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15/20

受け継ぐということは

         ※

 

 ああ、こんな場所だったなあ、とボクは思う。

 世界が崩落しかかった場所:ワールズ・エンド・クリフの光景。


 寂寥として、茫漠で、世界の残骸が次元断層のミキサーで撹拌されたそこは――単にプレーン・ハックの攻撃を受けた場所だってだけじゃない。


 戦場だった。

 魔軍と人類の存亡を賭けた、文字通り血で血を洗う凄惨な戦いの最前線。

 土埃、灰燼に帰す庭園と、それを焼き尽くす炎のむせ返るような煤煙臭。血と、ぶちまけられた臓物が放つ、どうしようもない汚物の臭い。打ち捨てられた死体が放つ腐臭。


 どうしようもない臭いが、世界を満たしている。

 ボクは、その戦場を駆け抜けるつむじ風の視点で世界を観ている。


 つむじ風は圧倒的な速度で敵に迫り、これを打ち倒す。

 魔軍の敵兵たち――青白い肌をした=ブルー・スキンズと揶揄される彼らの姿は、しかし小さなツノと尖った耳以外、ほとんど人間と変わらない。

 戦場で相手を威圧するための面頬とスパイクのついた特徴的な甲冑のせいで、まるでバケモノのような姿で教本には描かれるけれど……ボクも魔界人たちを見たのは、これがはじめてかもしれない。


 そして……彼らの血は――赤いんだってことも。ボクらと、同じで。


 それにしたって、つむじ風の見せる惨劇は圧倒的だ。

 対峙する魔軍兵士の顔が恐怖に引き攣り、目は血走って、唇がわななく。

 そして、次の瞬間には戦列がまとめて切り捌かれている。

 熱い返り血。

 ぬるり、とぬめるそれを、塩辛く鉄臭いそれを、乾いて赤黒く粘り着くそれを拭うこともせず、次の敵を、殺戮を求めて戦場を八艘飛びにつむじ風は駆け抜ける。

 ひどい渇き。つむじ風よ、どうして、あなたはこんなに渇いているの?

 慟哭とともに流れ出してしまった血涙を、敵の血河で贖わんと欲しても、飲み干せど飲み干せど、決して癒されることなく。


 なんて空虚。

 なんて孤独。

 なんて――怨嗟。


 ボクは、つむじ風のなかで両肩を抱いて身を屈める。

 寒くて、痛くてたまらない。

 わかる。わかってしまう。このつむじ風は――血まみれの刃風は――カムイだ。

 ボクはいま、カムイの記憶を観ているんだ。


 だから、結末までわかる。


 つむじ風は、カムイは、戦列を見透かして敵将――魔将を見出す。

 禍々しい衣装に身を包んだ美貌の姫騎士は――魔族の王家の血筋だ。

 カムイは戦う。それだけが、殺戮だけが己の存在証明だと信じて。

 愛するものを、家族を、居場所を奪った魔族への尽きることのない憤怒と怨恨をその動力として。


 そして、ボクは結末を知っている。


 差し違えて、カムイは死ぬ。英霊に祭られる。

 けれども、ほんとうにそれは、しあわせだったんだろうか。

 そういうカタチに縛られて、人類を見下ろす碑として天に上げられて――このひとの恨みはともかく、渇きは癒せたのだろうか。

 地上の灯を見下ろしながら、孤独な星の世界でカムイはなにを感じていたんだろう。


 おなか空いてたんじゃないかなあ、ってボクは思う。


 祭り上げ、担ぎ上げ、超越者として崇め奉るより先に、このヒトにしてあげなければならなかったことがあるように、ボクには思うんだ。

 それなのに、こともあろうに、嘘を吹き込んでカムイを復讐鬼に変えたのは、ニンゲンだ。


 最初にそれをしたのは、ニンゲンだ。


 流言飛語に躍らされ、心の奥に潜んでいた他民族への醜い嫉妬に私刑の言い訳と錦の御旗を与えて、カムイの奥さんと子供を殺したのはニンゲンだ。

 魔族は、ことの真相を告げただけ。ほんとうのことを伝えただけ。


 ああ、どんなにその心は荒れ狂っただろう。


 カムイのなかで、それまで信じていた敵と味方が、打ち倒すべき脅威と護るべきものたちが、ごっそりとその位置を入れ替える、そのとき。

 こんな世界など、なくなってしまえばいいのにと――英雄だから思いはしないと、どうしてあんたたちにはわかるんだ。


 英雄たるものはそれではいけないと、どうしてしたり顔で、あんたたちは言えるんだ?

