帰還した鬼人
「急ぎで帰ったというのに、ねぎらいの言葉は一つもないのか」
「お、お早いお帰りでなによりです。ベルンフリート様」
慌ててお辞儀をした私でしたが、目の前の光景に自分の目を疑ってしまいました。もしかすると…これは自分が作った幻想なのではないか。顔を上げればそこには何もなく私は部屋に一人のままなのではないか。そんな考えが頭を過りました。………しかし、顔を上げてみればそこにいるのは間違いなくベルンです。私の頭の中はいろいろな言葉が浮かんでは消えていきます。何を言えばよいのか分かりません。しかしやはりここはベルンの言う通りねぎらいの言葉を…。私はそう考えに至ると口を開きました。
「それだけか?」
「…はい?」
しかしその言葉はベルンの不機嫌そうな声によって口に出すことはなくなりました。ベルンは腕を組み、腹立たしそうにこちらを見ます。…なぜそんな態度を取られるのか分かりませんが、何もしていないのにそんな態度を取られる筋合いはありません。こちらも喧嘩腰となって、聞き返しました。
「それだけ…とはどういう意味でしょう? 私にはあなた様が何を求められているのか、さっぱり分かりませんね。まあ、無様な戦い方をしてしまって当たり散らしている…ということでしたら分からないでもありませんがね」
「戦から帰って来た者に対して、その態度が気に食わんのだ。ねぎらいの言葉一つ出て来んのか貴様は!!」
いきなりまくしたてるベルンにかちんときました。こっちの苦労も知らないでこいつは…!!!
「それはそれは申し訳もございませんでした。さすが戦で活躍される方の言うことは違いますね。私感動いたしました!! こちらの状況も考えず、ご自分のことばっかり!! そのような心構えでよくもまあ自分のことを武人だと言えるものですね!!」
「お前に武人の心構えについて言われたくもないわ。俺の悪口を大声で言いよって!! 誰が女たらしの弱虫だ。俺がいつそんなことをした? 言ってみろ!!」
「はあ? あなた何を言って…とうとう頭まで筋肉が……」
私はそこまで言いかけて言葉を失いました。ベルンを見ると、ふんっと鼻を鳴らされてこちらを見ています。……ま…まさか…先ほどの独り言を……聞いて…………………………
「い…いつから……」
「はっきりと聞いた。お前が俺の悪口を言っていたところから全部な! 言いたいことがあるなら直接言えばよかろう!!」
「ぬ…盗み聞きなどそれこそ武人あるまじき行為ではないですか!!」
「お前が勝手に話しておったのを聞いてしまっただけだ。このような状況下でそんな大きな独り言を言えるお前の神経の図太さには大いに驚かされる。正直、頭が壊れてはいないかと心配になったが……」
「余計なお世話です!! あなた様の筋肉脳よりは幾分かましです。女性の部屋に勝手に入ってくるなど…あなたの脳の筋肉化がそれ以上進まないことをお祈りしております!!」
私は羞恥心から言葉を荒げました。悪口からということはその前に言ったことは聞いてはいないことは分かっていましたが、何よりも…大声で話していたことが恥ずかしい!!!!!もう顔からとは言わず体中から火が出て死にたいくらいには恥ずかしいです。そもそも…女性の部屋で何盗み聞きしているんですかこいつは!!この目の前でふんぞり返っているこの人見て、ふつふつと恥ずかしさが怒りへと変わっていきます。
「筋肉の何が悪い! 大体お前は筋肉がなさすぎるのだ。その腕を見ろ!! そんな贅肉だら……ちょ…待て!!」
私は自分の怒りが頂点に達したのが分かりました。…いえ、頂点を超えましたとも。人には言っていいことと悪いことがあってですね……。知っていましたか?いえ、このデリカシーのかけらもないこの筋肉馬鹿の脳みそに入っているわけありませんよね。
「…人が気にしていることを……この……」
「この馬鹿…落ち着け!! それを今すぐ置け!! 今大きな音を立てては…」
この…馬鹿?とうとう馬鹿呼ばわりですか…。もう私の怒りは爆発寸前です。最近は稽古の成果もあってお腹の肉がだいぶましになったと……思って……。そりゃあ、あなたよりはありますよ!!ですがそれを贅肉だらけって……。こっちは我慢して…色々…努力しているってのに……それを贅肉だらけって……
「この……筋肉馬鹿野郎!!」
私は手にしたものを思いっきりベルンに投げつけようとしました。しかし、それはベルンのある一言によって制止されました。
「殿下もきておるのだぞ!!」
………………………………………………………エド様が!?私はその言葉ではっとなり慌てて辺りを見ました。
「ど…どこですか!! ご無事なんですか?? お、お怪我は?」
「ま…まずはそれを置け!! 話はそれからだ」
そうでした。このデリカシーなさ男に構っている暇はなかったのです。私は静かに持っていたベッドを下ろしました。…とっさに出てしまうこの癖は…直ったと思っていたのですが…エマ様にはこのようなところ見せられませんね。私はベッドを置いてホッとするベルンを見ました。そんなベルンの顔を見てさらに怒りがわいてきましたが、私は平常心を努めました。
「あ…いやその…悪かったな。贅肉だら…」
「は?」
「い、いや! い、言い過ぎた。落ち着け。俺が悪かった」
私は窓の外を見て大きく深呼吸を二、三度いたしました。だんだんと頭が冷えてくるのが分かります。…騒ぎすぎました。見張りがいないとはいえ……だだだ大丈夫なのでしょうか…。今度は顔から血の気が引いていくのが分かりました。
「ど…どどどどどうしましょう! 何をしているのですか!! 早く身を隠さないと!! ナノエが来て…とりあえずこの衣装ダンスの下にでも隠れておいてください!! 私が持ち上げますから早く……」
「衣装ダンスの下にどうやって隠れろというのだ。とりあえず落ち着け」
「あぁ…そっか! タンスの下は無理…って!!」
いやいやいや!! あなたこそ冷静にツッコんでいる場合ではないではありませんか!?
