星から来た剣(2)
怒り狂った百万挺の弦楽器があげるシュプレヒコールのように長く尾を引く轟音とともに、半アストラル半質量兵器と化した英霊の御魂が、アルカディアの防御結界に接触した。
九層のシールドが打ち破られるのはあっという間だったけど、そこはさすがに師匠の仕事だ。
一層ずつ接触するたびに、カーム・イシルヴァリウスのエネルギーが減衰していくのが目に見えて分かった。
でも、それでも、その落着のエネルギーと衝撃波で基礎を終えかけたお庭がクレーター状にえぐれるくらいのパワーは、まだ全然、残っていたんだ。
「《フォース・フィールド》!」
「《セイクリッド・シールドライン》!」
ボクとテオはダメージを軽減する異能を二重に張り巡らせた。
シールドを構えるテオがフロントへ走り出て、ボクがそれに続く。前面に集中的にバリアを展開させて、後衛――ただのヒトである師匠を守る。
超音速の空気の壁である衝撃波をくらったら、生身の人間など消し飛んでしまう。巻き込まれた小石ひとつが、神箭手の射る必殺の矢のように恐るべき破壊力を獲得する。
ボクらが展開する防御シールドに激突して質量の小さな石は蒸散し、大きなものは弾かれてあらぬ方角へ飛んでいく。庭が、お庭がめちゃくちゃになっていくさま見せつけられながら、ボクは、ボクたちはその恐ろしい数秒を歯がみしながら耐えるしかなかった。
とんでもなく長く感じられた数秒が過ぎ去ったのは、がつん、と大きな音がして、テオの背中が揺らいだときだった。
吹き戻しの風が土煙を巻き上げ、視界を奪う。
そして、それが吹き流され、ようやく視界が明らかになったとき、ボクらは震え上がるような光景を目の当たりにする。
えぐれていた。
大地が。
ボクらが展開した防御シールドのラインの内と外とで世界は完全に変わってしまっていた。
それは、荒れ狂う大海に浮かぶ一艘の船、と例えるべきだったろう。
ボクら三人はちょうどその舳先に立っている格好だ。そこから下へ、五メテルもの高さの土壌がえぐり取られ、すり鉢状のクレーターになっていた。
そして、その中心、まだ赤熱する大地の中央に、それはいた。
この世ならざる青い炎の奥で、暗い影が揺らめいていた。その虚ろな眼窩の奥で、怨恨に染まった瞳が紅く紅く光っていた。
カーム・イシルヴァリウス――星界から降り立った復讐者。
「突貫するッ! 我を盾にッ!!」
ガロリッ、とヒトの頭ほどもある岩塊をシールドではじき飛ばしながら、テオが言った。
さっきの最後の衝撃は、これだ。あぶなかった。二重のバリアラインを抜けて、こんな質量が飛んできていたんだ。
だけど、ゾッとしているヒマはない。
「了解ッ! 盾側、仕掛けるッ!」
ボクも戦闘言語で応じる。
これは、シールドを左手で構えるテオを遮蔽物として槍撃の後に続いて盾側から攻撃を仕掛けるよ、という意味だ。
以心伝心で連携できれば、これほどよいことはないけれど、人間はそれほど便利にはできていない。
ボクらは揃ってクレーターを駆け降りる。
グンッ、とテオが増速した。キャバリアーが得意とする突撃系のスキルだ。
「《ドラグーン・スラスト》!」
テオの突き出した槍が光を纏う。
槍の長い間合いをさらに生かすこの攻撃はドラゴンなどの大型生物に対して、下方からの戦いを強いられる人類が、その意表を突いて顎下の死角から頭部や喉を狙うために用いられる技術大系の上級技だ。生み出される強い突進力を利用して上空の敵を迎撃するときにも用いられることがある。
テオはその突進力と貫通力に優れた業でカームを狙う。
硬いドラゴンの鱗を貫通するほどのエネルギーを秘めた穂先だ。いくら、英霊でも正面から受ければただでは済まされない。
対して、交戦の直前、ずらり、とカームが刃を抜いた。
怨嗟の声がそのまま剣に纏いついたかのような禍々しいオーラを放つ、その刀身は。
