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ページをひらいてくださってありがとうございます。

下のイラストは見づらい画面で申し訳ありませんが、イメージの手助けになればと思い、載せさせていただきました。

どうぞよろしくお願いします。

      挿絵(By みてみん)





 エシアの国の末の姫が、ひなびた小道を、馬にゆられて旅していた。

 こまかく波打つ金髪と茶色い瞳が美しい、十四歳の姫君だった。


 手綱をとる従者はひとりだけで、彼は銀色の髪を長くのばし、姫より十ばかりは年上のようだった。

 このふたりが田舎道を静かにすすんでいる様子は、おしのびで散歩に出た主従のように、一見のんびりとのどかに見えた。


 けれど近づいてみれば、ふたりの衣服や靴はぼろぼろだったし、馬もすっかりくたびれていて、苦労の多い旅の途中であることがわかる。

 実際ふたりは、反乱兵たちの襲撃をうけた湖畔の別邸から、命がけで逃げのびてきたのだった。


 忠実だと信じて疑わなかった兵士たちが、魔物のような猛々しさで襲いかかってきてから、いくつの夜が過ぎたことだろう。

 振りまわされる松明。飛び交う怒号。

 憎悪をたぎらせた反乱分子の集団が、剣をかざし槍を振り、広間になだれこんでくる。

 凶悪な刃と炎が、逃げまどう姫を追いつめる。

 ろうそくが倒れて火の手があがる。助けにくるべき護衛の兵は、ただのひとりも見当たらない。


 湖畔の別邸は古くからエシア王家の御用達で、景観を楽しみながら王族たちがくつろぐ場所として、古くから愛されてきた。

 館を守るのは、みな忠誠心の厚い貴族だったし、地元の民も、王族の訪問をつねに心からの歓迎の声で迎えた。

 もちろん地元だけでなく、国内にも不穏な影はまるでなかった。

 それなのに……そう思っていたのは、王族だけだったのだろうか。

 

 気がついたとき、姫は狂ったように駆ける馬の背中で、従者にしがみつきながらふるえていた。

 助かった、とは、まだ思えなかった。ゆれる視界のかたすみで、敵の姿をとらえるたびに、姫君は悲鳴をあげて何度も従者の名前を呼んだ。

「セイン。追手が来るわ。わたしを殺しにやってくる」


「大丈夫です、姫さま」

 叫び返してくる声には必死な響きがあり、馬をあやつるのに精一杯の様子に思えた。

 というのも、従者は長くその役をつとめていたわけではなく、もともとの職業は演奏者だった。

 エシアの都の大通りで演奏していたのを、腕をかわれて連れてこられたリュート弾きだったのだ。

 

「目を閉じて、しっかりつかまっていてください。きっと振り切ってみせますから」

 と、リュート弾きの声が続けた。

 信じる以外に道はなかったため、姫はうなずき、ひたすら彼にしがみついた。


 ……やがて姫は、かたく閉じていた瞳をひらき、おそるおそる顔を上げた。そして、リュート弾きが自分の言葉をまっとうしたことを知ったのだった。


 セインの提案で、ふたりは逃げてきた方向にそのまま馬をすすめて、山脈のふもとにある小さな村をめざすことになった。

 彼によれば、忠誠心も人情も厚い人々が集まっている村だという。かなり遠い道のりだが、そこならきっと姫をかくまってくれるにちがいない。


 あきらめてはいけません、とセインは姫に言いきかせた。事態がおちつけば、必ず都に戻れるはずです。それまでは、どうかお気持ちを強くもたれますように。


 そこで姫は、彼にみちびかれるままに、どんどんエシアの都から離れていった。

 人目をさけて、森や木立の中を、あるいはさびれた村を息をひそめながらすすんでゆく。夜になれば、木の根元に毛布をひろげて、リュート弾きの膝を枕にしながら眠りにおちる。


