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失われた風景

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「あ、いたいた、師匠――ごめんなさい、遅くなっちゃって」

「んー、おー、ようやくお出ましか、ずいぶんと持ち上げられてたなあ」

「うん、まいっちゃったよ、特に料理長さんたちが質問責めだけじゃなくて、実技的なことを見せろ、とか言って厨房に連れ込まれちゃってさ……クリエイティブなお話楽しくて、つい話し込んじゃったんだ。ほんと、ごめんなさい」

 ボクはぺこり、と頭を下げる。素直に謝る。


 ボクの本分は、造園で料理じゃない。しかもまだ補佐役なんだ。それも師匠の養女だってだけで、大した実績もないくせに、こんなポジションをもらってる。

 造園旅団のみんなは、ほんと、気立てやきっぷのいいヒトばかりだから、気にするなっていつも言ってくれるんだけど、仕事をおろそかにするのは、なんていうか、ボクがボク自身を許せないんだ。


「ま、いいんじゃねえのか、そのためにバカみたいに早起きして、見回ったんだろがよ」

 師匠の伝法だけど、優しい言葉に胸がジンとした。

 見てるとこは見てくれているんだよね、ウチのジョバンニは。


「オレのほうこそ、あんまりに木漏れ日と風が気持ちいいんで、つい、うとうとしちまったぜ」

 お重の蓋に載せられてたお弁当の中身は、綺麗に食べ尽くされている。


「あ……どうだった、今日のお弁当」

 ボクは思わず尋ねている。一番評価が気になるのは、やはり師匠なんだ。

「ああ、悪くなかったぜ」

 ぶっきらぼうにそれだけ答えて、葉を広げはじめた広葉樹の下、師匠は持参のぐい飲みを突き出した。


 注げ、ってことね。


「飲みすぎは、ダメだよ師匠。お仕事なんだから」

 と、言いながらも注いであげるボク。甘いよな、って自分でも思うんだけど、おいしそうに飲むんだよねえ、師匠。

 あと「悪くない」っていうのは、師匠のなかでは、かなり上位の賛辞なの。まあ、食べ残しがないの見れば、まずくなかったのは、わかるし、メインのドラゴ・ロワナ、気にしてくれてたもんね。えへへ、うれしいな。帰ったら焼いてあげるね?


「今日のオレは、オマエの付添で来てるおまけだ、おまけ。それより、気持ちのいいところだよな、ここは」

 おいしそうにお酒をやりながら、師匠が言った。

 え? いま、この庭を褒めたの?


「うん……風がすごく気持ちいい、よね」

「吹く風にハーブが揺られて、香気が生じるんだろうかなあ、うまい」

「でも……なんだか、この庭園……庭っていうより、ピクニックに行ったときの草原みたいな――」

「どっかの原っぱみたいだってか、がっはっはっ、おめえ、うまいこと言うな。グリムのやつ、頭から湯気出して怒るだろうな」


 がっはっはっ、と師匠はお腹を叩いてもう一度、笑った。


 グリムグラム造園伯と、師匠は旧知の仲だった。独創的な造園を続ける師匠に対し、グリムグラム造園伯は古典派の流れを守りつつも、その作法を極限まで突き詰め研ぎ上げる造園で高い評価を得ていた御方だ。

 なにしろ、異能者であるガーデニング・マイスター相手に人力と人智でもって真っ向から挑みかかり、その造園技術と作品としての庭園の評価で渡り合った男は、史実上にもそうはいない。


 造園伯、というのは貴族階級の出でありながら、自ら率先して造園業に打ち込む姿から付いた仇名だった。


 先の大虚空戦争では、土地そのものを創出する能力からガーデニング・マイスターたちが前衛となり、一般の造園技士や園丁たちは後詰めや、作り上げた橋頭堡としての庭園の維持・管理、および、その庭に投下される石や植物の調達などを担当することになった。


 その軍隊的表現を用いるならば兵站部門の棟梁を務めたのが、グリムグラム造園伯なんだ。

 師匠とグリムグラム伯が見解の相違や資材調達の件で、なんども激しくぶつかるのを見た、とアルカディア造園旅団の職人さんや古なじみさんたちが話してくれた。


 でも、それでもふたりは親友だったって。

 ボクも、師匠がグリムグラム伯のこと、悪く言うの一回も聞いたことがない。


「偏屈で頑固だが、ま、仕事はできる男だったぜ」

 例の著作:「エクステラス庭」を何巻か読んだあと、どういうヒトだったのか興味を持ったボクに、師匠が教えてくれた。


「オレもまだ若造でな。自分のなかで暴れ回る創意とガーデニング・マイスターの《ちから》にものを言わせて、ずいぶんと無茶な……自分本位な真似をしたもんだ。そんときゃ、いっつも食ってかかられたよ。うるせえオヤジだ、てめえの古くさい庭に、そのセンスのなさと、オレを比べて嫉妬してるんじゃねえかってな」


