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第一節の四 私は貴方

 それからは怒涛のように目まぐるしい日々が続いた。

 私たちの主君である信長公を囲む状況は相変わらず厳しいものだった。

 本願寺、比叡山、浅井家、朝倉家と、周囲を敵に囲まれた志賀の陣――それを時のポンコツ将軍足利義昭に斡旋を依頼し和睦に持ち込んだことで最悪の状況をなんとか脱した。

 その後、信長様が岐阜へと帰還できた折に兄は信長公にお目通りかない、正式に森家の家督を継ぐことを許される事となった。そして弟である私には行く行くは小姓として信長公のお側に出仕させる事が命じられたのである。

 そして――

 比叡山焼き討ち、

 武田勢の西上作戦開始、

 松平家の三方ヶ原の戦いと続き、織田家と武田家の全面対決の時が迫る中、状況は甲斐武田信玄公の突然の死去により一変する。

 武田軍が撤退し全ての動きを停止したことで、織田勢は一気に反抗攻勢へと転ずることが可能となったのである。

 まず織田包囲網を形成していた足利義昭を京から追放。

 次に朝倉ねずみを滅ぼし、浅井父子も攻め滅ぼした。

 越前一向一揆を平定し、さらには伊勢長島一向一揆も制圧に成功した。

 さらには長篠の戦いにて武田勝頼を打ち破り、趨勢を決定的な物としたことで、信長公の優勢は疑いようも無いこととなったのである。

 信長公は安土城の築城を決め、家督を長男の信忠様にお譲りになり、それ以後は安土を活動拠点とすることとなるのである。

 

 この頃、私は12歳を数えるようになり元服の時を迎えることとなる。

 それまでは幼名としての蘭法師の名で呼ばれていたが、この時を境に私は新たな名を授かる事となった。

 烏帽子親より烏帽子を受け諱を授かる。これより私は蘭法師から名をあらためた。


――森蘭丸成利――


 それが私の新たなる名であった。

 そして、元服の儀を終えたその日の夜の事、それはついに訪れた。

 私が自らの魂の正体を知った運命の夜である。

 

 

 §     §     §

 

 

 その日はやけに月明かりが輝いている夜だった。

 わずかばかりに漂う夜雲をまとわりつかせた満月が地上を照らしている。障子越しに月明かりが漏れてくる寝所にて、私は深い眠りに落ちていた。

 そして私は夢を見た。

 それはありえない夢だったのだ。

 

「……たし…は……」


――え? 貴方はどなたですか?――

 

「私はあなた」


――えっ? 私は男です。ですが貴方は女性では?――

 

「いいえ、私はあなた、そしてあなたは私の生まれ変わり」


――何をおっしゃっているのですか? ことの仔細が全くわかりません――


「そうよね、理解できないわよね。それは当然の事よ。でもこれだけは理解して」


 私が夢うつつの中で声を交わしている相手の姿は霧の彼方だったが、徐々にその姿を現してくる。

 見慣れぬ異国の服装。南蛮人の異装にも似てなくもない。股の割れていない袴に前合わせの衣の下には白い衣を着ている。髪は長く下げられており束ねられては居ない。その姿、立ち振舞は明らかに女のものであり、男である私とは全く異なるものだ。

 ただ一つ、私と通じているもの。それは彼女が弓を持っていると言う事だった。

 彼女はそれを私へと差し出してくる。


「あなたはある御方をお守りするためにこの世に生を受けたの」


――ある御方?――


「えぇ、とても偉大なお方、そして、とても危なっかしくて何をはじめるのか分からないやんちゃな方」


――あぁ、どなたの事をおっしゃっているのかはよく分かります、織田木瓜を背負い、天下布武を推し進めておられるお方ですね?――


 彼女が言っておられるのは、我らが主君のことだろう。


「えぇ、そうよ。その御方の名は――」


――えぇ、よく存じております――


 そう、その御方の名は【織田右近衛大将信長】、戦乱の世を終わらせ、日の本の国を一つにまとめようとして戦の狼煙を上げ続けている人物だ。だが彼女は憂いたような表情で、こう告げてきたのである。

 

「でも、これだけは覚えておいて。その御方は皆が思っているほどには強くないの。とても繊細で、性根が優しくて、そしてとても不器用なお方」


 それはその通りかもしれない。部下思い、家臣思い、そして領民思い、血気盛んな物言いとは裏腹に弱い者に救いの手を差し伸べる話には暇がない。

 

――えぇ、おっしゃるとおりかもしれません。ですがそれがいかがなさいましたか?――


「今、あの御方には、その真意を心から理解している隣人が誰も居ないの。理解者は次々と倒れていき、見えざる敵がじわじわと増えていく。その中で強い憤りと孤独を抱えながらもがいているの。そしてこれから先、続く困難の中で大きな過ちを犯すことになる。そしていずれは破滅の時をむかえてしまう」


