西南の領地、リシポン
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「……我が主様。どうやら標的に逃げられたようです」
玉座に座っている現在の支配者である男に、一人の従者はそう言った。ここは元ハウヴァー王宮内。歴史を覆し、リアリー戦争の勝利を収めたナノエ帝国が、今やハウヴァー王都を我が物顔で歩いていた。王宮はすでにナノエ帝国の人々で溢れかえっており、そこから男の信頼度が伺える。第二王子である男にとってこれからが最も大事な時期であったが、そんな中で起こった失態であった。従者の報告に男は息をひとつつくと、部屋の隅にいる誰かに話しかけた。
「そうか。イッシュバリュートは失敗したか。…では、お前の思っていた通りとなったのだな。アレクサンドロス…元ハウヴァーの王よ」
男が話しかけた部屋の隅。そこには普通の兵の倍近くある屈強な体を持った者がいた。その者こそ、奪略されたハウヴァーの王、アレクサンドロス本人だった。今や鎖につながれ、そして体中拷問の痕がつけられた状態で見世物のようになっている。しかし、それでもなお、彼は王であったときと何ら変わらぬ瞳を男に向けた。
「…………なんのことやら我には理解できんな」
「とぼけるな。遣いでも送っていたのだろう。そういえば、お前の馬が一時行方をくらましていたな」
男の確信めいた言葉にも、アレクサンドロスはどこ吹く風。
「知らんな。馬一頭をいちいち気にしてはやっていられん。それに、貴様の追手を我が部下が巻いたのは、単純に我の兵が貴様のところよりも優秀だった。それだけではないか」
アレクサンドロスの言葉に、周りの従者は怒りを露にし始めた。
「口を慎め! 追手に行かせたのは元直属のお前の部下だ! その部下にまんまと裏切られ、そのようになっていることを忘れるな!!」
次々に罵詈雑言が飛び交い、従者たちは勝ち誇った様子で彼の体にまたひとつ傷をつけた。アレクサンドロスの鍛え上げられた肉体から血がしたたり落ちると、それが従者たちの嗜虐心をさらに煽った。それと比例して傍から聞けば不愉快に聞こえる声がまた大きくなる…そう思われた。しかし、ここからというところで彼らの声は急に止まり、ただ聞こえてくるのは罵声を浴びせられているアレクサンドロス本人の笑い声だけ。それは、怒りで騒ぎ立てる者たちを一瞬で静かにさせるほど、不気味で恐ろしい声であった。それを黙って見ていた男は、彼に問いを投げかけた。
「何がそんなにおかしい?」
アレクサンドロスは答えた。しんっと静まり返る王室に彼の低音の声が響き渡る。
「女神の目を欺いて定めを覆した貴様は、この世界そのものを敵に回したのだ。その意味…分からぬわけではあるまい。そこまでして、望むものはなんだ?」
アレクサンドロスの問いに男は答えず、ただ彼を見つめていた。変わらぬ表情からは読み取れないが、アレクサンドロスは男を見てニヤリと笑った。
「どうやってアレの存在に気づいたのかは知らんが…どうやら、私の方が何枚も上手のようだ」
アレクサンドロスの言葉に男は初めて表情を変えた。炎を燃やすような赤い瞳を彼に向け、そしてその途端、アレクサンドロスはうめき声をあげると、その口からは血が流れた。
「……初めからお前の部下を信用などしてはいないさ。次の策は取ってある。お前の部下と子供は地獄を味わうことになるだろう」
男はそう言って口角を上げた。それは周りの者をさらにぞっとさせるものであった。
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「…………私、時々ぞっとします…」
周りの光景を見て呆気にとられている私の隣では、フィルマン様が笑みを浮かべて立っておられました。
無事、エド様方と合流した私たちは、フィルマン様の魔法でその場から離れることになりました。その魔法の名前は、『団体移動魔法』。どうやらただの移動魔法ではないらしく、フィルマン様が行ったことのある場所に移動時間を短縮して一瞬で行くことのできる魔法なのだそうです。何故それを今まで使わなかったのか…。それは、魔法の目が私たちを監視していたからだと言います。そう詳しく説明を受けた私たちは、言われるがまま彼を中心にしてそれぞれ指示された位置に立っていました。そして、一瞬。目が乾き、まばたきをするかしないか…その一瞬のこと。森のはずれに立っていた私たちはいつの間にか、別の場所…つまりは西南の領地であるリシポンへとたどり着いていたのです。その驚きとあまりの凄さに圧倒された私がそう口にしたのは、当たり前のことだと思います。
