呼ばれてきた星
翌朝、ボクはまさしく払暁から起きだして行動を開始した。
一週間という時間はのんべんだらりと過ごしてなんかいたら、あっという間だ。
師匠は、甘くない。
ふだん、あんなヒトだけど、庭園に関することに関してだけは、完全に別人だ。本物の造園匠――その異能のほとんどを失っていたって、ガーデニング・マイスターであることは変わりがない。
それはガーデニング・マイスターの証たる天地創成能力を失ったあと、このアルカディアで師匠が創り上げてきた庭園の数々を見ればわかることだ。
徹底された美学、研ぎ澄まされたセンス、圧倒的な哲学――それが如実に、作品、つまり庭には反映されている。
峻厳な山嶺を思わせる、斬りつけられるように鮮やかな庭。
優しくヒトを受け止め、どこまでも包み込んでくれるような庭。
うつろいゆく時の流れを写しとるように、刻々と姿を変えゆく庭。
ボクはまだ、師匠が手がけたそれを、両手の指の数ほども見てはいない。
まだ、倍以上の数が、このアルカディアだけでもある。
ねえ、いいかい? アルカディアはまだ、その建立から十五年しか経っていないんだよ?
それなのに、つまり、一年に一庭以上のペースで、師匠は造園を続けているんだ。
とびきり優れた作品を、その轍として残し続けてきたんだ。
無能力者=ただのヒトなのに。
天地創成の《ちから》は、本来は、神さまのものだとされている。
神さま以外に許されてはならないものだ、とされている。
だから、ガーデニング・マイスターたちは、神さまの血筋だと理解されていて、世界各国で崇拝の対象になっている。
腕の一振りで大地を生みだす圧倒的で絶対的なパワー――問答無用、議論の余地ない、最強の異能。
師匠は、そのほとんどすべてを一瞬で、失った。
限界を超えた能力の解放によって。
その最後の輝きが――残滓が――このアルカディアなんだ。
ねえ、そのときのことを――キミは想像できる?
自らの、だれも比肩しうるもののない才能を代償にしたあとのことを。
ふつうのヒトなら、抜け殻みたいになっちゃうんだと思うんだ。
だって、自分を自分たらしめていた根源的な《ちから》だよ?
それを、師匠は使い切ってしまった。
自分のためじゃなく、世界のために。
顔も見たことのない、誰かのために。
師匠と勇者さまのおかげで世界は救われたけど、勇者さまはそのとき死んでしまった。
師匠と勇者さまは親友だった。
恋人だったっていうヒトもいる。
そんなヒトと死に別れて、能力をごっそり失って、普通のヒトだったら――諦めちゃうかもしれない……生きることを。
でも、あのヒトは、ジョバンニは、諦めなかった。
立ち止まったり、悔やんだり……したと思う。
どうしようもなくなって、進めなくなって、立ち上がることさえできなくなって……きっと、そんなふうになったと思う。
でも、それでも、あのヒトは――あの男は諦めなかった。
「人間の生きている価値」って言葉に対して、無言で、行動で挑みかかった。
そして、それを今も証明し続けている。
もちろん、師匠だって人間だ。特にその心は。かつて、神さまに一番近い能力を持っていたとしても。
いや、だからこそ、それを失ったとき、怨んだり、怒ったり、悲嘆に暮れたり、したはずだ。
どうしてオレが、って思ったはずだ。
だけど、その思いを――壊したり、殺したり、だれかの足をひっぱったりすることじゃなく、創ることへ――創出することへ向けた。
「理想郷を大地に降ろせ」
その言葉を証明し続けることで、生きようとした。
ボクは、その一番最後の弟子だ。
その師匠が見ているってのに、恥ずかしい仕事なんて、できない。
ボクはまだ、失ってさえいないんだ。
庭の景というものは、どんな時間帯、どんな天候においても、ある種のおもむきを持って、そこへ立ち入るヒトを迎えなければならないって師匠は言う。
つまり、晴れの日だけがいい、とか、春だけがいい、とか、そういうんじゃお庭はダメってこと。
一年中、どんな時でも、そこを訪れるヒトたちを迎え入れ、楽しませたり、ささくれ立った心を慰撫することが出来なくちゃダメってこと。その景色は、つまり、ほんとに理想郷のものじゃなくちゃだめだってことだ。
だから、その庭を本当に知ろうと思ったなら、あらゆる時間帯、天候の別なく赴いて体感する必要がある。
春のまだ冷たい空気のなかを、ボクはお庭に出る。
この庭で一番最初に朝陽を浴びるのは、例のへんてこな石の据えられたエリアだ。
うん、南向きに庭を切ってあるのは、正しい。
つまり、この場所は一番早くに朝陽を浴び、一番最後まで夕陽に照らされているとても日当たりのよい場所ってことになる。
なるほど、だから西日のきつい側にはわざと樹木を茂らせて、日陰を作ろうとしてるんだね。
この辺は、さすが造園伯。
夏の太陽の軌道と冬のそれを綿密に計算した仕様だ。
この庭はただ眺められればいいってものじゃなく、そこを訪れたヒトたちが「庭のなかで時間を過ごすこと」をあらかじめ想定されて建立された場所、ってことになる。
ほらね、やっぱり、昨日とは違う収穫があったよ?
