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料理人たちの返歌(あるいは重箱の隅を舐める)

         ※

 

「うわっ、ってええええ、って、な、なにこれ? なんだこれッ!?」

 バスローブ姿で風呂から上がり、用意されてたお召し物とやらを目にした瞬間、ボクは叫んでいた。

「なにって……ドレスでございます。夜会用の」

 ボクの世話を焼くため一足先に上がり、メイド服に着替えたミルヒがにっこり笑って答えた。

「それは見たらわかるし!」

「ですよねー」

「これっ、これっ、ボクが着るの?」

「さようでございます」

「敬語やめっ」

「そうよん♡ 職場では視線があるので、敬語にするけどぉ」

「サイズサイズ、サイズは?」

 当然だけど、この時代の衣類、採寸されてなけりゃピッタリフィットなんて望めない。

 伸縮自在の夢素材とかでもない限り、特に女性向けのドレスはシルエットが残酷なくらい際立つから、絶対オーダーメイドか、古着にしたって仕立て直しが必要なんだ。

「大・丈・夫・♡」

「合うわけないだろー、だいたいボクはいままでこんなひらひらのお姫さまみたいなカッコ、一度だってしたことないんだ、無理だダメだ不可能だーッ」

 だってだって、胸元とか、こんなズバッと、ズバズバズバット……屈んだら上から見えちゃうじゃないか!

「くっ、靴だって、こんな高い踵のなんか履いたことないしっ、転ぶしっ」

「あらあ、そのためにエスコートの男性がいるのよん。よろっ、あ、ごめんなさい→いいえ、レディ、それがわたしの務めです、から始まるラブは、貴族階級じゃあ使い古された導入なのよ?」

「なに言ってんだ、アンタぁ」

 わかる? 男子諸君、いま、これ読んでるそこのキミ。

 この女のコ的絶望が、わかる?

 キミらも、一回、ピンヒール履いて歩いてみろ、女のコがどんなに大変かわかるから!

「服っ、服っ、ボクの服を返せえええええええ!」

「ざんねーん、洗濯中でーす♡」 

 さ、バスローブ、ぬぎぬぎしましょねー、とか言いながら据わった目でボクに迫るミルヒの姿は、ゾンビめいた恐怖をボクに与えた。

 

「ほーらね? ピッタリ」

「おなか、苦しいよ、これ」

「すごいなー、この細さが入っちゃうなんて信じられない。うらやまC」

「なに言ってんだアンタ!」

「胸はどおー?」

「……くやしいくらいにぴったり」

「サイズは小なりとは言え、カタチも色も完璧だもんね。腰が細いからその差分値であるように見えるし、はー、化けるなあ女ってやつわ」

「アンタおっさんか!」

「そうよー、世慣れた女はみーんな心に一匹のおっさんを飼っているの。夜な夜なそいつに鞭をくれてストレス発散にしてるんだから」

「意味わかんない!」

「でも、どうー、ミルヒの見立ての通りでしょ? バスト・ドンピシャ誤差なし!」

 右手のピースサインで目を強調するようにポーズをつけるミルヒ、キミはなにがしたいの?

「ミルヒさんの、乳メーターに測れぬバストはないってこと」

「ちちち、乳メーター?!」

「もっとありていに言えば視姦アイ」

「うぉい、だいじょうなのか、それは!」

「たぶん。だめなら、差し替えられるはず」

「なんでこんなに……ぴったりなんだ……」

「ソラさまー? 離宮お付の裁縫部門:仕立屋のスキル、なめてませんことー? 一時間もあれば、ぱーへくとに仕立て直しちゃうのですよー? プロ、プロ、それがプロなの」


 夜会の直前になって「ドレスが合わない!」とか言い出すゲストのかた、けっこういらっしゃいまして、そういうとき応急処置的な対処で乗り切ることもございますのー。ただあまり立て込みますと、大変でしょう? それであらかじめ、ご婦人方のサイズをですね、わたくし、このミルヒが、この乳メーターおよび皮下脂肪測定眼で秘密裏に調査・記録、これまでのデータと照らし合わせて増減を割り出し、それとなく、持ち込まれましたドレスの情報を仕入れては、ご注進したり、試着を促したり、下界とは環境が違うとかなんとかかんとか、テキトーかましまして、ええ、ほんとこれ、超☆重要な任☆務でございますの。