「先ほどの声は外には漏れておらん。フィルマンからこれを預かって来たからな」
あたふたとしている私を見てため息をつきながら、ベルンが取り出したのは小さい石。私は首を傾げました。なんですこれ?
「消音石と呼ばれるものだ。これにある程度の音は吸収される。もしもの時にと持たされたものだが、さっそく役に立ったな」
ふむっと頷くベルンに私は心底あきれた顔を見せました。……つまりは…フィルマン様は私とベルンが会えば言い合いになると予想されてそれを渡された…と。確かに予想は的中し、その石のおかげで唯一の逃げ道が無くならずに済んだのですが……ふ、複雑です。自分の馬鹿さ加減にいい加減泣きたくなってきました。
「そっ、それでフィルマン様は今どちらに……」
「陛下や殿下と共におる。皆無事だ。心配するな」
「…そうですか」
私はほっと胸を撫で下ろしました。皆無事ならばそれで。
「陛下からこの城を脱出するよう命をうけた。太陽が沈む前に決行しようと考えておる。伝書鳥での文であらかたの状況は分かっておるつもりだが、それからの様子はどうだ?」
何気なく聞くベルンに、私は言葉に詰まってしまいました。頭が真っ白になるのが分かります。頭の中で繰り返しアヒム様の最期のお姿が出ては消えていき…私は思わず震える手を隠すように握りました。
「あ…あの…ベル…!!」
気付けば私はベルンに抱きしめられておりました。それに気づいたとき私は体がこわばるのが分かり、慌てて引き離そうとしました。しかし、この馬鹿力を私一人の力で何とかしようだなんて無理な話。早々に諦めました。しかし…焦りはしましたが、ベルンの体温がじんわりと伝わってくるとともに次第に心が落ち着いていくのが分かりました。いつの間にか手の震えも止まり、心地よい温かさに私は思わず泣きそうになりました。
「すまん、気づくのが遅れた。怖い思いをさせたな」
ベルンのその優しい声色に、あのような言い方をしながらも実は心配してくれていたのだと分かり、私は思わず笑みをこぼしました。そして、私は首を振り、顔を離しました。
「ご無事でなによりです。それだけで私は…」
「強がるな。また泣いておったのだろ……」
私の顔をそっと撫でるベルンの手が、突然ぴたっと止まりました。その顔はなんとも言えないような顔つきでした。…殺意のようなものも感じられます。私は戸惑いながら、ベルンに尋ねました。
「ベルン?」
「これは誰にやられた?」
私はベルンの言葉にきょとんとしましたが、ハッと顔に手をやりました。鈍い痛みを感じます。確かイッシュバリュート様に…
「……あの裏切り者か」
私の顔を見て何かを察したのか、今までにないくらい怖い顔をし、一直線にドアへと向かいました。 私は慌てて彼を引き止めました。
「ま、待ってください!」
ここはすでに敵の巣となり果て、さすがのベルンであってもそれは無謀すぎます。ベルンの手を掴み、引きずられながらも私はそれを必死に止めました。
「冷静になってください! このような傷、あなた様がわざわざ動くようなものではありません! そのようなことで命を落としてはアヒム様に……」
アヒム様に……。そう言いかけた私の頭の中には、あの情景が再び浮かび上がりました。掴んでいる手に力がこもり、私は俯きました。
「……」
「…どうした?」
気付いたらベルンが私の手を取っていました。どうやら思いとどまってくれたようです。私は安堵しながら、震える手にベルンの体温が伝わるのを感じながら私は息を整えました。ベルンに言うべきか…いえ、言うべきなのは分かっています。問題なのは、正直思い出したくもないアヒム様の最期を…私が言うことができるのか。それにそれを伝えてベルンが耐えられるのかどうか。…今は伝えず、ことがひと段落ついてからというのは……逃げですね。少しの時間がある今言った方がよいでしょう。私は深く深呼吸をしました。
「ベ…ベルン。落ち着いて聞いてください。その……」