ボクは朝露で足下を濡らしながら歩き回る。お供はボンサイただ一匹。
朝早くから大変だろうって? そんなことない。もうメイドさんたちは起きだしていたし、厨房のほうもアイドリングが始まってる。週末はいつもパーティーだって聞くし、当然、他国の使節との会談中にボクがつどつどお邪魔するわけにはいかない。いくらテオやジョッシュさん、離宮のみなさんがよくしてくれるって言ったって、立場はわきまえなくちゃね?
こうして状況を書きだすと、ますます時間がないって実感できるでしょ? 急がなきゃ。
しっかし、やっぱり雑草多くて……これ、お手入れ大変だなあ、なんでこんな種類の草をわざわざ植えたんだろ。
でも、朝露に濡れてるそれを踏みしだきながら歩くと、薫るなあ。朝の冷たい空気と合わさって、胸がすっとする。
ん? この感じ……どこかで……はて?
「あ、そうか、昨日のハーブ湯!」
そっか、ここからだったのか! とボクが独り合点した瞬間だった。
そっ、と暖かいものがボクの両肩からおぶさって来た。
「わっ」
「また、そんなかっこうで。お風邪を召されますよ、レディ」
「テオ! なんで、こんな早くから!」
「ボクだって遊びで、ここ=ローズマリー離宮に居るわけじゃない。公務ですよ。でもその前に、庭を歩くあなたが見えたから。それも、こんな薄着で」
あ、たしかに、造園旅団のカッコじゃ、この時間帯はさすがにちょっと寒いかな、気づかなかった。
「だ、大丈夫です。ほ、ほら、ボク、いまやる気になってるから」
「そんなことを言って。朝露に濡れてこんなに冷えてしまっている」
テオが被せてくれた毛織物(あとで聞いた話だと、パシュトール・ムームーの毛なんだって。汗ばんでもちくちくしない、極上品)の上着の上からボクを抱擁して、手を握った。
その温かさに、ボクは自分の手がどんなに冷えていたかを知る。
あったかいなあ、とほわっとしあわせ実感したあとで、ボクはようやくテオに抱きしめられていることに思い当たった。
「うわわっ、テオっ、テオっ、あのっ」
「お嫌ですか?」
傷ついた少年みたいに聞くそのやり方は、ずるいよ! ずるいと思います!
でも、テオは一度、ぎゅっと力を込めるとすぐにボクを解放してくれた。
「妹がいたら、こういう感じなんでしょうか」
そうやってイノセントに微笑む。
妹? あああ、ああ、妹ですか。ですよねー。
あれっ、なに、解放されて安心のくせに、なんでボク、ちくりっとかしてんの胸が。
「てっ、テオはご兄弟は?」
「第三王子なので、上に兄がふたり、ですね」
あちゃー、ボクってばバカ丸出し。依頼主の素性を頭に入れてこない業者がどこにるかー。さっきのハグで頭から、スポーンと抜けてたんだよー。あああ、だめだ、いまのと合わさって顔が火照ってしょうがないよ。
「ソラ? 真っ赤ですよ?」
「はうううう」
まてまてまて、このまま流れにまかせちゃいけない。世界法則、そのなかでも特にページの問題だってあるんだから。
「お、お兄さま方とは、やっぱり、こういう風に仲良く、ハグされていたんですか?」
あれ? 動転してなんか変だよ質問が、ボク?