 と、ミルヒはボクに語った。


「その観点から、まったく新しいゲストであるソラさまの身体情報を外見から視覚的に調査、これを裁縫部門に連絡、するとわずか数時間でこのような、ぱーへくとな仕上がりの、エレガント・チャーミング・セレブリティ・ドレスが完成するのでございます」

「じ、じぶんで言ってて恥ずかしくない?」

「恥ずかしがっていてはメイドは務まりません」


 ミルヒが胸を張り腕組みすると、ゆさっと、ミルヒのキャラ性とやらが揺れた。


「あ、あそう。そなんだ。すごいね」

 ボクにはもう言い返す気力がない。

「そこにきて、今回は触診、その千載一遇のチャンスをものにして、確信していましたから――さらに感度良好を確認! 実用性に問題ありません級のけしからんです!」

 ずびし、と敬礼をキメるミルヒ。この場にはボクとキミしかいないはずなんだけど、どこに向かって敬礼しているの、きみわ?

 え、かめら?

 だめだ、わからない。

 

 そのとき、また、ボクのお腹が鳴った。こんどはだいぶ控えめだったけど。

「おや?、はらへり、ですか?」

「アンタが騒がせるからだ……はやくご飯食べないと、たいへんなことになる」

 しぶしぶ靴を履いて部屋を出ようとするボクの手を、ミルヒがつかまえた。

「な、なに? まだなんかあんの?」

 露骨に嫌な顔をしてたはずのボクにまったく動じた様子もなく、ミルヒは笑顔で頷いた。

 とうぜん、という感じで。

「お・化・粧♡」

 もうやだー。

 

 それで、生まれて初めてお化粧したボクは、ミルヒに導かれるまま昼間のあの広間とは別の、もうすこしこじんまりとしたダイニングルームに通された。


 あ、こじんまりって描写したけど、これは矮小って意味じゃないよ。

 むしろ逆で、とってもプライベートな、つまり本来の王族専用の、って意味。

 落ち着いた雰囲気の内装、暖炉ではミズナラの薪がパチパチと音を立ている。卓上には銀の燭台。ロウソクの灯。蜜蝋の薫り。

 はじめてのことだらけでガチガチに緊張しているボクを、テオが惚けた顔で見つめていた。


 あー、そうだろうなー、ぜんぜん似合ってないだろうなー、ミルヒは「絶対可愛い♡」とか言ってたけど、違和感バリバリだよね、絶対。


 違和感バリバリ伝説だよ、レジェンドだよ。

 だから、テオ、見ないで、あんまり注視しないで……恥ずかしいよ、ボク。


「うつくしい」

 だから、そのテオが壊れたみたいにそうつぶやいたのは、なにかまた悪い冗談なんだって、最初、ボクには思えなかった。

 そうじゃないってわかったのは、テオが腰を浮かせ、ボクに駆け寄ろうとして自分の不作法に気がついて恥じ入ったように着席するのを見たときだ。テオ、動転してたんだ。


「テオ?」

「ソラ……あなたには驚かされることばかりです。巨匠の手なる芸術品のような、うつくしさ。あまりに――可憐だ」

 崇拝するような面持ち、声音で言うものだから、ボクはもっと緊張してしまう。


「テ、テオ、あの、ボク、ボク、その」

「はい?」

「その、もう、お腹が……限界なんです。エマージェンシーです」

「はいっ」


 ボクの空気を読まない不躾な申し出に、なんでそんなに嬉しそうに応えてくれるかな、このヒトは。

 とたんに、脇に控えていたジョッシュさんが、目配せし、料理が運ばれてきた。

 すばやい。ボクがはらぺこのむしだって、完全に読まれているー。

 恥ずかしいっ、穴があったら入りたいっ。


 知ってるしっ、こういう場では、まずアミューズって言ってちっこいちっこい先付みたいのが出てくるって。居酒屋さんのお通しみたいのが出てくるんだって。

 もちろんアミューズ=お楽しみって言うくらいだから、それはこれから始まる本格的な料理の旅への期待感を高める予感みたいなものをお客様に差し上げるっていう、そういう小粋なやり方で、洗練された紳士淑女の皆さんはそこで食前酒アペリティフなんか飲みつつ談笑して、雰囲気を作っていくんだって。