 どうして、カムイを人間として、だれも扱ってあげなかったんだ。

 迫害することも、祭り上げることも、その本質では変わらない。

 不都合をなすりつけるために、ヒトはだれかにその役目を押し付ける。

 

 ボクは、ここへ、堕ちてくるカムイの目を追体験した。

 

 そして、目覚めたとき、そこは夢の中で見たあの凄惨な戦場と変わらぬありさまだったんだ。

 地面が無数の斬撃によって抉られていた。

 大地の冷え具合から、相当の時間、テオと師匠がボクを守って善戦してくれていたのがわかった。

 テオと師匠に刀傷はない。

 でもテオは動けなくて――たぶんどこか骨折してる。

 師匠は、頭を強打したみたいで――こめかみから血が流れ出てる。

 

 それなのにボクは、動けない。

 

 カムイが残心を解き、振り返った。周囲に無数に残された斬撃の痕は、カムイが秘剣:《桜花繚乱》を解き放った証拠だった。

 ボクは、その目に射すくめられて、立ち上がることさえできない。


 ううん、怖さからじゃない。

 乱れ桜の刃が繋げた、カムイの記憶に翻弄されて――強く共感してしまって。

 ひもじくて、渇いて、どうしようもなくて、堕ちてきてしまったひとりの人間、その成れの果てのカムイの心に。

 気がつくと、ボクは無言でカムイを迎え入れるように両手を広げている。

 怨嗟に駆られて無数の命を奪い続けてきたのに、なんにも取り戻せなかったヒトの魂に、ボクができることっていったら、与えてあげることしかないって思ったんだ。

 カムイが奪うよりはやく、与えてあげるしかない、って。


 気でも違ったんじゃないかって?

 うん、たぶんそう。

 ボクは、乱れ桜の刃のせいで、たしかに変調をきたしてた。

 血刀をぶら下げて、無造作にこちらに歩いてくるカムイに、おかえりなさいって、奥さんがするみたいに抱擁を求めたんだから。

 お父さんの帰りを待ちわびた娘がするみたいに、ハグをしようとしたんだから。

 

 あのとき、カムイの心がどう動いたのか、わからない。

 ただ、ちょっと、それまでの彼とは様子が違っていた気がする。

 きっと、ボクのなかにある渇きに――カムイに同調したものに、気がついていたんじゃないかなあ。

 ボクがそうであったように、ちょっとだけ、カムイもボクに共感してくれていたんじゃないかなあ。


 ボクのなかの、あのワールズエンド・クリフの記憶、その寂しさに。


 だから、刀を逆手にもちかえて、ボクを抱擁して、同時に、自分自身を貫こうとしたんじゃないかなあ。

 

 でも、その結末はこなかった。

 なぜって? 

 

 それは、

 

 ぐおーうおうおうおう、ぐーぎゅるぐぎゅるー、ぐー。

 

 ボクのお腹が、胃のなかに潜みし生命力の権化が、鳴いたからだ。

 

 ぐおーうおうおうおう、ぐーぎゅるぐぎゅるー、ぐー。

 

 二度目のそれで、ボクは自分を取り戻した。

 なにやってるんだ、ボクは。

 こんな心中みたいなのやりかたで、カムイがほんとうに成仏できなかったら、どうするんだ。

 ボクの死は確実だけど、英霊兵器であるカムイが、その傷で死ねるかどうかは、わからないじゃないか。

 また独りぼっちにするの?

 ボクみたいに?

 ソリチュードに?

