夢のその後で
「くぉんの、バッカもんどもがーッ!!」
怒声でボクらは飛び起きた。
朝陽のなかに仁王立ちのシルエット。両手に腰を当て立つ、その御方は。
「だれ?」
「テメーの師匠だ! だれが、離宮の庭でキャンプファイヤーかませと言ったぁ! おまけに肉は焼く、パンは焼く、卵は焼く! さらに不純異性交遊の疑いありと通報される! 朝っぱらから叩き起こされて出向いてくるオレの身にもなれ!」
「あ、師匠! わかったの! わかったんだよ! このお庭の意味!」
「うおあっ、なんだあ、そのパンダみたいな……おめえ、汚え、くせえ、汗臭くベーコン臭い! 近寄るんじゃねえ! 抱きつくんじゃねえ!」
「だから、わかったんだって!」
「火の始末もせずに寝ちまいやがって! ジョッシュが血相変えてだな、」
「あ、ジョバンニさん、おはようございます」
「テメー、テオ、紳士の皮を被った鬼畜だったか! おうおう、うちの娘と野外で同衾たあ、手順省略にもほどがあるぞ、ゴルァ! あー? たとえお天道さんや全年齢バリアラインが許しても、オレァ、許さねえぞ!」
「いや、いや、なにもないですよ。してないしてない。いや、それどころじゃなくて、わかったんです」
「え、でもキス……」
「「え?」」
「いや、あれは」
「をいをいをいをい、てめえ、テオ、ちょいとマジでシメるぞ、なんだ、ああ、遺言あるならはよしとけよコルァ」
「うわわわっ、ごかい、ごかいですって」
「ごかいで……ボク……はじめてだったのに」
「うわわっ、ソラさん?! いや、あれは必要な手段的に、ノーカウントですよ?」
「ウォい、テオ坊よお、ちょとウチの組(注・アルカディア造園旅団)の事務所に面ァ貸せや。どういう絵描いてんのか、詳しく聞かせてもらうぞ? あ? 謳ってもらうぞ? あ? 萌え絵? あにそん? しるかぁ!」
※
「と、いうわけなんだ、師匠」
いろんな困難を乗り越えて、ボクは離宮のあの庭に面したお部屋でことの次第を説明している。
師匠はムスッとしてるけど、これはボクの説明に不備を感じてのことじゃない。ええと、その向かいで、テオが両頬を腫らしているのは師匠に、ほっぺをすごく強く摘まれ続けたせいだ。
不可抗力とはいえ何度もボクの唇を……というね。そういう大人的制裁措置なんだって。ざんぎゃくこういはれーてぃんぐのもんだいで、とか言ってたな?
「昔のオレだったら、問答無用で岩石落としを食らわせてるところだ」
というのが、師匠のお言葉。えへへー、やっぱ大事にしてくれてるんだなー、ってボクはるんるんで、テオは涙目。
そして、ボクはこの庭に込められたグリムグラム造園伯の遺言ともとれるメッセージの話をした。
そのことに、師匠はなにも言わない。
ただ「風呂に入ってこい。……もう九日も費やしてんだ、ちんたらやってる暇ぁねえぞ、ウチには」って、だけ。
それだけで、もうボクには充分だった。
「えへへ、それじゃ、お風呂お借りしてきますー。テオも、一緒する?」
え? という顔をテオはする。
ぎろり、と師匠がテオを睨む。
もちろん、冗談だとボクは笑う。
「お恥ずかしい、ソラさんが見抜かれるまで、気がつきもしなかった」
そうテオが言ったんだって、師匠が教えてくれたのは、お庭が全部仕上がって、お渡しして、その落成式にテアトラの王子様ふたりがいらっしゃったあとのことだ。
「伯がなにを……なにをわたしたちに伝えたかったのか……それを、わたしたちは汲み取ろうとさえしてなかった」
そうやって頭を下げたテオに、師匠は苦笑いして言った。
「まあ、わからなくもねえよ、おまえさんらが、ああいう見解になったってなあ」
「それは……どういう?」
