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第一節の参 宇佐山 ~父の武名~

蘭丸の父、可成、その生き様とは――

 それは早めの夕餉を終えて寝支度を始めようかと言う頃であった。すでに日は沈み夜の帳が降り始めている。

 その薄明かりの地平を駆け抜けてきた1人の武者がいる。簡素な胴巻鎧姿のその物は髪をざんばらなままに泥まみれで返り血も浴びている。その者が戦場から参ったであろうことはすぐに見てとれた。

 その者の来訪を受けて下男や侍女たちが母や私たちを呼びに来る。

 

「すぐまいります」


 寝所にて軍学書を見ていた私だったが、何事かと思い、すぐに玄関へと向かった。

 胸騒ぎは止むこと無く不吉な予感だけが脳裏をかすめていた。玄関にはすでに母と兄が駆けつけている。私は兄に声をかけた。

 

「兄上! 何ごとですか?!」

「蘭丸か? 伝令じゃ、父の宇佐山から参ったそうじゃ」

「宇佐山から?」


 父が守っていた宇佐山、そこからこの様な姿の者が使わされたのだ、ただごとであろうはずがない。

 傍らの母が進み出て伝令の者に声を掛ける。低めの落ち着いた声が、母自身が意図して自らを落ち着けさせようとしているのがよく分かる声だった。

 

「何事ですか?」


 母の発した問いかけは簡素だった。伝令は宅内に入るなり玄関の土間で崩れるように両膝を突いて突っ伏しそうになる。休まずにここまで駆け抜けてきたのだろう。だが私たちを前に礼儀だけは失する事だけはあってはならぬと最後の踏ん張りを見せていた。

 右膝だけをついて上体を起こしたままで見上げるように私たちを一瞥してから母おえいへと視線を向ける。そして荒い息を整えながらゆっくりと言い放ったのである。

 

「お気をしっかりとお持ちになり、お聞きくださいませ」


――お気をしっかりと――、その言い回しに強い不安がよぎった。

 私も兄も母もその言葉に頷き返す。伝令の者は私たちの仕草を確かめつつ、声を震わせながら嗚咽をこらえてこう告げたのだ。

 

「森三左衛門可成様! お討ち死にあそばされましたぁっ!!」


 兄が蒼白な顔で立っている。

 母は思わず両手でその口元を覆って目を見開いている。

 侍女たちが母に寄り添い様子をうかがい、下男やこの場に居合わせた下級の者たちは一様に驚きを隠せないでいた。

 ただ不思議と私だけが奇妙なまでに冷静にその言葉を聞き入っていた。何を言われているのか言葉は理解できても、心根がそれを理解するのを拒んでいる。そんな有り様である。

 兄が数歩進み出て怒声をあげる。

 

「嘘を申すなあぁっ!!」


 嗚咽がかすかににじみ出ている。だがそれに対して返された言葉も涙混じりである。

 

「嘘ではございません! 誠にてございます!」


 それが母の緊張の糸を切ってしまったらしい、膝から崩れ落ちその場に突っ伏してしまう。


「わぁ……あぁああああっ……」


 母おえいの慟哭の声が響く。兄は正気を逸しそうになり今にも斬りかからん勢いである。そんな折に私が進み出て、落ち着きはらった声でそっと問いかけたのだ。

 

「父は――三左衛門様は、いかなる最後であったか、教えてくれぬか?」


 私も本当のことを言えば、今にも気を失いそうだった。だがそれだけはしてはならぬと、父の声がどこからか聴こえたような気がするのだ。両足と下腹に力を込めてすっくと立ち伝令の者に声をかければ、伝令は声の調子を整え直しながらこう答え始めたのだ。

 

「お父君は浅井朝倉本隊三万の進軍の報をお聞きになり、宇佐山の城をお出になられて坂本の地の街道筋に陣をお張りになられました」

「さ、三万?」


 思わず声を発した兄長可に伝令の者は頷き返した。

 

「はい――、ですが三左衛門様は、ここで敵方の進軍をゆるしてしまえば――、織田本隊、ひいては我らが主君織田上総介様のお命が危ないとお考えになり、自らが盾となられるお覚悟で千程の寡兵にてご出陣あそばされました」