 

 ああ、これじゃダメだって気がついた瞬間、ボクはカムイの手を取っていた。

「こっち」

 と有無を言わせず、立ち上がって、クレーターから連れ出す。

 あとから考えると物凄くおかしな絵面だったんだろうけれど、ボクは微塵も疑わなかった。

 連れていかなきゃ、って思ったの。

 カムイにしてみたら、それまでさんざん敵意や憎悪、身勝手な崇拝の念は受けてきただろうけれど、こういう展開には馴れてなかったみたい。どう反応すべきか戸惑った様子で、ボクの後ろをついてくる。もちろん手を繋いだまま。

 きっと周囲にヒトがいたら地獄の魔物を連れ回す異国の姫君にしか、見えなかったと思う。

 

 そして、ボクは――離宮の厨房に突入してる。

 

 カムイの落着エネルギーのせいで、機材が吹き飛び、鍋やフライパンが床に散乱している。調味料がぶちまけられたそこに、ボクはカムイを連れ込む。そのエネルギーに当てられて、建物がギシギシ軋むけど、気にしない。

「あった。持って」

 そうしておいて、ボクは貯蔵庫からでっかい肋肉を掘り出して、カムイへ投げ渡す。

「これも、あれも、それから、これも」

 ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、あとハーブの束=お庭のやつね。それから塩壺にコショウ、オリーブオイル……んー、あと、野外用の重たい鉄製オーブン。

「いこう」

 そうやってあきらかに略奪を働いた魔物と姫さまという風体で、ボクらはまたクレーターの底に戻ってきた。


 いつのまにか、テオと師匠の姿はない。


 あとで聞いたんだけど、ミルヒ(あの巨乳メイドね?)が退避させてたんだ。おまけにミルヒ……クラスは忍者だった。つまり、テオの護衛兼、テアトラの諜報部員――師匠に近づいたのも、その一環、つまり内偵的調査だったって。 

 でも、この瞬間、ボクはそのことさえ忘れてた。


 厨房からついでに失敬してきた炭を――衝撃と熱で削れてしまったあのオブジェ=かまどにくべる。

 ガラス質に覆われて、いい感じに凹んでしまったそこで炭を焚いて、そこにさっきの具材を詰め込んだオーブンを埋め、上からキンキンに熾った炭で覆う。

 それから、ボクたちは出来上がりをまつ。

 しゃがんで。差し向いになって。そのオーブンを見下ろして。


 この調理法のよいところは水が必要ないことだ。具材から出た水分はぶ厚い鉄の蓋に阻まれて外に逃げることがほとんど不可能になる。

 いわばお肉もお野菜も蒸し焼き状態になって、互いの香味も旨味も与えあいながら、ひたすら美味しくなっていくんだ。

 それに、清潔な水の確保が難しかったり、節約したいときに、この方法はとても優れている。

 問題はちょっと時間がかかる調理なんだけど……。

 

 ぐおーうおうおうおう、ぐーぎゅるぐぎゅるー、ぐー。

 んごごごごごごー、ぐぎゅるぐぎゅるぐぎゅるぐぎゅるぎゅ、ぎゅぐー。

 

 断っておくけど、鳴っているの、ボクのお腹だけじゃないからね。

 いい匂いがしてきた瞬間、蓋に手を伸ばしたのは、しゃがみ込んだカムイのほうだった。

「ていっ。まだっ、まだ。がまんがまん」

 ボクはその手を払いのける。

 娘に怒られた我慢できないお父さんみたいな感じで、カムイが手を引っ込めた。

 じつはこのとき、クレーターの端から、意識を取り戻し手当てを受けた師匠とテオとミルヒがことの成り行きを見守っていたらしい。

 

「ッ?!?!?!」

「?」

「!! ♡♡♡(?)」


 というような会話が行われたと推察されるんだけど、もちろんボクはしらない。

  

 どれくらい、そうしていたんだろう。

 カムイはわからないけれど、少なくともボクはもう完全に限界で、できあがるころには、ぽてり、と横倒しになってしまった。

 その様子に、カムイが動転したようにオーブンの蓋から炭を下ろして持ち上げる。

 ただの人間がそんなことをしたら大ヤケドだけど、カムイならへっちゃらだ。

 