「妖刀――乱れ桜! テオッ、ソラッ、その刃を喰らうんじゃねえぞッ! かすり傷でも心を狂わす魔剣・魔刃の類いだッ!」
師匠がアドバイスをくれる。かすり傷もダメっていうのは、キツイけど、乱心のバッドステータスなら解除も、事前の防御も可能だ。心の城壁を高くして抵抗力を高める異能だってある。
それに、いくら妖刀でも槍の突進攻撃を刀身で受ければただでは済まされない。そして、テオの携える槍もまた、テアトラ王家に伝わる業物だ。聖句で祝福された特別な武具なのだ。
カームはしかし、その雷霆の閃きにも似た一撃を刀で――受けた。
ガヒュイイイイイィィィィンッ、と真っ白な火花が盛大に散る。
正面からの激突に見えた攻防は、実際にはそうではなかった。カームは刺突の流れにほんの少し角度をつけて刃で触れたんだ。
テオの《ドラグーン・スラスト》はまさしく雷速の一撃だったけれど、その攻撃が速ければ速いほどわずかな力で軌道は大きく逸らされてしまう。
カームはまぎれもなく英雄、そして刀鬼だった。
ただの槍相手だって、刀で相対するのはトンでもない不利を覚悟しなくちゃならない。間合いが圧倒的に違うからだ。戦場での武勲を上げることを「槍働き」って称するのは伊達じゃない。戦場での主兵器は間違いなく槍であって、剣や刀の出番はずっと後、最後の最後だ。ボクら冒険者的、ハンター的存在が剣を多用するのは、槍が運用しにくい場所での戦いが多いことと、国家間での取り決め=重武器である槍を帯びたままの入国に厳しい制限があるからなんだ。
その上で、手練のキャバリアーが放った超技=自分にまっすぐ突っ込んでくる超エネルギー塊と化した穂先に正確に刃を合わせてくるなんて、狂気の沙汰としか思えない。
それを、カームは難なく行った。
ボクは一瞬、その剣が蛇のようにのたうつのを見た。
みんな、刀剣がどうやって衝突のエネルギーを吸収するのか、見たことある? たとえば硬い装甲を相手にしたとき、相手の斬撃を受けたとき。
よく、お話で「ガシィンッ、と正面から受け止め」とかって表現されることがあるけど、本当はそうじゃない。
柳の枝のようにしなって、それはダメージを受け止める。逆に言うと、柔軟性のない刀剣は簡単に折れる。
ボクはゾッとした。そのしなりの見事さに。
カームの佩刀:乱れ桜は、妖刀であるだけじゃない。間違いなく第一級の品:大業物だ。
マヒルヒには玉鋼と呼ばれる特別拵えの鋼があるって聞いたことがある。
用意された鉄のうちわずか一割だけが、その鋼になる基準を満たすとも。
そして、なにより――乱れ桜は刀匠としてのカームが打ち上げた冠絶の一振りだ。
それが、突き込まれたテオの槍撃、その柄の上を光の粒子をまき散らしながら迫ってくる。
カームは槍撃を凌いだんじゃない。自ら前方へと駆け出し、攻防一体の技、その初動として《ドラグーン・スラスト》を受けたんだ。
刀鬼としての絶技:《袖引き葛》――対槍手用の、指や腕を切断する技だと知ったのは後になってからだ。
「テオッ!」
「おおおおおおおおおおおッッ、《ブラスティング・シールド》ッ!!」
ボクが悲鳴にも似た叫びを上げるのと同時に、テオは二つ目の技を放っていた。
カームの技量と、悪鬼羅刹とまで呼ばれた男の胆力を、テオはさすがにわかっていたのだ。
己の初撃が迎撃されることのみならず、それを掻い潜っての一撃があるだろうともいうことさえ。
だから、誘い込んだ。
あえて、強固なシールドとそこから放たれる爆発的なエネルギー攻撃:《ブラスティング・シールド》の正面へ。
突っ込んできたカームに逃げ場なんてない。テオの腕を切り落とそうとする己の技の狙いこそが足かせに働いて、動きを制限しているんだ。
いくら、半アストラル体だと言っても、純エネルギー系のこの攻撃は無効化できないぞ! ドラゴンやウォーヘッド・レックス、キマイラ、マンティコラといった大型の魔獣の突進を弾き跳ばすための能動的防御技なんだから!
