おみやげは麦わらの
初夏にさしかかったある日、ボクはモン爺さんこと紋鉄斎さんのご招待を受け、お屋敷に招かれた。
モン爺さんって、別にマヒルヒのアルカディア駐在官とかではなくて、引退して、まったくの個人で居を構えてるんだって。
「アルカディアの風景が好きでなー」だって。
それ、ボクもわかる。
いろんな土地の植生が、ギュッとひとところに凝縮してあって、四季折々の変化まで楽しめる。
なかなかないよ、こんなところは。
それで、お招きにあずかって、ボクは二品ほど手土産をこしらえてみたんだ。
聞いてくれる?
えへへ、ありがと。
一品目は、イサキの昆布じめ。
イサキっていうのは磯につく白身のお魚なんだ。
味は……うーん、鯛に似てるって言ったら、わかってもらえるんだろうけれど……正確じゃないなあ。
鯛に比べるとマイナーなお魚だから、知らないってヒトも多いかも。
でもね、このお魚、とっても美味しいんだ。
それも、この季節からの二ヶ月間くらいが本当にサイコー。
「麦わらイサキ」と言ったら、まず飛びついて買ってしまっていいくらい、美味しい。
逆に鯛に「麦わら」とついてたら、これはオススメできない。
産卵の直後で、身が痩せちゃってて、刺し身は論外。煮ようが焼こうが、お話にならないの。
不思議なもんだね、同じお魚でもそういう時期がズレているんだね。
イサキの目は新鮮でも曇っているから、鮮度を見るには触って張りを確かめるしかない。
全体が、しっとりと濡れているもの、そして身の厚いもの。
この条件なら……だいたい間違いない。
あ、鯛よりお求めやすい価格なのも見逃せないポイント!
それで、ボクは昨日の朝、採れたその場で〆て、血抜きして、と処理してもらったやつを三枚におろして、昆布でしめといた。
お水で割ったお酢で軽く洗い、水気をしっかり取ってから、ごく軽くお塩。
これを昆布で挟んで、紐で縛り、布巾で包んで冷蔵庫で丸一日!
え? 冷蔵庫? いやだなあ、例の「懐石」を使った保冷庫のことだよ。前回もお話したでしょ?
これに旬のお野菜:ミョウガと大葉、焼きのりを添えてお出ししようって趣向。
もう一品は……ええとねー。
「おい、ソラ、いつまでブツブツ言ってやがる。とっととしねえと、陽ぃ暮れちまうぞ」
って、ここで師匠だ。
はいはい、たしかに、ちょっと時間が押してるもんね。
「ごめんごめんって、師匠――その大徳利!」
師匠が抱える大きな徳利は、ゆうゆう一升=1.8ギリトは入りそうな、我が家最大の代物だ。
「ちょっと、ちょっと、いくらお招き頂いてのプライベートだからっていっても、一応、お庭関係の相談込みって話しなんでしょ? 飲み過ぎ厳禁!」
「ちげーぞ、ソラ。オレじゃねえって。たしかにオレも飲むこた飲むが、ホントに飲むのは、あのジジイの方だ!」
そう言って師匠が猛反発、反論した。
ほんとうかー? ってボクはジト目で睨むけど、師匠もあたりまえだって顔で受け流す。
「うわばみみてーなヤツなんだよ」
「うわばみ?」
「蛇だ蛇。なんでも丸呑み。そんくらい呑むんだよ」
「うそだあ。オジーちゃんじゃん」
「お前ね、ヒトを見かけで判断しちゃいかんよ?」
ふうん、とボクは一応うなずく。
師匠がこれだけ言うんだから、まあ、ある程度はお強いんだろうな。
ヴィッ、とその師匠の抱える徳利を、自ら持とうとシュウサイが進み出る。
ウチにいる三匹のファッジ……苔でもこもこのゴーレムくんみたいな生命体、そのうちの一匹:シュウサイは、自発的に主人である師匠の荷物を受け持とうとする。
「いや、こいつはオレが持ってく。あのジジイ、そういうとこは抜け目ねえからな」
どういう抜け目が関係しているのかわからないんだけど、大事な贈り物を手ずから運ぶ、っていうのはなるほど礼儀にかなっている気はする。
あ、ちなみに、ウチのファッジ三匹は、整列させるとテンサイ(頭に砂糖大根が植わってる)、ボンサイ(頭に盆栽が植わっている)、シュウサイ(頭に五葷=ねぎ・にら・にんにく・らっきょう・あさつきを始めとした香草類が植わってる)という並び。
今日は新鮮なミョウガと大葉=シソを使いたいんで、この子=シュウサイが同行してくれます。
まあ、そんなわけで、ボクたちはえっちらおっちら、手土産抱えて出かけたの。
「あれ? 師匠、この道ってマヒルヒの離宮に向かってない?」
歩き出して、どれくらいしてだろうか。
ボクはそのことに気がついた。
初夏の晴れ渡った空と降り注ぐ日差しに新緑が眩しい。
空の高いところを、ルフだろうか、大きな鳥が舞っている。
「んあ? ああ、そうともいうな」
