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とある出来事


――――――――――

 ハウヴァーの王室に静寂が包み込んだ。その知らせを届けた一人の兵士の顔は蒼白し、血の気が感じられない。それほどまでに緊張した空気が王室を包み込んでいた。


「つまり…ハウヴァーの王大使一行が…この地に来ており、我々はみすみすとり逃したと言うのだな」


ニアリス・ゴイルは苦々しくそう言った。最大の失態、恥。それらを感じながら、ニアリスは、隣の冷静を装っている男を問い詰めた。


「何故、単独で動いた!!」


この中で唯一、この男…タオゼント・ヴルムは侵入者の存在を感じ取っていた。ニアリスは自分の前回の失態を思い出し、その苛立ちをタオゼントにぶつけようとしていた。しかし、その前に王座にいる男が問うた。


「……ハウヴァーの裏切り者はどうした?」


「…女神の手に渡ってしまいました」


ハウヴァーの裏切り者。それはハウヴァーの戦力の中枢を担っていた者だった。しかし、彼は思った以上の成果を挙げられず、さらに後から入ってきた新人たちに実力も越されてしまい、焦っていたところにナノエ…もとい、イッシュバリュートにより裏切り者へと堕落してしまう。彼の今回の任務は、ハウヴァーのメイドの捕獲。しかし、想定外の出来事が起こりすぎた。それは、ナノエ側にも言えることだった。


「……奴らは、王妃様がこちらに来られていることを知っていたようでした」


「だろうな。母上の乗っている馬車が盗賊に襲われ、そのおかげでお前は分身を二体も作る羽目になったのだから」


そして、王大使一行にもメイドにも逃げられた後、ナノエは裏切り者の回収に向かう。すると、最初は驚くほど元気であったその裏切り者は、突然体が崩れていったのだ。


「その原因は判明したのか?」


「はい。裏切り者は、ハウヴァーの知将からとある秘薬を受け取ったという話をしておりました。恐らく、それの副作用…かと」


ニアリスは苦々しく口元を歪ませた。この天才の名を欲しいがままにしたマッドサイエントにも、その秘薬を解明するに至らなかったようだ。


「体の中の魔力を一時的に増幅させ、それに耐え切れなかった者の末路かと」


すると、ナノエの王子はふむ…と言った。そして、ニアリスに下がるように言い、それを見送った後、彼はタオゼントを見た。タオゼントは右手に包帯を巻いていた。その痛々しいほど赤くただれているところから、彼は火傷を負っていることは間違いなかった。


「お前が怪我を負っているところを久方見るな」


「…申し訳ありません」


ナノエの王子はくくくっと面白いものを見るかのように笑った。


「私の雨狐の君は変わりなかったか?」


「…はい。変わらず虫類がお嫌いなようでした」


すると、ナノエの王子は盛大に笑った。ここまで感情を露わにしたところを見るのは久々だと、タオゼントはぼんやりと思った。


「お前なら、無理やり連れてくることはできただろうに」


タオゼントは表情を変えることなく答えた。


「我らが主様の雨狐殿を傷つけるわけにはいきませんから」


「本当にお前は昔から甘いな」


ナノエの王子は彼も下がらせた。そして、その王室にいるのは彼だけになった。彼は口を開いた。


「聞いたな、ユズ。お前に任務を与える」


彼以外いないはずの部屋に、まだ高い少年の声が響く。


「はい、なんなりと。我らが主様」


そして、ナノエの王子が任務を言い終える頃には、ユズと呼ばれる少年は完全に姿を消していたのだった。ナノエの王子は笑う。この場で彼らを捕らえられなくとも、計画に何も支障はなかった。



