説得と彼らの思い
「な…何を言っているのですかギル…」
図星を突かれた私に、ギルは分かるのですよと言いました。
「付き合いの短い私でも感じ取ったのです。フィルマン殿もベルンフリート殿もあなたの考えは察しておられると思いますが?」
私は急に味がしなくなった肉を無理矢理飲み込みました。そしてフォークとナイフを置くと、乾いた口を水で潤しました。コップを置き、もう言い逃れもできないと分かった私はため息をつきました。
「……だとしたらどうするのですか? 止めます?」
ギルにこんな話術があったとは失念しておりました。動揺さえしなければ、上手く躱せたはずなのに…。観念して白状した私に彼は笑って首を振りました。
「いえいえ。私はそんなことはいたしませんよ」
ギルから返って来た言葉は、私にとってとても意外でした。そうであるならば何故その話をしたのでしょうか…。怪訝そうに見る私にギルは言いました。
「ただ、私もその旅に同行させていただきたい…そう思っておるのです」
私はギルの言葉に納得しました。確かにそれならば、私の核心を突く言い方をした理由が分かります。しかし、納得したとはいえ、それがイコール旅の同行を認めることにはなりません。詩人であるギルには様々な理由があることでしょうが、私は首を横に振りました。
「申し訳ありませんがお断りします。これは私が与えられた任務です。それにあなたはハウヴァー専属の詩人でしょう? 独断で行動していいはずがありません」
「ハウヴァーとの契約はリアリー戦争までとなっておりますからご心配に及びません。それに言ってしまうならば、ハウヴァーの人間でない私がこの領地に留まっていい理由がないのです」
…食い下がりますね。正直に言うならば、ギルのその申し出は私にとって大変ありがたいもの。しかしながら、勇者リオとしての私の旅はあてがなく、さらにはそれで国が存亡するかどうか決まるわけですから、大変過酷なものになることは間違いないでしょう…。そんな旅に彼を巻き込むわけにはいきません。私はきっぱりと言いました。
「それでも、勝手に契約を打ち切るわけにはいかないでしょう。…今の話は聞かなかったことにします。あなたもお酒に酔っているのでしょう。一刻も早く部屋に行って横になってはどうですか?」
そして私が話を打ち切ろうとしたその時です。気づけばギルは私の方に身を乗り出し、そして私の手を握っていました。ギルのひんやりとした低い体温が、私の手に伝わってきます。料理が乗っていた皿は彼によって横に追いやられており、私はそれらを見ることを口実に彼の顔から目線を外しました。いつもよりギルの顔が近く、なんだか気恥ずかしかったからです。そんな私に構わず、ギルは口を開きました。
「一人では無茶だと分かっておられるのにそうやって無理されるところは、あなたの唯一の悪い癖なのでしょうな。しかし、そんなつれないあなたもまた魅力的だ。そんなあなたを側で支える騎士に私はなりたいのです」
今度は私の手を両手でしっかりと握るギル。今までにないくらい恥ずかしさを感じた私は、彼の手をなんとか外そうとしました。しかししっかりと握られているため、何度やっても力が緩むことすらありません。諦めた私は離すように言うためにギルの方を見ました。そこにはいつものように、茶化すような顔をするギルの様子がある…そう思っていた私でしたが、思わず目を疑いました。彼は意外にも真面目な顔をして、真剣な目で私を見ていたのですから。私はそれを見て答えに一瞬迷いました。そこまで本気であるならば、彼についてきてもらった方がいいのではないか…。しかし、ギルは私の手助けをしたいと言っていました。私についてきても彼を失望させることは目に見えています。そう判断したところで、私が断ろうと首を振ろうとした時、大きな影が私たちに覆い被さりました。
「このような軽率な行為、控えろと何度言ったら分かるギル」
その影の主はいつもより低い声でそう言うと、強引に私たちの手を引きはがします。その顔はとても不機嫌そうです。ギルは彼を見て、わざとらしくため息をつき口を開きました。
「おや、ベルンフリート殿。先ほどからお姿が見えないようでしたが、探し物は見つかりましたかな?」
ベルンはギルをじろりと睨みつけ、目線がぶつかり合う二人。そんな二人を私は内心慌てながら見ていました。…今の話…どこまで聞かれていたのでしょうか…。私を止める気はないと分かっているギルはともかく、この愚直な幼馴染に知られてしまったら、一貫の終わりです。下手をすれば、エマ様方にも知られてしまいます。私は厄介事になる前にと席を立ちました。