 キセルでタバコをくゆらせながら、夏の夕涼み、ボクの作った贅沢冷やっこで一杯キメながら、師匠は言ったっけ。


「そんで、オマエの庭見せてみろや、みたいな感じで行ってみたさ。――やられたね。完全に一本取られた。逆だよ、逆。オレとアイツの造園はまるで逆だった。それまでのオレが降ろそうとしたのは、いつも“オレの理想郷”だった。だが、やつが降ろそうとしたのは“だれかの理想郷だった”――そのために、自分を消し去るような、そういう庭だったよ」


 師匠からお話を引き出すには、真っ正面から頼んじゃだめだ。めんどくせえ、うざってえ、思い出すのが、語って聞かせるのがしんどい、とかなんとかかんとか言って、煙に巻かれるに決まっている。

 だから、ちょっと気の利いたおつまみと、冷えた吟醸酒なんかを出しつつ、お酌しつつ、さりげなく話を振るのがコツなんだ。面倒くさい男でしょ?


 あ、うちの贅沢冷やっこは、半丁のお豆腐の表面にまずごく薄く練りからし、そこをおぼろ昆布でコートしたら、刻んだあさつきや細ネギ、シソ、ミョウガ、ゴマ、キュウリの古漬の極薄切り、オキアミの茹で干し(桜エビも悪くないけど、オキアミのほうが細かくてお豆腐との相性がいいんだ)、昆布の佃煮や塩昆布、梅干しの果肉……そういうものを綺麗に載せて、さっとお醤油をかけ回したもの。

 暑い夏も、これ一品とご飯があれば、夏バテ知らずで乗り切れるんだ。

 もちろん、お酒のアテしても(師匠が言うには)、最高なんだってさ。


 薬味を載せるエリアを決めておけば、食べる場所で味が変わるから、ちびちびと、ずーっと飲んでられるって。意地汚いなあ、とも思うんだけど、その気持ち、ボクもわかるんだ……てへへ、食い意地が張ってるのは師匠譲りなんだね。

 からいの苦手なヒトは、練りからしは省略してもダイジョブです!

 

 あ、友情のお話、割り込んじゃったね? ごめんしてね? え、飯テロ? なに?

 設定されたキーワードが、ボクになにかを話させるみたいなんだ。

 

 それで、よくわかんないんだけど、お話もどすね?

 グリムグラム造園伯のお話。

 

 けっきょく、そのあとグリムグラム伯の庭園を褒めた師匠は、造園伯本人から嘲笑を浴びせかけられたらしい。

「どうした、もう折れたか、小僧。古典に挑みかかるなら、腹を括り、徹底してやるがいい」

 って、喧嘩売られたらしい。


 殴り合いになったって言ってたな。褒めてのこの返しじゃ、しょうがないか。

 もっとも、師匠の褒め方がまっすぐだったかどうかは、はなはだ怪しいんだけどね。

 なんとなく、想像できるでしょ?

 

 でもね、そのときのこと、どっちも相手を悪く言わないの。

 師匠も、造園伯も。 

 造園伯なんか師匠の狼藉に憤慨する家臣たちに「あれくらいでなければならん。面白い男だ」といって破顔一笑したって話だもん。


「まあ、その話は、嘘かホントかしらねえが、とにかく、必要なときに必要なモンはどっかから必ず調達してくる、そういう男だったぜ。ただ、そのまえに必ずと言っていいほど、大喧嘩をやらなきゃならねえのが、面倒くさいジジイだったよ」――これ、師匠の言葉ね。


 最大級の賛辞。

 お互いがその力量を認めあい、信頼しあっていたんだ。ボクにだってそれぐらいわかる。

 そうでなければ、伯爵自らが兵站輸送、その現場主任を買って出たりしないもん。


 一手指し間違えたら世界が滅びる、ってときになっても、家柄や格式や世間体にしがみついて、なんにもしなかったやつらだっていっぱい、いっぱいいたんだよ!

 それなのに、脚光を浴びることもない裏方で、泥と汗と埃にまみれて、あのひとたちは働いたんだ。

 その彼らの陰で、ずっと無難な場所で息を潜めて、己の家督と財産にだけ固執してたやつら、だれだ、前へ、前へ出てこいっ!

 あのひとたちのまえに、出てこいッ!!


 ……おっと、いけない。また師匠に叱られちゃう。

 そんな言いかたしてるうちは、おまえもやつらと変わらねえ、って。

 創り上げることだけで前進しろ、って。

 だめだな、ボクは。

 ボクの……お母さんも、大虚空戦争で死んだんだ。

 それで、ボクは師匠の養女になった。

 だから、あの戦争についてのお話になると、つい、感情的になっちゃうの。ごめんして。

 ごめんしてね。 

 

 それに、戦争の記憶は、悪いものだけじゃない。

「うちの子になるか」

 記憶を亡くして〈ワールズ・エンド・クリフ〉――大虚空戦争で失われた世界の突端を彷徨っていたボクを、抱きとめてくれたときの師匠――カッコよかったなあ。

 あれが、ボクの持つ最初の記憶だもんな。

 刷り込まれちゃった、というか――きっとボクが師匠に甘いの、そのへんが原因だよ、ぜったい!