 その言葉とともに彼女は己の手にしていた弓を私へと差し出すべく数歩進み出てきた。私は何の疑念もなくその弓を受け取りつつ彼女の言葉の先を聞き入った。

 

「それを見守り、お諌めし、過ちから救うのは――〝森蘭丸成利〟貴方しか居ないの!」


 そして、その言葉を受け入れるように私は彼女の差し出した〝弓〟を両手で受け取る。

 その時、私の身に起きたのは――

 

「私は貴方、貴方は私――一度死んだ私は時をさかのぼり、私の魂はこの戦国の時代へとたどり着いた。そして、私はあなたへと生まれ変わった。この戦乱の時代の行く末を私は知っているの! あの御方に何が起こるかも知っている! あなたは私の記憶を受け継ぎ、使いこなして、あの御方〝信長様〟をお守りしなければならない」


――眼の前の彼女の記憶が怒涛のように流れ込んできたのだ。

 見知らぬ世界、これから起きるであろう出来事、この日の本の国が置かれている現状、

 あのお方たちの行く末と末路、そして、信長様の運命。それは確固たる現実として私の中へと収まっていったのだ。

 愕然としつつも、私は彼女の言葉の真意が理解できていた。それゆえに思わずこう問い返したのだ。


――私が、上様を?――


「えぇ、そうよ。それは貴方にしか出来ないことなの」


〝私にしか出来ない〟――その意図が痛いほどに理解できる。たしかにそうだ。今、上様ほどに孤独なお立場に置かれてらっしゃる方はおられないだろう。それが、古い慣習を打破すると言う事であり、世の中のことわりを作り変えると言うことなのだ。

 長い戦乱で人の命が簡単に失われる世の中が当然と思っている人々を全否定し、全てを一つにまとめあげねばならない。それが信長様が常々口にしてらっしゃる〝天下布武〟と言うお考えの真意なのだ。それ故、上様に否定された人々は、上様の存在そのものを否定しようとする。上様の家臣となられた御方も、不審を残したままに単に力関係だけを理由に配下として服従している者も居るだろう。

 だが、真に上様のお考えとお心を理解し認めている者たちはどれほど居るだろうか? 真に苦楽を分かち合える――そう言う人々がどれほど居るのだろうか? 考えれば考えるほどに上様の事が不安になってくるのだ。

 

――もし、我が亡父、可成が生きておいででしたら、上様のお心をどれだけお支えできたでしょう――


 その言葉に彼女も頷いていた。

 

「だからこそよ。あなたとあなたのお兄さんが力を合わせて、信長様をお支えしなければならないのよ。あなたのお父上、森可成様と同じくらいに。そして、あのお方を〝癒やして〟あげて」


――癒やす?――


 私が問い返せば、彼女は微笑みながら頷いていた。

 そして私は最後にこう尋ねた。

 

――あなたのお名前をお聞かせください――


「私は〝森口蘭〟――、あなたの前世――」


 そしてもう一つわかったことがある。

 

――仔細、承りました――


 時の彼方で、彼女も信長様をお慕いあげて居たのだということを。

 そして、彼女の姿は霧の中にて霧散するかのように静かに消えていく。否、消えていない。

 私は彼女、彼女は私なのだから。

 

 それから程なくして私は目覚めることとなるのである。

 

 

 §     §     §

 

 

「はっ――?」


 目を開けば自分がただならぬ程の寝汗をかいていたことがわかった。そして、克明に脳裏に刻み込んでいる事がある。

 

「夢ではないのか?」


 自分が何者で、どこからきて、そしてこれから何を成すべきなのか?

 嫌という程に鮮明に思い出せるのだ。でも――

 

「こんな事、信じる人は居ないですよ」


――最大級の困惑を抱えながらため息をつく私だった。これから先のことを思うと、不安が沸き起こってくる。

 私ごときに何ができるのだろうか? そう思わずにはいられないのだ。


 私の主君の〝破滅〟を防ぐ――

 そんな大それた事が、まだ小姓にすらなっていない弱卒の身の上でなにができるというのだろうか?

 迷いと不安と困惑は、どこまでも私を包み込むのだ。

 

「はぁ――」


 再びため息を吐いたときだった。

 

「え?」


 私は自らの身体に違和感を感じていた。それも股の間に――

 

「何が――」


 布団をめくり寝間着の裾をめくる。するとそこには――

 

「な、なんで?」


 私はそれ以上の声を上げることが出来なかった。

 なぜならそこには〝女性の月の物〟があったからだ。

 寝間着の下に素肌に直につけた男性物の下履き――それがうっすらと血で汚れていたのだ。

 

 私、森蘭丸は、二重の意味で、愕然とさせられたのである。

 

 私の身に何が起こっているのだろう?


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