変わり果てたハウヴァー大国
私が知っているハウヴァーの光景。それは、あの大きな木から見た風景。綺麗な町並み、賑わう人々、王都と外界を分けるように取り囲んでいる塀、外界と唯一繋ぐ門、鳥をイメージしてあるハウヴァーの象徴の装飾、そして森を越えた先にある海。行動範囲がお城しかなかった私にとって、それがハウヴァー大国の光景でした。民と直接接する機会こそありませんでしたが、民あってこそのハウヴァーだとアヒム様が口癖のようにおっしゃっていたことは鮮明に覚えております。それが…そのハウヴァーが…私の居場所だったところが…
「……耳にしてはいたが…ここまでとはな…」
フィルマン様の呟きに私は手に力が入るのが分かりました。浅く吸う空気には、何かが焼けているような臭いが混じっています。それは、むせそうになるような酷いもので、喉に違和感を感じた私は軽く咳をしました。私はエマ様方の様子が気になり、ちらりと横目で見ました。
「……」
フードを深くかぶっておられるため、お二方の表情は分かりませんでしたが、見なくてもそのお顔は真っ青であることでしょう。私は途端に、お二人を連れてくるべきではなかったという後悔の念が浮かびました。
「…来たか」
フィルマン様の呟きに私はハッとしました。いつの間にか私の隣に、小柄な影が立っていたからです。その影は長い髪が顕になるのもお構い無しに会釈をすると、迷いなく歩き出し、フィルマン様もそれに続きました。
「………お二人とも…行きましょう」
私は、止まったままのエマ様とエド様にそう声をかけました。その隣にはベルンもいます。一瞬の間があり、動き出されたと思うと、お二人のうちの一人が私の手を取りました。その手は震えており、私はその手をしっかりと握ると、フィルマン様の後へと続きました。
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火薬の匂いが混じるハウヴァーの風を感じながら、ある男は立っていた。彼は旅人のようだった。身長は一般人よりも頭何個か分を優に飛び抜けているだろうか、その身体からは常人の何倍も鍛えぬかれただろうということが誰の目から見ても明らかだった。その旅人の足元には、見張りの兵が三人地に伏していた。しかし、男は何も気に留めることなく足を進める。彼の目的は、彼らの持っていた酒瓶だったようだ。飲みかけを一口のみ満足そうに息を吐いた。
「しっかし、ここも随分変わっちまったなぁ…。前来たときはもっとこう…酒が進むような場所だったと思うんだがなぁ」
ぐびぐびと酒を飲み干す男はそう呟き、そして気づいたようにあ…と言った。
「そういや、……俺がここに来たのは初めて…だったか?」
げらげらと笑う男は、しっかりとした足取りで荒れた国へと足を踏み入れていった。この男もまた狂った運命に翻弄される人物であった。本人はそのようなことなど考えもせずに、空の酒瓶を振って、次の獲物を探すようにあたりを見渡したのだった。
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「…はぁ…」
私は思わず漏れてしまったため息を取り繕うこともせず、路地裏の影に身を潜めておりました。もうすでにナノエによって占拠されている土地。それ故に、見回りをする兵士たちも多く、それはお城に近づくたびに強固なものになっていると感じられました。彼らの目を上手くよけてここまで来られたのは、カルファのおかげと言えるでしょう。王都へ出入りする唯一の門には、やはり見張りがいました。ですので、私たちはカルファの誘導の元、奇襲の時にあいた穴からこっそり侵入することになっていたのです。カルファはそれを探すために、ずっと血眼になって探したそうで…。エド様方と別れた私たちは、そこからここ…王都を半分くらいの地点まで早歩きできたのです。乱れていた息がようやく落ち着くと、私はちらりとカルファを見ました。カルファは近くに人がいないか鋭い目で辺りの様子を伺っており、普段の姿から想像もできないほど……えっと…
「………さっきからなんなんすか?」
「え?」
不意にカルファと目が合い、私は戸惑いました。じろじろ見すぎたのでしょうか…いえ、これは誰だって見てしまうでしょう…。私は目の前のカルファをもう一度観察しました。フードに隠された陶器のような白い肌、くりっとした大きな目、フードに収まり切れてあえないさらさらの髪…。そして何よりその歳相応に膨らんでいる胸!!迷った末、私は口を開きました。
「そ…その恰好、とても似合っていますよ」
「嬉しくないっす!」
案の定、嫌がられてしまいました。しかし、私の今の言葉はお世辞でもなんでもなく、本心です。何故なら、今のカルファはどこからどう見ても女の子なのですから。立ち姿も、歩く姿もいつものカルファとは大違い。最初にカルファだと分かったとき、開いた口がふさがりませんでしたとも。
「こちらの方が動きやすいんすよ。か弱そうな少女の方が、兵士の口も滑りやすいですよね」
やけに慣れたような口調のカルファ。…フィルマン様。あなた、弟子に何を教えていらっしゃるのですか…。私は引きつった顔を隠すことができませんでした。
「やっぱり両性類って言った言葉、間違いじゃなかったわね」
その会話を聞いていらっしゃったエマ様がぷぷぷっと挑発的な笑いをされ、カルファのスカート姿をおかしそうに見られました。
「…あんたはこれが終わったら覚悟しておいてくださいっすよ。見た目詐欺女」
「ふんっ! その言葉、そのままあなたに返すわ男女」
この状況下で、ばちばちと火花を散らすふたり。私は彼らを制した後、奥から大勢の国民が来るのが見えたので、二人に声をかけました。
「来ましたよ。供給の列です」
この言葉で二人は睨み合うのを止め、カルファが前に出ました。私はエマ様の手をしっかりと握りました。
「いいですねエマ様。ここから絶対に気を抜かれないように。あなた様のお顔は民や敵兵に知れ渡っております。それでなくとも、あなた様の髪の毛が表に露わになれば、一発で捕らわれの身に逆戻りです。それをお忘れなきように」
エマ様やエド様の金色の髪の毛は、王族の象徴でもあります。そのようなものが、兵士たちの目の前で露わになったら…そう考えただけでぞっとします。
「分かっているわよ。それよりリオこそ気を付けてね。私たちは今から姉妹なんだから。間違っても、敬語なんて使わないでよ」
私たちに与えられた役目。それは、供給に紛れて情報をあつめることです。私は緊張をほぐすために深呼吸をしました。フードに気を使う…。それはエマ様だけでなく私にも言えることです。見られた瞬間、私の場合エマ様とは違う意味で目立ちますからね…。
「大丈夫ですよ。私が上手く聞き出しますから。あなた方はただ私のそばにいて、苦悩が滲んだ顔をしていればいいんです」
まだ幼さが残るような甘い声を出し、カルファは微笑みました。私はその笑み一瞬見惚れ、そして思わず聞いてしまいました。
「………カルファって、本当に女子ではないのですよね?」
「……………馬鹿なこと言ってないで行きますよ。民から貴重な情報を得ること…それが私たちの役割なんですから」
エマ様が隣で笑いをこらえていらっしゃるのを不機嫌そうに見て、カルファは目の前を通り過ぎる列の中に紛れ込みました。私はエマ様の手をしっかりと握り、慌ててその後を追います。
「…今一番危険にさらされているのは、他ならぬここの人たちなのよね」
隣でそう呟かれるエマ様の言葉を耳にしながら、私はその手をしっかりと握るのでした。