プロローグ ―森口蘭の終わり―
ども美風です。
いつものアクション物を離れて、歴史恋愛の変化球を投げてみました。
全五話のお話として短期間で書こうとしてたのが早くも目論見が壊れました(笑)
意外な内面を持つ信長と、人には言えぬ身の上を背負った蘭丸との、相思相愛の物語
史実を追いつつ、微妙に改変しつつ、二人の道行きを追いたい思います。
あ、ちょっとエッチです
私は歴史が好きだ。
そう、いわゆる歴女。
小学生の頃から時代劇や大河ドラマは好きだったが、自分が明確に歴史が好き! と自覚できたのは中学に入ってからだった。特に日本史の戦国時代の頃に差し掛かってからはますます歴史趣味に拍車がかかった。そりゃもう応仁の乱から大阪夏の陣・冬の陣までを諳んじられるくらいに。
また、馬上弓を軽々と扱う女武者の姿を妄想して自分自身もそうなってみたいと思ってからは、すぐに弓道部の門戸を叩いて毎日のように打ち込んだ。そりゃもう周りがドンびくくらいに。こらそこ、ミーハーとか言わない。
ちなみに一番推しは信長様。
そりゃそうでしょ! 三英傑の一番手で先見の明の鋭さがあって、仲間思いで、領民思い――
ちょっと短期で気性の荒いところは有るけど私はそれも理由あっての事だと思っている。もしかすると今で言う発達障害みたいなのもあったのかもしれない。そう思うと、信長様も自分の心の内で思っていた事を思うように相手に伝えられずに苦労していたのかもしれない――なんて事を考えたりしていた。
そして高校に進学して文系を選択してからは歴史熱にさらに拍車がかかった。古文漢文を覚えてからは、歴史書の古書の読破にもチャレンジしたし、GWや夏休みには城巡りもしたし古戦場めぐりもした。弓道部の活動はさらに熱が入り高2のときには部内には叶う人は居ないほどだった。でもね、ちょっと事情があって大会には一切でなかったんだ。もともと大会参加目的で始めた部活じゃなかったし、顧問の先生や歴代部長も理由は解ってくれてたから。
当然、桶狭間の狭間田楽や関が原古戦場も行った。あの本能寺跡にも行った。
寺らしい痕跡は残っておらず、今は小学校になっていたのはちょっとショック。
石碑しか残って居ないと言う有り様に、諸行無常と言う言葉を噛み締めながら帰ってきた私だった。
そして3年生へと進学し、いよいよ大学受験への準備も始まる。進路を決定することも重要だ。
だがそこから先が大問題だった。
なぜなら――
――私には父親が居ないのだ――
私の父は、私が小学生の頃に突然死してしまった。残業続きで過労がたたり、心臓をやられてしまったのだ。会社で徹夜明けで仮眠を取ろうとした時に突然倒れたのだと言う。夜間だったので人影の少ない職場のオフィスで倒れて手当ても受けられずにそのまま天に召されてしまった。
どう見ても過労死。会社は責任を素直に認めてくれたし、保証もしてくれた。だがどんなに手厚い保証があったとしても母と私で残されて、会社の保証だけでは生活していくのがやっとだ。
自宅から通える範囲だったらなんとか進学可能だが、地元には短大くらいしかなく、偏差値も下の方の底辺大学であたしが望むような歴史学部も無い。だからと言って県外の遠くの大学で一人暮らしをできるような余裕もない。
このまま高卒で就職と言う選択肢が一番堅実なのだが、このときほど父を早くに亡くした自分の身の上を恨んだことはなかった。
そしてある時、ふと気づいたのだ。
――私がなぜ、信長様に惹かれるのかを――
そう、私は織田信長と言う人物に理想の父を描いていたのだ。
思えば顔も覚えていない亡父は信長様のような猛烈型で何事も即決即断が好きで常にエネルギッシュに動いている人だった。だから父が勤めていた会社でも頼りにしていたし、父のことをとても信頼していた。その信頼に応えようとして父も無理をしたのだろうと、その会社の社長は父の葬儀の時に土下座しながら謝っていたのを記憶の片隅に未だに覚えている。
もし私が信長様のお側にいて、あの方の天下布武の事業を見守っていたなら、ただ黙ってみていただろうか? 昼も夜もなくあくせくと動くあの方をお諌めしなかっただろうか?
多分、私なら何も言わずに黙っていることはできない。そして万難を排してでも、あの方のお命を伸ばす事を考えるだろう。
本能寺にて志半ばにて倒れたその姿が、働き盛りで命を落とした実父にどうしても重なるのだ。
その日は母を交えての3者面談で、進路について担任と相談していたが、やはり学資の問題で大学を断念しないとならないのは確実なようす。落ち込む私に、母は何度も謝ってくる。
謝らなくていいよ母さん。父さんの死は母さんの責任じゃないんだからさ。
母は多忙な中で抜け出してきた職場へと戻っていく。そしてあたしは晴れない気持ちのままで帰路につく。
通学路途中の横断歩道、普段はそれほど通行量のない道路だったから私も落ち込んだ気持ちのまま、何気なく歩いていたのだろう。そして――
――気づくのが遅れた――
甲高いブレーキ音と共に顔を上げれば歩行者用信号は赤信号だった。
あたしの体を跳ね飛ばしたのは2トントラック。運転手が左手にスマホを持っていたのがやけにくっきりと視界の片隅に見えている。そして悲鳴をあげる暇もなく私はトラックに〝轢かれた〟
それが私、森口蘭の17歳の春のこと。痛みを感じる暇もなく私の意識は途切れたのである。