「こっちに、民家なんかあったっけ?」
当然なんだけど、離宮はその国の飛び地・租界扱いになっている。
そして、だいたいにおいてその周辺の土地は、迎賓館であったり、各国使節をお迎えするための宿泊施設になってることが多いんだ。
離宮が広いといっても、そこは限度がある。
一国の、ならばともかく、複数の国家、その王侯貴族に随伴する人々すべてを収容するほどのキャパシティはない。
また、国家間の関係が良好とは言えない国もあり、それらがひとつ屋根の下で、となるとなかなか難しい問題も起こりうる。
お偉いさん方はもだけど、お付の方々も、思うところがいろいろある、ってこと。
そこで、離宮の周辺にはそのような施設が連なっていることが多いんだ。
あ、あと当然だけど、要職の方々のお住い。お屋敷。
だから、一般人の民家、というのはホント珍しい。
「そういえば、マヒルヒの離宮:翠嶺宮って、師匠の作なんだよね! まだ観てないなー。帰りにちょっと、のぞかせてもらえないかなー」
「ああ? おー、やめとけやめとけ。やつら、言葉遣いはやたら慇懃だが、のらりくらりと責任を回避しやがる。手間がかかってしょうがねえから、手続きに」
「そうなの?」
「引き渡しのときも、それでさんざ揉めたんだ。だから、最初から説明してただろうがって。設計書読んでねえのかっつー話だぜ。あとになって、聞いていた話と違う、いや、そんな話は聞いてない、だとかぬかしやがる。いったい、だれが責任者なんだよ、っつーな?」
なんだろ、師匠の話は見えないけれど、なにか造園に関して揉めたんだなー、ってことだけはわかった。
「おまけに、いまは時期が悪ぃ。やめとけやめとけ」
「時期?」
「こないだの事件さ。カムイの」
もとはマヒルヒの英霊なんだからよ。師匠のその言葉で、やっとボクにも合点がいった。
そうか、そういうことだったんだ。
「……たしかに、あんまりよくないね……今日は連れてきてるし」
そう、今日はボク、カムイを連れてきてるんだ。
英霊兵器――怨霊になって、空から墜ちてきたカムイは、ボクとの戦いを経て刀のカタチとなった。
ボクは、カムイと一緒にものを、お庭やお料理を作っていこうって、そう約束したんだ。
で、普段は一緒にお家でお料理をしてるんだけれども……。
「どーしても、ソイツで料理するとこが見てえんだとよ」
師匠から伝わったのだろう。モン爺さん、ボクが刀でお刺し身引くの、見たいって言い出したんだ。
「見せ物じゃないんだけどなー」
「老い先短いジジイのたっての頼みだ、聞いてやれや」
なーんか、普段は頓着しないくせして今日はやたらと、モン爺さんの肩を師匠が持つんだよなー。
へんなの。ま、いいケド。
ボクも、カムイと料理をするのはいやじゃない。
お刺し身、それとお野菜。
切ったときに断面が違うんだよね。ぜんぜん身が潰れてないの。
そのうえ、まな板に傷ひとつつかない。
すっ、っと線を引くみたいに素材だけ、材料だけが切れている。
うん、すごい。業物だ。
ただ、表立って下げてくわけにもいかないんで、今日は藤の柄の刀袋に収めて移動中だ。
「おいっ、ソラ、そっちじゃねえ、こっちだ」
あれれっ。ちょっとのあいだ、カムイとの出会いを回想してたら、師匠が脇道に逸れちゃってた。
「オメーが道間違えてんだよ、しゃんとしろい!」
そう言って、師匠は林に続く細い道へと入っていく。
ああ、やっぱり、いくらなんでも離宮のすぐそばに暮らしてるわけじゃないんだ。
なんかの要職かと思ったけど、違うよね。
失礼な言い方になるけど、おじいちゃん過ぎるもん。
「ああっ、待ってよ師匠! ボク、道知らないんだってば」
「こっから一本道だ。迷いようがねえよ」
言いながら師匠はどんどん歩いてく。
日なたは暑いくらいの日差しだけど、ちょっと木陰に入るとひんやりと涼しいこの季節はほんとうに気持ちがいい。
さらさらさら、と葉擦れの音を響かせながら渡る風が薫る。
薫風、というのはなるほどこういうものなんだなー、ってボクは思う。
どれくらい歩いただろう。
ゆっくりとした斜面をのぼっていくと、突然視界が開けた。
丘、というのにもすこし語弊のある、小高い場所に、こじんまりと立つ平屋建てのお屋敷。
離宮なんかに比べればもちろん小さいけれど、枯れた味わいの――おじいちゃんが住むには、ちょっと大きいかなって思うくらいのお家だった。
でも、モン爺さんの雰囲気にぴったりだ。素直にそう思う。
「なんか、おじいさんの雰囲気まんまのお家だね」
立ち止まって思わずつぶやいたボクに、振り返った師匠が片眉をあげて微笑んだ。
わかってきたじゃねえか? なまいきに?
