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ハウヴァーの英雄、散る

てっぺんに昇った太陽を背に一つの影が動きました。それはふらっと後ろに倒れたかと思うと、目にもとまらぬ速さで城の上を懸け、飛び降られました。そしてその影は、涎をまき散らしながら暴れるシュコードウルフを斜めに裂きました。シュコードウルフは白目を向き、二つに裂けた体はそれぞれ別々の方向へと倒れました。


「ア…アヒム様だ…ハウヴァーの守護者が来てくださった!!」


周りにいた兵士たちは彼を見ると、目から恐怖は消え失せ、代わりに闘志を燃やし観覧席にいる敵を見つめました。


「アヒム様!!」


私は周りの声に負けじと声を張り上げました。その声はアヒム様に届いたようでこちらを向いてにこりと微笑まれました。いつもであったら…安心するはずのその笑みに私の心は不安が募るばかり。なぜ来られたのですか。なぜそのままお逃げにならなかったのですか。マリア様はどうされたのですか。あなた様がいらっしゃらなければ…今後ハウヴァーはどうしていけばいいのですか…。私はアヒム様が姿を現されないことを祈っていました。姿を現されたとき、アヒム様がどんな行動をとるか…分かっていたからです。兵士たちの闘志に溢れる姿を横目に、私はどうか…彼らと共に戦うことを選んで…と我ながら酷い祈りを抱いていました。…私も所詮彼らと同類。しかしそれを望んではいけないと分かっていながらも、祈ってしまう自分は…やはり愚かだと思います。アヒム様は大きく息を吸われました。


「お前たちの言う通りに姿を現した! 今度はわしの言うことを聞いてもらおう、ナノエの王子よ。もうこれ以上の無闇な虐殺は止めよ。この老いぼれ一つの命で代わるならば…喜んでそうしようではないか」


私はその言葉に唇を噛みしめました。やはりアヒム様は…ご自分の命を代わりに兵士たちを助けるつもりなのです。周りの兵たちは騒然とされました。当たり前です…。彼らはこれからナノエと戦争をするつもりだったのですから…


「くっ……ははははは!!! とうとうハウヴァーの守護者もぼけられたか!!」


どこかで裏切り者の高笑いする声が聞こえました。私は彼を心から軽蔑しました。あの方には…アヒム様のお心など一生分かりはしないのです。アヒム様はこれ以上無駄な死者を出さないために、自分自身を犠牲になされようとしていることなど。アレクサンドロス王率いる軍勢が半日経っても戻って来られないことから、我らに勝機がないと…


「何をおっしゃられますか! あなた様が死ぬ必要はありません! あなた様の命は私殿の命よりもずっと貴重です。ですから…」


「いいや。こんな老いぼれよりもよっぽどお主らの方が貴重じゃよ。このハウヴァーに必要なのは未来ある若い者じゃ。エマ姫様や王妃様をよろしく頼む」


兵士たちにそう言い聞かせたアヒム様はご自分から死刑台の上へと行かれました。


「お待ちくださいアヒム殿……くっ!」


アヒム様を止めようとした兵士たちはそこに見えない壁が立ち塞がっていることに気づきました。


「くそ…アヒム殿!!」


兵士たちは大勢、その壁に体当たりを繰り返されました。しかしそれはびくともせず、兵士たちは歯を食いしばりながらさらにその勢いを増していきます。


「…通してちょうだい」


それを制されたのはエマ様でした。静かな声でしたが、兵士たちははっとエマ様を見て、そして道を開けられました。視界が開けると、アヒム様は死刑台の上で拘束され、そして私の隣にいるエマ様を見られておりました。エマ様は彼の名をぼそりと呟かれました。


「……アヒム」


アヒム様はエマ様に微笑まれ、そして頭を下げられました。


「申し訳ございません姫様。まだまだ姫様の成長をおそばで見守りたく思っていたのですが……私は私の役目を全うせねばなりません。あちらで先にいった者どもと見守っております。姫様は姫様らしい王女となられてくださいませ」