「オレが見たってありゃねえわ」
テオに向き直り、言ったあとで師匠は舌を出して笑ったという。
「誰かの夢――理想郷に付き合い続けた男が、最期の最期で見せた本心――その気恥ずかしさもあったんじゃねえかな。自分の見ていた夢を現実のものとして、遺すことに、な」
ひでえ庭だったぜ、と笑う師匠に、テオはぽかんと口を開けていたって。
「おう、王子様、口を閉じろや。式典中だぞ、一応」
「ひどいって、そんな、じゃあ……ジョバンニさん、最初から」
「あー? おお、ひでえとは思ってたぜ? ただまあなあ、あの古典派の美学の化身:グリムグラムがいくらなんでもこりゃねえわ、と気がついたら、あとは理解まで一気だったさ」
あの木の下で、弁当広げて、酒飲んだら、すぐにわかったよ。
「おめえら、そういう使い方してこなかったろ?」
「ええ、じつは……まったく」
「公式だ、会談だ、社交界に舞踏会だ――国家の威厳だ、なんていう肩肘張った考えってのはな、実体のねえもんだ。目に見えねえし、聞こえるもんでもねえ。無味無臭の空気みたいなもんさ。だから、自分はそいつらに憑かれてなんかいやしない、ってだれしもが思う。思うが、実際にはいつのまにか頭のなかに入り込んで、巣くって、楽しむ心を殺しちまう」
だからよ、って師匠は言ったんだって。
「だから、型破り、横紙破りをあえてやる。いいか、いい大人なんだから、ときどき、だぞ、テオ坊? だが、忘れずにときどき、破天荒をかますのさ。すると、見えてくるもんがある」
ま、それにしたって、ありゃあひどかったぜ、あの庭は。子供か、おまえは――。
そうやってグリム伯とそのもうない庭を眺めてくさす師匠の目に、涙があったような気がする、というのはテオ、もしかしたら、ちょっと美化しすぎかもですよ?
こうして、このお庭を巡るお話は一応の結末を見る。
ちなみに、この式典のとき、テオはまだ受けた傷のせいで、杖をつき、支えられながらの挨拶だった。
あまりのことに、連絡を受けたお兄さんたち、すっ飛んで来たんだって。
なにしろ、国元には命の危険、という報が届いたらしいから。
あ、ジョッシュさんの仕業だと、ボクは睨んでるけど、その話題になると、なーんか師匠が目を逸らすんだよねー。
なんでだろ?
ま、いっか。
テアトラ王国の未来については、それはまた別の話。
だけど……あのあと、なにが起こったのかだけは説明しなくちゃいけない。
お庭を作り替えるって決めたあと、師匠がその許しをくれたあと、もうじつは植木屋さんや、石材屋さんに話を通してたって(ボクのプランでね?)ってことがボクらにバレたりして、ふて寝したり、ボクらがきゃっきゃっうふふしてたところに、起こったあの事件のことを。
あの戦いのことを――。
星から来た剣のお話を。
※
「てっ、てえへんだー、親方ーッ!!」
そんな感じでこけつ転びつ、ウチの職人さんのひとり=植木屋さんのマメゾウさんが駆け込んできたのは、庭の改装、その基礎をあらかた終えようとしていた頃のことだ。時刻は三時。そろそろおやつにでもして、最後の一働きのまえに燃料と気合いを入れとくか、みたいな時間だった。
「あれ? どしたのマメさん。植樹はもうちょっとあと……少なくとも明日以降の話でしょ?」
汗だくになり、形相を変えて肩で息をしているマメゾウさんに、ボクは水筒を差し出す。
「おっ、こりゃ、お嬢、かたじけねえ」
よっぽど必死で走ってきたのだろう。マメゾウさんは、ボクからそれを受け取るとごくりごくりと、喉を鳴らして飲み干した。
「うめえ」
「ボクのお手製だし。あ、マメさん、間接キス」
「うぉっと、らっき! じゃねえ、親方に殺されちまわあ! お嬢、どうかご内密に」