なにより感嘆するのは、ほとんど同時にこのふたつの大技を発動させるテオの力量だよ――あとで聞いたら……ボクが後ろにいるって思ったら無我夢中で、だって(赤)――激しい消耗を強いられる大技を連発だもの。
でも、これで決まらなくても、カームの勢いは止まる。
そして、盾の裏側から回り込んだボクが、その隙にとどめを食らわせる。
どんなに強力な相手でも、ひとりと、連携できるパートナーのいるパーティーとではその総合的な戦闘能力で大きな開きが生まれる。
一足す一は二ではない。もちろん、十にも百にも、という言い方には賛同できないけれど、三にも四にも、くらいには確かになる。
そして、組んでみてはじめてわかったけど……ボクとテオは最高の相性みたいだ。
いけるっ、とボクが確信した瞬間だった。
ギヤアアアアアアアアアアアッッ――ヒュッ!! 鍛え上げられ呪いと聖句で括られた武具と武具ぶつかり合うスキール音にカームが発する鋭い呼気が混じった。
刹那。
びょう、という唸りとともにカームが佩刀を翻し、右手振り抜きから大上段へ構え直すと、そのまま一気に振り抜いた。
神速の太刀さばき、そして――。
「技を――斬ったッ?!」
それは《波斬り不動》と呼ばれるカームの奥義だった。相手の放った技を斬り捌き、切り込んで相手を仕留める人切りの技。
大技を放ち終え無防備になった瞬間を狙う最悪の技だ。
カームは無策に飛び込んできたんじゃなかった。そう忘れてはいけなかったんだ。相手は――最強クラスの敵、英霊なんだって。
「させるかあああっ!!」
ふたつの大技を流れるような連携で繰り出すカームの実力を見せつけられて、すくまなかったかと訊かれたら、そうでないと答えたら嘘になる。でも、だからこそ、ボクは声を張り上げ、怯懦を払って突っ込んだ。
もし、あそこで一瞬でも躊躇していたら、結末はきっと違っていた。
「《ディヴァイン・パニッシュメント》ッ!!」
ボクは持てる最大奥義で、テオの《ブラスティング・シールド》を切り裂いたカームに打ちかかっていた。
奇しくも先ほどのカームの技をなぞるような、上段切り下ろし――ボクの愛剣:ダイ・セヴァーン=これも大業物のバスタード・ソード――でだ。
大きく刀を振り降ろし、踏み込んだカームに、この攻撃を凌ぐ術はない。
霊体のような存在に対しても効果を及ぼす《ディヴァイン・パニッシュメント》は、カームにも完全な効果をあげる。
魂を放出するような莫大なエネルギー消費を要求される技だけど、出し惜しみなんかしてるヒマはない。
実戦に「次こそは」なんて言葉はない。
実戦に「再戦のチャンス」なんてものはない。
練習で三本に二本取れる実力があったって、必ず一本目を先取されているようじゃダメなんだ。
なぜって、実戦で一撃目を決められたら、それはつまり致命傷ってことで――チャンスなんか二度とない。
だから、初撃に賭ける。
だけど、ボクたちは、三度、目を剥くことになる。
カームの斬撃は技を切り裂いたのみならず、テオのシールドを斬りつけ、これを破壊せぬまでもよろめかせ、後退らせた。足下の岩が衝撃で砕け散る。それほど重い斬撃、破壊力、それを生み出すための深い踏み込み。
それなのに、振り切られたはずの刃が、瞬間的に向きを変えて――駆け上がってくる。
『これは、切り戻しッ』
ボクがそう気がついたときには――《臥待月》――観客を焦らす術を心得た老練な役者のように、夜半に上がってくるその月の名の通り、相手の踏み込みを誘う剣呑極まりない一閃がボクを狙って襲いかかってきた。
これが、英霊! これが、英雄と称えられた男の戦技、太刀筋! なんという技の冴え、練りなんだ!
