エイヒレは雲の味?
「わー、タケノコ! ボク大好き!」
「季節的には、もう名残も名残じゃがな。採れたてではなくて、茹でて塩蔵しといたもんじゃが……」
「すごい! 塩抜き完璧! っていうか、言われなかったらわからなかった」
「そうかそうか、ソラさんはわかってくれるか」
「えへへ、シャルルパニエとも喧嘩しないしー。むしろ、好相性?」
さらに、塩豆腐。
これは普通の絹豆腐の水をしっかり切って、そこにお塩をまぶして置いたもの。
三日くらい出てくる水を捨てながら保存すると――ねっとりとした舌触りとコクが出てくるんだ。
「チーズみたい!」
「そこに、ごま油よ」
「やばい、これ、美味しい!」
「今日はしてないが、ここから燻製にしても……うまいぞよ?」
盛り上がるボクらふたりを、師匠は苦笑混じりでながめつつ、例の乳白色のあぶり物に手をつけた。
ちぎって、口の中に放り込み、ふやかすみたいな感じで……あ、お酒が美味しそう。
「師匠……なにそれ?」
「あー? オマエまだ、塩豆腐食ってんじゃねえか。食い意地だけはいっちょまえだな」
からからと師匠が笑う。ぶー。
「万人にゃ勧めねえが……まあ、なかなか乙なもんだぜ?」
「なんだそれなんだそれ!」
「手塩皿(ちいさな個人用のお皿のこと)のブツをキレイに食べてからにしろよ」
「もぐもぐもぐももぐ」
「あっはっはっ、ソラさん、可愛らしいのう」
モン爺さんにも笑われたーッ!!
……さすがにちょっと恥ずかしいです。
なんだろう、このお座敷ってヤツ。
心理バリアが下がるというか……イグサのいい匂いもあいまって……気持ちがほぐれちゃうというか。
あと……すいません、ボク、好奇心に勝てないのです。
「すごい……なんか半透明感……ある」
「これもわしのお手製さ」
ほうほう。もちろん、ボクは食べる。
ちぎって……え? 綿菓子みたいな……ちぎれ具合……いや、もうちょっと弾力が……あるのか。
もちっと、ふわっと。そこにちょっと硬めの……なんだろ、軟骨みたいなの?
「なにこれ?」
「ちいとクセがあるかもしらん。最初はその七味マヨネーズをつけるがいいよ」
もちろん、ボクは言われた通りにする。
こういう先達からの具体的なアドバイスというのは、聞いておいて損はない。
「あ、なんだろ……これ……お魚系? ウマヅラ(ハギ)的な……んと……いや、もっとねっとりと……口の中でとろりとして……軟骨……おいし。旨味スゴイ!」
目をつむって味を探るボクに、ほっほっほっ、とモン爺は笑う。
ちなみに、師匠のリアクションは「あちゃー」だ。
どゆこと?
「こりゃあ将来が楽しみじゃのう? なあ、ジョーの字?」
「どういうことですか?」
もちろんボクは、その理由を問いただす。
「生涯の晩酌相手に困らん、という話さ」
モン爺はまた笑い、師匠は苦笑。わけわからない。
わからないから、ボクはもうひとくち食べる。
「おうおう、あんまりがっつくと、夜、目が冴えてねむれんくなるよ」
「これ、なんです?」
「エイヒレを食べたこと……あるかね?」
「エイって……お魚のエイ、ですか? 平たいヤツ? ……あー、ないかも」
新鮮なウチに上手く料理できたら、すごく美味しいけれど、ちょっと、クセのあるお魚だって聞いたことはある。
あと煮付けると、スゴイ煮こごりができるんだって。
ただ、捌くのにいろいろコツがいるみたいで、ボクは直には触ったことがない。
「まあ、近いもんだと思ってもらったら、まちがいないよ。ヒレの根元、その皮を剥いて乾かしたものさ」
「エイのヒレ?」
……でも、だとしたら、このエイ……すっごいでっかいぞ?!
「……ちがう、これ……モンスターでしょ?」
「おうおう、ばれちまったのう」
えっ、やっぱり。でも、ボク、コレ知らない……しらない知らないヤツだ。
ボクのモンスター解体と調理師免許にないやつだ!
