見送る側の心内
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異世界仮想歴816年、夏。
遠くに見える山々の緑がひときわ色を深め炎暑が続くような季節の中、三大大国はそれぞれ慌しい動きを見せていた。ナノエ帝国がハウヴァー王国に五年ぶりの攻撃をしかけたからだ。その戦いはハウヴァー王国王子、エドワールの初陣でもあり、更に家臣たちの緊張を高めることとなる。
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「……………眠れなかった。」
窓から注ぎ込む太陽の光を見て、私は寝不足の頭を抱えました。今日はエドワール様の初陣の日。綺麗に輝く朝日と対照的に、私の心は暗く沈んでおりました。エド様が落馬したら……敵に斬りかかられたら……そんな悪いことばかり考えてしまい私は落ち着かないのです。胸いっぱいに不安が広がり結局一睡もできず、私はため息をつきました。そして、そんな自分の顔を鏡に映しました。案の定赤い目、ボサボサの髪、顔色が悪く酷い顔をしています。見送る側がこんな顔をしていては、エド様も安心して出陣できません。私は引き出しから化粧道具を取り出しました。これらはジュリーから貰ったものですが、まさかこんな所で役に立つとは思ってもいませんでした。
☆
「おはようリオ。」
私がエド様の様子を伺いに行くと、エド様は既にメイドたちによって身支度が整っておりました。
「今、アイーダに挨拶してたところなんだ。今日はよろしくって。」
エド様は愛馬のアイーダを撫でて、言いました。アイーダは主の撫でる手に身を任せ、気持ちよさそうにしていまます。私はそれを少し離れたところから見ておりました。…………私が行くと途端に威嚇体勢に入りますから。エド様は十分にアイーダを撫でた後、私のところへ来られました。そして私の顔を見て、エド様が不思議そうな顔をされます。
「……リオ、なんかいつもと違う」
「せ、せっかくのエド様の晴れ舞台ですから。私もそれ相応にと思いまして。そんなことよりもエド様、初陣おめでとうございます。」
「………うん! ありがとう」
その笑顔を見ると、どうやら不安がっていたのは私だけなのだということが分かりました。少なくともエド様は初陣を心待ちにされていたご様子。そんな方に私の不安を感じ取らせてはならないと、私はエド様に負けないくらいの笑みを浮かべて笑いかけました。しかしその心は一向に晴れる様子もありません。当たり前です。こんな幼くて純粋な子を酷い争いの渦中に放り込むのですから。私がいた世界にはそのようなことはありませんでした。ここに来てから何回もありますが、いつも慣れませんね。
「失礼いたします殿下。陛下がお呼びです。」
いつの間にかベルンが私の横に立っておりました。鎧に身を包んだベルンがエド様にそう伝えると、エド様はいつもより緊張した顔つきになられました。
「分かった。今行く」
そしてぎこちない足取りで、王室へと向かわれます。あの歳に不似合いな鎧、腰に差した剣。私はその後ろ姿をじっと見ておりました。しかしふとベルンの視線を感じたので隣を見ますと、
「お前はまた夜どうし不安で寝られなかったのか。」
ベルンの呆れた顔がそこにはありました。いつもと変わらない顔に、私は顔を背けながらなんでもないような態度で言い返します。
「違います。昨日はぐっすりと眠りました。」
「嘘をいうな。まあ、エド様にはもっともらしい理由を言っていたが、実はくま隠しだとは口が裂けても言えなかったのだろうがな。」
まるで私の心が読めるかのようにベルンは呆れた顔を崩さずに言い、言葉を続けました。
「あの方ももう子供ではない。何より優秀な家臣たちがあの方のおそばにおるのだ。何も心配することは無い。」
エド様の後ろ姿を見ながら言うその横顔は、あの頃よりも大人びていました。あの頃と変わらず、嫌な想像ばかりしてしまい震える私とは大違い。私は無性に悔しくなり、ベルンに聞こえるようにわざと大きなため息をつきました。
「………ご自分で優秀な家臣と言いきれるところは流石かの有名な黒騎士殿。その傲りで足元をすくわれないことをお祈りしております。」
するとベルンは私を見て、さらに呆れた顔をしました。
「お前が不安でしょうがないというような顔をしておるから、せっかく勇気づけてやったというのに。もう少しかわいらしい言葉は言えんのか。」
「それは余計なお世話というものです。私の心配よりもご自分の心配をされてはどうでしょう。くれぐれも『鬼人の黒騎士』の名を返上することにはなりませんように。」
私の嫌味にベルンは鼻を鳴らし、腕を組みました。私はその態度をちらりと見て、溜息をつきます。やはり先程の言葉は撤回しなければならないようです。
「俺がそんなへまするはずないだろう。その名にふさわしい活躍を期待しておるがいい」
きました。あの頃と全く変わりないこの態度。初陣にも関わらず、私に名声だの手柄だのそればかり言って私の忠告などどこ吹く風。挙句の果てには運が良かっただけであるのにそれをまるで自分の実力のように言い、次の戦も当然のように無茶をする始末!その度に大怪我をしていないかとこちらは不安で不安でしょうがないのに……!!私はキッとベルンを睨みました。ベルンは私を見てなぜ睨まれるのか分からないというような顔をしています。今日こそは分かっていただかなくては!