 知ってるし、知ってるし、知ってるしー。

 でも、無理だ、ボクには無理なんだ。もう、限界なんだー。お化粧してるヒマなんかなかったんだー。


 とか、思ってるとジョッシュさんが横から飲み物を注いでくれた。

 しゅわしゅわしゅわしゅわー、って。わ、これは、なに、なんで泡が出るの?


「シャルルパニエ。葡萄から作られる発泡飲料です。発酵過程でガスが出るのは普通のことなのですが、このシャルルパニエはその性質が特に強いんです。保存する瓶にも、栓にも特別の工夫が必要でした。脆弱なモノを使うと、爆発するくらい発泡が強いんです」

「すごいっ、底から上がってくる泡の列が、お星さまのダンスみたい」

「詩的ですね、ソラ」

「それに、この器、グラス……そうか、この泡を魅せるために、こんなに縦長いカタチなんだ」

「そこに気がつかれるとは……職人たちに伝えておきます。喜ぶでしょう」

「実は注ぐほうも、ひやひやしながらでございます」

 ボクらの会話に、絶妙のタイミングでジョッシュさんが言葉を添えた。


 うん、見ててわかる。細くて背の高いグラスにサーヴするだけでも難しいのに、このシャルルパニエは発泡がとても強く、粘度もあるから乱暴に注ぐと吹き上がってしまうほど泡が出るんだ。


「繊細な仕事を要求されるんですね」

「はい。レディを扱うように、優しく、丁重に、でございます」

 さもないと、激怒を買うことになるところまで、そっくりですな、とジョッシュさんが微笑みながら言った。ふふふっ、とボクは笑う。


「では、乾杯を」

 テオがグラスを掲げて促した。


 こういうとき、慌ててガツンとグラスをぶつけてはいけない。それは少なくとも、正式の場での礼儀作法ではない。ボク、知ってるもん。

 シルクの長手袋で包まれた指先がちゃんとグラスを掴んでくれるか心配だったけど、それは杞憂だったみたい。

 そっとボクもグラスを持ち上げ、テオに応じた。


「アルカディアの恵みと、ソラさんの健康に」

「テオの健康と、不躾な娘を受け入れてくださったテアトラ王国の皆さまに」

 にこり、と互いが微笑み、ボクらはそれぞれのグラスを傾けた。


「おいしっ」

 一口飲んだとたん、ボクは思わず言っちゃった。慌てて口元を隠すけど……あとの祭りだ。

「このシャルルパニエも、アルカディアで発見、考案された技法で作られているんですよ」

 ボクの不作法をまるでなかったみたいに受け流して、テオが笑った。


「そ、そうなんですか? 知らなかった、美味しい、いい薫り、どうして、ただの葡萄の汁がこんな薫りになるんだろう」

 そこまで言ってから気がついた。

「あ、これっ、ボク飲んでも大丈夫なのかなっ」

「はい。問題ありませんよ。全年齢的な意味で万全の配慮がされていますから」

 よかったー。いろいろ気を使ってもらっているんだな。

 と、緊張がほぐれた瞬間だった。

 

 ぐおーうおうおう、うおおおおーん、ぐぎゅるー。

 

 ありがとー。蛙、ありがとー。

 そのものしろきころもをまといて、食卓につっぷすべし。

 おお、この現実は、まじ現実であった。

 

「し、死にたい」

 ボクはテーブルに突っ伏し、そう言わざるをえなかった。

 ほんとは、席を蹴って部屋を飛び出したかったけれど、それはボクにはできなかった。


 どうしてって?


