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キャラ性

         ※

         

「まあ、そういうわけだ、テオ。すまねえが、うちの娘が一週間ばかし、ご厄介になるぜ」

「ボクは大歓迎ですが……よろしいんですか?」

「おーう、ちょっとオレにも考えがあってな。無理言ってすまねえが、ときどき話し相手になってやってくれねえか。庭絡みで、お前さんに聞きたいことが、やつにも出てくると思うんだ。公務の障りにならん程度でいいから、聞かれたら話をしてやってくれ。いいか、ここ重要だ、聞かれたらな?」

「なにか、問題がありましたか……お庭の件」

「ん、ああ、あったというか、ありそうだ、というか。分水嶺みたいなとこにいるからよ……こういうとき、あんま外野がやいやい言うのはよかねえんだ――ああ、この話はソラには伏せといてくれや。ん? なんだ、テオ坊、なに笑ってやがる?」

「ソラさんのこと。ほんとうに大事にされているのですね」

「あ? けっ、よせやい、けったくそわるい。ウチは放任主義なんだよ。放し飼いだ、放し飼い」

「でも……わかります。あまりに可憐だ。生命力に満ちあふれていて、輝くようだ。まぶしすぎる」

「……おい、テオ坊、いくら一週間お預かりったって、預けただけだからな。手ぇだすなよ?」

「もちろんです、と言いたいところですが……困ったな、自信がない」

「おめえ、オレをからかってんのか? しゃれにならん冗談かますんじゃねえぞ。だいたい、そんときゃオレがおめえの義父になんだかんな、憶えとけよ?」

「……ああ、その可能性を完全に失念していました。ですが、どんな障害があっても、ボクは乗り越えてみせます」

「てめえ、ヒロイックなそのセリフだが、未成年相手にことにおよんだら、たとえ未遂であっても、そりゃあインコー罪だかんな? ろりこんの烙印だかんな? こえーぞ、世界法則発動の規制バリアが、てめえの存在をページごと消し去るんだからな?」

「……それはちょっと、ジョバンニさんがなにをおっしゃられているのかよくわかりませんが、すごく怖そうですね」

「いんてるでっどだ、すこにかだ、禁書焚書だ、発禁だ――まあ、そういうことだ」

「キスくらいなら、大丈夫みたいですね……このガイドラインを読むには」

「てめえ、法の抜け道さがしてんじゃねえ!」


         ※

        

「ソラさん? そろそろ陽が傾いて肌寒くなってきました。春とは言っても、夜は冷える。今日はそのへんにしておきませんか?」


 テオのその声を聞くまで、ボクは呆然としてた。

 お庭の雑草だらけの地面に子供みたいにぺたりと座り込んだまま、自分を見失っていたんだ。


「テオ……王子」

「はい? どうされましたか、ソラ?」

「ボク……師匠に、見放されちゃったかも」

「そういう感じではありませんでしたよ、ジョバンニさんのお話では。大事なところにいるから、しっかり勉強させてやってくれって、そういうことでしたけれど?」


 テオの言葉には、単なる気遣いではない真実の重さがあって、ボクはそれでようやく、すこし冷静になれたんだ。

「そんなこと……あのヒトが……言ってた? 言ってましたか?」

「あー、しまった、これは口止めされてたんでしたっけ……怒られてしまう」

 ぺろり、と子供みたいに舌を出して笑うテオの優しさに、ボクはなんだか涙まで出てきてしまった。


「叱られたんですか?」

 空気みたいにふんわりとした口調で、テオが訊いた。

「叱られたわけじゃないんですけど……測られた、っていうか。まだ、おまえはわかってない、って言われたっていうか。ううん、それすら言ってもらえなかった。まいったなあ、こういうのが、いちばん効くよ」


