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第一節の弐 わが父、森可成

連続投稿の3つ目です

お父上のほかにも一人出てきます!


 そして月日はまたたく間に流れてゆく。

 父は主君である信長公をお助けしながら各地を転戦していた。

 美濃攻略に始まり、北伊勢の平定、

 足利義昭公を擁しての上洛作戦の開始、

 三好三人衆を京中から追い払い、松永久秀を配下に置いて、ついには畿内の地を抑え上洛――

 

 私の父可成はそれらの多忙な毎日を縫うようにして、私たち兄弟の暮らす葉栗郡の蓮台の地へと足を運んでくれた。

 特に自らの嫡男に対しては武家の将来を担う者として、自ら率先して武術の稽古をつけることもあったのだ。

 父可成は槍の名手である。特に十文字槍と呼ばれる十字型の刃を持つ槍については右に出るものがないと言われるほどに部芸達者であった。その才覚は私の二人の兄に受け継がれており、特に次男である長可には色濃く受け継がれていた。それも弟である私の目から見ても眩しいばかりに――

 

 その日も私は兄と槍の稽古に励んでいた。

 とは言え、いきなり刃の付いた本物を振るうわけにもいかないので、木の棒の先に布製の包を付けた『たんぽ槍』と呼ばれる物を練習用に用いていた。私は兄長可の見守る中、年頃同じ頃の小姓と共に槍の稽古をしていたのであった。

  

「えい! えい! えい! ええい!」


 私たちは掛け声を上げながら、槍の素振りの練習をしていた。それを離れた位置で見守るのが兄長可――

 家族思いで情の深い兄だったが、その深い情が時々困った方向へを向いてしまう事があるのが玉に瑕であった。

 その兄が声をかけてくる。

 

「止め!」


 その声とともに私たちは槍を振るう手を止める。

 

「蘭丸、来い。他の者は休め」


 兄の声に一礼して私以外のものは後方へと下がった。休めと言われても休憩のことではない、片膝を突いて背後に控え、いつでも出れるように待機しているのだ。私は槍を手にしたまま兄の下へと進み出る。兄が私に個別に稽古をつけるつもりなのだ。

 兄長可や私より7つ年上だ。時折、父に帯同して戦場にも出ている。その勇猛な武名は早くも語りぐさになっているほどだ。

 

「お願いします!」


 私は小柄な体のまま懸命に槍を構える。そして兄は言う。

 

「参れ」


 その言葉がきっかけだった。

 

「いやぁああ!」


 懸命に奇声を発して数歩進み出る。そして兄の胸元を狙い槍の切っ先を突き出す。

 だが兄も慣れたもので、手元の僅かな操作で槍の穂先を大きく動かすと私の槍を弾いてしまう。そしてガラ空きになった空間に槍を突き出してくる。それはこれまでの稽古でよく分かっている。


「ふんっ!」


 兄の槍が突き出される。それを私も槍をわずかに横薙ぎにして払いつつ斜め後方へと退く。返す動きで後ろ足を踏ん張り、脇に回り込む動きで兄の胸元を狙う。だが兄も慣れたものだ。

 

「甘い!」


 兄は槍の穂先を持ち上げると、槍の根本の反対側である石突を跳ね上げてくる。そしてあっさりと私のやりの穂先を打ち払ったのだ。

 ここですかさず上から振り下ろすように槍の穂先を撃ち込まれるはずだ。それを先読みして槍の根本を起こして槍を上方へと構えようとする。だがそれも兄の読みのウチだった。

 

「だから甘いと言うておる!」


 兄は軽い笑い声を上げながらさらなる攻撃を加えた。一度打ち込んできた石突の側を更に振り上げて私の手元を狙ってきた。そして槍を弾き飛ばすと私から槍を奪い取ったのだ。

 

「あっ!」


 そして返す動きで今度こそ兄は私の頭上に槍の穂先を振り下ろしてきたのだ。

 打たれる! そう思った時に思わず目をつむってしまう。だがそこに兄の優しい声が響いたのだ。

 

「もらった」


 戦場では勇猛すぎるほどに勇猛な兄だったが、すぐ下の弟である私には優しい兄であった。

 払われた槍を拾いつつ兄の前に対峙して頭を垂れると礼を述べる。

 

「まいりました!」


 頭を上げて兄長可の顔を見つめれば兄は笑いながら告げた。

 

「腕を上げたな。蘭丸」

「ありがとうございます!」

「前はすぐに槍を払われていたが、此度は持ちこたえるようになったではないか。稽古を重ねれば俺や父のようになれるであろう。それまでは修練だな」

「はい」


 兄の言葉がある種の世辞である事は解っていた。他の者と比べても槍の腕前が劣っているのは兄自身も知っているのだ。だが戦のために多忙な父に代わって兄は私を鍛えると心に決めていた。それ故の厳しさであり励ましなのだ。

 その時、私たちにかけられる声がある。

 

「ほう、槍稽古か。精が出るのう」


 その声の主の方へと皆が視線を向ける。

 

「父上!」

「お父上様」


 兄と私の声がする。この場に控えていた小姓たちも立ち上がり頭を下げて一礼する。その声の主は私たちの父である可成であった。

 

「皆、鍛錬を怠らぬようでなによりじゃな。勝蔵も稽古役ご苦労」


 勝蔵――兄長可の別名である。父が普段は三左衛門と呼ばれているのと同じである。


「はっ」

「あとでお主にも稽古をつけてやろう。また戦場(いくさば)へと出るであろうからな」


 戦場――その言葉が出ると兄長可の顔が色めき立った。その変化を見て父は兄に告げた。

 

