嫌な夢と裏切り者と
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これが夢だと気づいたのは目を開けてすぐのことでした。いつもと違う闇に包まれた夢の世界…。そういえば、最近こういうはっきりとした夢を見る頻度が増えたように思います。夢は何かの前触れ…などよく言われることだと思うのですが、私のこれも何かを暗示しているということでしょうか。
「ネ、ドンナ気持チ?」
不意に闇の中から声が聞こえ、私はその方向を見ました。声は闇の中を反響して、嫌に耳につく声だと思いました。私は質問の意味が分からず、首を傾げました。
「どんな気持ちと言われましても…。暗く何も見えないので、とりあえずは光が欲しい…という気持ちですかね」
すると、その声の主はおもしろそうに笑いました。その笑い声も人を馬鹿にしたようなものだったので私はやけに癪にさわりました。初対面なのに気に食わないという感情ばかりが募っていきます。
「なにがそんなにおかしいのですか」
私が少々きつい言い方をすると、声の主はピタッと笑うのを止め、静かになりました。そしてその代わり…コツコツとこちらに近づいてくる音が聞こえます。私は身構えました。
「面白イヨ。ダッテ、死ンダ。腹ニ穴ガ開イテ死ンダ。醜イトコ、サラケ出シテ死ンダ」
くすくすと笑う声の主に私はぞっとしました。死んだというのは…お姉様のことでしょうか。私はこぶしを握りました。怒りで体が震えました。
「何を…何を言っているのですか…」
「嬉シイクセニ。イツモ感ジテイタ疎外感、モウ感ジナクテイイモンネ。モウ自分ヲ押シ殺サナクテスム。ヒトニ嫌ワレナイヨウニスル必要ナイ」
…嬉しい?私はその言葉に怒りも忘れて立ち尽くしました。辺りの暗さは相変わらずで、次第に自分の気持ちも沈んでいくのが分かりました。これは…夢です。ですが、夢とは思えないほど、自分の核心を突いてきます。
「何ヲシテモ皆嫌ウ。ヒトヲ助ケテモ、自分ガ傷ツダケ。化ケ物呼バワリ。ナゼ自分ダケ? 転生者ナノニ、自分ダケ幸セニナレナイ」
自分の息が荒くなっていたことに気づき、私は胸を押さえました。それらは…一度ならず何度も思ったこと。こつんっと止まった足音は、ずいぶん近くに感じられました。
「自分ハ愛サレナイ。ダッタラ、愛シテナンカヤンナイ。愛ナンテイラナイ。皆壊レテシマエバイイ。違ウ?」
「そんなこと……っ!!」
私は言い返す言葉を失くしました。急に辺りが見えはじめ、目に映ったその景色に衝撃を受けたからです。
「……え…」
私の目の前には崩壊したハウヴァーの城の残骸。そして、その周りにいたのは顔見知りの面々で……。一人残らず鮮やかな赤色に染まっておりました。
☆
「ひっ!!」
息を荒げながら、私は飛び起きました。脂汗が顔を伝います。嫌な夢でした…。目の前に飛び込んできた城は相変わらずそびえたっております。私は息を落ち着けようと二、三度深呼吸をしました。
「リオ!!」
エマ様が突然私に飛びつかれ、私は息に詰まりました。彼女はそれに笑いながら、私を抱擁されます。私は彼女を抱きしめ返しながら、周りを見ました。どうやらここは外。私は外にあるベッドに横たわっていたようです。そしてそこで目が合った人物がいました。
「……エマ様…ここは…」
彼だけではありません。私たちの周りには、何十人というナノエの兵士が立っていたのです。エマ様は私から体を離しながら、苦々しそうにおっしゃいました。
「…私たちは捕まったの。ついに捕虜の身となったってわけね」
私は目の前が真っ暗になりました。それだけは…それだけはと避けてきたのに……。
「…そんな顔するものではないわよリオ。あのままだとあなたは魔力不足で死ぬところだった。悪いことばかりではないわ」
力強い光を閉ざすことなく、エマ様は私に微笑まれました。私はその姿に一瞬、見惚れてしまい、そして無意識自分もつられて笑っておりました。…そうです。私たちは生きているのです。まずはそのことを喜びましょう。
「目が覚められましたか。具合はどうですか?」