エマ様は唇をぎゅっと噛まれ、こくんと頷かれました。私はスカートの裾をぎゅっと掴み、地面を見ました。私はこのまま見ているだけしかできないのでしょうか?…いいえ、まだあるではないですか。ナノエの王子はアヒム様をこの城にいるハウヴァーの中で最も厄介な人物だと考え、あえてアヒム様をおびき出すようにされました。そうであったら…それ以上に厄介なものがいると思わせればよいのです。彼らと同盟を結んでいる魔王の宿敵の存在、勇者として。私は口を開きました。ここで勇者と彼らに宣言し、王の部屋にある勇者の紋章を彼らに見せれば…。意を決し顔を上げた私は、息を吸いこもうと口を開けました。


「リオ、わしの言葉を覚えておるか?」


不意にアヒム様が先に言葉をかけられ、私は驚きながらもその言葉に頷きました。おそらく、ベルンと共に聞いたまだ幼い二人の主君のことでしょう。ベルンはお二人のか弱き身体を、私はお二人のもろい心をおそばでお守りするように…とアヒム様はおっしゃったのです。そこまで考えに至った時、私ははっとしました。これは…アヒム様は何も言うなとおっしゃられている…?その証拠にアヒム様はそんな私の戸惑う様子を見て、安堵したような顔をなされました。


「ならよい。お前と過ごした日々、大変幸せじゃった」


磔台によって手を繋がれたアヒム様が私に微笑まれ、私はそれに首を振りました。アヒム様はすでに生を諦めている…私は空を見上げるアヒム様に向かって叫びました。たとえアヒム様の命令でも、それを聞くことはできません。私がそれを言えばアヒム様の命は助かるかもしれないのです。


「何をおっしゃるのです! 私は……私が……」


「リオ!」


アヒム様の大声に私の体が一瞬震えるのが分かりました。思わず一歩前へ進めた足が止まり、私はアヒム様を見ました。


「もうよい。わしの命で未来ある若者の命が助かるのなら、わしはそうしよう」


「約束は守ろう、ハウヴァーの老兵よ」


高いところにいるナノエの指揮官…と思われる方がその言葉を発しました。私はそのやり取りに、私は怒りがわいてくるのが分かりました。まだ生存している仲間の命と自分の命とを天秤にかけさせるだなんて…人のする所業だとは思えません。ハウヴァーの未来を誰よりも案じていたアヒム様にとって、自分の命がかかっていたとしてもその選択をとるに決まっているではありませんか。私はアヒム様と目を合わせました。アヒム様は私を見て頷かれ、ナノエの指揮官を見られました。


「首切り三秒前」


「なっ!」


彼が腕を上げ、アヒム様の隣で剣を持つ兵を見ました。その兵士は頷くと、アヒム様のお顔を台の上に乗せさせました。


「待ってください…待って!!」

私は壁を叩きました。それを見て他の兵士も同じように叩かれました。拳が痛いのかも分からないくらいしびれてきましたが、それでも構わず叩き続けました。


「私は! あなた様にいただくばかりで…まだ何も…何も…できておりません! できていないのです! アヒム様!」


がらっと音がし、私は壁が一部だけ壊れたことを察しました。そこから手をなんとか出し、外から必死で叩きました。これは私たちを出さないように中を強化したもの。だったら、外は中よりも弱いはず。私はさらに力いっぱいにこぶしを振り上げて、叩きました。壁が壊れる音がし、中から兵士たちが飛び出しました。私もエマ様を連れて走り出しました。


「三………二………」


しかしカウントダウンは始まっています。先頭を走る兵でもその距離はまだ…


「後は頼んじゃぞ」


ハウヴァーの兵たちが走る音、ナノエの兵士の慌てふためく声が多く聞こえながらも、アヒム様の言葉は私の耳にはっきりと聞こえました。私はアヒム様に手を伸ばしました。手は宙を切り、指の間から剣がアヒム様に振り下ろされようとするのが見えました。私はもう何度目か分からないその人の名を叫びました。