「こらこら、お主が血気盛んなのはわかるが、勇猛なだけでは武士は務まらんぞ? (まつりごと)への才覚も養わんとな」

「はい!」

「ではあとでお主の腕前を見せてもらうぞ」


 そして父は私へと視線をむける。

 

「さて、蘭法師よ」

「はい、父上」

「相変わらず体が槍についていっておらぬな。お主が槍を振り回すのではなく槍に振り回されてるようじゃ」

「はい。お恥ずかしい限りでございます」

「だがな蘭法師よ」

 

 思わぬ低評価に私はどうしても消沈してしまう。だが父は言葉を続けた。

 

「人より遅れているからと諦めてはならんぞ? 稽古と鍛錬を重ねればお主とて立派な武者として槍を振るう時が来るであろう。まずは体を鍛えることじゃ。まずはそこから始めよ。よいな?」

「はい!」


 父可成はこう言う人であった。相手を嗜めるときも決して叱責一方にはならない。相手の心情をすくい取り励ましてくれるのだ。勇猛な荒武者である一方で、こう言う細やかな心遣いの出来る大人であったのだ。そして父は更に問うてきた。

 

「時に蘭法師よ。勝蔵から文にて聞き及んだのだが、お主、弓も覚えたそうであるな」

「はい、父上。槍以外にも技を身に着けたいと思いまして」

「そうか、良いことじゃ。して腕前の方はどうであるかの? 父に見せてくれるか?」

「はい! もちろんでございます!」


 実を言うと槍では兄に敵わないが、弓では負けるつもりは毛頭なかったのだ。不思議と弓だけは得意だ――と思えて仕方がなかったのである。

 

「そうか、では付いてまいれ」

「はっ!」


 父に声を返すと、皆で揃って場所を移す。屋敷の別な場所に弓の的が据えられているのだ。

 藁を束ねて俵のようにしたもので『巻藁』と呼ばれるものだ。それを前にして父は私に告げた。

 

「さて、あれを射ってみよ」


 皆が見守る中、私は進み出て父に答える。


「はい」


 用意されていた弓を手に矢束の立てられた矢立から矢を一つ取り出す。子供の小柄な体ながら私は射場に立つと弓を左手に構えていた。

 父が腕を組み、その隣で兄が見守っている。その視線を背中に感じながら私は矢を弦にかけて弦を引き絞っていった。

 沈黙が支配する中、呼吸を整えながら狙いを定める。私の意識はただひたすらに眼前の的へと注がれていた。

 そして、矢をつがえた右手を緩めて弦を開放する。そののちに弦と弓は甲高い音を立てて矢を射ち放つ。

 

――カァンッ!――


 弓の弦が甲高い音をたてる。然る後に私が放った矢は的である巻藁の真芯を捉えていたのである。

 

――ドッ!――


 矢が深々と的を射る音が響く。それを耳にして父はこう声を上げたのである。


「見事! よう射抜いた!」

 

 父の言葉にそちらを向いて深々と頭を下げる。そんな私に父は言葉を投げかける。

 

「蘭法師よ。後で父がお主に弓を稽古してやろう。お主も腕を磨け。よいな?」


 それは父が私の弓の腕を評価してくれた事の現れであった。私は父に答え返す。

 

「ありがとうございます!」


 それからしばらくの間、私と父の夢のような日々が流れていったのである。

 

 

 §     §     §



 それから後に父は宇佐山の地を守るように命じられた。

 新たに城を築き、京の地の入り口の要衝である宇佐山に鉄壁の守りを築くように求められたのである。

 状況を整理すれば、まだ織田家は安泰ではなかった。室町将軍が画策した包囲網は健在であり、織田家から離反した浅井長政も朝倉のネズミ男と結託して織田家の背後を突かんと虎視眈々として狙っているのである。

 そのような急峻の地を守ることを命じられるということはそれだけ信頼を受けていると言う事であり、織田家家臣としてはこの上ない誉れであるのだ。

 私も兄もそんな父の姿を誇らしげに見送ることとなった。

 

「武運をお祈りしております!」

「父上、ご武運を!」

「うむ、お主らも留守居を頼むぞ。お家と母上をよしなにな」

「はい!」


 兄と二人で父と言葉をかわしながら見送る。何度も見送った後ろ姿のはずなのにその日はやけにその後姿が遠く感じられたのだ。

 嫌な予感がする。

 その不吉な感じは二度に渡って的中することになったのだ。


 まずは、一番上の兄である森傅兵衛可隆が、主君信長公の朝倉若狭攻め一環である手筒山城攻めの初陣のさいに、敵陣に深入りしすぎて討ち取られる事件が起きた。これにより父可成から森家を継承する役目は私の兄長可の役目となる。そののち石山本願寺が織田家に反旗を翻し、これにより石山合戦が勃発。織田家を囲む状況はさらに悪化の一途をたどることとなる。

 そして、織田家が恐れていたことがついに起こる。

 京の地で三好勢と戦っていた織田軍の背後を突こうと、あの越前のねずみ男の朝倉と、うらぎりの肥満男の浅井が、連合軍を組んで京へと進軍してきたのである。

 その進軍登城にあるのは――

 

――我が父の守る〝宇佐山城〟なのである――


 浅井朝倉連合軍の総数は3万、

 対して我が父宇佐山城の総数2千、

 余りにも圧倒的な戦力差であり絶望的だったと言っていい。

 だが――

 私の父可成は武将であった。そして信長公に忠烈を誓う忠臣であった。

 私と兄は父の生きざまを知ることとなるのである。


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