さだめ
「リオッ!!」
私が小屋に足を踏み入れ、扉が閉まるのと同時に小さな体が私に飛びついてきました。…ご無事でよかった…。私はカルファに微笑みかけました。カルファは私の姿を見て、ホッとした様子で、治療道具を取り出していました。…なんと準備の良いことでしょう。フィルマン様の指示でしょうか?
「……おいおい…姫様に殿下まで…連れてきたのか…」
こりゃあ、本当に大目玉もんだぜ…と呆れたように笑うジーニアス様。
「……ジーニアス…」
小屋には三つのベッドがあり、そこにジーニアス様方を運びました。…ジーニアス様と反対側で運ばれていた方はすでに息がなく、ベッドに寝かせた彼をシーツで覆い隠し、手を合わせました。
「……すみません殿下……あなた様を…お守りするという役割…果たせず…さらには…王の身までも…」
「ジーニアスは良くやった! 今はゆっくり休んでくれ」
しかし、ジーニアス様はエド様のねぎらいの言葉にゆっくり首を振りました。
「奴らは…いずれ来ます。フィルマン…これを」
そして、何かの球体をフィルマン様に手渡されました。フィルマン様はそれを見て何かを察されたようです。力強く頷かれました。それを横目で見て、私は床に座り水分をとっている男性に、預かった剣を渡しながら声をかけました。
「あの……先ほどはありがとうございました」
すると、男性は気にすんなと手を振りました。
「あいつとあのときの約束を果たしに来ただけだからよ」
それは先ほどジーニアス様とお話しされていたことでしょうか?私の視線に気づき、男性は笑いました。
「ジーニアス卿とはただの飲み仲間だ。そのときちっと賭け事をしてな。俺が負けちまって、そのとき頼まれたんだ……それより、俺なんかと話してていいのか?」
私は開きかけていた口を閉じました。彼が指差した方向にはジーニアス様とフィルマン様が話されているところでしたので、私は頷きました。
「私はメイドですので。これからどうするか話されているのにその邪魔はできませんから」
「………いや、あれはそういうんじゃねぇと思うがな。まっ、そこのにぃちゃんは気づいてるんだろ?」
けが人の手当てをしているベルンの手が止まり、こちらを見ました。私はベルンを見ました。…まったく話についていけません。私にも分かるように話してくださいな。
「……じゃあ、そんなとこいねぇで、さっさと行け。ここは俺とそこのぼっちゃんに任せてよ」
外の様子を窺っているカルファを指差しながら、そう言う男。カルファはぼっちゃんと言われたことにむっとしたようですが、何も反応せず相変わらず外の様子を窺っています。ベルンは頷き、私の方を見ました。私は戸惑いながらも、その作戦会議に参加することにしました。
「………お! お前たち今頃来たのか。この薄情兄弟子どもめ」
ジーニアス様はベッドに座って、先ほどと打って変わってすっかり回復されたご様子で、私たちに笑いかけました。
「ジーニアス様! 寝ていなくてよろしいのですか!」
「俺を誰だと思ってんだ。あんな傷楽勝に決まってんだろ」
お顔の怪我もすっかり良くなっておられます。ただし、目の傷だけは痛々しくそのままです。その傷がなかったら、まるで大怪我をされた後だとは誰も思わないでしょう。
「まっさか、連中が血眼になって探しているお尋ね者が全員集合だとはな。そんな突拍子も無い作戦を立てたのは、一体どこの魔術師様だ? 作戦にかなり粗が見えるが?」
面白いものを見たかのように笑うジーニアス様。私は膝を叩きながら笑われるそのご様子を見て、心の底からホッとしました。ジーニアス様が回復されたとなれば、それ以上の心強さはありません。もう一人の彼のことも気になりますし、一刻も早くここを立ち去って、リシポンで療養しなければなりませんね。
「お体の調子がよろしいようで安心いたしました。フィルマン様の魔法でしょうか?」
回復魔法はまだこの目で見たことはないですが、それならば凄いものです。それとも、この回復力はフィルマン様だからこそできるのでしょうか?もう一人の怪我の具合を見に行かれたその後姿を私が感心して見ていますと、ふとベルンが厳しい顔つきをしているのが目に留まりました。私がどうしたのかと彼に聞こうとしましたが、その前にジーニアス様が口を開かれました。
「ここでむやみやたら魔法を使うのは得策ではないからな。天下の大魔術師、フィルマン・フランク卿直伝の秘薬を使わせていただいたんだよ」
秘薬…そのようなすごいものがあるなんて…。私の反応ににやりとされるジーニアス様。
「一つ口に入れればおっと不思議。たちまち体の痛みはなくなり、この通り動けるようにもなる。…まぁ、俺以外が飲んだら、たちまちその回復力に体がついていけないだろうがな。その味は…んーなんとも言えないものだったが…。その点については改善の余地ありだ。それに、なんとこの薬、驚くべきところは副作用がないってことだ! どうだ、凄いだろ?」
まるで自分の手柄のように言われるジーニアス様に私は思わず笑いが零れ、
「ええ。それを作られたフィルマン様はまさに天才です」
と言いました。私の言葉にニカッと笑われるジーニアス様。
「当ったり前だ。誰がこいつに稽古をつけてやったと思ってるんだ」
私は、このとき本来ならば送れていたであろう、まるで戦が帰りでの王宮での時を過ごしたような…時間を切り取ったような…そんな気がしました。…しかし、ここは既に敵地であり、そして油断してはいけない…冷酷無慈悲な戦場に引き戻されることになります。それは、エド様の一言でした。
「僕はそんなこと許さないから」
震えるような声…。エド様は俯きながらも、もう一度おっしゃいました。今度はもう少し大きな声で。
「…僕も…皆だってそんなこと望んでないよ…」
「エド様…?」
私はエド様の言葉の意味が良く分からず、困惑しました。作戦会議の中で何かあったのでしょうか?