「あはは、はい。特にボクはそうでしたね。上の兄たちとはずいぶん歳が離れていましたし……九つも年下のわたしを、兄たちはよく構ってくれたものです。兄弟っていうより、ボクにとっては父代わりでした。ふつう、腹違いの兄弟の間にはいろいろと確執があるとは聞くのですが……ふたりは違ったなあ」
腹違い? しまった、ボク、それ知らないよ。
ボクはまた聞いてはいけないことを聞いてしまったんじゃないかと焦った。
「ボクは父にとって二番目の妻――後添えの息子なんです……それも血が繋がっていないかもしれない」
「え?」
「親友の妻だった、と聞いています。大虚空戦争前夜――テアトラとその周辺国が、まだ人間同士で愚かな領土争いをしていた頃の話ですね。いまでは、その争いさえ魔族のはかりごとだったという噴飯物の陰謀説が大手を振ってまかりとおってますが……あれは間違いなくニンゲンの仕業です――その渦中に散った親友の妻を、娶ったのだと」
そう語るテオの顔には、ボクの知らない苦さがあった。
「母は国民の庇護を、父はそれと引き換えに母を後添えに、と望んだそうです。でも、昔からふたりは憎からず想いあっていた。父は親友が彼女を慕うことを知り、それで身を引いたのだと。皮肉なことに、戦争が再び、ふたりの運命を結びつけたのです」
結果として、両国は併合、テアトラはいまのカタチになりました――そして、そのときにはもう、母はわたしを宿していたのです。テオは深呼吸した。
「ああ、いい薫りだ。むかし、兄たちに連れられて行った丘とおんなじ薫りがする」
「ピクニックに?」
「そう……草原の。造園伯も一緒だった」
「仲いいんですね、お兄さんたちと」
ボクは空気を明るくしようと話題を変えた。
「はい。とても。母はボクが八歳のとき、この世を去りました。大虚空戦争の最中です……。兄たちはそれから、公務の合間を縫うようにボクの相手をしてくれた。ふたりとも父の片腕として激務だっただろうに」
なんだか、テオの言うこと、よくわかるなあ。ボクも師匠が拾ってくれたんだもんな。血は繋がってなくても……人間の関係は繋がっていけるんだよなあ。
「それじゃあ、避暑とかにお兄さんたちが来られるときまでには、間に合わせたいですね、造園!」
ボクはそんなテオをさらに元気づけようと言った。超特急でやれば、うん、なんとかできるはず。ゴーレム君に出動を下命だ!
「あはは、そうですね。来てくれれば、いいのですが」
にわかにテオの顔が曇ったのは、そのときだ。
「どうしたの、テオ、またボク、余計なこと言った?」
「いいえ。……あの大虚空戦争から十五年、おかしな話ですが魔軍侵攻とその最終シークエンスとしてのプレーン・ハック――それによって、皮肉なことにニンゲンたちの想いはまとまった。一部に、極端な例外はあったにせよ、です。けれども、その脅威が去った途端、帰ってきたのは、あのどうしようもないニンゲン同士の縄張り争いだったんです」
テアトラの宮廷も例外ではなかった。そうテオは言った。
「例外では……なかった?」
「ふたりの兄は、王族の当然の務めとして妻を娶りました。大虚空戦争時代のことです。軍事同盟的な意味合いも強かった。そのふたりの妻が、政治に口を出すのです。たとえば、わたしの母の国:旧エルシス王国の国民には自治権が与えられていました。父の配慮です。しかし、兄の妻たちはその自治権を取り上げるよう兄たちに働き掛けている」
「どうして、そんなことを?」
「エルシスからの税収を上げるためです。戦後復興の名目ですが……わたしには旧エルシスの国民たちを逼迫させ、なにか反乱・暴動を扇動しているようにしか思えない」
「え? 王族が自ら、自国の国民を、反乱に扇動?」
政治に疎いボクにはその意味が判らない。なんのために? なにをするために?
そんな思いが顔に出ていたんだと思う。
テオが答えてくれた。
「国を割る暴動が起これば、テアトラは大混乱に陥る。そこにふたりの妻とその背後にある国家はつけ込みたい――もう少し洗練された言い方をするなら、暴動鎮圧に援軍を派兵し、治安維持に協力する、とでもなるのでしょうか。テアトラに対する自国の発言権を強め、あわよくばもっと具体的な内政干渉を行いたい、ということでしょう。おあつらえ向きの火種を、テアトラは抱えていた、ということです。父が母に屈辱的な条件を飲ませた、と主張する旧エルシス王党派もいます。いっときはなりを潜めていたのですが、亡霊のように甦るものですね、ヒトの怨念というものは」
「そんなっ、それじゃっ」
「政争とは、まあつまり、そういうことの繰り返しです。兄たちも、それは承知のハズです。でも、今回はタイミングが悪かった。……父は、もう、長くない」
「テアトラ王が……」
「大虚空戦争で受けた傷が、原因です。魔王とその直属の配下たちの剣や槍、鏃は、施療術師たちには癒せない傷を残します。ガーデニング・マイスターでなければ治癒できない、存在そのものを害する傷を残すんです」
