始まりの意
視界は暗いのに、なんだか柔らかい感覚に包まれている。温かくて、心地がいい。
「ん・・・?」
ゆっくりと目を開けると、視界がボヤけて何も見えない。どうやら私は、眠っていたようだ。
上半身を起こすと、右手で目を擦る。ようやく視界が回復してくると、まず初めに布団が目に入った。きっと、柔らかく温かい感覚に包まれたのはこの布団が原因なのだろう。私は、真っ白な和服の寝衣を着用していることに気付き、ゆっくりと顔を上下させて周りを見渡した。
「・・・?」
天井は木目で高い位置にある。床は綺麗な薄い緑色の畳で、正面には大きな襖がある。それは、日本家屋のようだが、私はこの場所に見覚えはない。そもそも、なぜ私はこんなところで寝ていたのさえ覚えていない。後ろに長い、茶色の混じったような黒髪を、右手で弄りながら考え込んでいるその時、正面にある襖がゆっくりと開いた。
「あら。やっと目が覚めたのかしら?」
声の主は茶髪の少女だった。
「しばらくの間、目が覚めなかったからどうしようかと思っていたのよ」
その少女の髪の長さは、肩にかかる程度。その髪に、大きな赤いリボンが付いていて、顔の両脇に髪を一総にまとめて赤い髪飾りをしている。最も印象的なのは、彼女の服装である。赤と白の装束のような服装で、胸元には黄色いリボンが付いていおり、袖が分離し腋が露出しているという、非常に特徴的なデザインである。
「・・・あ、う・・・え、あっと・・・」
何故か、声がうまく出せず、私の右手は、無意識に、喉の部分に軽く触れた。喉に何か詰まったような違和感がある。
「まあ、仕方ないわよ。落ち着いたら話せるようになるわ。とりあえず、立てるかしら?」
そう言って、少女はゆっくり私の方へ近づいて立ち上がる手伝いをしてくれた。少女から、微かにいい香りがした。
「いっ・・・あっ!!」
立ち上がるときに左手に力を入れた。その時、左肩の部分に激痛が走り、思わず声を漏らした。
「ああ、大丈夫?左肩に小さな穴が開いてたから、包帯してあるのよ」
よく見ると、左肩から右腕の腋を何度も包帯が往復していた。同時に、私は黒縁の眼鏡に襲われた事、そして彼を殺したことを思い出した。
その場で立ち上がることに成功すると、倒れないように少女は支えながら、居間の部屋へ移動した。
「少しは、落ち着いたかしら?」
日本家屋のような家の居間。長方形のテーブルを挟むように座り、少女はお茶の入った湯呑を口に運んだ。
「は、はい。おかげさまで。なんと礼を言っていいのか・・・」
私は、助けられたことに深々と頭を下げた。そして、いつの間にか言葉を発することができるようになり、過去の記憶も甦りつつあった。
「気にする必要はないわ。あなたのような人間を救うのも、私の仕事の一つみたいなものだし」
少女はそう言って、湯呑をテーブルの上に置いて、続けた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわね。私は博麗霊夢。この博麗神社で巫女をやっているわ」
と、博麗霊夢は、軽く微笑んだ。
「私は、静かな音と書いて静音と言います。苗字は柊です。よろしくお願いします」
「へぇ。面白い名前ね。静かは、しずって読むのに、静音はしおんとは読めないわよね。どちらかというと、しずねが正しいと思うけど」
と、正論を突き付けてくる霊夢に、私は苦笑いした。
「そうですね。私は小さいころに両親を亡くしたんですが、私を養子として育ててくれた方が、日本語や漢字の理解が浅はかな米国人でして。彼は、私に新しい名前を考えてくれたんですが、それが、しずねではなく、静音ってことなんですよね」
「なるほどね」
霊夢は、湯呑に入ったお茶をすべて飲み干すと、ふぅっと一息ついた。その後に私は一つ、疑問を霊夢に質問をする。
「あの、変なことを聞いてしまうかもしれないですが、此処は一体どこなんでしょうか?」
私が気を失う前、いたところは人気のない廃墟だった。私はアメリカに隠れ住んでいるが、霊夢とは日本語で会話し、彼女は巫女で、ここは神社という真実。どうしてもアメリカにあるものとは思えない。
「・・・」
急に、無表情になった霊夢。彼女は何も言わずに、急須を手に取り湯呑にお茶を淹れた。そして、ゆっくり私の方を向いて口を開いた。
「そうね。説明しなければいけないか。唐突なことで驚くかもしれないけど、単刀直入に言うわよ」
霊夢は、湯呑を口に運んだ。
「結論から言うと、あなたの元々住んでいた世界と、今、あなたと私が存在するこの場所は別世界にあるということよ」
「え・・・?」
衝撃の事実に、私は一瞬困惑し思わず声を漏らした。別世界?そういうのが現実にあるというのだろうか?私は半信半疑に、彼女の説明を聞く。
「別世界というと、語弊があるわね。厳密に言えば、あなたの住む世界と同じ世界に存在するけれど、私たちの住む世界は結界によって外の世界、つまり、あなたの元いた世界からの繋がりを遮断しているの。でも、実際は、外の世界と同じ空間に存在してるのよ。たしか、日本とかいう国のどこかに、この世界は隔離されているわ」
淡々と霊夢は説明した。
「・・・」
彼女の話が本当なら、私はアメリカから日本のどこかに位置する、この世界に飛んできたことになる。普通ならこんな非科学的な話なんて信じられない。が、これだけは状況的に信じざる得ない。
「でも、あなたは運がいいわね」
数秒の沈黙の後、視線を自らの湯呑みに変えて彼女は言い、そして続けた。
「この世界を、住人は皆幻想郷って呼んでるんだけど、私は巫女で、その幻想郷を結界を管理してる。あなたが希望するなら、すぐにでも、元の世界に戻すことはできるわ。」
どうする?と最後に彼女は付け加えた。
もし、彼女の言っていることが本当なら、結界というものに囲まれている、この幻想郷という世界に興味が湧いた。本当は存在するが、見ることも触れることもできない、世界から忘れられたもう一つの世界。いつでも帰られるのなら、もう少しこの世界に留まっておいてもいいだろう。
「少しの間、この世界を見てみるのも悪くはないかもしれませんね」
私は、中から外の庭の方を見た。暑苦しいほどの太陽の光が、庭に見える緑の草木を明るく照らしている。
「そう。なら、うちに泊まるといいわ」
「いいんですか?」
私は訊きなおした。
「ここの近くには家なんてないし、人里を行くにもかなりの距離があるわ。目覚めたばかりの怪我人に無理されても困るし」
「ならお言葉に甘えさせて、これからよろしくお願いします」
私は正座のまま、軽く頭だけを下げた。
「・・・はあ」
突然、霊夢は手に持った湯呑をテーブルに叩きつけるように強く置くと、ため息をついた。明らかに様子がおかしい。
「どうかされましたか?」
私は頭をあげて、訊く。
「いや、ちょっとね」
霊夢は、そのまま右手を軽く押さえて、もう一度ため息をついた。
「まったく、こういう時になんで来るのかしら。めんどくさい・・・」
霊夢がそうつぶやいた瞬間、霊夢の背後の縁側の左からバタバタと急ぐような音が聞こえた。
「よう!霊夢、遊びに来てやったぜ!」
そこに現れたのは、黒い大きな魔女がかぶるような帽子に、白黒の服で魔法使いを思わせるような、面白い服装で、少し長めの金髪少女だった。