 「いやああああああ!!!」


私の叫び声が辺りに響き渡り、カルファが笑い転げました。


「あははははは!! リオさん、引っかかりすぎっすよ!!」


私は慌てて放り投げられた黒い塊を払い落とします。それは川に生息する苔のようなもので、カルファはそれをもう何度も虫だと言い、私をからかってくるのです。


「カルファ! 止めてくださいと言いましたよね!! 洗濯が進まないでしょう!!」


私は怖い顔をし、彼を睨みました。これ以上やったらまずいと察したのでしょう。カルファは立ち上がりました。


「そろそろ、パンが焼ける時間っすね。俺は先に戻ってます。…あとはお二人でごゆっくり」


「え?」


振り返るとすでにカルファはいません。あの子、完全に暇つぶしで来てましたね。他にもすることは多いというのに…。私は残っている洗濯物の量を見て、ため息をつきました。そんな私に覆いかぶさる影が一つ。


「先ほどから何を遊んでいるんだ」


…でた。私は後ろにいる大きな影の持ち主に、嫌みったらしく言いました。


「こんなところに来られて、お暇な方は違いますね。エド様の稽古は終わったのですか?」


「暇なのはお前だろう。仕事を放り出して、がなり声を出しておって」


がなり声…私はキッと睨み付けました。しかし、先に仕掛けたのは私なので、ぐっと堪え、洗濯する手を動かしました。


「色々忙しいもので。何しろ、あなた方五人に対して使用人が二人しかいないものですから」


私はうんざりしながらそう言いました。お城では何人ものメイドが掃除、洗濯、食事などの仕事をこなしていたことを思い出しました。それを今では二人でこなさなければならず……正直体がいくつあっても足りません。


「…そうか。貸せ」


ベルンは私から洗濯物を奪うと、それをたらいに思いっきり突っ込みました。


「ちょっ!?」


水が思いっきり私の方へ飛び散り、顔や服が湿るのが分かりました。ベルンはばつが悪そうな顔をし、


「…すまん…」


と言いました。私は思わず笑ってしまいました。彼なりに手伝いをしてくれるようです。


「いえ。そのたらいは石鹸の泡を落とすためのものなので、最初はこうやって川の水で洗うんです」


別の服を取り、私は彼の隣で洗って見せました。洗濯板を使うのは初めてでしたが、数回使う頃には、もうお手の物のように洗うことのできます。私が洗う様子をじっと見るベルン。


「水気を切った状態で、この籠にいれればいいのだな。分かった」


まじめな顔で頷くベルン。その様子が少しおかしく、私は笑いながら次の洗濯物を取ろうと、手を伸ばそうとしました。


「お前は忙しいのだろう? ここは俺がやっておくから、他のことをすればいい……なんだ」


私はぎょっとしてベルンを見ました。まさか彼の口から、そんな気の利いた言葉が出るとは思わなかったからです。


「…ここ数日のお前たちの様子を見れば、大変だということくらい分かる。俺にできることがあれば言うといい」


私はその言葉に甘えることにしました。そう言えば、この人は周りをよく見れる人でした。目が回るほど忙しい私たちの様子を見ていたのでしょう。


「ありがとうございます。では、終わったら、このロープを使って干しておいてください」


「分かった」


ベルンが頷くのを見て、私は急ぎ足でカルファのところへ向かいました。パンが出来上がったということは、早急に何かそれに添えるものを用意しなければなりません。カルファは忘れていると思いますが、保存しておいた肉は昨日の夜に使い終わっていて…


「あーっ!! リオさん!! 緊急事態発生っす!!」


…やはり。あたふたと私に駆け寄るカルファに、私は今から何か狩ってきます、あなたは期限の近い野菜を使ってスープでも作って置いて下さい…そう言おうとしましたが、私が思っていた以上にカルファの緊急事態は緊急事態でした。


「薬草の予備がなくなったんすよ! フィルマン様が先ほど使われたみたいで…」


「はぁ!?」


大抵の傷ならば薬草を塗りこめば治り、また少しの風邪程度ならばそれを煎じて飲めば治るという便利な薬。しかし、その材料は綺麗な水場…しかも上流の方しか手に入れることができず、また明日には再び移動を開始する私たちにとって今日…しかも今しか動く機会はありません。暗くなり、視界が悪くなったら危ないですし…。私たちは大きくため息をつきました。