「アヒム様!!!」


「一…」


「愛しき我が娘よ」


「零」


すぱんっ。私の必死の叫びもむなしく無情にも剣が振り下ろされました。とっさに私はエマ様を抱きしめ、その光景を隠しました。私の目の前で、かつて私に居場所を…優しさやぬくもりを与えてくださった方の首が飛び、視界から消えました。私の大好きな…頭を撫でてくれた手はぴくりとも動かず、力なく垂れ下がっています。私は呆然と立ち尽くしました。何も恩返しもさせてもらえず、感謝の言葉さえ言うことができなかった大好きだった恩人が…無残にもこの世で生涯を閉じさせられた一瞬でした。


「あ…ああ…あああああああ!!!」


私は叫び、せめてエマ様がこの現状を目にすることがないように強く抱きしめました。アヒム様が遠いところへ行ってしまわれた。その事実が私の心に突き刺さり、息を苦しくさせます。ベルンに何と言ったらよいのだろう…。アヒム様にべったりだった幼き頃のベルンの姿が思い浮かびました。親代わりだったアヒム様がいなくなったら、自分も後を追うと言っていたベルンを……。もし彼までそうなったら…私は…。


「ク…クククク……ハウヴァーの守護者が死んだ!!! ハッハハハ!!!」


イッシュバリュート様が高笑いをされると、静かだった闘技場が笑いに包まれました。ナノエの兵士たちは手を叩き喜び、酒を手に酔い狂いました。


「どうだ? お前の慕っていた恩人の首が飛んだぞ。泣かないのか? 薄情な半端者だなぁ」


どくんっとまた…あの感覚が私を襲いました。イッシュバリュート様の声や周りの音がどんどん遠くなっていきます。夢の中のあの声が言った通りです。なんと醜い。救う価値もない。汚く笑う彼らに私は怒りの感情…というよりももうどうでもいいと言う感情が心を占めていました。どうでもいいです。アヒム様は死にました。こんな卑劣で汚い奴らに。魔物も人間も同じではないですか。皆醜くて汚い。彼らがこの世界の生物のほとんどを占めていると考えると、もう絶望的ですね。あとは破滅を待つだけ。だったら……どうせ破滅してしまう運命なのであったら…今全部消してしまっても同じことですよね…そうですよ。みんな…皆壊レテシマエバイイ。


「大丈夫よリオ」


はっと前へと掲げていた手を止めました。私の腕の中にいらっしゃるエマ様が、私のもう片方の手をしっかりと握られたのです。


「お父様がきっと…来て下さるから。だから…大丈夫よ」


私は腕の中にいるエマ様を見ました。しっかりとした声とは対照的に、その小さな体が小刻みに震えているのが伝わってきました。私はエマ様の頭を掲げようとした手で抱きしめました。幼いながらも、やはりこの方は一国の姫なのだと深く思いました。


「……アヒム様に誓ったではないですか。この方をお守りすると」


私は自分にそう言い聞かせ、深く深呼吸し、前を向きました。歯を食いしばり、地面を叩いていたハウヴァーの兵士たちは、ゆっくりと剣を握りしめ立ち上がっているところでした。いけない…アヒム様の死を間近で見て彼らは頭に血が上っている。私は慌てました。彼らがそれをしてしまえば…アヒム様の死は無駄になる。私はなんとかしようと一歩踏み出しました。しかし…一体何をすれば彼らは剣を下ろすのでしょう。いちメイドごときが…武人の彼らを説得するには……


「恥じる必要などありません」


凛とした声が辺りに響き渡りました。ハウヴァーの兵士たちだけでなく、その場にいた全員の目線がこちらへと向きました。酒を手に騒いでいた者たちも、怒りを剣でぶつけようとしていた者たちも、誰も彼もエマ様を見つめられました。いつの間にかハウヴァーの兵士たちは片膝をつき、頭を下げておりました。私も慌てて片膝をつき、エマ様を見上げました。辺りが波を打ったように静かになり、そんな中エマ様は口を開かれました。


「あなた方はよく闘いました。父に代わりにお礼を言います。ハウヴァーのために…父のために…そして私を守るために、逃げずに闘いに身を投じてくれてありがとう。ですが、これからは戦うことを禁じます。私共のために…命を落としたアヒムのためにも。何があっても、武器を取ることなく、今は耐えましょう。きっと我らに、光は差し込むはずです。生きましょう。今は辛抱の時です。そして…彼に祈りを捧げましょう」


