうするよ!?」
「そりゃあ追い掛けるのは怖……じゃない、古傷が疼くから無理だし……それよ
り、まずは陛下を寝室に運んで……」
「いや、まずは庭園の掃除と後片付けを……」
今後の方針を協議する侍女&兵士達で、庭園はてんやわんやの大騒ぎ。こんな調子では、今すぐにナナリー姫の救助に向かうなんて事は不可能なのでした。
白い雲を眼下に望みつつ、魔物達はそのまま西の魔王城を目指してひたすら飛び続けます。
「ふははははっ! 流石は魔王軍四天王が一角、カオスドラゴンよ! 我が力を前に、人間など恐れるに足りず!」
『グウゥウ……』
勝ち誇る代表デーモンに、姫を背に乗せた巨大ドラゴンことカオスドラゴンは低く唸ります。人魔共通語に訳すると『あの、君、さりげなくボクの手柄持ってこうとしてるよね……』となりますが、生憎と彼の言葉が分かるデーモンはこの場に一体もおりません。ちなみに"黒雲を生成する"のは彼の得意技の一つであり、派手な演出の一環として魔王軍では重宝されています。
「……ところで魔物さん。この縄、少し緩めて頂けませんか? あんまり強く締めると血行が悪くなっちゃいますし、ドレスにシワが付いてしまいます」
「え? いや、そりゃ無理ですよ」
ナナリー姫に話し掛けられた、代表じゃないデーモンの一体が答えます。
「ふははははっ! 誘拐された身で何を贅沢を言うか! 魔王城に着くまでお前はそのままだ!」
代表デーモンが高笑いするのに、別のデーモン達は「あいつ、いっつも無駄に高笑いしてるよな……」「てか、くじ引きで代表に選ばれただけのくせに、何チョーシ乗ってんだ……」「あの野郎、隙あらば容赦なく足引っ張ってやるからな……」などなど、陰口を叩きまくっています。
そんな彼らをよそに、ナナリー姫は代表デーモンの言葉をじっくり五秒考え、
「……ええっ!? 私、誘拐されていたんですか!?」
『『『今頃!? 危機感覚えるの今頃!?』』』
「そ……そんな……誘拐って事は、日帰りじゃないんですよね……。着替え持って来てませんし……いつも使ってる枕だって……」
『『『しかも次に出て来たのが、身の安全よりも身の回り品の心配だし!?』』』
「ふははははっ! 人間の小娘よ、我が所行に恐れおののくが良い!」
『『『でもって代表は代表で、何が何でも手柄独り占めしようって魂胆がいい加減ウザいし!?』』』
あーだこーだ言い合う姫&デーモン達に、カオスドラゴンは『グルゥゥ……(あの、ボクの背中周辺であんま騒がないで欲しいんだけど……)』と唸り声を上げます。当然、誰も聞いてませんし、聞こえても意味が分かりません。
「ああ……何と言う事でしょう……」
ようやく事態を飲み込んだナナリー姫は、流石に不安そうな態度を隠せません。これから一体どうなってしまうのか、魔王城のシャンプーとリンスは普段使ってるのと同じなのか――様々な心配事を紛らわすように、頭上を仰ぎ見ます。
「……あら?」
ナナリー姫は青空に一点、きらりと光るものを見ました。一見、星のようにも思えましたが今は昼、それはあり得ません。当然、太陽とも月とも全く違います。
『あれは何なのでしょうか?』と眺めている内に、光はぐんぐんと輝きを増して行きます。それが、自分に向かって落ちて来ているのだと悟った時には、避ける事も叫ぶ暇もなく――
「ひゃん!?」
そのまま、光はナナリー姫に直撃しました。姫の身体をまばゆい光が包み込み、周囲一帯を明々と照らします。
『ギャオォオ!?』
「な、何だ、この光は!?」
「うおっまぶしっ!」
カオスドラゴン&デーモン達も、あまりの光量の前にたじろぎます。視界が奪われる中、とにかく地上に落下しないよう全員必死に羽ばたいて高度を維持しまし
た。
やがて、光は収まりました。
「? ……? 一体、何だったのでしょうか……?」
恐る恐る目を開けたナナリー姫は、自分の身体をあちこち見渡します。怪我も火傷も一切ありませんし、どこにも異変は見当たりません。
「まあ、たまにはこんな事もありますよね。……それより、魔王城にお客様用の歯ブラシは置いてあるのでしょうか……」
文字通り我が身に降り注いだ衝撃的事態をアッサリと流したナナリー姫は、引き続きピントのズレた心配へと戻ります。
「……なあ、どう思う?」
「どう、って言われてもな……」
一方のデーモン達は、ナナリー姫の様子を眺めながら真面目に相談をします。
「ここはいっぺん魔力で身体をサーチして、検査しといた方が――」
『ギャオォォオ!? ギャア!!』
「ん? どうしたカオスドラゴン?」
「あー、たぶんビックリしたんだろ」
「ほらほら、落ち付けって」
突然、大騒ぎを始めたカオスドラゴンを、デーモン達はなだめます。四天王の一角ではありますが、普段はみんなのペット的な扱いなのです。
「それよりも、マジで姫さんの検査しとかないか? すぐに地上に降りて――」
「ふははははっ! 無駄話ばっかしてんじゃねえ!」
「いや、お前。だけどよ――」
「ふははははっ! うるせえ、お前らは黙って俺様の後を付いて来りゃ良いんだ
よ!」
『『『…………』』』
『ギャォオ!! ギャオ!!』
まるで空気を読まない代表デーモンの言葉が、その他デーモン達のトサカに来ました。いわゆる、俺達の怒りが有頂天と言う奴です。
分かった、テメエの望み通りにしてやる。
姫にどんな異変が起ころうとも、全無視ぶっこいてこのまま帰ってやる。
でもって、何かあった時は全部テメエのせいって事にするけど、"代表"なんだから当然OKだよな?
「ふははははっ! 分かったようだな! 良ーし、んじゃとっとと帰るぜー!」
よけいな一言で一同ブチ切れ&士気ダダ下がりの惨状に、当の本人だけはまるで気付いておりません。厄介な事に問題のあるリーダーは、自分に問題がある事にまるで無自覚だったりするものです。
『ギャァア!! ギャオォォオ!!』
相変わらずカオスドラゴンは騒ぎ続けますが、それに反応を返す者はおりませ
ん。代表を除く全員が、無言で前進を促すばかりです。
彼が必死に『いやちょっと、さっき姫に宿った光から強烈な神界のオーラ感じたんだけど!! コレ絶対ヤバいよ!!』と訴えているものの、それを理解する者は誰もおりませんでした。