 師匠は途中まで、ボクの話に耳を傾けてくれていた。そう悪い線じゃなかったはずだ。

 でも、あの石に、あのへんてこなオブジェに、言及した瞬間だった。


 あの、深紅の瞳が、ボクを見た。


 怖いような、憧れるような、あるいは焦がれるような――そういう感慨を震えによって、心にではなく身体に覚えさせる、あの深い目が、ボクを測った。

 もう二度とあんな風に見られたくないのに、もう一度、見て欲しくてどうしようもない、この感じ。

 心の底に溜まっていた汚泥がかき混ぜられて舞い上がり、視界が塞がれて、どこへ向かえばいいのかが、わからなくなっちゃうかんじ。


 無言でこう訊かれたんだ。たった一言。ボクは、そう感じたんだ。

「それでいいのか」って。

 それで、ボクは立ち上がれなくなっちゃたんだ。


 それまで表面上はともかく、心中では自信満々だったボクの所見、その正しさを、もう一度、問われたような気がして――それが恐くて、たまらなくなっちゃった。

 自信がなくなっちゃたんだ。

 気がつくと、テオの指摘通り、全身が冷え切ってしまっていた。


「まいりましょう。料理長たちが、あなたに料理をお出しできると、はりきっていますよ」

 差し出されたテオの手は反対にとってもあたたかくて、それでボクは自分の指先の冷たさに、血の気を失っている末端に気がついた。


「こんなに冷えて……すぐ、湯浴みを準備させましょう」

 王子様が跪き、ボクを抱え上げてくれた。

「えうっ、あっあっ、あのっ、これっこんなっ、い、いけません」

「いけないのは、ソラ、あなたのほうです。女性がこんなに身体を冷やして」

 突然のことに心臓が跳ね上がった。


 身体は冷えて強ばって、衣服越しに感じられるテオの体温がとてつもなく心地よくて、それなのにあまりの事態の急転に頭と心臓がパニックを起こして。


「あ、あの、テオ……王子様……降ろして、降ろしてください。歩けます」

「いいえ、ソラ。これは罰ですから降ろしません。ボクはあなたの身柄を一週間、ジョバンニさんからお預かりした。キチンとおもてなしして、元気なあなたをお返しすると約束した。それなのに、あなたご自身がご自愛を忘れられては、これはもう、ボクたちには手の打ちようがない。ですが、それが原因でお風邪など召されるようなことがあったら、テアトラ王家の名折れです。アルカディアに離宮を置く他国のいい笑いものにされてしまう」

 ですから、決してあなたを離しませんよ? そう言い切るテオの柔和な笑顔のなかに、またボクはこのヒトの芯の強さみたいなものを見出してドギマギが止まらなくなってしまった。


 このヒト、天然のレディ・キラーなんじゃないだろか。


「あっ、汗臭いですしっ」

「あなたが悪いんですよ? この機会にソラの匂いを憶えさせてもらおう」

「えうああ? ええええっ」

「ボクには魅力的な薫りにしか思えません」

 やう、悪意のない悪戯のつもりかもしれないけど、だめっ、だめっ、そんなのされたら、ボクっ。

「あっ、あっ、あの、テオ、テオさまっ」

「なんですか、レディ?」

「あっ、あのっ」

「はい?」

「お、お重――お重の、蓋」

 とっさに出てきた緊急回避案がそれか、とはボクも思ったけれど、効果は抜群だった。


 テオは真顔になり、たしかに、とボクを抱いたまま腰を屈め、それを回収して手渡してくれた。


「これでよろしいですか?」

「ええ、これで、ええ」

 というわけで、ボクは抱き上げられたもののお重を盾にして、乙女心の尊厳を確保しながら、ローズマリー離宮に帰還したんだ。

 

         ※

         