「期待? そんなものするはずないでしょう! 私はいつもあなたの向う見ずな戦い方で怪我をしていないか気がかりなのですよ!? 活躍などよりも怪我一つせず帰って来て下さる方が私は……」
はっと自分が何を言いかけていたのか気づき、私は口をつぐみました。しかし、閉じるのが遅すぎました。ベルンがにやにやとした顔へと変わります。
「ほう。私はの続きはなんだ?」
……今まで言いそびれていたことがここで爆発してしまったようです。おかげで言わなくていいことまで……。
「言え、リオ。戦果よりも怪我ひとつない方が私は……なんだと?」
にやっと笑うベルン。この調子ですと、逃がしてくれそうにありません。私は口を滑らせてしまった自分を苦々しく思いながら、先ほどの言葉の続きを言いました。
「……嬉しく思います。」
「……そうか。ならば傷一つ負うことなく、お前の元に帰って来ると誓おう。」
満足そうに言うベルンのその言葉はまるで…なんかその…アレのように聞こえて……私の顔は真っ赤になるのが分かりました。深い意味などない深い意味などないのだ。わたしは自分に言い聞かせました。これは言葉の綾のようなものなのだと。だから決してこれは結婚式のあのような誓いと一緒にしてはいけないのだ。自惚れるな私。
「………………エド様の方もよろしくお願いします。」
「ああ。言われずとも、エドワール殿下には何人も触れさすまい。お前はただ、帰りの宴会のことだけ気にして待っておればよいのだ。」
笑って私の頭を撫でるベルン。悔しいですが、その言葉で私の中にあった不安がだんだんと晴れていくのが分かりました。やはり私はこの人が好きなのだなと再度実感しました。何度も諦めようとしましたが、どうやら私は図々しい性格のようです。いえ、報われないと分かっていながら諦めることができないのですから、ただ単に馬鹿なのでしょう。
「ええ。早いお帰りをお待ちしております。」
私は赤い顔を隠すように顔を背けていいました。笑い声が聞こえてきたのでちらりと盗み見ましたところ、隣ではベルンが微笑んでいました。そうです。これでいいのです。私はただ幸せに笑っている姿を見られるだけで、十分なのです。……この戦が終わればベルンは意中の相手と婚約をし、私はお見合いをします。そうなればもうこのようなことも無くなるでしょう。頭に心地よい重みを感じながら、私は目を閉じるのでした。
☆
「……おい。あいつだ」
その後、私が廊下を歩いていますと出陣する兵士たちにぼそぼそと指さされました。……結局広まっているではないですか。私はリーマン様の言葉を思い出しため息をつきました。一部の者に私が勇者だと伝えてから数日も経たないうちに、リーマン様はハウヴァー王国に勇者がいると兵たちに発表なさいました。
「リーマンの話の通り、勇者はおる。しかし貴様らは我がハウヴァー国の誇り高い兵士たちだ。何を恐れることがある? 魔王がなんだ? 魔族がなんだ? そんなものすべて我らの前にひれ伏せるだけだ! その力もその権威も我らにある! さあ! あの恥知らずで貧しいナノエの奴らに目にものを見せてやろうではないか!! 」
まるで電撃が走ったようにその場にいた兵士達は王の言葉に拳を高く上げ、声を上げました。私はその光景を目の当たりにし、鳥肌が立つのが分かりました。これが私が仕える主で、屈強な兵士たちの頂点に君臨する方。敵が魔族だとわかった瞬間に兵士たちの間に怯える雰囲気が漂う中、一瞬にして一掃してしまう統率力。誰よりも屈強な強い眼差し。幾度もこの国を勝利へと導いた王としての腕前。これが私達の王、アレクサンドロス陛下なのです。兵士たちの歓声を聞きながら、正直リーマス様がわざわざ、手を打たなくてもこの方の手にかかれば不安や動揺も戦意となりえます。私は改めてアレクサンドロス王という器の凄さを目の当たりにした気がしました。
「デマじゃないのか? あれは確かに女にしては腕が立つが、それは魔族側の血がはいっているからだと聞くが…。」
彼らのそんな様子を考えると、ベルンはその勇者が私だと知らなかったと考えて良いのでしょう。………ん?あの人、側近十一人衆なのですよね?この場合知らない方がおかしくないですか??私が首をかしげていると、大きな足音が聞こえてきました。
「お前ら! こんなところで油売ってねぇでとっとと出陣の準備をしやがれ!!」
アリを蹴散らすようにやって来られたのはジーニアス様でした。いつも飄々とされている印象なのですが、今日はあまり機嫌がよろしくないようです。
「ジーニアス様、どうかされたのですか?」
「ん? ああ、俺じゃなくて師匠殿がな。」
頭をイライラとした様子で掻かれるジーニアス様。私は首を傾げました。アヒム様が?