エマ様は目を閉じられ、組んだ手を自分の胸へと持っていかれました。後ろの物音に気付き振り返ると、ハウヴァーの民たちは両膝をつき、祈る姿勢をとっておりました。ハウヴァーの兵士たちは頭を下げたまま、アヒム様の名前を呟かれました。


「…女神さまの名のもとに、アヒム・ヘーゲルの冥福を祈ります。どうか我らの…ハウヴァーの行く末を見守ってください。…ハウヴァーの守護者の名にふさわしい…最後でした」


ナノエの兵士たちはその場を茶化そうともせずに、ただ見つめておりました。祈り終わったエマ様は私を見て、そしてナノエの指揮官がいる方を見られました。先ほどは気づきませんでしたが、そこには数十人の人がいて、おそらくその真ん中にいる方が…ナノエの第二王子。指揮官の声が辺りに響きました。


「タオゼント・ヴルム。テラフィット様のご命令により、ハウヴァーの姫をお部屋へとお連れしなさい。そしてそこにいるメイドは部屋に閉じこめ、準備をせよ…と」


…お次は私とエマ様を引き離すおつもりですか…。私は思わず叫びました。


「エマ様をお部屋にお送りした後で、自分の部屋に戻らせていただきます」


私とエマ様を引き離す理由として、私の動きを制限するためだと考えられます。私が余計な動きをしないようにエマ様を人質とする…さらに、それは同時にアレクサンドロス王も同時に牽制することになります。エマ様を利用なさることに、怒りの沸点が頂点に達してしまいそうですが、私はそれを抑えました。その指揮官が私を見るのが分かりました。メイドごときが口を出すな…そういわれてしまう前に私は言葉を続けました。


「私はメイドでございます。姫様をお部屋まで届けるのが私の仕事です。どうか私の役目を全うさせていただきたく思います」


「何を生意気な口を…」


後ろで騒ぐイッシュバリュート様の罵声を聞きながら、私はこぶしを握り締めました。この場で一番の脅威は後ろのイッシュバリュート様です。彼は私を煽るような言葉遣いをなさりますが、決して私を軽く見ているわけではありません。たとえ指先や足元のささいな動きでさえ反応なさることでしょう。怪しい動きを見せれば途端に拘束されてしまいます。拘束されてしまえば、私はエマ様と怪しまれることなく会話するチャンスを逃してしまうということになります。せめて…エマ様にあの事を思い出してもらわなければ…。


「…いいだろう。ただし妙な真似をすれば容赦はせんぞ。お連れしろ」


私はお辞儀をして、エマ様の後ろを歩きました。これで勝機が見えました。アヒム様が命を懸けて作っていただいた機会をみすみす逃しはしません。…あとはその機会が訪れることを祈るばかりです。エマ様をちらりと見ますと、終始無言で歩いておりました。私は唇を噛みしめました。どんなに怒られても笑顔が絶えないエマ様が…。私はそんなエマ様の後姿を見ながら、一歩ずつ力強く歩きました。


「……リオ」


部屋に着くと、ドアの前でエマ様がか細い声で私を呼ばれました。私は微笑み、エマ様と同じ目線になって眉が下がっているそのお顔を両手で包みました。


「大丈夫です。私は姫様を置いてどこにも行きはしません。どうか私を信じてお待ちください」


ゆっくり頷かれるエマ様の額に私はキスを一つし、もう一言小さな声で言いました。


「そして、ここではご自分の保身だけをお考え下さい。あと…暗いところは危険がつきものですが、一人になりたいときには丁度良い場となりましょう。どうか、お気をつけて。リオはいつでも姫様の側におりますから」


私の言葉に今度は意思の通った目を向け、強く頷かれました。私はそれを見て笑みを浮かべ、最後にエマ様を抱きしめました。


…エマ様に通じたかどうか…確かめる術は持っておりません。しかし、エマ様ならば気づいていただけたはず。私はエマ様の部屋の扉を静かに閉め、兵士に囲まれながらまっすぐ歩きました。



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