「はふーん♡」


 と思わず声が出ちゃうくらいにお風呂は気持ちよかった。

 ウチのも悪くないけど、こうして手足を伸ばしても壁に届かないくらい大きな浴槽を独り占めするのも、なかなかいいなあ。


 それに、テオが気を利かせてくれたんだろう。ブーケに束ねられたハーブたちがいくつも浮かべられてて、その薫りが気持ちいいいいいい。うわー、ウチも菖蒲湯とか(あ、ショウブ湯ね? 同じ字でアヤメとも読むけど、こっちは毒があるの。花ショウブ=アイリス、イリスも毒草だから、お風呂に入れたりしたら危ないからね? ゼッタイ混同しちゃダメだよ? 金魚鉢に挿すと金魚死んじゃうくらいなんだから)、柚子湯とかはするけど、こんなにたくさんのハーブをふんだんに使うと爽やかさが違う。


 息を吸い込むごとに、身体の内側からキレイになってく感じ。

 滞っていた血流が戻って、手足がじんじんする。

 寒かっただけじゃない。

 ボク、ほんとに緊張してたんだ。

 なにがいけなかったんだろ。いまでも、よくわかんない。

 でも、師匠は「勉強させてもらえ」って時間をくれたんだ、ってテオが言ってた。

 あれは本当だと思う。

 ほんとうに見込みがないなら、さっさと見切りをつけちゃうのが、ジョバンニだ。


「生き急げ――オレたちの時間はそうあるわけじゃねえぞ」


 それが、口癖だもん。

 たくさんのものが、あっという間に無為に失われていく、そういう現場の、戦場のいちばん前で戦ったヒトだもん。

 すべてのものが――ヒトの営みも、しあわせも、夢とそこへ向かうはずの道も――どんなにもろく儚いものか、知り尽くしているヒトだもん。

 ふつうの大人みたいに「若いんだから、焦ることはない」なんて、言わないんだ。


 そんな嘘を、師匠は言わない。


 世界は優しくない。だから、そこに立ち向かうための本当の優しさは、厳しさに鎧われてなくちゃいけない。


 ほんとうだったら、今日、ある程度プランをまとめて、必要な資材の検討をしようって話だった。

 それを丸々一週間先延ばしにして、時間を与えてくれたんだ。

 それは呆れられたってことじゃない。

 期待されているってことだ。

 身体が温まってくると、気持ちが上向いてきて、冷静にそう考えられるようになってきた。

 不思議だね。身体が弱っているときは、気持ちもネガティブになりがちだ。


「よーし、気持ちを切り替えていくぞー」

「お背中、お流ししましょうか?」


 突然、背後から降ってきた声にボクは「ふえっ?!」とか、情けない声を出してしまった。

 

 慌てて振り返ると、乳だ、乳が揺れてやがる……。

 

「湯女としての、お役目、仰せつかったもので」

「うわわわわっ、巨乳メイドッ!」

「今朝は失礼いたしました。わたくし、ミルヒアイスと申します。どうか、ミルヒとお呼びください」

「み、みみ、み、ミルヒ?! ミルヒって、乳、ミルクって意味じゃないか!」

「はい、どういうわけか。名は体をあらわしていなければならない、という実に世界法則の恐るべきところと申しましょうか。不本意ながら、このように育ってしまいました」

「そだっ、そだっ、育って、そそそ、育って?!」

「お背中、お流ししましょう?」

「うわわわっ、よるな、よるんじゃなああい!」

「ミルヒ、困りました。今朝、ご無礼があったことをお話しましたら、主から努めてご奉仕にてお返しするよう、きつく言い渡されましたのに。どうしましょう、困りましたわ。このままでは、折檻されてしまいます」

「せせせ、折檻?! だれが、だれを、せせせ、折檻?!」

「それをわたくしに言わせたいのですか。ひどい方」

「ててて、テオが、ミルヒを折檻?!」

「まあ、それはわたくしの想像……いえ、願望?」


 ずばあ、とボクは湯のなかで滑った。オーバーヘッドキック状態だ。想像かよ!! 願望かよ!!


「わたくし、ソラさまと仲良くなりたいんです」

「ボクはなりたくなーい!!」


 言いながらボクは湯船の深奥へ向かって逃げる。へへへ、どうだ、湯女姿とはいえ、衣服は着てるわけで追ってこれまいっ。

 と振り返ったら――追ってきてたああ!!