「師匠殿はこの戦に同行するとおっしゃっていたんだが、大臣殿がそれを許可しなかったんだ。師匠殿は珍しく食い下がられて、さっきまで大臣室に訴えに行ってたんだが…」
そして気に食わなさそうに舌打ちをされるジーニアス様。私は首を傾げました。確かに権限は大臣であるリーマン様が持っていらっしゃいますが、ここまで頑なにアヒム様の同行を拒否されるのには何か理由があるのでしょうか?
「この戦は師匠殿が必要だと俺も言ったのだがな。聞き入れてもらえなかった。」
何を考えているのか分からんとジーニアス様は近くにあった石台に乱暴に座られました。
「そうそう。お前の件のことに関しても師匠殿はお怒りだったな。」
「………え」
ドクンっと大きく胸が鳴ります。……怒って?そうです。私を拾ってきたのは他でもなくアヒム様なのです。そんな私が実は勇者でしたなどと言われたら、どのように思われるでしょう。………いい気持ちにはならないことは確かです。私は自分の思慮の浅さに唇を噛みしめました。
「お前にではないぞ。大臣にだ。そう言えばお前、お見合いするんだってな。知ってたか?」
話がポンポン変わっていくのがこの方の特徴です。私はひとまずほっとして、ジーニアス様に頷きました。
「そうか。まぁ、相手が誰だろうが嫌な奴は嫌って言えよ? こればかりは俺も助けられることはないしな。……そうだな。先輩としてアドバイスするなら…とりあえず黒が好きな奴にしとけ。最初に聞いとけよ、何色が好きかって。これ結構重要ポイントな。」
ジーニアス様の言葉に私は吹き出しました。どうやらジーニアス様の中で私に合う方は黒が好きらしいのです。
「なんですかそれ。趣味などよりも先に好きな色を聞くのですか?」
「そうだ。ちなみに赤や青って答えるやつは駄目だな。高飛車や無駄にプライドが高いやつが多い。ピンクもアウトだ。お前にはまだ早すぎるし、もしそう答えたらそいつは必ずお前以外にも女を作るような性格してるからな。あと水色は可だ。俺の嫁さんの瞳の色だからな。いい女になるぞ。」
高笑いをして、私の背中をバシバシと叩かれるジーニアス様。ジーニアス様の奥方様とは何度かお目にかかり、その度にジーニアス様から奥方様の自慢話を聞かされるのです。しかし、ジーニアス様が奥方様にデレデレなのも分かります。気品に溢れ、芯がしっかりとした武人の妻の模範のような女性なのです。
「私、ジーニアス様の奥方様のようになるのが夢なのです。」
「ほぉ。だったらリオも旦那の尻を引くタイプになるな。」
「あのジーニアス様が尻に引かれているとは驚きですね。ですが、それも含めていい女と言われるのでしょう?」
悪戯っぽく微笑みますと、ジーニアス様はおかしそうに笑われました。
「クククク! そうだな。あいつはいい女でありいい妻でありいい母親だ。俺が不在中、領地に盗賊が入ったことがあったんだが、あいつが追っ払っちまってな。それから俺はあいつに頭が上がらんのだ。」
「盗賊を……。私には到底真似できませんね」
さすがジーニアス様を尻に引かれている女性です。あの細く華奢な体のどこにそんな強さがあるのかいつかお伺いしてみたいところです。
「心配せずともお前はいい女になるさ。俺が保証してやる。なんていったって、黒い死神やら、厄災やら、もしくは災害とまで言われているあのベルンフリート卿を尻に引いているんだからな」
「 私がいつベルンを尻に引いたというのですか!?」
何故そのように言われるのでしょう!心外です!そんな私の様子に笑いながらジーニアス様はおっしゃいました。
「お前は知らんかもしれんが、あいつの特徴は冷静沈着で滅多に表情が変わらないところなんだ。少なくとも俺や兵士たちの前ではな。あんなにころころ面白いくらいに変わるのはお前と話している時くらいだ。」
「それはまぁ、小さい頃からの付き合いですし。」
ベルンにとっては家族みたいなものなのでしょう。思ったことを言い合える仲ではありますし。……しかしそれを尻に引くなどと……
「…はぁ。こりゃ、先は長そうだな。」
頭を抱えてぼそっと呟くジーニアス様。その言葉の意味が気になり、私はききました。
「何の話ですか?」
「いやいや、こちらの話だ。」