「でも、それなら、お兄さまのどちらかが」
「はい。このままなら、長兄:ラオトールが玉座につくでしょう。ですが、それがまた火種です。次兄の妻には面白くない。そして、一番厄介なのは――ボクが旧エルシス王の血を……引いているかもしれない、ということです」
「そんなっ、だってそれはっ」
「父も、母も、それを受け入れて、それでも手を取りあった――平和を、民の安寧を心から願った――それなのに、その結果としてのわたしを旗頭に担ぎ上げようとする連中がいる」
なんてこった。いまのいままで、ボクはそんな事情をなにひとつ知らなかった。
「それが恐くて、ボクは離宮への赴任を申し出たんです」
そうだったんだ。道理で、普通は大使が在中して王族はゲスト、みたいなことの多いアルカディア離宮事情のなかで、王位継承権第三位とはいえ、王子様が常駐されてる所はほとんどないもんな。
やだ、ボク、胸が苦しいよ。テオの頭をぎゅってしてあげたい。でも、ボクには……そんな資格がない。
「で、でもっでもっ、お兄さんたちとは仲良くできているんでしょ?」
「そう……信じたい。でも、ここ一年ほど、うまく連絡が取れずにいます。手紙も、キチンと届いているのか……わからない。むかしは避暑にふたりが来ることもあったのですが……去年は。聞こえてくるのは、不穏な噂ばかり」
ああ、そうか、これが政争、王族の苦悩なんだ。
直接会って話さえできれば、融けて消えてしまう些細な齟齬やわだかまりも、見えず聞こえず、いやもしかしたらその間に挟まる誰かの意図や雑音で、予期せぬ悪意・疑心暗鬼を育ててしまうんだ。
テオ――つらそうだよ。
ああ、ボクが、大人のレディだったら、寄り添って少しでも支えになってあげられるのに!
なんて無力なんだ。なんて無知なんだ。なんで子供なんだ、ボクは!
「テオッ、ボク、頑張るよ! 評判になるようなお庭を、必ず創ってみせる。理想郷を大地に降ろせ、だよ! その落成式に、おふたりを呼ぼう? ガーデニング・マイスター:ジョバンニのハンコをついて、招待状送っちゃおう! それで来ないヤツなんかいないよ、凄いんだから、肩書きの威力! “救世主”だよ?! それで、いっぱいお話すればいいんだよ。昔みたいに!」
あとで思い返してみるとバカ丸出しの、子供丸出しの励ましだったけれど、青ざめ強ばっていたテオの頬に小さく朱がさした。
「はい」
少年みたいにテオが笑う。青い瞳にふわふわの金髪。
「ありがとう、ソラ」
膝を折り、地面に跪いて……あれ、これ、これ、これは、もしかして伝説の――はう。
っと、思った瞬間に眩しい光が、ボクらを射た。
朝陽――夜明けだ。
「わああああああ」
ボクは誤魔化すようにその光に大仰に驚いてみせた。そっと、わからなかったふりをして、子供のふりをして、姿勢を変える。
あ、あぶなかった。もうちょっとで、もうちょっとであぶなかった。
ご、ごめんテオ、だめとかそういいうんじゃなくて、こ、ここ、こころの準備が、で、できてませんでした。
だから、拒絶してたとか、そういうんじゃ、な、ないんだからね。
「ああ、これは――たしかに、凄い」
テオはボクのワザとらしさ全開のリアクションに、心からの同意を示してくれた。
「凄い――」
なにしろ、そのワザとらしリアクションを仕掛けた張本人であるボクが、その光景のあまりのすごさに目を瞠ったくらいだ。
地平線から現れた太陽の光――高地にあるアルカディアでは、地上より光の量が多すぎて目を痛めたりすることがある。
気圧も気温も下界より低くて、だから、多重防護結界によって、ここは常に護られていなければならない。
普段は見ることのできない九層の防護結界が、ときおりその光の加減によっては、可視化されることがある。
ソレスタル・スフィア、と呼ばれる現象だ。
たいていは五層とか、六層どまりなんだけれど、今日のそれは特に凄かった。
「七、八……九! 全部、全部見えたよ!」
「本当だ、わたしはすでに五年もここにいますが、九層は初めてです」
「夜明けや日没の光で見えやすいんです。でも、こんな凄いのボクもはじめて。凄いラッキー。ぜったい、いいことある!」
ソレスタル・スフィアは偶然だったけど、なんだかうまく誤魔化せたし、背中を押してもらったような気分になったなあ。
「あれ……は?」
上機嫌で振り向いたボクだったけど、まだ空を見上げていたテオがなにか見つけたみたいで、怪訝そうな声を出した。
ボクもその視線の先を追う。
「なん……だ、あれ?」
そこにあった――いや、ずっとずっと高い空の彼方を朝に追いつかれぬよう飛び去っていこうとしていたから、あったっていうのは正しくない――明けや宵の明星よりずっと強く輝きながら、巨大な流れ星のように。
何処にも落ちないで。