まあ、こうして無事、目的地にたどり着いた私たちは心から安堵し、そしてその領地を治めていらっしゃる方が住んでいるというお邸へと向かったのです。お邸の場所はすぐにわかりました。どの家々よりも高くて大きいものを探せばよかったからです。案の定、そのすぐそばに、ここの領主と思われる方が出迎えてくださいました。彼はその目立ったお腹を揺らしながら近づいて来られます。
「………エドワール殿下! エマリア姫様!! ようこそ我が領地にいらっしゃいました!! ここの領主のワルシーと申します。長旅は大変だったでしょう。お食事の用意はできております。ベルンフリート様にフィルマン様、それにその他の従者の方々もどうぞご一緒に!! ああ!! お二方がご無事で何よりでございました!!!」
そう一気にまくしたてると、私たちを大きな部屋へと連れて行きました。そこでは、豪華な食事がこれでもかというくらいずらりと並べられており、私はその匂いに思わずうっとなりました。
「ご遠慮なくどうぞ!! これは取れたての珍しい食材でして…」
半ば無理やりエド様方を椅子に座らせると、食事の説明をされるワルシー様。私はメイドなので座るわけにもいかず、後ろで控えている状態…。正直に言うならば、足も手も疲労からぷるぷる震えており、許可をいただけるならその場で寝ることも可能なほど私は限界を通り過ぎた状態でした。ふと、エマ様が私を呼ぶ仕草をなさったので、私はもつれそうな足を何とか進ませて彼女の元へ向かいます。何の用でしょうか…そう口を開きかけた時、私は顔を引きつらせました。慌てて彼女に囁きます。
「エマ様、そんなお顔をされるのはおやめください…」
なんとエマ様は思いっきり眉間にしわを寄せられ、そしてそれをワルシー様に向けられていたのです。エマ様は悪びれる様子もなく、私に囁き返しました。
「寄せたくもなるわよ。追手から逃げ回ってくたくたの私たちに、こんなものを食べさせようというんだから。こいつの頭には私たちに媚びることと、どうやってそのお腹を維持させるかのふたつしか占められていないのよ。私は今すぐベッドで寝たいのに」
ちらりとワルシー様を見ますと、彼はこちらの様子なんて気にも留めず饒舌に話されております。私は同感ですという、のどまででかかっていた言葉を飲み込んで彼女を諭しました。
「…だからって、あからさまに態度に出されるのは…。それに、一応好意で用意していただいたわけですから…」
しかし、私の言葉もテーブルに並べられた料理の品々を見て、途中で消え去ります。確かにエマ様の言われる通り、出された食事はどれも味が濃いものばかりで、今のエマ様方には重いものばかり。美味しそうではありますが、正直食べたいとは思えない品々…。席に座っているフィルマン様やベルンを見ても手をつけようとする人は誰もいないようです。ただギルだけは、横に控えている踊り子さんたちを口説いているのに夢中ですが。
「ワルシー殿。この料理の数々とても嬉しく思うのですが、しかし我らは追手を巻いて来た後。できれば、スープやパンなどあまり味付けが濃くないものをいただきたい」
しかし、ここでフィルマン様が私たちを代弁してくれる言葉を口にしてくれました。私はエマ様と顔を見合わせ、笑みを浮かべました。出てきたのは、温かいスープと朝食べたものよりも小ぶりなパンでした。
「おお! それならそうと早くおっしゃっていただければ、もっと豪勢なものができましたのに」
…ですから、豪勢なものはいらないんですって。げんなりする私をよそに、それらを安堵した様子で食するエマ様方。
「食事はあまり満足していただけないようですので、代わりにこちらを用意いたしましょう」
ワルシー様が手を叩かれると、軽快な音楽が流れ、踊り子さんが華麗な動きを見せました。彼女たちの腕や足についた鈴の音が軽やかに鳴り響きます。
「我らが誇る踊り子の舞いでございます。十分にお楽しみいただけるかと。さすがにここまでは、ナノエの蛮族も進行してはいません。今晩だけは旅の疲れをいやしていただきたく思います」
ワルシー様のお言葉でこのまま宴会となる形となり、お酒の存在を敏感に感じ取った私は、食事が終わったエド様とエマ様をお部屋へとお連れしました。ワルシー様はどうしてもエド様に宴会に参加してもらいたいようですが、そうはいきません。なにせエド様は眠そうな目を先ほどからこすっておられるのですから。私はフィルマン様の隣でお酒にそっと手を伸ばそうとしているカルファの腕を掴み、彼も宴会場から連れ出しました。