びくっと私は体を震わせ、声をかけてきたナノエの兵士を見ました。その兵士は先ほど目が合ったあの兵士でした。
「枯渇痕が出られたというのに、さらに魔力を限界まで使ったとなれば倒れもしましょう。我らが主に感謝されることですな。テラフィット様がいらっしゃらなければ、死んでいたところでしょう」
ナノエの特徴的な武具に身を包んだ、赤茶色の色の髪の若い兵士でした。彼は私とあまり歳が変わらない兵士のようでしたが、この場にいる兵士たちよりも上の位にいるようでした。私は彼の言葉に怪訝な目を向けました。
「……ナノエの第二王子が…私を…?」
敵国の…たかがメイドを…王子が…助けた?敵に塩を送るなど…そんな馬鹿な話があっていいものでしょうか…。まさかそれでエマ様に恩を売ろうとしている…とかでしょうか。
「そいつの言っていることは本当よ。何故かは知らないし知りたくもないけれど、リオが倒れそうになった瞬間に支えたのはその王子よ。それで魔力譲渡を行ったのね。リオ死にそうな顔色だったのが、一瞬で赤みを取り戻したわ」
エマ様が何とも言えないような険しい顔をされながら、私が倒れてからの経緯を教えてくださいました。そういえば…うっすらとそんなことがあったような…気が…しなくもないような…。
「リオはぐっすりと寝ていたから知らないと思うけど、あの王子気持ち悪い顔でリオを見ていたわ。それにあの不届きもの、お父様の席に座っていたのよ。信じられないわ。だから私、言ってやったのよ。『その席はお父様のもの。礼儀をわきまえない賊ごときが、易々と座ってよいものではありません。ところで、さっさとこの国から出て行かれたほうがよろしいのでは? お父様もあなたのような品がない方をあまり好まれませんから』って。そしたら、あの男……むぐっ!!」
私は慌ててエマ様の口を塞ぎました。この敵に囲まれているこの状況で彼らの主の悪口を言うだなんて……恐れ知らずにもほどがありますエマ様!ちらっと目の前の彼をみますと、どうやら聞こえていなかった…というか聞かなかったという態度を示すようです。それに関してはほっとしますが……実際にその王子の前でそれを口にされたと!?私は引きつる顔を、エマ様の耳元に近づけました。
「何をふるの!」
きっと私をにらんで、自分の口元から私の手を外そうとするエマ様に私は声を潜めて、
「エマ様…あまりそういう発言はお控えください。周りは敵だらけなのですよ。それにもしあの言葉にナノエの王子がかっとされ、その場で斬られていたという可能性もあるのですよ。過ぎたお口はチャックしておいてください」
と囁きました。エマ様は何か言いたそうな顔をしましたが、私の有無を言わさぬ雰囲気を察して、渋々頷かれました。私はそっと静かにエマ様の口元から手を離しました。そしてふと、体が動くことに気づきました。ギルに魔力譲渡をされた後のような体の身軽さを感じます。
「その様子だと、体は大丈夫そうだな」
ぼそっと呟くナノエの兵に、私は恐る恐る彼に話しかけました。
「…あなた方の主様にお礼を申し上げておいてください。しかし、私はハウヴァーの者。命を救われたからと言って、ナノエに仕えるつもりはありま……ひっ!?」
私がベッドの上で正座をしながらお辞儀をしますと、突然虫が私の横から現れ、私は悲鳴を寸前のところで飲み込みました。話の途中なのに思わず退いてしまい、私はエマ様を勢いよく見ました。勢いをつけすぎて、首が折れたかと思いましたが…。
「ちょっ……エマ様!! このような時に悪戯が過ぎますよ!!」
「失礼にもほどがあるわリオ。私は何もしていないわよ」
しかし、エマ様ではなかったようです。ぶすっとそっぽを向かれております。てっきり……先ほどの仕返しだと思ったのですが…。それならば…これは偶然このベッドに腰を下ろした虫…ということでしょうか。しかし、その私の予想は大幅に外れました。目の前のナノエの兵士が片手を上げたのです。
「申し訳ない。俺です」
ぶっと思わず吹き出してしまいました。はあ!?なぜ…初対面のあなたに…と言いますか、敵側の兵士であるあなたにそのようなことをされないといけないんですか!!