 三万の兵――それに対して宇佐山に控えている兵の数はたかがしれている。それに対して父が率いたのはわずかに一千、それだけでもいかに絶望的かがよくわかった。さしもの兄も二の句がつげずにいる。

 

「三左衛門様の獅子奮迅の働きにより一度は浅井朝倉の手の者たちを押し戻したものの、日を開けてさらに兵の数が膨らんだ浅井朝倉勢を相手に終日勇猛なる槍働きになられるも、日没と同時に力尽き、ついに無念にも討ち取られましたよしにございます!」


 伝令の者も泣き叫びたい思いをこらえてここまで駆けつけてきたのだ。我らが父、森三左衛門可成の最後をしかと伝えるために。その役目を半ば終えたところで、この者も両ひざからがっくりと崩れ落ちたのである。そしてその双眸から落涙すると慟哭にて詫始めたのである。

 

「申し訳ございませんっ!」


 無論、この者には罪はない。責める謂れもない。私は土間へと降りて片膝を突いて目線を下ろすとそっと問いかけた。なんとしても聞いておきたい事があったのである。伝令の者の肩に右手をそっと添えるとこう問いかける。

 

「して、宇佐山城はどうなされましたか?」


 私の問いに伝令の者の顔がハッとなる。顔を振り上げ片膝を突き直すと毅然とした己を取り戻して力強く告げはじめた。

 

「お父君がご拝領なられました宇佐山は、残された一千の将兵が一丸と成り、浅井朝倉勢の攻撃をことごとく退け! 織田本隊到着の報あるまで守りきりました! 城は落とされておりません!」


 それが最も重要な報であった。なぜなら――


「ならば――」


 わたしは大きく息を吸う。そしてゆっくりと気持ちを落ち着けながら言葉を吐く。


「我らが父、三左衛門の武名は守られたのですね?」


 そしてそれこそが私がもっとも確かめたい事実だったのである。


「はい! 三左衛門様の誉れ! 末代まで語り継がれるでありましょう!」

「そうですか――」


 私は安堵するように軽く息を吸い込むとしっかりと、その伝令の者に対してこうつげたのだ。


「それは良かった」


 その言葉を耳にして、伝令の者は目を見開いて私の顔を見つめ返していた。私は彼に畳み掛けるようにこう言い放ったのだ


「父の槍が無駄にならずに済みました。まことにありがとうございました」


 そして私は眼前の伝令の者に深々と頭を下げる。それが父可成の意志と武名を守りきってくれた者たちへの当然の礼儀なのだから。

 

「蘭法師様――?」


 伝令の者は何を言われたのかすぐには理解できなかったのかもしれない。だが私の言葉の真意が理解できるに従い、彼は両膝を突いて両手を突き、地面に額を擦り付ける勢いで平身低頭で声を発した。

 

「もったいなきお言葉、誠にありがとうざいます! 宇佐山の二千の将兵に成り代わりお礼申しあげます! 此度の戦にて力尽きた者たちも浮かばましょう!」


 それは慟哭に等しい感謝の言葉であった。

 負けは負け、戦の指揮を執るべき指揮官は討ち取られたのだ。ましてや半数近くが討ち取られたのだ。進軍を停めたとはい言えど、その無念さ悔しさはいかほどのものだっただろうか? そう思わずにはいられないのだ。

 

「お顔をお上げください。それとお疲れのことでございましょう。道中の汚れをお落としください」


 私がそこまで声を吐けば、兄も今なすべきことを思い出したのだろう。その場に居合わせた侍女にこう命じたのだ。

 

「この者を別室にて休ませてくれ。我が父の最後を知らせてくれた大切な客人だ」

「はい――」


 返答を返して、侍女は伝令の者を別の場へと連れて行った。鎧を脱がせ汚れを落としてもらうためである。

 兄はさらに命じる。母おえいに寄り添っていた侍女たちにこう告げるのだ。

 

「母をご寝所にお連れいたせ。気持ちが落ち着くように白湯でもだしてやってくれ」

「はい、承知しました」


 侍女たちが返答し、母おえいに語りかける。

 