「…では、私はこれで…」
しかしまあ、正直ベルンが割り込んできてくれて助かりました。ギルとの話し合いは平行線になることなんて分かって居ましたから。このままあやふやにしよう…。そう思っていたところで、
「ああ、おかげさまで見つかった。リオ、来い」
面倒ごとは続けてやってくるものです。私はベルンに無理やり手を引かれ、涼しい風が吹くテラスへと連れて行かれました。…やはり聞かれていたのでしょう…。無言のベルンはいつものように軽口をたたくことすらためらうほど、とげとげしい雰囲気ですし…。あの場で話すんじゃなかった…。そう私が後悔し始めた時、掴んでいた私の手をベルンは不意に放しました。少しの間…。重々しい沈黙に私は落ち着かない気分になりました。…こんなことなら空腹を我慢すべきでした…。そして、私がその沈黙に耐え切れなくなったとき、ベルンは私を見て言いました。
「リオ、俺は今からお前を叩く」
私がその言葉に何かの反応を示すことはありませんでした。彼の言葉を理解する前に、私の頬に鈍い痛みが走ったからです。
「いったぁ!? なにをされるんですか!!」
私は何が何だかわからず、鈍い痛みを感じる頬を抑えながらそう尋ねました。ベルンを睨もうとしたとき、ベルンの力強い青色の目が私を映しているのが分かり、少しひるんでしまいました。その目は私を非難しているように思えたのです。
「今から半時間前の話だ。イッシュバリュートがお前を狙っていると分かり、俺はお前を探した。そして、俺がお前の姿を見つけた時、そのお前は一体何をしていた? 俺が叩いた理由はそれだ」
ベルンの言葉に私は思わず目を逸らしました。ベルンが言っているのは、私が自殺を図ろうとしていたあの時のことのようです。私は何か悪いことをして言い訳している子供のような気分になりました。
「…イッシュバリュート様は、私を人質にしてあなたを倒そうとしていらっしゃいました。だから、逃げ場もないあの時は……あれが最優先だと…」
「そんな優先事項あるか!」
突然大きな声で私を怒鳴りつけるベルンに、私は驚きから肩を震わせました。しかし気を持ち直し、彼に反論しました。あの時は必死に逃げてそれでも逃げ場がなく、それでもなんとかしなければと思ったのです。それをそんな…考えなしみたいに言わないで下さいませんか!
「ですが、相手は大勢。それに人質という材料も手に入れてしまえば、客観的に見てもあなた様は不利な状況です。運が良かったのは、その人質はエマ様やエド様ではなく、メイドである私だったということ。彼らがいないと国は滅びますが、別にメイドの一人が死のうが……」
パンっと再び私は頬を叩かれました。今度は反対の頬を。まだ話している途中だというのに……!!私はベルンの顔をキッと睨みました。
「そう何度も叩くことないじゃありませ………」
力加減をされているとはいえ、あなたの力で叩かれるのは本当に痛いのですよ…しかし、私の言葉は途中で失われました。睨みつけたベルンの顔が今にも泣きそうなほど歪んでいたからです。ベルンは戸惑う私の肩を掴みました。
「自分が死んでも誰も悲しまないとでもいうのか? そんなことあるわけないだろう。お前が死んだら殿下や姫様、周りの者もどんなに悲しむか…どんなに後悔するか…そんなことも分からないのか…」
私は何も言えなくなりました。ベルンの声が震えているのに気づいたからです。そして、半時間前…私が思いっきり振り下ろした短剣を掴んだときのベルンを思い出しました。あのときもこんな顔をしていたように思います。その後に起きたイッシュバリュート様との対決ですっかり忘れていましたが、確かに私はそのときこんな顔で睨まれました。
「正直、お前が自分に剣を突き立てた時、その場で殴り飛ばそうと思ったぞ」
……それは止めていただきたいところです。あなたに思いっきり殴り飛ばされるものなら、体中の骨という骨が粉砕してしまいますから。
「……すみませんでした。追い詰められていたとは言え、あまりに浅はかな行動でした。もうあんなことはしません……多分」
「…多分?」
再び同じ状況になったとして、それしか道がないのなら、恐らく私は同じ行動をとるでしょう………あ、止めてください、もう一度叩こうとするの!!
