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第一節の初 蘭法師、しるしを持つ赤子

2話一挙公開です!


いよいよあの子が産まれます

 尾張葉栗郡蓮台――

 そこには一人の武将が館を構えていた。

 今の愛知県の北西に位置する葉栗郡蓮台、そこはのちに前右府の官位で呼ばれる事となる英傑に使えた名将が、居を構えた場所であった。武将の名は森可成――、攻めの三左の異名を持つ武名高き戦国武将である。

 時に永禄8年、物語はここからはじまる。

 

 

 

 §     §     §




 葉栗郡蓮台に居を構えた広い武家屋敷があった。その一角にて書斎にて筆を執る人物が居た。それが私の父である森三左衛門可成であった。主君である織田上総介信長が美濃攻略に邁進している中、急峻の地である尾張金山城を与えられ、これを守りながら主君信長公の命に従い各地を転戦していたのだから誠に多忙というより他はなかった。

 だがそれでも父は家族思いだった。多忙な合間を縫いながら母であるおえいの方を大切に思い、そして母との間に授かった子供らを事の他大切に思っていた。武勇にして慈愛に満ちた男、それが私の父であった。

 その日は主君である信長公に拝謁し軍議や評定をこなした後の僅かな時を縫っての帰参であった。そして自らの書斎にて知人へと文をしたためていた時である。

 

「お館さま」


 襖の向こうから声がする。父は声を返した。

 

「入れ」


 声に応じてふすまが静かに開けられる。その向こうから姿を表したのは少し歳を召した妙齢の侍女である。

 

「お子様がお生まれになられました」

「産まれた?」

「はい。今朝ほどにお生まれになられましたが、ようやくお子様もおえい様も落ち着きになられました」


 父の問い返しに老いた侍女は笑みを浮かべながら答える。

 

「今ならお子様の顔を見ることもできるでしょう」

「そうか、しておえいの様子は?」

「はい、安らかにお生みになられましてさしてお疲れでない御様子。今はお子様と共にお休みになられておいでです」

「そうか、先のお産の折りは難産であったから、此度もそうではないかと気がかりでのう。此度の子は生まれる前から親思いのようだのう」

「はい、子を取り上げた産婆も感心して居られました。お館さまもお子様のお顔をご覧になられますか?」

「無論じゃ。おえいを労ってやりたいしのう」

「かしこまりました」


 父の言葉に妻である母を思う愛妻家の心性がにじみ出ている。そして老侍女は、両手をついてうやうやしく頭を垂れてふすまを閉じる。そして父可成は書斎をあとにする。向かうは私の母であるいおえいの寝所である。


 広い館の中を歩いて母おえいが体を休めている寝所へと父可成は姿を現す。父の先を小姓が歩きふすまを先に開ける。そして中へと入れば数人の侍女が産後の母の世話をするために控えているところであった。

 

「おえい」


 父は母の寝所へと入るなり声を掛ける。その視線の先には真っ白な寝具の中でその小柄な体を横たえる1人の女性がいる。父森可成の正室にして私の母であるおえいの方である。

 元は信長公の正室である濃姫様のお付きの侍女として美濃から移ってきた女性であった。それがその勤勉さが信長公の目に止まり、当時まだ妻帯していなかった父可成の妻へと縁組がなされ、森家へと嫁いできた身の上である。

 侍女という低い身分の出であるがゆえに苦労も多かったが、何かと気持ちの行き届く細やかな人柄であり、父が母の性根に魅了されるにはさしたる時間はかからなかったらしい。父が母をどれだけ愛していたかは6男3女と言う子沢山がすべてを物語っている。

 父可成に声をかけられて、母おえいはそっと顔を向けながら言葉を返した。

 

「三左衛門様」

「よい、無理に体を動かすな」

「もうしわけございません」

「よいよい。大任を果たしたあとじゃ、存分に休むがよい」

「お優しいお言葉、痛み入ります」


 そう答えつつも母の顔はどこか嬉しそうである。そして父は母と赤子が身を横たえている寝具の側へとあぐらをかいて腰を下ろす。その視線は母の傍らにて健やかに寝息を立てている1人の赤子へと向けられていた。

 

「この子か」

「はい、とてもおとなしく静かな子でして、いつの間にか産まれていた有り様で」

「次男坊の勝蔵のときとは偉い違いだのう。あの時は一晩かかったと聞いておる」

「はい、先の子は産声も館の外に聞こえるほどでした。ですがこの子は驚くほどに泣きませぬ」

「そんなにか?」

「はい」


 二人がそこまで言葉をかわした時、先程の老侍女が言葉をはさんでくる。

 