しかし、笑ってはぐらかされしまいました。………今度お酒が入った時にでも聞きだそう。私はそう思いました。
「まぁともかく、だ。お前はしっかり見合い相手を見極めることだな。そうすれば俺みたいないい男と巡り会えるさ………って何故そこで吹き出す?」
「ちょっ! 止めてください! 」
我慢ができず吹き出してしまった私の頭をぐっちゃぐちゃにし、ジーニアス様は笑われました。
「クククク。しかし、お前の髪はこのような晴天には映える色をしているな。」
ふと私の髪を触り、ジーニアス様は言われました。
「………そのような事を言って下さるのはジーニアス様くらいなものです。」
「いや、見てみろよ俺の髪色。お前が作ってくれたぷりんとやらの色にソックリだ。」
ジーニアス様がご自分の髪を指さして言いました。実はジーニアス様の髪は元は綺麗な赤色の髪でした。昔、まだ私が王宮に来たばかりの頃、この黒い髪で周りから今以上に毛嫌いされており、私はこの髪が大嫌いでした。ある時、もういっそ髪を剃ろうかとしようとした時にぷりん色となったジーニアス様が飛び込んでこられたのです。
「見てくれリオ。お前みたいな綺麗な黒色にしようかと思っていたら、こんな色になっちまった! やっぱりお前の髪色は、人工で作り出せるもんじゃねぇな!」
その言葉に私はどれだけ救われたことでしょう。自分は黒髪でいいんだと、私自身を認めていただけたようなそんな気がしました。その後、わんわんと泣いてしまった私を抱きかかえ、アヒム様に泣きついたジーニアス様のこともはっきりと昨日のことのように覚えております。
「しっかし、あのぷりんはリオが初めて作ったお菓子だったが、味も形も中々独創的だったな。」
ジーニアス様の言葉に私は気まずそうに目を逸らしました。こう見えて甘い物が大好物なジーニアス様は頻繁に私にお菓子をねだられてきました。この世界にはそうそうお菓子などありません。私は必死に作り方を思い出し、作ったのです。たまにジュリーの助言をもらいながら。最初の試作品がそのぷりんでした。
「で、ですから! あれはまだ試作品だと……」
運悪くそれをジーニアス様に見つかり、私が制するのも聞かずパクリと一口で食べられたジーニアス様。私が心配する中、ケロッとした顔で
「これ、甘いな。おかわり。」
ともう一つ所望される始末。貴方は甘かったらなんでもいいのかとツッコミたくなりましたが、そこはなんとか踏みとどまりました。
「あの後も何個か食べたが、俺はあの最初のやつが一番美味かった気がするな。」
私はそのお言葉を聞いて、今までにないくらい落ち込みました。まだ形は不格好と言えども味は作っていく事にマシになっていると思っておりまして……
「………結局……私は努力しても……」
「あ、いやいや、そうではなくてな。つまり………」
ジーニアス様が落ち込む私に笑って言いかけた言葉は、必死の形相で走ってきた兵士によって遮られてしまいました。
「ジーニアス騎士団長! 陛下がもう時期出発なさると仰られております。ご準備を!」
どうやら私との会話はここでお開きのようです。ジーニアス様は眉をひそめられ、その兵士に仰られました。
「予定してたよりも随分早いな。分かった。他の奴らの準備を急がせろ」
その兵士が慌てた様子で走り去るのを見て、ジーニアス様は私の方を向かれました。
「慌ただしくてすまんな。続きはこの戦が終わってからだ。その時は師匠殿もご一緒に、お前が作ったぷりんでも食べながら昔に返るとしよう」
「……はい。お菓子など多く作っておきますね。」
「塩と砂糖を間違えるなよ」
「いっ、いつの話をしておられるのですか。
どうぞお気を付けていってらっしゃいませ。お早いお帰りをお待ちしております。」
「ああ。戦帰りの俺は食うからな。覚悟しておけよ。」
最後にそう仰られて、ジーニアス様は歩いていきました。それから間もなく城門が大きな音を立てて開き、王が引き連れた精鋭たちが国をあとにして戦地となる場へと赴くのでした。
とうとう10話となりましたこの作品、やっと物語の本題に入れそうでほっとしています。ここまで読んでいただき感謝しています。まだまだお付き合い願えればと思います!