「ままよッ!!」
だけど、ボクは身を捻って躱したりはしなかった。
切り落としと、切り上げ、その威力の差、刀のもつエネルギーと剣のそれの差、そして渾身の技と、なにより想いを信じた。
疑念はすなわち失敗に通ずる。
剣の道も、造園の道も同じだ。
迷うな、と言っているんじゃない。
その迷いに直面したとき、貫いていけるほど己を鍛え上げろ、とそれは言っているんだ。
盲信でも、過信でも、それはない。
信頼。積み重ねてきたものへの、絶対の信頼。
そして、ともに戦ってくれる戦友からの、献身的な信頼。
それをボクは信じる。
「カーム・イシりゅ、もとい、カムイッ! 勝負ッ!!」
噛んじゃった噛んじゃった、おまけに変な略称叫んじゃった。けどッ!
ギイイイイインンッ、と二振の刃が激突し、閃光と火花が飛び散った。
手のなかでダイ・セヴァーンが暴れる。刃がしなる。相手の乱れ桜も同様だけど……なんてパワーなんだ。
いくらボクの体重が軽いからって、こっちは打ち下ろしてるんだぞ?!
どうして、こんなに、これじゃ、ほとんど互角じゃないか。
けれども刃が止まっても、そこに乗せられていた爆発的なエネルギー流はカムイ(ごめん、今後こう呼ぶね。舌噛んじゃうから)、を打ち据えた。そりゃそうだ。この攻撃は対非実体、対来訪者用の上級技なんだから!
「餓、嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚ァァァアアアアアアアアアアッ!!」
はじめて、カムイが吼えた。苦痛に。ボクの攻撃が届いた。入ったんだ!
だけど、ボクはそのとき、カムイの刃から這い登ってくる剣閃に気がつかなかった。
同じ受け止めたはずの切っ先から、不可視の刃が発せられていたんだ。
これも後になってから学んだ。
カムイほどの達人が、こんな状態のまま刃を合わせていたわけを。
鍔迫り合いならともかくも、身なり手首なりを捻って躱すか、巻き込んで勢いを利用すべき状況で、放った技の型のまま一瞬動きを止めた訳を。
残心、そして、練り上げられた剣気による不可視――残刃とでも呼ぶべき妙技。
それがボクの胸を切り裂こうとした。
もし、纏っていた甲冑が〈カイゼリオン〉でなければ、ボクはそのまま胸を裂かれて死んでいたはずだ。
キィン、という澄んだ音とともに〈カイゼリオン〉の防御機能が、その刃の過半を無効化した。
でも、それでも、残った切っ先の一部が、ボクの頬に浅い切り傷を付けた。
ダメージなんて、計上するウチにも入らない、なんなら〈カイゼリオン〉のリジェネレート能力でほとんど数十秒で塞がってしまうほどのそれが――こんな事態を引き起こすなんて、どうやって想像できる?
そのあとの時間のことを、ボクはほとんど覚えていない。
はっと、気がつくと、テオが、師匠が倒れていて、ボクはへたりこんで、燃え盛る庭園の底に立つカムイの目が、ボクを捉えて――。