「し、しません! もうしません!! 約束します!!」
私は慌ててそう言いました。すると、振り上げた手を下ろすベルン。私はほっとしました。そう何度も頬を叩かれては私の身が持ちません。ただでさえ両頬ともりんごのように赤く腫れているのに…。ベルンはほっとする私に
「ではあと、もうそんな風に自分を卑下しないと誓え。お前の命はお前ひとりの物ではない。それを肝に銘じて、行動を改めろ」
と言いました。私が頷くと、ベルンは安心したようでした。力が抜けたように、そのまま私の肩に頭を乗せました。ずしっと彼の体重の一部が乗り、私はその肩に力をいれなければいけませんでしたが。……あぁ、エマ様にも叱られたことを思い出しますね。いけませんね。私が思ってした行動は全部裏目にでてしまいます。心配ばかりかけて……。私はこれからの行動のことを思い、思わず苦笑いになってしまいました。
「約束したからな。破ったら針を飲んでもらうぞ」
「え? 針って…」
私はベルンの言葉にきょとんとし、そして思い出して笑ってしまいました。前世では約束するときにはそういう歌があり、小さい頃ベルンに散々言って聞かせたことがありましたね。私はそれを思い出すのと同時に、もう一つの事も思い出しました。初めてベルンと会った時の事です。
「…そう言えば、ベルンから手を出されたのはこれで二度目ですね」
初めて会った時に一回、そして今ので二回目。私の言葉にベルンは思い出したのか、顔を上げました。
「…あれは不可抗力だった」
私はよく言うものだと肩をすくめました。あの時私が部屋から部屋に派手に吹っ飛んだところを見ると、かなり本気で蹴られたようですし、そのあとのベルンのセリフがとてもではありませんが不可抗力だったとは思えないからです。まあ、それが今後の私の目標になるとはあのときは思いもしませんでしたが。
「覚えています? 私を思いっきり蹴った後のあの言葉」
私がなんとなくそう尋ねると、ベルンは気まずそうに頷きました。どうやら彼の中でもあれは失言だったと分かってきたようです。
「確か…女だと思わなかった…だったか」
私は笑いながら首を振りました。
「違いますよ。男なのにあるべきはずの物がない、おじい様―とアヒム様に泣きつかれた後に、お前みたいな奴は一生女だと思わない、とおっしゃられたのです」
「……すまなかった…」
今でもあれは私の中では人生最大の屈辱です。しかし、思ったよりも頭を抱えて失言を詫びるベルンに、私はくくくっと笑いました。
「いいんです。あの言葉のおかげで、少しは女らしくしようと思うようになったのですから。それよりもその後のあなたが可哀想でしたね」
私にそう言い張ったベルンの頭には、アヒム様のげんこつが思いっきり炸裂したのです。そして彼は大泣きし、ますます私と張り合うようになりました。それをベルンも思い出したのか、何とも言えない顔をしています。
「…………………いや、あの時の俺は未熟だった。言葉の使い方も分からん子供で、叔父上を多々困らせておった」
私はふと、テラスから外を眺めました。暗くなって家々の光が目立っていますが、見上げた夜空には多くの星々が光り輝いております。私はテラスから身を乗り出しました。なんだかその星々が近く見えたからです。
「……そんなことありませんよ。アヒム様はベルンを自慢の孫だと……うわっ!?」
変なところに体重をかけてしまったおかげで、ずるっと滑ってしまいました。間一髪、ベルンが私の体を支えてくれなければ、今頃下に落ちていたでしょう。危なかった…。
「お前な…今女らしくしようと話をしていたのではないのか?」
ベルンの呆れた声に私は何も言い返せず、ただ謝るだけでした。何をしようとしていたのだというベルンの言葉に、私は良い言い訳が思いつかなかったので、笑われること覚悟で
「………ほ……星が…その…捕れそうな気がしたんですよ…」
と、我ながら馬鹿げたことを言ってしまいました。ベルンは私を地面に降ろすと、思った通り呆れた顔をして笑っておりました。私は恥ずかしさから顔が熱くなるのが分かり、景色を見るふりをしました。後ろではまだベルンは笑っています。
「残念だが、星を取ってやるのはさすがに無理だな」
まだ言いますか!しかし、そのあとふと思い出したように私の隣に来ました。
「だが、魔術が発達して、もしかしたらそのような時が来るやもしれん。それまでは、これで我慢することだな」
そして、自分の胸を指すような仕草をしました。私が何のことか分からず首を傾げると、ベルンは私の方に手を伸ばしました。
「これだ。せっかくつけておるのに何故隠す?」
そして、私の首にかかっているペンダントを引っ張りました。
「いつもつけているわけではないと言っていたが、そんなことなかったな」
その言葉で以前慌てて言い訳をしたことを思い出しました。あれは…そう、エマ様方の誕生日パティ―の時です。
「……そんなこと言いましたか? これはあなたが女らしくしろと言われたので、つけているだけです」
私の言葉に笑うベルン。ペンダントを見える位置に直すと、
「やはりお前によく合う」
と普段のベルンからは想像できない言葉を口にしました。別に他意などないことは分かっていましたので、私はお礼を言うと明後日の方向を見ました。別に不意打ちをまともに食らったわけではないですからね。
「…冷えてきたな。中へと戻るか」
ベルンの言葉に私は慌てて頷きました。私は明日の早朝にはここを発たなければなりません。その準備と少しの休養をとらなければ。
「どうした?」
私が立ち止まったのを不思議に思ったのか、ベルンは私を振り返ってそう問いかけました。…明日からのことを考えると、不安で胸が押しつぶされそうになります。それに、もう二度と会うこともないかもしれません。私は最後に彼に何かを言おうと、口を開きました。
「……………いえ、なんでもありません」
しかし、私は首を振り、彼の後に続いてバルコニーの扉を静かに閉めました。扉はゆっくりと閉まっていき、そして小さく音をたてたのでした。