 いや、ほら、ボクは今回、テアトラ王家の賓客扱いで、もっと言うとアルカディア造園旅団の代表としてお邪魔しているわけで、ええそれはもう背負った責任、責務というやつがですね。


 ぐおーうおうおう、うおおおおーん、ぐぎゅるー。


 ごめんなさい、嘘ついてました。蛙。本当のことだけを言います。

 だって、ここに座ってたらご飯が来るじゃないか! 逃げたら食べられないじゃないか!

「テオ……ボクのことは蛙だと思ってください、レディじゃなく!」


 顔を上げて背筋を伸ばし、言い切ったボクの両目から真珠の涙が散ったその瞬間、両サイドから眼前にそれは現れたんだ。


「レディ・ソラ、私どもがお救いします――」

 完璧なユニゾンでそう告げたのは、ジョッシュさんじゃなかった。

 料理長さん! それに副料理長さん!

「どうか、召し上がってみてください」

 姫の窮地を救うべく現れたふたりの男たちは、料理人だったけれど、その一瞬、まさに彼らは騎士であった。

 厨房より馳せ参じた食卓の騎士たち!


 そして、ボクは眼前に魔法のように現れたそのお料理に目を奪われることになる。

 一瞬、眼前にあったのは……え、これ、ボクのもってきた、おべんとの、お重? 

 重箱じゃないか!

 黒漆に金泥で描かれた絵付けの蓋……間違いなくウチおべんと箱の蓋の下から現れたのは――。


「なに、これ?」

 美しい、あまりに美しいお料理たち――どれも、すこしずつ、ふたくちか、それぐらいずつ。


 どれくらい、どれくらいの時間と労力がここに注がれたことだろう!

 自分でご飯を作るボクには、その凄さがよくわかる。

 ちょっと、その一部を紹介させてもらってもいい?

 

 まず、いくつもの少しずつ色合いの違うグリーンの層で作られたミルフューユみたいなもの。

 一ヶ所だけ鮮やかな紫の層があって、可愛らしくピンで留められてる。


「これは?」

「春の野草のサラダ。その再構成です」

「えっ? これ、サラダ?」

「はい。カルド(アーティチョークの近縁種、葉と茎を利用する)、セルバチカ(ルッコラの野生種と言われることもあるが、実際はまったく別の草)、ピシャレット(タンポポ。若い葉はサラダに、大きく育ったものはソテーで)、クレソン、エストラゴン(ヨモギの近縁種。魚料理との相性が非常によい。余談だが、ヨモギも魚とたいへん相性がよい)。それらを個別に処理し、ペーストにして別々にクリームチーズと混ぜ、金属のトレーで冷やします。するとそれぞれのハーブを含んだ薄い層ができる。これを積み重ねてから、カットします。仕上げに上から砕いたナッツの細片」

「ええええっ、お野菜、ぜんぶ、ぜんぶ個別ですか?! じゃ、この紫の層は――」

「ラディッキオの中でもとりわけ美味しい:タルディーヴォ=晩生種、その名残のものです=もう春ですからね? チコリの仲間ですが、この最上位種は、最後の仕上げ、畑から取り入れたあと覆いをしてから、水を張った水槽に移し、そこでの水耕栽培によって芯の部分を育てます。冬の花、そう呼ばれるほど美しいお野菜です。最下層は極薄のパイ生地」


 うわわわっ、気の遠くなるような手間だ。そうか、それでこんな美しい積層が出来上がるんだ!


「頂いても?」

「もちろんです、レディ」

 料理長さんの言葉に、ボクは切り出された美しい貴石の鉱床のごときそれを、ピンをつまんで、一口で食べる。

 そうすると、個別に調理された春の野草たちが――口のなかで弾けて、清々しい薫りを放って、それが咀嚼するごとに渾然として一体となっていく――こんな鮮やかなサラダがあるだろうか!