「うええーい」

「お待ちになってくださーい」


 振り返ったボクは変なカタチのフキダシ付きで声を上げた。だって、ありえんだろ、そんなんなるか、人類、乳、シェイク!


 なにいってんだ、ボクは。


 というわけで、逃げるボクと追うミルヒ(なんて名前だ)という、サービスなのかコメディなのか、検閲対象なのかよくわからない場面が現出したのだ。もうもうと上がる湯気がいろんなものを適切、かつ的確、正確無比にあいまいにしてくれなかったら、全年齢的にこうして描写できていないはずだ。


「だいたい、アンタ、なんで朝と言葉遣いが違うんだよっ!」

「だって、だって、宮中なんですもの、職場ですもの、お仕事ですものー!」

 とか言ってたミルヒだったけど、突然、きゃっ、という悲鳴とともに盛大な水しぶきをあげてすっ転んだ。


 ざまあ、と思ったのは一瞬だった。


 ボクは慌ててミルヒに駆け寄る。運悪く後頭部を打ちつけたりすれば、石造りの浴槽だと、最悪、死んでしまうことがある。

 見捨てることなんてできない。


「だいじょうぶ?」

「優しい……かた」

 駆け寄り、ミルヒを抱きかかえたボクを抱き返すミルヒの腕に力がこもった。

「つかまえた♡」

「うおおいいいいっ」


 とまあ、そんなひどい仕組まれたとしか言えないサービスシーンがあって、ボクはいま、ミルヒに背中を洗われている。

 

「どーでもいいんだけど、そのことあるごとに押し付けられる柔らかいの、やめてくんないかな」

「だーってえ、これはミルヒの特徴、より高次の物言いをすれば、キャラ性ですもの。ソラさまには、ご無礼とは思いますが、そのうち気持ちよくなってきますわー」


 宮仕えの回りくどい敬語を聞くとお尻が痒くなるんで、普段の言葉遣いに戻すようお願いしたんだけれど、やばい、コイツやっぱり苦手だ。


 だけど、背中を洗う手際は、ほんと、上手で……気持ちよくて困る。

 テアトラ名産のオリーブオイルとハーブを使った石鹸を、よーく泡立てたやつで優しく肌を洗われると、マシュマロでお肌を手入れされてるみたいな錯覚すらあって――そんな極上の幸福感を拒絶できない。


 最近、布でごしごしやるのが精いっぱいだったからなあ。女のコ的メンテナンスを怠っていた感は、ある。


 そういや、ちょっと前までは師匠と一緒に入ってたんだよなあ、お風呂。そのときは師匠が背中を洗ってくれてた。当然、こんなすごいサービスじゃなかったけれど。それで思い出した。傷だらけなんだよね、あのヒト。キレイなのは顔だけ。


「はーい、それじゃあ、前も、失礼しますねー♡」

「うぉおい!」

 ヒトがちょっと感慨に浸っているあいだに、なにをするだー、この女はーッ!!


「あら、可愛らしい。でも、そこが少年的で、魅力♡」

「どさくさに紛れて測るなーッ!!」


 くっそー、こいつうう、チョーシにのりやがって。

 描写しなけりゃ、読者さんには気付かれないっていうのにー。


「でも、きめ細やかなお肌……きっとお美しくなられますわ」

 真っ赤になって振り返り拳を振り上げたボクを恐れた様子もなく、信じ切った瞳で微笑んで言うミルヒを……ボクは打てなかった。くそー、ボクが無抵抗なヒトに手をあげられないのを見透かされてるーッ!!


「お世辞はやめろっ。あと、どさくさに紛れて触るな!」

「ミルヒ、お世辞は言いませんの。あと、触るのもやめません♡」

 つ、疲れるヤツだなあ。ボクは拳を振り上げたまんま、へなへなとその場にへたりこんだ。




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