「ちょっ!? なにするんすか!!!」
「あなたももう寝る時間です。私たちは別に部屋が用意してあるようなので、そちらに行きますよ」
私の言葉に不満そうな顔をするカルファ。
「リオさんの仕事内容に、他の使用人の面倒をみることも含まれているんすか? 自分の面倒は自分でみれるので放って置いてください!!」
私は彼の言葉に否定で返しました。
「お断りします。大体、今成長期であるのにお酒なんて飲んでいたら背が伸びませんよ。ただでさえ、体の線が細いのに」
「なっ!?」
まったく、フィルマン様もどういう教育をなさってきたのか。隣にいる弟子が飲酒をしようというのに、ご自分は高級のお酒に夢中になっておられるなんて…。ここから発つ前にしっかり言っておかなければ。
「…諦めた方がいいよカルファ。こうなったらもうリオは意地でも君を寝かしつけるから」
私たちを振り返りながら苦笑いをされるエド様。エマ様はまだ私の手をふりほどこうと暴れるカルファを鼻で笑われました。
「背伸びしても、あなた自身が背が伸びるわけではないわよ。哀れね」
エマ様がご自分の身長とカルファの身長を比べるような仕草をなさりました。…あ、そういえばカルファの身長よりエマ様の方が数センチ高かったですね。カルファはそれを気にしていたようで、エマ様に食って掛かりました。
「お…俺はこれから伸びるタイプなんすよ!!」
言い合いになる二人でしたが、エマ様の挑発的な言葉にカルファは暴れるのを止め、エマ様を睨みながら私たちと歩みを合わせてくれました。しばらくして、先ほどから気配を消していた案内人の足が止まりました。
「ここが、エマリア姫様とエドワール殿下のお部屋となります。使用人の方々の部屋はこの下の階となりますので」
そして、お二方にお辞儀をすると、そそくさと立ち去る案内人。…私たちの案内はしてくれないようです。
「では、私はカルファを部屋に送りますので、何かあったら呼び鈴を鳴らしてください。今日はお疲れさまでした。よい夢を」
ふくれっ面のカルファと共にお二人の部屋のドアが閉まるまでお見送りすると、私はカルファを連れて下の階へと行きました。
「……リオさんって、案外お節介なんすね」
まだ文句を言うカルファに私は笑ってしまいました。フィルマン様の優秀な弟子で、かつ家事もこなすカルファは、どこか大人びた雰囲気を持っているように感じていたのですが、先ほどから口にする言葉はまさに年相応。カルファは私が笑っていることに、むっとしたようです。黙りこくってしまいました。そして、そうしているうちに私たちの部屋が見えてきました。
「食事が先ほどのもので足りなかったならば夜食を持ってきますが、どうします?」
カルファの部屋の前で私はそう彼に問いかけますが、機嫌を損ねたカルファは私の言葉を無視して、ドアを閉めようとします。
「……………お邪魔しますね」
カルファの行動に多少むっとした私は、カルファを押しのけて彼の部屋に入りました。
「な、なにするんすか! ここ俺の部屋っすよ!!」
私は微笑みました。無視したお返しです。
「エド様がおっしゃっていたでしょう? こうなったら私は、意地でもあなたを寝かしつけると」
私の言葉に逃げ出そうとするカルファをベッドに入らせ、そして私はそばにあった椅子に座りました。
「……そんな急に言われても寝れないっすよ」
「大丈夫です。ベッドに入ればいつの間にか寝ていますから。でも…そうですね。それまでお話でもしましょうか」
エド様方の中で恐らく、私とカルファが一番接点が少なく、話す機会もあまりありませんでした。同じ使用人としてこれではいけません。彼は中々話そうとはしませんが、私が去った後のことを考えると最低限のコミニケーションを取っておいたがいいでしょう。私の言葉に大きなため息をついたカルファが、諦めたように口を開きました。
「…リオさんって、本当よくわかんない人っすよね。なんでいちいち俺なんかに構うんすか?」
私は彼の言葉に首を傾げました。理由…ですか。ただ単純に彼がまだ一人前という年からは程遠く、しっかりしているとはいえまだまだ危なっかしく感じるから…というのが一番に挙げられる理由なのですが…。それを言ってしまうなら、子ども扱いしていると彼はますます不機嫌になりますよね…
「…そうですね。単純に放っておけないからでしょう。あなたはフィルマン様の弟子として優秀で能力も高いですが、どこか他人を必要以上に警戒する節がありますし…」