「……殿下、姫様。外の動きが活発になり始めました。そろそろご準備を」
フィルマン様が不自然なタイミングで、私たちの会話を切ろうとなさいました。しかし、エド様はその場を動こうとはなさらず、手を握り締めていらっしゃいます。エマ様は…ただジーニアス様を見つめていらっしゃいます。しかし、その目には動揺が見られて……。ようやく私は、このただならぬ雰囲気を察し、ジーニアス様とエド様、そしてフィルマン様をそれぞれ見ました。その視線に最初に反応されたのは…ジーニアス様でした。ジーニアス様は困ったような、しかしどこか安堵されているように笑われ、立ち上がられました。
「殿下。私が戦時中、申し上げたことを覚えていらっしゃられますか?」
エド様の方へゆっくりとした足取りで歩いていかれるジーニアス様。私はそのお姿を見て…何か嫌なものが心うちを支配するのが分かりました。
「……『上に立つ者の緊張は下の者にも伝わりやすい』…でしょ」
「さすがは殿下。…しかし、大事なことをひとつお忘れですな」
ジーニアス様が床に片足を付かれるのと同時に、エド様は下げていらした顔を上げられました。
「我ら兵士は、あなた様がいらっしゃる限り滅ぶことなどないのですよ」
私は急にある考えが頭を過ぎりました。心臓がドクンっと鳴るのが分かりました。嫌なものが込み上げてきて…それはもう吐けば楽になるところをとうに過ぎているということを警告しているようでした。私は恐る恐る口を開きました。
「…ジーニアス様、言っていい冗談と悪い冗談がありますよ? それではまるで……」
まるで滅ぶことを決意しているかのような…言葉ではないですか…
「…そうだよ。あの時と今では状況も違うじゃないか…。僕は…父上みたいな存在じゃない…僕は……」
握っていた手はさらに力が込められ、エド様の体は震えました。ジーニアス様はそんなエド様の手をとり、自分の手に重ね合わせました。
「いいえ。違うなんてことはありません。私は確かに王に仕える身です。しかし、あなた様は次期王となられるお方。エドワール殿下。あなた様はおそらく、歴代の王の誰よりも困難に満ちた人生を歩まれるでしょう。しかし、それを乗り越えた時こそ、あなた様は誰よりも強く、立派な王となられる…。私はそう確信しておるのです。その茨の道を歩まれる覚悟があなた様にはおありですか?」
その目は真剣そのもので、エド様は一瞬言葉に悩まれたようでしたが、しっかりとジーニアス様に頷かれました。それを見て、ジーニアス様はフッと笑みを浮かべられ、しっかりとその手を握り返しました。
「あなた様を茨の道に導いてしまうこと、大変心苦しく思います。しかしこれも運命だと受け入れましょう。このジーニアス。あなた様を茨の入り口なんぞで傷をつけられないようにいたしまします故、どうぞ堂々と行かれてください。誠に勝手ながら…あなた様に、未来のハウヴァー託してもよろしいでしょうか?」
「………分かった。託されたよジーニアス」
エド様の真っ直ぐの瞳に満足そうに微笑まれるジーニアス様。そのお顔のままエマ様を見られ、
「エマリア姫様。未来の王が無茶をなさらないよう、どうかよろしく頼みます」
「……ええ。分かっているわ」
「我々の不甲斐なさのために、姫様まで戦事に巻き込んでしまったこと、兵を代表してお詫び申し上げます。そして、どうかハウヴァーのためにご自愛くださいませ」
「いいえ。詫びるのはこちらの方よ。私たちのため…に……ごめんなさい」
そこでお二人とも我慢の糸が切れてしまったようです。お二人とも俯かれ、そしてその床には真っ黒な染みがどんどん広がっていきました。ジーニアス様は立ち上がられると、お二人の頭に優しく手で触れられました。そして、ジーニアス様は最後に
「短い間でしたが、お二人に仕えることができ、大変光栄に思います」
とそう言って、ジーニアス様はフィルマン様を見ました。
「お前には苦労をかける。我らの小さな主君を導いてやってくれ」