「おえい様、さ、まいりましょう」


 涙顔で突っ伏していた母は、半ば茫然自失の体で侍女たちに促されながらその場から立ち去っていったのである。残る下男や父の留守居の家臣たちにも兄は告げる。

 

「上様のお城から急な知らせがまたくるやもしれん。お主たちはいつでも動けるように待機してくれ。それと3人ほど支度をしてくれ。父が討たれ、兄も居らぬようなった今、家督を継ぐのは私と言うことになる。明日の朝早々に岐阜の城に出向いて家督継承の許しを得ねばならんからな」

「はっ!」

「では頼むぞ」


 当主の訃報を聞きつけるのもすぐにお家の対外的な事をこなさねばならないのは当然の事だ。我が兄のその毅然とした立ち振舞にはすでに家督を継いだ者としての威厳のようなものがにじみ出ていたのである。家臣たちや下男たちもすぐに動きはじめる。兄も支度を始めるだろう。

 すべての人々がそれぞれに動いたその後、そこに残されたのは私と兄の二人だけである。

 冷静とも呆然ともつかぬ風に佇む私を見下ろすようにしていた兄長可だったが、兄は片膝を突いて目線を下ろすと、私の顔を覗き込むようにしてこう問いかけてくる。

 

「蘭丸」

「はい、兄上」


 兄は私の肩にそっと手を触れる。

 

「大丈夫か?」

「――はい、蘭丸は泣きませぬ。兄が城に行かれるのであれば、留守居は三男の私の役目にございます。泣いている場合ではありませぬ」

「そうか――、だがな蘭丸よ」

「はい」


 何時になく兄は優しく穏やかに語りかけてくる。

 

「ここには兄とお主の二人しか居らぬ。誰の目をはばかる事もない。誰に咎められる事もないのだ。泣いてよいのだぞ?」


 その言葉に私は思わず唇を噛んだ。涙が出そうになる事をこらえてしまう。それが亡き父可成から生前に何度も教えられたことの一つだからだ。すなわち――〝人前では泣いてはならぬ〟と――

 兄長可も私が本心と父の教えとの狭間で迷っている事を察したのだろう。わずかばかりの沈黙の後にこう畳み掛けてきたのだ。

 

「そう言えば、父から弓を教えてもらう約束、まだ半ばであったな」

「はい――」

「兄が教えてやる」

「――」

「この兄が父上の分も教えてやる! 必ず!」

 

 その言葉とともに兄の手が私の両手をしっかりと握っていた。そして私を引き寄せると抱きしめながらこう詫始めたのだ。

 

「先程はすまぬ! 私が言わねばならぬ事をお主に言わせてしまった。本当にすまぬ!」


 もう限界だった。これ以上こらえることは無理だった。堰を切ったように私の中から慟哭があふれだしたのである。

 

「うっ……ううっ……うわぁああっ!」


 私は兄の胸にすがりながらいつまでも泣き続けた。兄長可はそんな私を、亡き父可成の様に強く優しくいつまでも抱きしめてくれたのである。


 その夜、私はまんじりともせずに夜を迎えることとなる。気分収まらず眠れない夜を送ることとなる。

 半分寝て半分起きている感覚の中、現とも夢とも取れぬ光景を私はその脳裏の中で眺めていた。 

 父を亡くしたと言う事実を自らの中で受け入れられなかったのではない。それとは別な奇妙な認識に襲われていたのだ。

 それはすなわち――

 

――父を亡くすと言う事が以前にもあったような感覚であった――


 お役目のために、そして家族のために、忙しく働く父、

 有能であり、周囲の人望も厚かった父、

 そして勢い盛んな時期に不運に見舞われ、志半ばで倒れた父、

 それらが二度目のような気がしてならないのだ。

 

――これは誰の記憶だろう?――


 わからない。私の記憶では無いのだろうか?

 

――貴方は誰ですか?――


 このもう一人の父とは誰なのだろうか?

 そして――

 

――その父に抱きしめられている貴方は誰なのですか?――


 誰だろう? もう一人の私だろうか?

 あなた達は誰なのですか?


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