警戒することが悪いとはいいませんが、そんなだと身も心も疲れてしまいます。どんな過去が彼にあるのか私には分かりませんが、エマ様方と違う意味でどうも目が離せないんですよね。カルファは私の言葉に大きく目を開き、顔を背けました。
「…そりゃあ…そうっすよ。今まで他人と関わることなんてなかったんすから。たまに街に降りて買い物するくらいで……」
しどろもどろにそういうカルファ。私はなんだか少し寂し気なその姿を見て、つい彼の薄い緑色の髪を撫でました。
「……あの…」
「あっ、すみません」
彼の戸惑いを察した私は慌てて手を引きました。いつもエマ様にするのでつい…。私はカルファから次に言われるのは怒りの声かと思い、気まずくなりました。しかし、彼は
「……眠くなってきたっす。だから…その…眠るまで……さっきのしてくれないっすか?」
と照れくさそうにそっぽを向きました。私は彼に気づかれないように微笑み、彼が眠りにつく十数分くらい、彼の頭を撫で続けました。そして、カルファが寝たことを確認すると、そっと部屋から出て、宴会場へと戻りました。私の空腹も限界に近かったですから。
「……うわ…」
扉をそっと開けた私が最初に思ったのは、その強烈なお酒の匂いでした。嫌な予感がしつつ部屋に入ると、その部屋の様子に思わず顔が引きつるのが分かりました。
「あ、リオ殿。どこに行かれていたのですかな?」
最初に私に気づき話しかけてきたギルの周りには、先ほどの踊り子さんたちが囲むようにして彼に熱を帯びた目線を送っており、フィルマン様は女性数人とお酒を飲み酌み交わしながら、ワルシー様と談笑をされております。ベルンの姿は……その部屋にはないようです。お手洗いにでも行っているのでしょうか?まあ、普通であればその光景に疑問は持たないのですが、問題なのは床に転がっているお酒の瓶の数。それはそれは数えただけで数十本はあり、まだまだそれは奥の方にも転がっております。
「……これがこの匂いの原因か…」
一体彼らは何本のお酒を飲んだのでしょう…。私は急性アルコール中毒の心配しながら、テーブルの隅に座りました。余った料理を食べるためです。普段であれば叱られそうなのですが、こそっと食べれば問題ないでしょう。
「リオ殿。何を食べておいでで?」
しかし、それすらも邪魔しようとするものがいました。ギルです。彼は魅力的な踊り子さんたちを放り出して私の前に座り、そして満面の笑みで私が食べているのを見ています。最初は酔っ払いの面倒な絡みだと無視を決め込んでいたのですが、そろそろ踊り子さんたちの目線が怖いので、私は彼に話しかけました。
「あなたが先ほど食べていたものと同じものです。そんなことより、私なんかを相手していないで、踊り子さんの方へ戻られた方がいいのでは?」
「彼女たちは仕事がありますからな。ワルシー殿にそろそろ呼ばれる頃です」
すると、確かに向こうからあの軽快な音楽が聞こえ始めます。超能力者かなんかですか?
「それに、俺としてはあなたとこうやって話している方がより充実した時間を過ごせそうですからな」
またかと私はため息をつきながら、コップに入った水を一気に飲み干しました。女性なら誰でもいいんでしょうが、何も空腹を満たしている時にせずともよいでしょうに。私は近くにあった食べられそうなものを皿に入れると、今度はそれを平らげることに集中しました。
「その料理は美味しいですかな? 私はあまり好みではなかったのですが…」
私はサラダによくわからない刺身が混ぜられている料理を口に入れていました。食べた途端につんっとくる生臭さに、失敗したと次の料理に手を出しました。
「そうですね」
「そういえば、リオ殿。今回の事で初対面同然だった我々が、図らずしも信頼関係が築かれたことをご存じで? まあ、あなたのことでしょうから、その些細な変化に気づいておられるとは思いますが」
私はあまり気が進まない何かの肉を口に入れました。先ほどの失敗を繰り返さなければよいのですが…。しかし、それを口の中に入れた途端、それが杞憂だったことが分りました。芳ばしい上品な味わいが口の中に広がったからです。私はその味に感動を覚えながら、まるで味評論家のように何度も頷きました。
「そうですね」
「そして、この後一人で女神を探すおつもりですか?」
「ええ。そうで……」
私は前の問いのように適当に頷きかけ、そしてしていた行動の全てを止めてギルを見ました。ギルは動揺する私を見ても、何も変わることなく再び同じ言葉を口にします。
「あなたは一人で女神を探す旅に出られるのでしょう? 主君であるエマリア姫や我々をこの地に置いて」
ここまで読んでくださっている皆さまに感謝の言葉を申し上げます。