 もくもくっ、と湯気が立ち昇り、同時にほかに例えようのない芳香が立ち昇る。

 自らの吐き出した水分で蒸し焼きにされたドングリ豚の肋肉とほとんど丸ごとのお野菜たちが、うっすらと底に溜まってまだグツグツいってる金色のスープに浸っている。

 ただ、具材を突っ込んで火にかけただけっていう料理だけど、それでいい。

 それがいいんだ。

 優れた食材に必要なことは、あれこれと手をかけすぎないこと。

 ほんとうに必要なものだけを与えること。

 その深奥に隠されたポテンシャルを最大限に引き出す調理をすること。

 たったそれだけ。それだけでいいんだ。


 がらり、とぶ厚い鉄でできた野外オーブンの蓋を脇に投げ出し、カムイがどうにも辛抱ならんという様子で、オーブンに手を突っ込んだ。

 おっきな肋肉をぶら下げると、それを器用に爪で切断する――ああ、全身のどこでもを、こうして刃にすることができるのだなあ。

 そして、その一切れを、ボクにいちばん最初に、いちばんいい場所を、わけて取ってくれる。

 こうやって塊のままキレイに火を通されたお肉は、外側が白灰色に煮上がっていても、その内側にはうっすらと桃色の名残が残っていて、驚いたことに冷める段階で、すこしだけその赤みが増して鮮やかになるんだ。不思議だね。

 ボクはそのお肉を、これも奇跡的に割れずに残っていた、縁の欠けたお皿で受ける。

 それから、カムイの分を受けて、これを渡してあげる。

 お玉でお野菜をとりわけて、ここではじめて塩、コショウ、オリーブオイルの順でかけ回す。


 それから、いただきますを言うのも忘れて、ふたりでお肉にかぶりついた。

 言葉は――いらない。

 本当の美味しさに、賛辞は不要だ。

 本当の必要に、言葉は無粋だ。

 本物の飢えが欲した、本物の充足に、くだくだしい修飾や描写は、不遜だ。

 文字通り、ボクらは貪るように食べる。


 味付けをなんにもしないで鍋に入れて蒸し焼きにして――そんなのほんとにうまいのか、ってヒト。

 やってみて。騙されたと思って。

 気がつくと思う。

 お肉やお野菜の、ホントの味に。

 先に味をつけておくこと、塩味や旨味が、芯まで最初から染みていることが「ほんとうに美味しいこと」かどうかは、わからないって、気がついてくれると思うから。


 合間を見て、ボクはすっかり熾火になった炭の上にフライパンを展開させて、即席の平パンを焼く。


 外パリッの、なかふんわりのバケット類や食パンを焼くには、相応の設備が必要だ。


 たとえば、薪オーブン。これは生地を置いた場所は温度を奪われて下がるから、どこになにを配置するか、キチンと考えなければならない。それから入念な発酵状況・時間の管理。これも外気温や湿度に――つまり季節と天候に大きく影響を受けるから、状態を細かく見てやらなくちゃいけない。同じ条件でも発酵に使う種によって、全然状況は変わってくる。


 つまり、そっちはどっちかっていうとプロの領域にある仕事だ。


 でも、ボクらが作るこの平パンは、簡単だよ?

 小麦粉は、わりと気候の温暖な地域のものを使う。温かい地域のものでも、あまり雨の多い地域のだと力がないし(薄力粉っていう)、逆に冷涼で乾燥した地域のものをつかうと、すんごいコシで噛みきれなくなっちゃうから(強力粉ね)、その中間の意味で、ボクらはこれを中力粉って呼んでいるんだ。ああ、両方を等量混ぜても、ほとんど同じ結果になると思います。


 それで、そこに種酵母、少しのお塩とお砂糖、それからぬるま湯で、コネコネしてキレイに均一に混ぜたら、布巾をかぶせて、この時季だとだいたい二時間くらい、お日さまが当たらないとこに放置。 

