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セインは同じ話をふたたび持ち出そうとはしなかったが、口数が目に見えてへったことからみても、納得したわけではなさそうだった。
エシアを苦しめている母国のやりようを、許すことができずにいるようだ。
黙っている彼の背中をみつめながら、ここにリュートがあればどんなによかっただろうと、姫は思った。そうしたら、美しい旋律が何よりも彼の心を伝えてくれるのに──。
ふたりがすすんでいる田舎道は明るくのどかで、今度こそ追手も来ないだろうと思えるようなおだやかさだった。
木陰で休んでいるとき、姫はふと従者の背中に手をのばし、さらさらと長い銀髪を細い指先ですくいとりはじめた。
「姫さま」
ややあって、セインがかたい声で言った。
「何をなさっているのですか?」
「みつあみをしているのよ」
「………」
「だって、たいくつなんですもの。あなたがお話してくれないから」
「……お手が汚れますよ」
「大丈夫よ、とてもきれいな髪ですもの。金髪も嫌いではないけれど、銀の髪は昔からわたしのあこがれだったわ」
しばらくの間、姫は無言で作業に没頭していたが、やがて彼の肩をぽんとはたくと満足そうに声をあげた。
「ほら、できた。おさげに花もさしてみたの。似合うわよ」
彼が急に立ち上がったので、姫はびっくりして身体をそらした。
「なあに、いきなり」
「あちらに泉があります。お手を清めたほうがよろしいかと」
「そんなこと気にするものじゃないわ。あら、ほどいてはだめよ。せっかくきれいにできたのに、もったいない」
「もったいなくなんかありません」
抗議しようとして彼を見上げた姫は、目をぱちくりさせた。
熱があるわけでもないだろうに、セインの顔は真っ赤だった。目が合うと明らかにうろたえ、もう一度髪にふれようと手をのばすと、さらにいっそう赤くなって後ろにさがった。
「まあ……」
たいへんめずらしい出来事だったので、姫は思わず、彼の顔をまじまじとのぞきこんでしまった。
「おかしな人ね。はずかしいの?」
「……姫さま」
従者が困り切ったように呟く。
「からかわないでください」
「おさげが嫌なら、一本にまとめましょうか?」
「そういう問題ではなくて……姫君が、下々の者の髪なんかにさわるものではありません」
「あなただって、ときどき、わたしの髪を編んでくれるじゃないの。自分がさわるのはよくて、人にさわられるのは恥ずかしい? 似たようなものでしょう」
「全然、似てません」
「ね、もう少し編ませてもらえる?」
「嫌です」
「すぐにおわるようにするから」
「だめです」
「いいじゃない。ね。今度はお花じゃなくてリボンにしてみたいのよ」
「だから、からかわないでくださいと言っているでしょう?」
セインが大きな声を出したとたん、ふたりのまわりで、ざあっと草がたなびいた。きらきらしたベールのようなものが、うずまきながらたちのぼってゆく。
ふたりは思わず立ち止まり、くるくるまわる光のベールを目で追った。
やわらかな草の間には、掌にのるほど小さいエルフたちがまどろんでいて、それがいま、いっせいに飛び立ったのだ。
透きとおるほど白い身体とうすい羽の一群は、上へ上へとのぼってゆき、やがて陽ざしの中に見えなくなった。
「……行っちゃったわ」
姫君が、ぽかんと空を眺めながら呟いた。
それからふたりは、おとなしく泉まで行って、のどをうるおしたり疲れてほてった足を水でひやしたりした。
泉の水は水床まで見通してしまえそうなほどに澄んでいた。馬も休息をよろこんで、うれしそうに岸辺の草をはんでいる。
しばらく休んでいるうちに、逃げていったエルフたちがひとり、またひとりと空から舞いおりてきて、旅人たちの肩や膝の上にとまりはじめた。
リュートがなくても、自分たちのまわりには美しい音楽がちゃんと流れているのだと、姫君は思った。