「……私が行きます。すみませんが、カルファは食事の準備を…」


「いえ、俺も行くっす」


ギラリと目を光らせるカルファ。そして彼は包丁代わりにしていた剣を拭いて私に手渡すと、弓と矢筒を持ち、どこかへ向かいます。


「カルファか。もう食事ができたの…」


向かった先はフィルマン様のところでした。隣にはエド様とエマ様、それにギルの姿もありました。カルファは弓と矢筒をフィルマン様に押し付け、そして低い声で言いました。


「飯はまだっす。フィルマン様がこれで今日の昼飯を取ってきてください。俺たちは今から、あんたが勝手に使った薬草の材料を取ってこなきゃいけないんで」


心当たりがあるようで、フィルマン様がぎくりっと顔を引きつらせました。カルファは取れなかったらあんただけ飯はありませんよ、といい再びすたすたと歩き始めます。私は慌ててその後姿を追いました。


「そんなに慌てずとも…恐らく今から出れば昼前には間に合うと思いますよ?」


しかし、カルファは首を振りました。


「あの人に台所は任せられないっすから。あの人、本当にぽんこつ何ですよ」


カルファの散々な言い様に私は思わず苦笑いを零します。そんな私に、カルファはどれだけフィルマン様と過ごして大変だったかを話してくれました。


「あの人、本当に魔術以外興味ないんっすよ。俺がいなかったときはどうしていたんだってくらい、生活力が皆無で…正直頭が痛いっすよ」


片道何時間もかけて帰られるフィルマン様に、一体どんな方が家で待っておられるのかと思っていましたが、カルファだったのですね。頭を抱えるカルファに私は笑い、そういえば…と思いました。そして、その質問を彼に投げかけます。


「そう言えば、カルファはどうしてフィルマン様の弟子に?」


普通、弟子は親元を離れて住み込みで学ぶと聞きました。カルファもそのようなのでしょうか?カルファはああっと顔を上げます。


「俺、あてもなく彷徨ってたところをフィルマン様に拾われたんすよ」


かれこれ三年になりますね、とカルファは言います。私が複雑な顔をしていることに気づいてか、カルファは慌てて手を振りました。


「気にしないでください。俺、フィルマン様に感謝してるんすから。何だかんだ言って、あの人面倒見はいいんすから。こんな得体も知れない俺のことを弟子にしてくれて、おまけに魔術も使えるようになって」


ニコニコとフィルマン様のことを話すカルファを見て、私にとってのアヒム様のような存在なのかとつい自分と重ねてしまいました。


「そうですか。いいお師匠様を持ちましたねカルファ」


私の言葉に満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに頷くカルファ。そんな彼の頭を撫でると、


「お、俺! 子供じゃないっすよ!!」


と払われます。カルファが頭を撫でさせてくれたのは最初の一回だけ。私はそんな彼が可愛らしくて、彼の髪をぐちゃぐちゃにするのでした。


 「あ! あれじゃないですか?」


しばらく川沿いを歩くと、流れが急な場所に出ました。そこに生えていたのは私たちが探していたものです。私たちは濡れないように岩を渡り、生えている薬草の材料を取りました。


「これだけあれば、数週間は困りませんね」


「あー、フィルマン様のせいで余計に疲れたっす。さ、早く戻りましょう。昼食が心配っす……リオさん?」


私は何やら辺りの異様な雰囲気に気づき、様子を窺っていると、カルファが不思議そうに私を見ました。


「隠れましょう!!」


何か近づいてくる気配がし、私は咄嗟に彼の手を引き、物陰に隠れました。奥から現れたのは、一体の大きな木の魔物でした。その木の魔物は川の水を飲み、辺りを注意深く見ていました。その魔物は食事をしたあとのようで、幹がそこだけ大きく膨れ上がっていました。