 

「で、どう思うんだ」

「はひょっ?! なななな、なにがでしょう」

「だから、どう感じたのか、って話だ、ソラ」

「かんじっ、感じたかっ、と申されますと!?」


 思いっきり、ボクは挙動不審な動きを見せていたと思う。だって、師匠の顔が超近いし、どう思うって、か、感じたか、なんて……そんな、そんな。


「庭だ、庭。庭を、どう思ったかって聞いてんだよ。ぼーっとしやがって、オレの話、聞いてなかったな?」

 ででで、ですよねー。とボクは慌てて体面を取り繕う。

「おまえ、ちゃーんと目ン玉ひん剥いて、隅から隅までぐるりと、見たんだろな?」

「見たし! 見ましたし!」

「ほんで、どうさ、感想とやらを、所見とやらを聞かせてみろや」


 あー、師匠、ちょっと酔っぱらってる。んー、こういうときにお庭の話するの、ボク、やなんだよなー。

 すこしだけ、師匠が怖くなるときがあるんだ。

 やっぱり、あの大虚空戦争のこと絡み、その記憶が師匠をそうさせちゃうんだろうな、ってボクにはわかるけど。


「……さっきも言ったみたいに、ピクニックで行った草原みたいだって」

「ほーん、それで?」

 うん、そこは師匠も同意見みたい。ボクはちょっと勇気を得て、話を続ける。

「芝生以外の草が生え放題、石ころはさすがに丁寧に除かれているから、寝ころんだりすれば気持ちいいかもだけど、傾斜が外縁へ向かってつきすぎてる。坂道とまでは言わないけれど、これじゃダンスには不向きだし、さっきお食事したテラスからの眺望はよくない。肝心の部分が、主賓のいらっしゃる場所から見えないなんて」

「なるほどなあ。続けろや」


 なにか引っかかるところがあれば、絶対に師匠は突っ込んでくるから、続きを促されるってことは、だいたい問題点を指摘できてるんだ。もちろん、続ける。


「もし、高度差をお庭に生かすなら、テラスの下を垂直にずっと掘り下げて、傾斜はなくして平らにして、見下ろす感じにできればいいんだと思う。広く平らで滑らかな芝生の面を作るの。野外舞踏会の会場にできるように」

「ほう、モダンだな。二面式にするんだな」

 ボクが上下の面をあらわすように掌を互い違いにすると、師匠は意図を汲み取ってくれた。


「それで、一番の問題は、あのよくわからない石だよ」

 ボクは眼前の石、というか岩、というかあの変なオブジェを指さした。

「ああ、あれな」

 師匠は頷く。

 

「あれはな」

「あれはダメだよね」


 師匠とボクの声が重なった。

 師匠はなにかを説明してくれようとしてたみたい。そこにボクの声が被ったんだ。


 それまであのへんてこな石を見て、なにかを説明しようとしてくれようとしていた師匠が視線を返し、口をつぐむと、ボクをじっと、計るように見つめたのは、そのときだ。


 心の底まで見透かすような、そんな……瞳。

 なにか、なにか、ボク、間違ったこと言った?

 どれぐらい、師匠はそうしていたんだろう。たぶん、そんなに長い時間じゃなかった。五秒か、十秒、それくらい。


 それなのにボクには、その十秒がとてつもなく長く感じられたんだ。


「師匠……?」

 沈黙に耐え切れなくなったのはボクのほうだった。

 その様子にため息ひとつ、師匠は紅玉の瞳を閉じて眼力の呪縛からボクを解放するように立ち上がると、こう言った。


「ソラ、おめえ、今夜から一週間ばかし、こちらにお邪魔させてもらえ。ボンサイも一緒だ。話はオレが通しておく。一日中、お庭拝見させてもらって、お話うかがって……改修案はそれからでも遅くあるめえよ」


 おう、重箱の蓋だけ、頼むな。

 とそれだけ言い置いて、とっくり下げて、ぐい飲みをしまい込んで、さっさと戻ってしまった。

 なに? ボク、なにか、悪いこと、した? 

 失敗、した?

 

 あんな師匠を初めて見たボクは……胸が早鐘を打つみたいになってしまって――だって、怖かったんだ。

 師匠は、怒っていたんじゃない。

 それなのに、怒っているときより、ずっとずっと……怖かった。

 

 あとからわかる、その恐怖の正体は。

 心を、自分を測られるってことは。

 

 覗かれるなんてことより、ずっと、ずっと。

 


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