どっちとも取れる表情だ。
「な、なんだよー」
ボクはさっさと門をくぐっていってしまった師匠を追う。
「おおーい、じいさん! 紋鉄斎のじいさんよう」
師匠が前庭で来訪を告げる。
飛び石があって、地面には苔の仲間が植えられてる。
威圧感のない――そう、モン爺さんの第一印象そのままのエントランスだ。
この前庭そのものが「いらっしゃい」と、お客さんに無言で手を広げてくれているようなそんな印象さえ受ける。
仰々しい鳴り物付きの歓待ではなく、門扉をくぐると、ほっとするというか。
不思議なもので、お家の印象とそのヒトの気配って、似通ってくるんだなー。
と、そんなこと考えてたら、モン爺さんが現れた。
おうおうおう、と言いながら、板の間を玄関にむかってを歩いてくる。
こうして、ボクらはモン爺さんのお家とお庭を拝見することになったんだ。
「うっわ、なに、コレ! 凄い雑草!」
招かれて、ぬれ縁から眺めることのできるお庭へ通されたとき、ボクは思わず叫んでいた。
だって、お庭、草が、草が!!
いくらなんでも無法地帯すぎないか!
「いやいや、面目無い。岩のヤツが元気がなくなりよってな。こんなことになってしまっとるんじゃよ」
「そうか? もともとこんなもんじゃねえか?」
申しわけなさげに師匠が言う。
「そうかのう?」
「……いや、やっぱちょっと伸びすぎだな」
師匠が評価を修正した。
前庭のお手入れのされ具合から一転、お屋敷のほうの本庭は……うわちゃー、草がぼうぼうだ。
ススキやイネ科の植物、アザミにリンドウ……あとフキ。
自然派と言えば聞こえがいいけど、これはどっちかっていうと無政府状態……なんじゃないかな。
「これまで、岩のやつにまかせっきりじゃったからなー」
「いつからだよ」
「いやあ、春先は草の芽もそれほどでもなかったし、ようわからんかったんじゃ。近ごろ季節もようよう良くなってきてな、戸を開け放して飲んどったら、ほれ、響きよらん。それでわかった、というわけよ」
「響く? 岩が?」
ボクの発した問いかけに、師匠とモン爺さんが振り返った。
「さようさよう」
モン爺さんがうなずくけど、ボクにはなんのことか、さっぱりです。
「とりあえず、メシにしようや。堅苦しい話は、あとであとで」
と、モン爺さん、ボクらを座敷に通すと、ささっと厨房にいこうとして踵をかえしてしまう。
「あ、あの、こ、これ――お土産です」
「ほっ、手土産かね? これはこれは。お若いのに、キチンとしてらっしゃるね。感心だよ……なにかな?」
「えっと……イサキの昆布締めと……中落ちの一塩です。お料理は、あとで、ボクが厨房をおかりして」
モン爺さんの細められていた瞳が、大きくなった。
くりくりっとした、かわいらしいおめめ。
やばいなー、ボク、このヒトのこと絶対嫌いになれない。タイプだ。
「ほうほうほうほう。こりゃあ、ありがたい――ジョバンニ、酒は忘れておるまいな?」
「あー、持ってきたよ。大徳利まるっと一本だ」
「ふむふむ、うちにも、もう一本ある。これは適量――ちょうどよいくらいじゃな」
では、いただきますよ――そう言いながら、モン爺さんはすすすすっ、と見事なすり足で厨房へと姿を消してしまった。
ボクと師匠は勧められるまま、お桟敷に用意されていたおざぶに座り込む。
すると、どこからかこれもマヒルヒの衣装に身を包んだ清楚な印象の女性が現れて、お茶を振る舞ってくれた。
緑茶――いー、かおり。
「新茶だね?」