「魔物っすね。どうしますか?」


コソッと様子を窺うカルファ。私は彼に物音を立てないようにこの場から去ることを提案しました。彼も頷き、ゆっくり移動を始めます。私は横目でその魔物を見ました。


「っ!? カルファ!!」


私は彼の腕を摑み、横へ飛びました。間一髪。突如、木が倒れてきてきましたが、私たちは押し潰されずに済みました。


「な…なんで急に木が…」


慌てるカルファに私は乾いた唇を舐めました。あたりから無数の殺気が私たちを突き刺します。…囲まれてしまったようです。


「…どうやら、彼らのテリトリーに踏み込んでしまったようですね」


「ど、どうするんすか!!」


敵は目に見えているだけでも七体。もしかしたら、木に扮しているだけでもう少しいるかもしれません。ジリジリと周りから距離を縮まされ、私たちは薬草の材料を取った場所まで追い込まれてしまいました。カルファが私の腕を握ります。私は彼の手を触ります。


「カルファ。大丈夫です」


「こ、こいつら食人木(しょくじんぼく)っすよ! しかもこんなにたくさん…」


腹のすかせた何体かはすでにこちらに枝を伸ばして、幹についた鋭い牙をギラギラと光らせています。ちらりとカルファを見ました。…フィルマン様の弟子なら、魔法をいくつか使えそうですよね。


「カルファ、火の魔法は使えますか?」


「え?…あっ!! は、はいっす!!!」


「でしたら、とりあえずは大丈夫ですね。ここにいて下さい」


そう彼に言うと、私は行動を移しました。カルファが後ろで何かを叫びましたが、とりあえず無視です。まっすぐ岩から岩へと飛び移り、向かうは最初に見た獲物を食べて消化中の食人木です。周りの食人木たちは慌てて私のほうへ鋭い弦を伸ばしますが、もう遅いです。私はその食人木のお腹を思いっきり裂きました。嫌な悲鳴と共に食人木は崩れ落ち、思ったとおりこの食人木はリーダー格だったようで途端に統率がとれなくなる食人木たち。私は近くの食人木たちを剣を長くして薙ぎ払いました。何体かの食人木たちは逃げ出し、私はカルファの方を見ました。


「リオさん!! 考えがあるならそう言って欲しかったっす!!」


カルファはぷくっと頬膨らまし、こちらに渡ってくる途中でした。彼がいた場所には二体の食人木たちの燃えかすが乱雑に散らばっています。流石フィルマン様のお弟子さんですね。私がそう彼を褒めると、にこーっと笑みを浮かべ、そして私に見せてきました。


「これ、食人木の肉なんすけど、結構いい味するんすよ! いやー、いいときにいいものを見つけちゃったっすね!!」


なんとまあ、ちゃっかりしていることでしょう。カルファ、あなた主婦にもなれますよ。口にこそ出しませんでしたが、私は苦笑いを浮かべながらそう思いました。


「こいつがあいつらに指示出してたんすか? リオさん、よく分かったすねぇ」


私は首を傾げました。私たちと距離を詰め寄るとき、あの食人木が命じたように思ったからです。しかし、それを言葉にするのは何故か憚れ、私は微笑むだけにした。カルファはそんなことよりも、目の前の貴重な肉のほうが気になるらしく、それ以上聞いてはきませんでした。ピクッ…その食人木の弦が動いたような気がした途端、


「うわあああ!?!?」


カルファの体が持ち上がりました。私が裂いた腹からカルファを食べようとしているようでした。裂けた幹から牙が生えています。剣では間に合わない…。私が剣で絶命させる前にカルファが鋭い牙でズタズタになってしまいます。私は咄嗟にそう判断し、走り出しました。


「リオさん!?」


私はカルファより先に食人木にたどり着き、そしてその幹に手を添えました。


乾燥魔法(ドライイング)