「ふっふーん、どーしようかなー」
「いやいや、まじめな話で」
「じゃあ、ホズミさんとこのあんみつで手を打とうか。五杯!」
「いやいやいやいや、破産しちまうぜ、三杯!」
じゃあ、四杯で手打ちだ、とボクがかまそうとしたところで、マメゾウさんが、ハッ、となった。
「いやいやいや、こんなことしてる場合じゃねえんだってばよ! 親方ッ!! ジョーの親方ーッ!!」
あ、ジョーっていうのは造園旅団内でのジョバンニの略称です。職人さんたち、まどろっこしいのダメなんで。
「おう、どうしたい、マメ。その慌てっぷり――まさか」
それまで日陰で豆大福ぱくついてた(おやつフライングマン)師匠が、手をなめなめ、けれども緊迫した様子で足早にマメゾウさんに歩み寄った。
あ、ほっぺ、あんこついてる、師匠。
「そのまさかでさあ。いや、あっしも、親方に天文台に張り付いとけって言われた日にゃあ、なんだなんだついにあっしもお払い箱かと思ったもんですが、」
「御託が長えぞ、マメッ! で、どうだったんだ」
「あー、もうあっしにゃあ細けえことはちんぷんかんぷんだったんで、あの食う寝るとかいう博士が」
「クーデリアンな?」
「食う練る餡? いや、まあなんだっていいんす、ジジイの名前なんざ、読者さんも憶えちゃいねえ、憶える気もねえ。その博士が、これをお見せするようにって」
と、マメゾウさんが懐から資料の束を取りだすのと、緊急事態を告げるサイレンがアルカディア全域に鳴り響いたのは、ほとんど同時だった。うわっ、なにこれ、ボク初めてだよ、こんなの。訓練じゃないの?
「やっべえぞ、コイツはマジだわ、サイレンバードが飛んでやがる!」
空を見上げてマメさんが慌てる。
あ、サイレンバードっていうのは、やっぱりアルカディア固有種のモンスターなんだけど、すっごくヒト懐っこくて、いまではもう家畜というかペットというか、人類の隣人になってしまった大型の鳥のこと。雑草や木の実、タニシとかを主食とする種で、危険を感じると頭部に生えたラッパみたいな器官を鳴らして大音量で周囲に危機を知らせるの。鳴いてる自分たちで嫌になるくらいうるさいんで、普段は静かなんだけど、その習性を利用して、緊急事態の連絡役として重宝されている。
そのサイレンバードが上空を飛び回りながらウーウー鳴き交わしてるってことは……。
「親方、職人たち――あっしら、どうしますッ?」
上空を見上げていたマメゾウさんが無言で資料に目を通す師匠に、急いたように聞いた。
「家に帰せ。安心しろ、マメ、どのみちこりゃあ、工期に間に合わせるのはムリだぜ」
「え?」
師匠の発言に、ボクは驚いた。
「どうして? どういうこと?」
「マメ、おめえ、かかあとややこのとこ行く前に、ひとつ頼まれてくれ」
「がってんだい」
「離宮の馬車に同乗してウチから、甲冑と剣持ってくるように言ってくれ。おめえなら、ウチの勝手がわかってんだろ? それを離宮の連中に渡したら、もう戻ってくるな。かかあとややこのとこにすっ飛んでいけ」
「甲冑? 剣? なんでそんなものいるの? なにが起きてるの? 師匠が戦うの?」
「ちげーよ、ソラ。オレに戦闘能力なんて、もうかけらも残っちゃいねえ。頼みの綱は、おめえだ」
「どっどっ、どういうこと?!」
「いまから、この庭はめちゃめちゃになる――めちゃめちゃにするヤツが、落っこちてくるからだ」
「落っこちてくる?! なにそれ?! どこから?!」
「おめえら、見ただろ? 英霊兵器さ。カーム・イシルヴァリウス……そいつが――落っこちてくるんだ」
そして、その落着予想地点は、ここ。
つまり、このローズマリー離宮の庭が、戦場になる――そう師匠は言ったんだ。