「ああ。うまいな」
ボクらがそんな話をしているあいだに、女のかたは、いつのまにかいなくなっていた。
「あれ? いまのかたは?」
「さてな。この屋敷にゃ、ヒトの気配がほとんどねえ」
「奥さんかな、もしかして?」
「ちがうさ。爺さんの奥方は、もうずいぶん前に他界されてるよ」
「そなんだ。さびしいだろうね。再婚とかって……師匠みたいに、女のヒトと見れば見境なし、って感じじゃないだろうし」
ボクは会話にちらっと毒を混ぜる。そうそう、こないだの巨乳メイドの件、忘れてなんかないからね。
「どーだかなあ。ずいぶん浮き名を流した男だぜー。モテるわ、遊ぶわ、お大尽。気前よく遊ぶからまたモテる――そういう男だったって聞くけどなー」
「ウッソ!」
「マジマジ。奥さん亡くしてから、ぱたりとやめちまったらしいが――流し斬りのモンちゃんといやあ、花街でしらぬ女はいねえって――おめえ、気ぃつけろよ。男は生涯現役だからな?」
「コラ、ジョーの字! なにふきこんどるか!」
おーこわ。師匠が肩をすくめておどけて見せる。
ウワサの男、モン爺さんのご帰還だった。
お盆に乗って出てきたのはタケノコの木の芽和え、塩豆腐、それに……なにか乳白色の炙ったもの?
「またまた、酒の肴みてーなもんばかり出してきやがって」
「呑みにきたんじゃろが!」
「コイツはどうするんだ? 未成年だぞ? 保護者同伴でも、呑ますわけにはいかねえぞ?」
モン爺さんが口をぽかん、と開けた。
「しもうた。忘れとったわい」
「あ、だいじょうぶだいじょうぶ、これ、持ってきてますから」
ボクはすかさず持参の瓶――シャルルパニエを取り出す。
「ほ? これは?」
「あはは、テアトラの王子様から、頂き物の一本で」
「ほうほう、ああ、たしかにたしかに、離宮のほうでいただきましたな。さわやかな――ソラさんにはぴったりの飲み物じゃわい。ほう、グラスもかい……テアトラ謹製のワイングラス――頂き物かい?」
「えへへ、いいでしょ?」
「グラスに脚がないのが、かわいいねえ。わしはワインもたしなむんじゃが、あのグラスの脚が、こわくてのう。着物の袖をかけちまわんか、いっつもひやひやしとったんじゃが……これはええのう。渡り六分に景四分、というところか」
ボクが持参したマイグラスをしげしげと眺めながら、モン爺さんが言う。
「渡り六分に景四分?」
「実用性六割、見栄え四割、ってことさ」
師匠が徳利の口を開けながら言った。
「まあ、まずは一献。肴をまたせちゃ、悪い」
「おうおう、まてまて、迎えにゆくから、まあまて」
そう言って、モン爺さんは明らかに半合は入るだろうぐい呑みをさし出した。
「でも……いいのかなあ。お天道さんが、まだ中天にも昇ってないうちから……酒盛りはじめちゃって」
「かまわんかまわん。家の主がかまわんといえば、それはかまわんのじゃ。さささ、乾杯乾杯」
「おいおい、じいさん、オレのは! 注いでくれ」
「そんなもん、手酌でおやり」
「んなあほな。差しつ差されつだろが」
「美人さんがおるのに、オマエの酌の相手なんざ、できるかい。いやじゃいやじゃ」
「オメー、じじい、酔う前から本性が出てるぞ!」
ボクはふたりのやりとりに、くすくす笑う。旧知のなか、それもだいぶ仲の良い飲み友達らしい。
「しょうがないな、はい師匠」
「お、おう」
そんな感じでボクらは乾杯する。
お庭のことも、響く岩の正体も気になるけど……まずは、腹ごしらえだよね。