ぶるっと食人木が震え、そして急激な勢いで食人木がしぼんでいきました。そして、カラカラと皮のようになってしまったのを見て、私はようやく手を離しました。今までこれを自分の髪にしなくて良かったと思いながら。


「カルファ、大丈夫ですか?」


カルファは地面にしりもちを付いた状態で座り込んでいました。彼は呆然とした表情で私を見ています。私は彼に手を貸そうと駆け寄りました。


「『呪唱破棄(じゅしょうはき)』っすか…。えげつないっすよ…。リオさん……魔法使えたんすね」


私の手をちらりと見て、その手を取るカルファ。私は気まずくなり目線を逸らしました。カルファの危機で慌ててしまい、思わず何も加減せず使ってしまったのですが、私もここまでする気はなかったのです。


「えっとですね……私もよく分からないのですが…使えるみたいですね」


言い訳にならないことを言い、ちらりとカルファを見ました。…怖がらせてしまったでしょうか。しかし、カルファはふと納得したように頷きました。


「忘れていましたけど、そういえばリオさんって勇者でしたね。これも女神のご加護ってやつっすか。凄いっすね。フィルマン様にお伝えしたら、目を輝かせてはしゃがれるでしょうね」


それはとても困ります。私はこの異常な力を使えることを公言したくなく、できれば隠しておきたいからです。それに使えるなら何故言わないと、あの幼馴染にしつこく言及されそうですし。


「あー…えっとその…すみませんカルファ。しばらく私が魔法を使えること秘密にしてくれませんか?」


「隠したいんすか?」


図星をつかれ、私が目を泳がせていると、カルファはさらに追い討ちをかけてきました。


「無駄だと思いますよ? フィルマン様は、ああ見えても世界最高峰の魔術師っすよ。 初めて会った俺を見て魔法の適正が分かったくらいなんすから、リオさんのことも一発で見抜いていると思います」


それについては重々理解しております。お城で彼に色々教えてもらっている際に、よく聞かれていましたから。リオ殿は魔法に興味はないのですか?と。その度に私は動揺を顔に出さないように必死で……。


「あ! リオさん!!」


さらに追い討ちをかけようとしていたのか、口を開きかけていたカルファが慌てて私の手を引きました。


「え? あぁ、目を覚ましたのですね。なら、早くここから離れましょうか」


私の近くに転がっていたのは、食人木に捕食されていた小さい魔物でした。おそらくまだ子供なのでしょう。鳴き始めたので、まもなく親が迎えに来ますね。よかった。


「…え?」


私が行こうとすると、カルファが心底意外だという声を上げました。私が振り返ると、彼は慌てて言葉を口にしました。


「殺さないんすか? だって、魔物っすよ? 大きくなったら害を与えるかもしれないんすよ? ……殺さないんすか?」


私は何故カルファがそう言うのかよく分かりませんでした。だって、そう言うカルファが泣きそうな顔をしているんです。私は首を振りました。


「この子は何もしていません。ただ、捕食されそうになっただけです。魔物ってだけで問答無用で刃を向けるのは、違う気がします」


私はその子供の魔物が私たちから逃げ出そうと川のほうに向かい始めたので、そちらに気をとられてしまったのでよく分かりませんが、視界の端でカルファが袖で涙をぬぐっているような気がしました。子供の魔物を元の位置に戻して、私が彼の方を再び見た時には普通の顔をしていたので見間違いかもしれません。


「おや? カルファがどうかされたので?」


「いえ、泣いていたように見えたのですが、私の気のせい……ってギル!?」


突如、何の音もなく現れたギルに私は驚きの声を上げました。ギルはニコリと微笑み、私の手をとり膝をつきました。


「あまりにも遅いので、このギルが愛しのリオ殿をお迎えに参ったのです」


「あっ!?!?」


私は慌てて時間を見ました。時刻は……


「カルファ! 大変です!! お昼過ぎてます!!」


私の言葉に慌てて時計を見たカルファ。どんどん青ざめていきます。


「もうこんな時間っすか!? やばいっす!! フィルマン様が、毒料理を作られる前に早く帰らないと!!!」


毒料理って…フィルマン様、一体どんな料理を作られたのか…。しかし、私もゆっくりしてはいられません。エド様やエマ様がお腹を空かせて待っておられます。しかし、今から戻っても、三十分はかかりますし……。