「暇でしたからな。つい」
つい!?ついでこのようなことをされては心臓が持ちません!!これは何か言ってやらねば……気が収まりません!!!
「あのですね……」
「タオゼント・ヴルム様、そろそろお時間です」
しかし私の言葉は何かを伝えに来た兵士によって遮られてしまいました。
「ああ。すぐに向かおう」
私はぐっと言葉を飲み込み、にらむだけにしておきました。危ない危ない。下手に何か言って刺激してしまうところでした。エマ様に今注意したところでありましたのに。ちらりとエマ様を見ますと、じろりと非難するような目で私を見ておりました。
「時間のようです。こちらへ」
タオゼント・ヴルムと呼ばれるこの兵士の後ろを渋々…そして彼や周りの兵士たちが怪しい動きをしないか、注意深く見ながら着いていきました。しかし…この方、読めない方です。普通、初対面の方が私に対して示すのは驚きか恐れか、差別的な態度。こんな反応は初めてで…正直戸惑いを隠せません。それにこの方の主に対してもそうです。……一体何を企んで…
「……ねぇリオ…この先って」
思考の途中、エマ様が私の隣で不安そうな顔をされ、私はエマ様を見ました。そういえば…確かこの先はもうすでに使われなくなったある建物しかありません…。その建物って……
「闘技場…? でもなぜ…」
…嫌な予感しかしません。私は黙って前を歩く彼に問いかけました。
「なぜ私たちをそこへ? 女性の闘技場への出入りは禁じられておりますし、それにそこはもう……」
闘技場は昔、血の気が盛んな武人たちが腕を競い合う場として使用していた場所です。マリア様が女王となられ、闘技場の使用は王の名のもとに禁じられました。その理由は、マリア様が嫌そうな顔をされたから。観戦することのできた闘技場は、年老いてしまった武人たちの楽しみでもあった場あり、反対の意見も多く聞こえましたが、さすがはアレクサンドロス王、無理やり通されました。…そのあたりからも、王の王妃に対しての愛情の深さが伝わってきますね。一夫多妻制が認められている我が国ですが、王自身は王妃以外愛人の一人もいらっしゃいませんし。…話が逸れた気がします。とりあえず闘技場はもう使われていないのです。
「…行けば分かります」
先ほどと違い重い空気をまとう彼に、嫌な予感しかしません。エマ様は私の袖を引っ張られ、不安そうな顔をされました。私は彼女の手を取り、微笑みました。大丈夫です。何があっても、エマ様は私がお守りいたします。
しかし、予感は的中することになります。もう使われていないはずの闘技場には大勢のナノエの兵士で埋め尽くされていました。彼らは興奮した様子で、その中心を見ておりました。そこには…私たちが先ほど戦った異形のものたちが多くいました。そしてそこで逃げ惑っていたのは……ハウヴァーの兵士たち。
「な…何をなさっているのですか!」
私はここまで連れてきた彼に詰め寄りました。これはもう人間のすることではありません。これはもう…悪魔のすることです。それを見て何も思わないほど、彼らの感覚は腐ってしまったのでしょうか。
「これは俺にはどうすることもできません。これは上の方々がやっていることでして。…しかし、これを見て楽しんでいる連中の気は知れませんがね」
「皆さん、ハウヴァーの連中がよほど憎いと見えましたな」
そのとき、私はいきなり腕を強い力で後ろへと引っ張られました。
「リオ!」