その言葉にフィルマン様は敬礼を返し、そして涙で顔が濡れているお二人をフィルマン様は部屋の隅へと連れて行きました。…当然ならば私たちもそれに付いて行った方がいいのでしょうが…、ジーニアス様の目が私とベルンへと止まりました。私たちにもそんな言葉をかけるのでしょうか…。私はまだ諦めてなんて…
「ったく、二人してなんて情けねぇ顔をしてるんだよ」
完全に不意打ちでした。このシリアスな雰囲気の中、まさか頭をこことぞばかりにぐちゃぐちゃにされるだなんて思いもせず、私もベルンもとても驚き、反応に遅れました。
「ジ、ジーニアス卿! 何をされる!!」
「ジーニアス様!? なんなんですか!?」
完全に被ったその声に、ジーニアス様はただ笑われ、
「そっちの方がお前ららしい」
と言われました。その笑い顔から、私はもしかしたらこの考えは勘違いだったのかもしれないという思いが浮かびました。しかし、視界にエマ様とエド様が零された床の染みが映り、私は躊躇しながら尋ねました。
「……ジーニアス様。あなた様は私たちと一緒にリシポンに向かわれるのですよね? そこで怪我の療養をして…そして…」
そして時を見て、一緒にハウヴァーを…。しかし、私の淡い期待はすぐに消え去りました。ジーニアス様は静かに首を振られたからです。
「俺はここで足止めをしなければならねぇ。あとのハウヴァーはお前たち若い者に任せる。お前たちがいるからこそ任せられるんだ。そこに俺は不要だ」
「そんなことありません! ハウヴァー奪還はジーニアス様がいらっしゃれば、より確かなものになります。お願いします。あなた様はハウヴァーに必要不可欠な存在です。そもそも、ナノエに気づかれたのは、私の過失。あなた様が残られるよりも私が残ったほうが……」
「まだそんなことを言っておるのか! そのようなこと、俺が許さんと言った筈だぞ!」
しかし、ここでベルンに邪魔されました。私はあなたは黙っていてくださいという意味を込めて、睨み付けました。
「ベルンフリート卿に俺も同感だ。お前を残す理由がない」
今度は私が首を振る番でした。理由ならばあります。
「私は彼らに追跡される恐れがあります。今回、私が彼らにこの場にいることが知られたのもそれが原因でしょう」
ですから、私が残る方が正しいのです。しかし、私の主張にジーニアス様は首を振られます。
「心配すんな。それは、あの魔物の能力だ。あの魔物の能力は近距離にしか探知できない。たまたまあの能力を使った時に、お前が偶然居合わせてしまったんだろう。本当、お前は昔から運が味方しないよな」
私の必死の主張も簡単に論破されてしまい、私は言葉に詰まりました。…何か…何か…ジーニアス様の考えを変えられることは…
「…だが、どんなに運が味方しない時でも、お前がそこから逃げたことはなかったよな。そんなお前を見ていたからこそ、俺も逃げるわけにはいかねぇって思うんだぜ?」
私はその満面の笑みを見て、思わず声を荒げました。
「何故ですか!? 私にはジーニアス様がお子様がお生まれになるのでしょう? 奥様だって…どうされる……っ!? えっ!?!?」
私がいいかけていた言葉は途中で消え去りました。ジーニアス卿がひょいっと私を赤子のように抱えたからです。
「すまんなリオ。お前との久々の言い合いも楽しいものだが、空気の読めねぇ客人が集まり始めたものでな」
その言葉に私は体を固くしました。エマ様方を見ると、二人とも涙を拭いて、外へ出る準備はできているようです。
「ベルンフリート、ここからは計画通り別行動だ。……日が暮れるまでに落ち合えることを祈ろう」
フィルマン様の言葉に頷くベルン。…この状況はフィルマン様の計画の内。その計画を私は知りません。なので、私はどうすればよいのかを聞くために私は口を開きました。そのときです。
「ひっ!?!?」
大きな音がしたかと思うと、天井が崩れ、そこにはあのときの虫の魔物が姿を現したのです。