「私に言い考えがございます」


ニコッと笑うギルに私たちはきょとんっと顔を見合わせました。ギルが向かったのは、この辺りでは見慣れた模擬火草(もぎひそう)という植物。


「リオ殿、大きな布を何枚か私に貸していただきたいのですが…」


ギルの言うとおり、私は剣についている袋から大きな布を四枚ほど取り出し、ギルに手渡しました。ギルはそれを器用に結び私たち三人が乗っても余裕があるほどの大きさにしました。それを模擬火草(もぎひそう)の群生に覆ったのです。


「何をしているのですかギル??」


模擬火草(もぎひそう)。綿のように軽く、加工されて枕などに使われるのですが、いったん宙に飛ばすと近くの物に絡みつき、夜にならないととれない火に酷似した植物。私の質問ににやりと笑うギル。


「では、ごらんあれ!!」


模擬火草を裏にも表にもつけたギルがそれを水の上に置きました。私は慌てました。


「ギル、そんなことすればすぐに水を吸って重くなって………え??」


なんと、模擬火草をつけた布は濡れることなく浮いているではないですか。私は驚いてギルを見ました。


「あまり知られていないことなのですが、加工前の模擬火草は水に強いのです。綿のように軽いですが、水を弾く特徴をもっているため、このようなこともできるのですよ。さあ、では川くだりを始めましょう」


ギルの手を取りながら、恐る恐る乗り込みますと、意外にもしっかりしており、安定感があります。すごい!ギルの手にはいつのまにか長い棒が握られています。


「これならすぐ着くっすね。はぁ…何もしていなければいいけど…」


ふと、後ろで憂鬱そうな顔のカルファと目があいました。…そう言えば、私が魔法を使える件、カルファは黙っていてくれるでしょうか?口を開きかけた私にカルファは笑いました。


「俺の口からは言いませんよ。まあ、どうせすぐに分かると思いますが」


私は彼の言葉にホッとしました。とりあえずは無駄だと思いながらも、黙っていてくれるようです。そんな私たちの会話を聞いて、ギルが不服そうな顔をしました。


「おやおや。このギルに内緒話ですかな?」


すると、カルファはそんなギルを見て、やれやれという仕草をしました。


「すみませんね。これは俺とリオさんの秘密なので」


そして、カルファは後ろを振り返りました。私もその方を見ると、どうやらあの子供の魔物は無事迎えが来たようです。彼らが森へ帰って行くのが見えます。私とカルファは笑いあいました。


「……リオさん」


「はい?」


カルファは何か言いたそうな顔で私を見つめました。そんなカルファをギルがからかいます。


「おやおや、カルファも大人になりましたな。そんな態度では、告白でもするのかと疑ってしまいますな」


「違うっすよ!!!」


そして、私を手招きし、私が耳を寄せたところこそっと、


「…俺の秘密も…いつか聞いてくれるっすか?」


と私に聞きました。私は彼に笑うと、頭をそっと撫でました。


「ええ。楽しみにしてますね」


そして、私たちは行きよりも早く、そして行きよりも充実な時間を過ごしながら、目的地についたのでした。しかし、


「はぁぁぁぁぁ!?!?」

「なんなんすかこれ!?!?」


私とカルファは呆然と立ち尽くしてしまうことになります。そこには炭となった動物たちを割れた食器の上に乗せる、真っ黒に汚れたフィルマン様の姿と、そして、木に干してある服は、どれも無残に破れ、その下には申し訳なさそうに地面に頭を付けるベルンの姿がありました。


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