「ああ、だから、だから、わざわざ個別に分けてなくちゃいけなかったんだな。最初から全部を混ぜちゃだめだったんだ――鮮やかさとコントラスト、そして、それが合致していくプロセスを味わわせてくれているんだ――そして、なんだろうか、このコリコリッとした歯触り。ねっとりとしたクリームチーズに混ざる心地よい風味は、ナッツじゃない、」

「クロッカンテ、とわたくしたちは呼びます、その食感を。それが、タルディーヴォの真骨頂です」

 よく見出してくださいました、と副料理長さん。


 あとで聞くと、このお野菜、テアトラ王国でも副料理長さんの地元の名産なんだって。

 愛国心、っていう言葉はボクにはよくわかんないんだけど、郷土愛ならわかる。

 農業って、その土地との格闘の歴史でもあるんだからなあ。土地を耕して美味しいお野菜を育てて収穫するって、そういうことだよなあ。

 ああ、誇りを持っているんだなあ。

 

「こちらは?」

「フォアグラに、蜂蜜で甘味をつけたベリーのジュレ、最下層には極薄焼きのパイ生地、これは先ほどのサラダと通底しています」

「小さくてかわいいっ。でも、このキレイな色のジュレってどうやって?」

「ソラ、あなたのお弁当に入ってましたね、“煮こごり”? あの陶然たる旨味は――ドラゴ・ロワナのものですね?」

 あ、気がつかれてたんだ。ドラゴ・ロワナのもうひとつの隠し料理が、それだ。

 ドラゴ・ロワナの骨や皮を煮て濾し、サヤエンドウや百合根、銀杏、ドラゴ・ロワナの白蒸しを敷いてから冷やすとぷるぷるの寒天寄せみたいな美しい一品が出来上がる。


 これは多くのお魚で代用できる技法だけど――まさか、それを甘くしてフォアグラに合わせてくるかー。


 ちなみに、フォアグラはアヒルやガチョウにトウモロコシやナッツなんかを食べさせて、その肝臓を太らせて作る食材だ。

 残酷だってヒトたちもいるようだけれど、美食への追求のほうをボクは肯定する。

 なにより、とっても美味しいよ?


「きょうのそれは、イチジクを食べさせて太らせた鴨のものです」

「非常に古典的なやりかたですが、鳥の肉自体の味わいにも良い影響があります」

 ふたりの料理人たちが左右から説明してくれる。

「食べものが生きものを構築するんだから、考えたら当り前なんですけど……すごい贅沢だなあ」


 それで、ジュレですが?


「わたしたちの郷土にも、ウナギを使った煮こごりがあります――」

「え? じゃあ、これは? ウナギ?」

「今日は牛の骨からのものを利用してます」

「それを甘くしようっていう発想はなかったなあ」

 まず、召し上がってください、と料理長が促す。


「んー、これ、これおいしいっ、お菓子みたいっ」

 ああー、そうか、だから粒の大きいお塩が使われてるんだ!

「フルール・ド・セル=塩の精華あるいは精髄と呼ばれる結晶です」

 副料理長さんの的確な解説。


「甘さと旨い脂って、合うのは知ってました。ボクの蒲焼きも、だから甘辛い味付けなんだもん。でも、そうか、その外側にわざと大きい塩辛さ=フルール・ド・セルを別添えしとくことで、味わいが可変するんだ。それだけじゃない。塩味を強く感じるのは一瞬で、」

「塩分量は、逆に少なくできる」

「味わいと、使う塩の量は必ずしも比例しない――」

「すべてが大量では、なにが鮮やかかわからなくなるから――」

「圧倒的な甘味と旨味の海に、強い結晶が一粒だけ混じれば――」


「これは、必然、輝く」

「だから、鮮やか!」


 ボクは興奮して、ふたりのシェフに抱きついてしまう。

 

「こ、これ、なんです??? ウニ?」

 切り分けられた断面から鮮やかなオレンジ色が覗いている。

「はい、レディ。ウニ、です。そこに溶かしバターで作ったフィリング」

「??? その、天ぷら? でも、この衣とウニの間にある包み生地……これ、これ、どう見たって」

「はい、レディ・ソラ。シー・ウーチュンのディープ・フライ……生地は、実際にお食べになってから」

 ボクはふたりの厨房の騎士を見上げる。どうぞ、楽しんでみてください、と自信満々の顔がボクを見返す。


「頂きます」

 ぱくり、とボクは食べる。天ぷらのサクサクの奥に、生地のしっとりくにゃり、その奥から適温になったウニのソースがとろり、美味しいいいいい!!!