「なんて名前なの? どんなヤツ?」
「クラウド・クインテイル、となるのかの? こちらでは。雲仙花冠魚とか、皇妃魚とか、呼ぶのじゃがな、わしらは。ほんとは身も残っとればよかったんじゃがのう。ぷりぷりして、甘味があって……エビみたいな味なんじゃ。だが、村の連中とすぐに食べてしもうた。日持ちもせんし、なにより美味いからのう」
「!」
ボクは驚いた。
じつは、ボクらがテアトラ離宮の件ですったもんだしてたころ、それは起きてた事件と関係がある。
モンスターによる、人家への襲撃事件だ。
家畜がやられ、ヒトにも被害が出た。
モンスターたちのなかには、家畜の味を憶えて牧場や農場を襲撃するようになってしまう個体や群れが――ときどき出る。
でも、クラウド・クインテイル――こいつはとびきり厄介な相手だ。
ボクも図鑑で見たことしかない。ああ、ハンターズ・ギルドにあるでっかい図版付き目録のことね? 図鑑。
それはひとことで言うなら――美しいけれど凶悪な……女王さま、だ。
長く美しい銀色の魚。
幾本もの長いヒレをたなびかせながら宙を舞う姿は、本物の天女のようだ。
頭頂にはかんざしか、冠か、と見紛う金色の器官が発達している。
でも、その性情は極めて獰猛。
大きな頭と発達した顎の奥には身の毛もよだつような鋭い歯が、群れをなしてひしめいている。
でも、ほんとにコイツが恐いのはそこじゃない。
周囲に雲、というか霧を引き連れてやってくる。
視界のまったくきかない霧中、というのを経験したことある?
数メテル先が、いや、もうほんとに腕を伸ばした先が見えないってくらいの、それを?
恐いよ。山中でそんなものをくらったら……そして、むやみに歩き回ったら……必ず迷う。
それどころか、足を失って滑落するよ?
夜、谷筋にそって濃い霧がまるで竜のように駆け下っていくのを見たら、ボクの言ってることわかってもらえると思う。
そして、もし、その視界のきかない霧のなかに、一匹、本物の化け物が潜んでいたら……どう思う?
おまけに、こいつは、肉体のそこここから、獲物をおびき寄せる誘因性のガスや、眠りのバッドステータスを引き起こすソレ、果ては、体内にある発電器官から放電まで行う怪物なんだ。
美しいのは遠目から見える姿だけ。
満月を背景に夜空を泳ぐ姿だけ。
ランクB+++。
ほとんど、Aランク、つまりミドルサイズ・ドラゴンに匹敵する最悪の相手だ。
それを……モン爺、倒したって言ったの?
お手製って、そういうこと?
「そうじゃよ?」
「ええええええー!」
「ひどい驚きようじゃな」
「だってだって、見えないし、感じない――強いヒトに特有の……オーラみたいの」
「ほっほっほっ。そうかね。ちゃんと鞘に収まっとるかね。わしの気は」
気を……鞘に収める? どういうことなんだろう。わからない、けどすごく興味を引かれるよ、ボク。
「どうやって、どうやって倒したの?」
「しりたいかね」
「うんうん」
そうさなあ、とモン爺はアゴを撫でる。
「こう、シュッ、とな?」
「シュ?」
ゆるり、とモン爺は手を動かす。
それって一撃でってこと? 嘘だ無理だ。
クラウド・クインテイルはそんな簡単な相手じゃない。
思いが態度に出てたんだろう。
モン爺、また、ほっほっほっ、と一笑。
「無理じゃないよ。それにな、最初から刀を抜いて、殺る気マンマンで臨んだら、相手だって構えてくる。相手の獲物が刀や槍なら、まあそれでも、なんとかなるがね。ガスや広範囲的な放電とかだと、こりゃあもう、お手上げさ。刀を抜く以前のお話じゃないかえ?」
うぐっ、そ、それはたしかに。
「だからそういうときは――そういう難物と相対するときは、いかにもどうでもよいような、たいしたことのないような……取るに足らんような存在だと、相手に思わせるのさ。そうすると……むこうは油断してくれる。生まれてからこっち、痛い目をみたことないようなヤツほど――そういうもんじゃ」
強さに見合った慢心、とでもいえばいいかのう。
モン爺さんはこともなげに言う。
それから、自分もそのヒレをちぎり取って食べる。
杯を傾ける。
「うん、うまい」
ボクはといえば、なにかをはぐらかされたような、キツネにつままれたみたいな気分を味わいつつも……なぜか納得してしまっている。
「そうか。そういう……強さのありかた……鞘に収めるって……そういうこと」
師匠は「やれやれ」という感じで……手酌で呑みはじめてしまった。
「まあ、爺のお話はこれくらいで……どうじゃ、そろそろ」
「あ、お庭のお話?」
ああ、本題を忘れるところだった。お庭だ。響く岩だ。
「いやいや、もうちょっと腹に溜まるものを出そうじゃないか、ということさ。冷めてたり、乾きものばかりじゃ、ソラさんの胃のなかの蛙も、満足せんじゃろ?」
「ええええええー。や、やだなー、なんでわかる、っじゃなくて、なんで知ってるんですかーッ!! 蛙のこと!」
「おっと、口が滑ったわい。失敬失敬。それより、ソラさん、一緒に厨房で料理せんかね? お土産の昆布じめ……そいつで引いてくれんじゃろうか? のう、ちょっと、つきあってくれんかのう?」
ひとりじゃと、二品用意するのに、ちょいとばかし時間がかかるでなあ。
モン爺に水を向けられれば、当然のようにボクは立ち上がる。
もちろん、そのつもりで来たんだし。
こうして、ボクはモン爺といっしょにお料理することにしたんだ。