「奥方様がお休みのうちは、決してお泣きにならないのですよ。そして奥方様がお目覚めになられると泣かれるのです。まるで自らの母上様のお具合がおわかりのように」

「それは気の利く子だのう。きっと利発で気配りの利く者に育つであろう」


 老侍女の言葉に父可成は相好をくずしながら私を褒めそやしていた。だがそこに母が問いかける。

 

「ですが、この戦の世です。大人しゅうすぎては武将の子息が務まりますでしょうか?」


 それはもっともな不安だった。武勇が振るわなければ戦場にて命を落とすことがありえるのだ。だがそんな不安ごとを笑い飛ばすかのように父は言い諭す。

 

「武勇と腕っぷしだけで生きていける世の中ではない。我らが上様も武勇と才知が共に備わっているからこそ、勝ち続け、生き延びてこられたのだ。それにだ。竹中の半兵衛殿の話はお主も聞き及んでおるであろう?」

「はい、羽柴様の与力になられたお方でたいそうに知恵が回るとか」

「うむ。あの御仁の様に才智鋭く物事の裏を見通すようであればそれだけでも上様のお力になれれるのだ。それに腕っぷしだけで突っ込んで猪武者と陰口を叩かれるようでも困るしのう」

「はい。それでは命がいくつあってもたりぬでしょうし」


 父の言葉に母は満足気に頷くと顔をさらに動かしてすぐとなりで寝息をたてている私へと視線を投げかけてきた。

 

「この子には二人の兄たちと共に手を携えて健やかに生きて貰いとうございます」


 母がそう声をかけたときだった。

 〝私〟は薄っすらと目を開ける。そしてまだ眼力備わっていない幼い目で見慣れぬ武人をその視界に捉えたのだ。

 

「あーー」


 それはまるで挨拶を交わすよう。言葉にならない声で〝はじめまして〟と言っているかのようだった。そして私はその顔に精一杯の笑顔を浮かべてみせる。そこには戸惑いも怯えもない。ただ素直な好意と憧憬が映し出されていた。

 

「あら、貴方様の顔を見て笑って居られますわ」

「ほう? 儂を見て泣かぬか! よい子じゃ」


 そう父が笑うと老侍女が進み出て私を母の寝具から拾い上げてくれる。そして真っ白な衣に包まれた私をそっと持ち上げると、父可成の胸元へと運んでいったのである。

 

「さ、お抱きください」

「おお、流石に小さいのう。壊れてしまいそうじゃ」


 そう言いながら父は嬉しそうに私を抱いた。赤子の繊細さを知っているかのように、まだ不安定に座っていない頭をそっと支えながら私の体を抱きしめてくれたのだ。私は見ていた。この文武両道で性根優しい戦国武者を。

 森三左衛門可成――

 それが私の尊敬する父の名であった。その畏敬の念が、幼い目を通じて父にも届いていたのかもしれない。

 

「ほう? 力強い目をしておるのう! 強い子じゃ! 心と肝の強さが伝わってくるわい! おえい! この子も強い武者に育つぞ?」

「そうですか? それを聞いて安心致しました」


 父の言葉に母が安堵する。その笑顔を眺めながら父はある事を告げる。

 

「そうじゃ、名を決めねばな」

「良き名があればよいのですが」

「そうじゃな――」


 父はそこで思案する。そして僅かな沈黙の後にこう口を開いたのだ。

 

「蘭――、蘭法師と言うのはどうじゃ?」

「まぁ、良き名ですこと」

「そうであろう。では――」


 そして父は私に問いかけてくる。力強くも優しい声で。

 

「お主の名は蘭法師じゃ」


 正しくは命名の儀をもって蘭法師となるのだろうが、父と母にとっては私はすでに蘭法師なのだろう。そして私もその名前がたいそう気に入ったらしい。

 

「あーうー」


 言葉にならない声をあげながら精一杯に笑っている。

 

「この子も名前が気に入ったようで」

「そのようじゃな」


 父は満足気に頷きながら私を老侍女へとそっと返す。

 

「あまり長居してもまずいであろう、今はゆっくり休め。よいな?」

「はい」


 父の言葉に母が頷く。そして父は皆にも告げた。

 

「皆も大儀であった」


 父の言葉にその場の侍女たちが両手をついて頭を垂れる。そして父は立ち上がる。

 

「あとは任せたぞ」

「かしこまりましてございます」


 父の言葉に老侍女は丁寧に両手をついて頭をたれて礼儀を現す。それを横目で見守りながら父可成は母の寝所から立ち去っていったのである。

 

 

 §     §     §

 


 そしてそれから数日がたった時だ。

 日が沈む頃、夕餉を終え書斎にて書状をしたためている父へと声をかける者があった。

 