 ホントは麺棒で伸ばすんだけど、野外でそれはむずかしいかもだから、ボクは小さめに生地をちぎって、重力と指で伸ばしていく。

 それで、キンキンに熱くなった(ここ超重要ね?)フライパンに、といやっ、って入れるの。


 おもしろいんだよー。ぷくーぷくー、ってすぐに膨れてくるの。

 そしたら裏返してあげて、ちょっと火を通したら、出来上がり。

 焼いてる時間って、もしかしたら一分もないかも。


 でも、キレイに焼けて、すんごい美味しいんだよ。燃料も節約できるから、ホントオススメなんだ。

 それで、そうやって焼けた端から、ボクはカムイによそってあげる。


 オーブンの底に残った金色スープに、やっぱりさっきの調味料を加えて、浸け食べするの――最高だ。

 ボクだって、相当に食べるほうなんで(ごめんなさいね大食い女で)、沢山食べたつもりなんだけど、カムイには敵わなかった。


 お腹――空いてたよね。

 ひもじくて、さみしくて、孤独だったよね。

 信じていたものに、愛していた国に、だまされて、裏切られて――怨みを呑んで死んだ。

 だから、嫉ましさに負けた。

 だから、英霊兵器になってしまった。

 だから、奪い取ろうとした。


 利己心と切り離された本当の怨恨は、自壊とワンセットだって、あとで師匠が言ってたっけ。

 おめえのしたことは、神饌を奉じるのと同じ――怨霊を明神にする、マヒルヒのやりかたそっくりだったって。

 ただ、違っていたのは、ボクのなかにあった「本物の飢えの記憶」が、カムイと同調したのだと。

 慰めようとしたんじゃない。

 癒そうとしたんじゃない。

 ただ、どうしようもない同じ飢えを、いっしょに満たそうとしただけなんだって。

 だから、あれほどの強い怨念が、一挙に別ベクトルへ傾いたんだって。

 

 一番危ないやり方――自らを投げ出して、感応して、共感して、説き伏せちまったんだって。

 

 ぐるる、とすべてを平らげつくしたカムイが、唸りを上げた。

「足りないの?」

 もちろん、こんな程度で満たされるわけがない、ってわかりつつもボクは訊かざるをえなかった。

 カムイを蝕んでる呪詛――底なしの恨みつらみが、こんなことで癒せるなら、わけない。

 ほんとは、どんなに美味しくても、ごはんじゃ埋められない、そういうものがあることをボクは知ってる。

 でも、だから無駄だって投げ出しちゃうんじゃなくて、なんどでもなんどでも、そうすることしか、ボクにはできない。

 だから、その提案はほんとうに自然に、ボクの口からこぼれ出ていたんだ。

 

「うちの子に、なる?」


 ぴたり、とカムイの唸りがとまった。

 目が細められ、ボクを見る。ボクのお腹は満たされたけれど、カムイのそれはまだぜんぜんぺこぺこのままで――共感が切れかかって、疑心暗鬼が帰ってきたようだった。

 ボクは、それでも続ける。


「たぶん、奪っても奪っても、殺しても殺しても、カムイの心に空いてしまった穴は、塞がったりしないよ」

 四つんばいになって、あいだに挟まる空っぽのオーブンを迂回して、ボクはカムイの側に近づく。

「食べても食べても、飲み込んでも飲み込んでも、きっとそれはなくなったりしない」

 たぶんそれは、この世界全てがなくなってしまうか、カムイが負荷に耐えきれず自壊してしまうか、どちらかの結末を迎えるまで――後者のほうがきっと早いだろうけれど――なくなったりしない。

「でもね、たぶんだけど、たったひとつだけ――その悪しき回路を、閉じてしまった循環を打ち破る方法があるよ」

 

 ガツッ、とその瞬間、カムイがボクの両肩を掴んで力任せに地面に――ガラス質に覆われてしまった固い地面にボクを押し付けた。

 衝動的な怒り。

 オマエになにがわかる、っていう感情の爆発。

 みしり、とボクは自分の身体が軋むのを聞く。

 文字通り握りつぶされてしまう恐怖と痛みが全身を襲う。

 

 でも、それでも、ボクはやめない。

 あえぎながら、それでも、カムイに言葉をかけ続ける。

 だって、ボクには、こうすることしかできない。

 ホントにカムイを助けるには――こうするしかない。

 

「だから……うちの子におなり。そして……いっしょに作ろう」

 創ろう――壊したり、奪ったり、呪ったりするんじゃなく。

 刀匠だったカムイ、人間だったカムイの心に、ボクは言葉をぶつける。

 届いて、届いてくれって。

 

 けれども、そんなに現実は甘くなかった。

 

 ボクを左腕で押さえつけたまま、カムイは右手を大きく引いた。

 その掌中の刃が現れる。

 妖刀:乱れ桜。

 その刀身が、カムイを包む怨念の青い炎をめらめらと照り返し、呼吸しているようにボクには見えた。

 