不意をつかれた私は地面に倒れこみました。痛さからつぶっていた目を開けると、心配そうなエマ様の顔が映りました。私は引っ張られた右腕を見ますと、手首は痛々しいほど赤くなっておりました。このくらいなんです。あの場にいる兵士たちに比べたら……。私は立ち上がるために手を動かそうとしましたが、その手を誰かが踏みつけました。私はその足の持ち主を見て、言葉を失くしました。
「相変わらず無様にこけるな、半端者のメイドが。だが、そう焦るな。お楽しみはこれからだ」
「な…なぜなぜあなたが……」
その方はうろたえる私の顔を見て、大笑いされました。
「不思議に思わなかったのか? なぜナノエが国境の塀を突破できたと思う? なぜこんなにも早く王宮が陥落した? ハウヴァーの兵士の人数の少なさに疑問を覚えなかったのか? この俺様が誘導したからに決まっているだろう!!」
高笑いするその方は私の手を踏みにじり、その痛みとこの方の裏切りに気づかなかった愚かさに私は唇を噛みしめました。その方…イッシュバリュート様は私のその様子を満足そうに見つめられ、もう片方の足で私の顔を蹴り上げました。イッシュバリュート様の体重がかかった手と顔の鈍い痛みに、顔をしかめましたが…せめて意趣返しとばかりに顔は背けず、ただにらみつけました。…色々と不自然な点はありましたが、まさか陛下側近十一人衆の中に裏切り者が存在していたなんて…。
「うおっ!!」
私がイッシュバリュート様に意識を集中していたその一瞬、エマ様が気づけばイッシュバリュート様に体当たりをされていました。予期していなかった攻撃に、さすがのイッシュバリュート様も体勢を崩され、私はイッシュバリュート様の足の下にあった手を取り出すことができました。
「不実な行いをして、何故そんなにも堂々としていられるのか理解に苦しむわ! さらには自分より弱いものを痛めつけて喜ぶなんて、変態の骨頂ね! あなたが死んでも女神さまはあなたを祝福してくれはしないでしょうお気の毒様!」
エマ様のその言葉に私はこの状況下でも笑いがこみ上げてきました。前世で目にした小説やドラマでも、こんなにも毒舌で、気が強くて、可愛くて、守りたくなるようなお姫様はいないことでしょう。私はイッシュバリュート様からかばうように、エマ様の前に立ちました。こちらに手を出そうものなら、覚悟してください。もう遠慮はいたしません!エマ様の言葉にかちんとこられたイッシュバリュート様は、こちらに一歩ずつ近づいてこられます。一触即発か…そう思われたとき、
「そこまでだ。イッシュバリュート殿」
後ろから制止する声が聞こえ、イッシュバリュート様がぴたっと足を止められ、ちらりと見られました。
「勝手な行動は慎まれよ。そなたの働きは見事なものであったが…まだ信用に足りておらんことを忘れるな」
それは先ほどから私共を監視しているタオゼント・ヴルムと呼ばれる兵士でした。彼は今までの様子とは違い、鋭い目つきでイッシュバリュート様を見つめられました。
「なに。ただの忠告…ではありませんか。そう怖い顔をされるな、タオゼント殿。これからハウヴァーの守護者を捉えるための罠を仕掛けるのです。その間、この穢れ……おっと、メイドが暴れないとも限らないでしょう?」
さらにイッシュバリュート様は何か言葉を言われましたが、それは私の耳には入っては来ませんでした。『ハウヴァーの守護者を捉える罠』。私は言いようのない不安に襲われ、目を強く瞑りました。