 城と別邸以外の場所で寝泊まりしたことなど、ほとんどなかった姫にとって、それは長くてつらい旅だった。

 けれど、自分でも驚くくらい元気な身体でいられたのは、そばに寄り添っていてくれるのがセインであったからにちがいなかった。


 姫君はセインのことが好きだった。

 はじめて彼と会ったのは、半年ほど前のことだ。都の大通りを馬車で過ぎようとしていたとき、聞こえてきたリュートの響きの美しさに、思わず馬をとめてもらった。


 さぞ経験豊富な弾き手だろうと思ったのに、街かどにいたのは銀髪の青年だった。

 奏でる曲以外には何ひとつ興味がないかのように、にこりともせず指を動かし続けている。

 よく見かける吟遊詩人の一団は、硬貨ほしさにあたりに笑顔をふりまくが、この青年は笑顔とは無縁だった。


 けれど、本当に雄弁な演奏に笑顔はいらないのだと、姫君ははじめて納得した。深く切なく心にしみいり、かと思えばほがらかに浮き立たせる、みごとな音色。

 音だけを聴いていても、その演奏のなんと感情ゆたかだったことだろう。


 姫だけでなく、同乗していた王妃もこの演奏をとても気に入り、後日使いを出して王城に呼び寄せた。

 彼は城のおかかえとなり、ほどなく末の姫君の一番のお気に入りとして、そばに仕えるようになった。

 従者はほかにも数人いたが、奏者としてその一員に加わることになったのだ。


 城で暮らすようになっても、彼は路上にいたときとあまり変わらず、ひかえめな笑みが顔にのぼるのもごくわずかなものだった。

 そんな彼と過ごす時間がふえるうちに、姫はしだいにこう思いはじめた──わたしは彼の演奏だけでなく、ごくたまにみせてくれる静かな笑顔も、とても好きだわ。


 そんなセインが……もちろん笑顔をみせる状況ではないものの、朝から晩までそばにつき添っていてくれる。

 姫の心はしだいに落ち着き、城や別邸にいたときには感じなかった高揚感さえ、ときには感じるようになっていった。

 気づかってくれる彼のためにも、落ち込んだ様子を見せてはならないと思った。


 けれどもちろん、悲しみと怒りが突き上げてきて、どうしようもないこともある。

 まだ少女である姫君は、ときおり耐えきれずに、涙声で問いかけるのだった。

「お父さまとお母さまはご無事でいらっしゃるかしら。都まで襲われているのではないかしら」

 湖畔の別邸に遊びに来ていたのは、姫と信頼できる親類だけで、両親は都に残っていたのだ。


 そんな姫君を、セインはいつでも誠実な口調で励ました。

「もちろん、ご無事にきまっていますよ。いまごろは姫さまのことをさぞ案じておいででしょう」

「でも……でも反乱兵たちはあんなに野蛮で恐ろしかったのよ。もしもお二人がつかまってしまっていたら……」

「卑怯な兵士たちに、王さまや王妃さまが捕らえられるとお思いですか? エシアの王城がその程度のものだと?」

「いいえ! 王城の兵士たちは、けして負けたりしない。卑怯者たちが襲ってきても必ず成敗してくれるはずよ」


 それを聞くと、リュート弾きであり従者でもある青年はうなずいた。

「そのとおりです。わたしもそう思いますよ」


 旅の途中、姫は幾度も同じ問いかけをくり返した。従者の答えはいつも同じだったが、その冷静な声と姫を勇気づけようとする態度が、いつでも姫を安心させた。

 彼が姫君の前であわてたり苛立ったりしたことは、一度もなかった。街角にいたときと同じくらい落ち着き払っていたので、姫は、これがふたりのないしょの遠乗りだったらどんなによかっただろうと思わずにはいられなかった。


 だから、姫君はついに気がつかないままだった。

 銀色の髪の従者が、姫のうしろ姿をどんな目をしてみつめていたか。

 それは、深い湖に張りつめた氷のように冷たいまなざしだった。不安や焦燥などではなく、憎しみと呼んでいいほどに、冷えきった暗いまなざし。


 けれど、姫が振り向いた瞬間に暗さはたちまち消え失せて、あるじにそれを気づかせることは、けしてないのだった。



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