 だけど、ボクが躊躇していたのは、その味を信用してなかったからなんかじゃもちろんない。


 生地だ。ウニのソースを包んでいた生地。

 黒いそれは、だってどう見たって――。


「あれ?」

 思わず声を上げたボクに、シェフふたりが爆笑した。

「これ、海苔じゃなーい! 別物だ!」


 あっはっはっ、と料理人たちは容赦なく笑う。でもそれは相手を見下す笑いじゃなくて、料理の観客としてのボクが十全にその料理を楽しんだことに対する――ふたりが料理に込めた思惑どおりに、してやられたところを見た、達成感の快哉だった。


「蕎麦粉と小麦粉の混成に、イカスミをわずかに落としたパスタ――見た目はそっくりでしょう?」

「磯部揚げみたいなやり方は、知ってるけど……まいったなあ、完全に一本とられちゃいました」

「海苔を食べ物と認めない人々は、残念ながら確実にある一定数、我々の故郷にいるのです。もしかしたら、各国の外交関係者にもいるかもです。しかし、それではあの面白さを、わたしたちテアトラの料理人は指をくわえて見過ごすこととなる――そんなもったいないこと、デキマセン!」

「つまり、これは、フェイク・海苔、です」

 息の合ったコンビネーションで、ふたりが言う。

「フェイク・海苔!」

 そうか、そうやってお客様の精神的な障壁を取り除いてさしあげようと、このヒトたちは!

 やばい、涙、出てきちゃった。感激で。

 ボクにはもうわかる。

 

 これは返歌だ。ボクがお昼におふたりにお見せしたお弁当への。


 昼間のお弁当は、ボクみたいな若造がおふたりの領分に土足で上がり込むみたいなやり口に、どうしたって感じられたはずだ。

 それに対して、おふたりはテアトラの伝統とその料理人としての矜持、格式を真っ正面からぶつけるような料理で、ボクを叩きつぶすことだってできた。

 あえて踏み込んで言うと、たとえば、テーブルマナーとして極端に難しい料理は、実はけっこうある。パイ系、ミルフィーユ系はその代表格だ。そういうのをいくつも忍ばせて、相手を計ったり、恥をかかせるようなやり方も、じつは料理にはできる。


 極端な話、バナナが丸々一本出てきたら、どうやってナイフ、フォークで対処する?

 もちろんだけど素手で握って皮を剥いちゃ、だめなんだよ? 

 お家ならいいけど、外交の席って、そういうとこなの。

 

 でも、おふたりのこれは――この料理たちは違う。

 

 ボクのお弁当をしっかり賞味して、楽しんで、そのあとで、自分たちが考えた重箱のお弁当のあり方、ボクの提示した食べ物のその先のやり方を――ボクに楽しんで欲しいって、差し出してくれたものだ。

 ボクの美味しいものを大切なヒトに食べて欲しいって想いが、行いが、届いて、伝わって、おふたりの心に響いて還ってきた。


 それが、このお皿たちなんだ。

 

 んごごごごごごー、ぐぎゅるぐぎゅるぐぎゅるぐぎゅるぎゅ、ぎゅぐー!

 

 ボクの蛙が、いや、もう受け入れよう、ボクのキャラ性が瞬間最大風速的に、ソラ史上最大級の唸りを上げた。


 でも、ボクはもう、恥じない。

 はっきり、正直に言うよ。


「食べたら……おなかが……もっと空いてしまいましたッ!」

 赤面しながらも、はっきりと伝えるボクに、ふたりの料理人は崇拝すべき姫君を見出した本物の騎士のように跪いて、熱い視線を返してくれたんだ。

 

 そんな感じで離宮の夜は更けていくんだ。



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