 そのとき、ボクにできたことは――せめてボクの命でカムイの心が救われてくれると、信じることだけだった。

 通じなかった、伝わらなかった――当たり前なんだけど、伝達は、賭けだ。

 ほとんど命がけの行為だ。

 そのことを、ボクは身をもって、その命を代価に学ぶことになった。

 

 そして、運命の瞬間。


 熱い、とボクは感じた。

 本当に研ぎ澄まされた刃が突き通されたとき、どうなるか――それは痛みではなく、まったく別の感覚として伝達される。

 強大無比の防御性能を誇る〈カイゼリオン〉の装甲を断ち割って、乱れ桜の切っ先がボクの肉体を刺し貫いた。

 同時に、カムイの怒りが、悲憤が、亡くなった奥さんと娘さんの記憶が、ボクに流入して――それなのに。

 

 次の瞬間、カムイは――消え去った。

 まるで散り際をわきまえた桜の花弁が、一陣の風とともに、一夜の夢のごとく飛び去ってしまうように。

 ボクの肉体と心に、決して消えない、ううん、消したいとも思わない傷痕を残して。

 

 ただ、一振りの刀身となって。

 

         ※

         

「認めねえぞ、オレは。大事なひとり娘をキズモノにしやがった輩を家に上げるなんざあ。だいたいなんだ、そのヤローは、ひとことの謝罪もなしか。なんとか言ってみたらどうなんだ、このハモノ野郎」

「お父さん、いや、師匠、だめだよカムイを責めちゃ。必死だったんだよ、カムイだって」

「なんだとう、男の肩を持つってのか、オレは――お父さんは許しませんよ!」

「痛い、師匠、痛いよ」

「お、おう。でえじょうぶかソラッ! いや、だからって、オレはだなあ」

「お願い、師匠、置いたげて。お嫁にいくわけじゃないんだから」

「い、いや、だ、だめなもんはだめだッ」

「……じゃあ、いいよ。ボク、出て行くしかないね。約束だから、カムイとの」

「まてまてまてまて」


 というような会話を経て、カムイはめでたくウチの子になったんだ。

 あー、師匠とはソリの合わないネコと飼い主の冷戦状態みたいな感じだけれども。

 師匠ったら、なんだか嫉妬してるみたいで、かわいいの。

 

 乱れ桜が纏っていた妖気は、カムイがボクに刃を突き込もうとしていた瞬間には、雲散霧消してた。

 ただ、カムイはその胸の内を、どこかにぶつけなくちゃ、だれかに知ってもらわなくちゃ、とてもじゃないけれど押さえきれないほどの感情を溜め込んでいたんだ。

 だから、ボクにその想いのたけを突き込んだ。

 すごく痛かったし、苦しかったけど――えへへ、なんだか、ボクを選んでくれたことに、嬉しさも感じる。

 コイツに伝えられたなら、怨念から手を放してもいいって、思われるような、そういう存在になれたことが、ボクはとても嬉しい。

 肩口に突き立ったカムイの刃の傷は、その伝達の証を、決して消えないいくつもの桜の形をした傷痕として残した。

「契約印だ」

 と師匠は言ったっけ。ボクが個人的にカムイと契った証だって。

「野郎、ひとさまの娘に、こんな印を刻みやがって」

 師匠はぶつくさ言っていたけれど、ボクはあんまり気にしてない。

 乱れ桜は、その日から名を改め神剣:カムイと相成った。

 

 そして、生まれ変わったカムイの、最初の仕事は――。

 

「おいいいっ、ちょっとまて、オマエ、それで、それで切るのか、引くのか、刺し身を!」

「そーだよ、だって約束したじゃん。創ることに使うよって。いっしょに作ろうよって」

 ツッこむ師匠に即座にボクは言い返す。


 そして、その言葉に呼応するように、手のなかのカムイが、かすかに震える――悦んでいる、とボクは感じる。


「オマエ、それはマズイだろう。いくらなんでも、それはねえんじゃねえか」

 そりゃあ、あれだ、某え○ーなる・ち○んぴ○んの剣で、料理するのとなんらかわらねえんじゃねえか?

 あああ、平仮名にしたあげく伏せ字にしてもまだ怖いーッ、とか叫んで転げ回る師匠の言動はいつにも増しておかしいんだけど、ま、いっか。

 

 いいよね?


 うん、そういうわけで、今日も机上庭園:アルカディア、平常運営でございます。

 

 


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