「誰ぞ?」

「私めにございます」


 声の主は母の世話をする老侍女であった。

 

「何用じゃ」


 襖の向こうからの声に父は訝しげに問うていた。だがそれに対して帰ってきた言葉は簡素ながら真剣だった。


「奥方様とお殿様のお耳にお入れしておきたいことが」

「かような夜にか?」

「はい」

「人払いは?」

「必要に存じます」

「心得た、すぐに行く故、待っておれ」

「承知いたしました」


 襖の向こうからその声を残して老侍女は立ち去った。その気配を察して父は筆を硯へと置き、大きく吐息を吐く。

 

「何用ぞ、このような夜更けに」


 初めて我が子を抱いたときとは事の雰囲気が明らかに違う。不安げな心持ちを胸中に抱きながら父可成は母の寝所へと向かったのである。

 父のあとを小姓がついてくる。そして母の寝所のふすまを開けた後に父はその小姓に命じる。

 

「お前は下がっておれ、ワシが良いと言うまで誰も近づけるな」

「はっ」


 小気味よく返答しながらその若い小姓は去っていく。そして母の寝所の中へと入れば、そこに居たのは寝具に横たわる母おえいと〝私〟と、そして老侍女だけであった。

 

「参ったぞ」

「ご足労、ご苦労さまにございます」


 返礼する老侍女の言葉に答えるのももどかしそうに父は座に腰を下ろすなりといかける。

 

「して、話とはなんぞ」

「はい」


 老侍女は答えながらおえいの隣にて寝息を立てていた〝私〟をそっと抱き上げる。

 母の寝具の隣にはもう一つ小さめの寝布団が敷かれている。その上に私を横たえながら老侍女はこう告げたのだ。

 

「蘭法師様のお体のことについてございます」

「蘭法師の体だと?」

「さようでございます」


 その言葉を聞いた母はお産にて疲れ果てている体を起こそうとする。父は思わず身を乗り出し母おえいの体を抱き起こしてやった。

 

「大丈夫か?」

「はい」


 質素なやり取りの後に母が老侍女に問いかけた。

 

「蘭法師の体になにか?」


 老侍女は真剣な面持ちで〝私〟の赤子の寝間着の裾をめくると腰に巻かれたおしめを外していく。そして私の体のある部分を父と母に見せたのだ。

 

「コレをご覧ください」

「むう?」


 父がいぶかしげに声を上げる。そして私の赤子の体を凝視しながらつぶやいたのだ。

 

「なんだ、立派な男ではないか――だが、ちと変であるな」

「――なんと」


 父も母もなにかに気づいたらしい。老侍女は告げた。

 

「お気づきになられましたか?」

「うむ。――して蘭法師をとりあげた産婆はなにか言うて居られたか?」

「はい、私めだけに教えてくださいましたが、産婆様も初めて見るとのこと、できれば名のあるお医者様に見てもらったほうが懸命かとおっしゃられておられました。ですが、なんでも産婆様の話では生まれつき人とは違う体をしている赤子が稀に生まれるとのこと。その子自身が難儀をする事になられるから、くれぐれも大切に育てるようにとおっしゃられておられました」

「左様であるか」


 そして父可成は母と視線をあわせつつ告げる。

 

「甲斐武田の地から流れてきた腕のいい医師を知っておる。織田家中の諸将の中には怪我や病の治療を見てもろうた者もおってな。産婆が知らぬことでもなんぞや知っておるかもしれん。明日にでも診察を頼む書状を出そう」

「かしこまりましてございます」

「儂はじきに上様の城へ行かねばならん。何か仔細あれば文にて知らせよ」

「承知いたしました」


 老侍女は深々と頭を垂れて答えた。そして父は母に告げる。

 

「おえい」

「はい」

「お主も不安であろうが、この者と共にようくお医者様に相談いたせ。それとくれぐれも無理をせぬようにな」


 そう問いかけながら父は母を寝具へと横たえさせる。そして、私・蘭法師の寝間着を正しながら母の隣へと寝かせようとしてる老侍女へとこう告げる。


「おえいと蘭法師の世話は任せた。くれぐれも頼むぞ」

「かしこまりましてございます。先程のお医者様の件、よしなにお願い申し上げます」

「うむ」


 そして自ら襖を開けて廊下へと出ていく。

 

「では頼むぞ」


 そう言い残す父の背中に老侍女はうやうやしく頭を下げて伏していた。

 そして母の寝所から離れて自らの部屋へと戻っていく。

 

「さて、どのような若武者にそだつのであろうか」


 そのつぶやく声は嬉しそうでもあり、憂いているようにも聞こえる。父がそのどちらの心持であったかは、知る良しも無かった。


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