アヒム様が……。その続きの言葉がどうしても出ず、私の中でぐるぐると回っております。ベルンはその続きを促すこともなく、私の言葉を待ちました。
「アヒム様が…お亡くなりに…なられました」
やっと出た言葉はかすれて、私でもやっと聞き取れるほどでした。私は恐ろしくて、恐ろしくて…ベルンの顔を見ることができませんでした。ただ…ベルンの手を強く握りしめ…最悪な事態にならないようにつなぎ留めておくことしかできませんでした。
「…あぁ。知っている」
小さく呟くベルンに私は顔を上げました。…知っている?あの出来事はつい先ほど起こったことなのですよ?ここからあの競技場は距離がある上に、ナノエの兵士たちがそこら中にいます。どうやって……
「どうやって…まさかあの場にいたのですか?」
私がそう尋ねるとベルンはため息をつきました。そして私から目を逸らすと、言いずらそうに言いました。
「…門の外に叔父上の首があったのだ」
「門…の…」
言葉が出ませんでした。門の外にアヒム様を…。その行為は見せしめとして、死者を愚弄するということ。…ここまでするのですか……。生きている者だけでは飽き足らず、死者までもないがしろにするというのですか。これが…大国同士の戦いとでもいうのでしょうか。尊厳も何も…ないではないですか…。私はこぶしを握りしめました。
「…それを見て理解した。叔父上は最後までご自分の譲れぬものを守ったのだと。叔父上が口癖のようにおっしゃっていた『大事なもののために命を懸け、譲れぬものに意味を成せ。それが武人の誇りである』…それを全うされたのだ」
ベルンは誇らしそうに笑みを浮かべ、そして目を閉じられました。その瞳の奥に悲しみがあろうとも、それに屈することのない…そんな力強さをベルンから感じ取りました。
「叔父上は幸せだった。俺はその最後を見届けることはできなかったが、代わりにお前がそれをしてくれた。それでいい。どんな状況であれ、愛弟子たちや愛する主君、それに…愛娘であるお前に看取られたのだ。これ以上幸せなことはあるまい。だからそんな顔をするな」
乱暴に私の頭を撫でるベルンに、私はもうあの小さくてアヒム様にべったりだったベルンはもういないのだと知りました。最近は人の成長に驚かされてばかりです。どう声をかけようか悩んでいたのに…こちらの方が慰められてしまいました。
「……大きく…なったのですね」
私は感慨深くなり、私はぽつりとつぶやきました。
「当たり前だ。俺もお前もいい歳になっておる」
いい歳。その言葉に私は笑ってしまいました。確かにもういい歳です。前世から合わせると私はもうおばさんと言われてもいい年齢。……おばさんかぁ。
「……って、いい加減髪をぐちゃぐちゃにするの止めてください!!」
何やら心に突き刺さるものを感じ、私は急いでそれを振り払いました。あぁ、怖い怖い。女性にとって年は敵ですね。なんとも恐ろしい。
「お前が不細工な顔をしておるからだ。どうせまたろくでもないことを考えておったのだろうがな」
「なぜあなたにそのようなことを言われなければならないのですか!!」
頭に来た私は先ほどからされていたことをそのままお返しいたしました。ぼさぼさだった髪はさらに盛り上がり、アフロみたいな…ぷっ!!
「止めろ!! 俺はそこまでしておらんぞ!!」
「仕返しは倍返しが常識です!! …あー! ちょっと! 止めてください!!」
「ならば更に倍にして返してやろう」
そこからはもう取っ組み合いです。どちらがより相手の頭を盛り上げるか…それしかもう頭にありませんでした。ですから私は忘れていたのです。
「…二人共、何をしているの?」
エマ様の存在を。私たちははっと声をする方を同時に見ました。そこには衣装ダンスから姿を現したエマ様の姿がありました。怪訝そうな顔で私たちを交互に見られました。
「何もしておりません!!」
「何もしておりませぬ!!」
私たちは慌ててお互いの頭から手を離し、首を横に振るのでした。




