夢の景色
※
「わあ……すごい、お城があんなに小さく見える」
「どうだ、テオ、この丘の上から見る景色というのもいいものだろう」
「はい、グリム伯」
「伯父さんでいいぞ」
「でも」
「なんだ、血の繋がりがないから、とでもいうのか。バカモン。それを言うなら夫婦は、よほど特別な事情のない限り、みな赤の他人ではないか。それが結びつき家族になる。それは血の問題ではあるまい?」
「伯父さんにかかると、ものごとが一足飛びに単純明快になって、悩んでいることがバカバカしくなる、って父上が言ってました」
「テオ……それは間欠泉とか、猪騎士とか、そういう話の流れで、ではないか?」
「(くすくす)……はい、じつは」
「おのれ、トラントワめ。盟友だ、親友だと持ち上げておきながら、オレを猪あつかいか!」
「救われている、と言ってましたよ。伯父さんの存在に、救われているのだ、オレは、と」
「ふんっ、小賢しいフォローなど、無用。ををを?! 腹の虫めが?!」
「あははははっ(くーきゅるるるー)。あれ?」
「がっはっはっ。よおし、テオ、今日は兄さんたちとともに仕留めたブレイドタスク・ボアを炙り焼きにしてやるかなら」
「うわあ、あのでっかい猪をですか?」
「近隣の果樹園を荒らし回る厄介者だった。ひねもの=古参の雄など、肉は硬くアクが強くて、何度も煮こぼしたあげくに丸一日煮込まねばどうしようもないやっかいさだが、果物を食べて育ったヤツは、肉質も柔らかく風味よく、旨いのだぞ?」
「ラオトール兄さんと、ヴィルシュタット兄さんがやっつけたんですね、すごい!」
「追い込みの手伝いをしてくれた村の狩人たちがキチンと処理して、その肉を届けてくれたのだ」
「じゃあ、今日はもう、お城に?」
「いいや、違うぞ、テオ。いま兄さんたちが、かまどを作っているからな。見ろ」
「かまどを作っている? じゃあ、ここで焼くんですか?」
「そうだ、テオ。岩塩とハーブを利かせて、炭火でな。それが一番旨いのだぞ」
「すごいや! ボク、そんな食べ方するの初めてです! 伯父さんは料理の心得もあるのですか。塩だけでなくハーブも持ち歩いているんですね。備えが違う」
「戦場というところでは、ひとりで、なんでもできなければいけないのだ。それに、ハーブは持ち歩くものでもない」
「え?」
「見ろ、テオ、周りを。おまえの足下に茂っているのはなにか? 摘んでみろ」
「えっ、これ? ただの草なんじゃ……ほんとだ、いい薫りっ」
「もちろん、すべてがそうではないし、毒草も少なからず混じっている。それを見分ける目は必要だが、この荒れ野も、視点を変えてみれば違って見えないか」
「はい、伯父さん。ボクは……もしかしたら、お城の窮屈なお庭より、この荒れ野のほうがすきかも、です。兄さんたちも、生き生きてる気がします」
「貴公子たちを顎で使ってかまどを作らせていると知ったら、教育係の連中ども、目を白黒させるだろうな」
「泥だらけの汗まみれですからね」
「笑っていられるのもいまのうちだぞ、テオ。今日はおまえが、火を起こすのだからな」
「え? えええ? ダメですよ伯父さん、ボク、そんなことしたことない」
「バカめ、だからやらせるんだろうが。おまえが火を起こさないと、全員飯抜きだ。おっ、かまどの準備ができたようだな、小僧ども。がっはっはっ、みろ、テオ、やつら泥だらけだぞ! 次はおまえの番だ。灰まみれになれ!」
「ええええええー」
「テオよ……」
「はい?」
「楽しいか?」
「はい」
「では、忘れるな。この楽しさを。血は繋がらずとも、この丘で分け合った時間を。忘れるな、ここから眺める平和な祖国の姿を。これはな……夢の景色だぞ」
「夢の……景色?」
「この眺めはな……誰かが、夢に見て――勝ち取った景色だ……だから、忘れるな」
※
ボクは夢から醒める。
きっとテオの話をずっと聞いてて、そのあと、ひとりで考えようとして、いつのまにか眠ってしまっていた。
夢のなか――子供のテオがいて、グリム伯がいて、会ったこともないのにラオトールさんや、ヴィルシュタットさん、それに……亡くなられたっていうテオのお母さまがいて……みんな、とてもしあわせそうに笑ってた。
誰かが、夢に見て、勝ち取った景色――ああ、そうか、ってボクは思う。
夢は現実と違う。
でも、だからといって――たとえば、戦争が現実であることと、平和を夢見ることを比べて――夢だからって嘲笑う大人を、ボクは信用しない。
夢と現実は違う。
でも、だからこそ、その現実に立ち向かって、夢を現実にしようと戦ったヒトたちがいるんだ。
だって、ボクたちの見ている景色――アルカディアがそうじゃないか。大虚空戦争で失われた多くの人命、夢を、理想郷の風景を信じて造園を続けたヒトたちの働きが、いま、この風景を、現実として生きること可能にしてくれている。
ボクたちはいま、だれかの見た夢の景色のなかを生きている――そのことを、ボクは忘れていた。
ボクたちは――忘れていたんだ。
寝転がったまま、ボクは泣いてる。
しあわせな夢を見て泣くのは、いちばんつらい。
世界はすっかり夜で、ボクは凍えそうだ――そう気がつくまでしばらくかかった。
体調保持の異能をかけっぱなしで眠ってしまったんだ。
「テオ、お話ありがと。でも、しばらく、構わないで。ひとりで考えてみたいんだ」
そう事前に言い添えておいたから、離宮のひとたちは、ボクを放置してくれてる。
でも、異能のかけっぱなしはよくなかった。
持続時間のある異能、特にこういう劇的ではないけれど効き続けるタイプのものは、じわりじわりとエネルギーを消耗してゆく。それはたとえば極地で失われるものに比べればごくわずかずつなんだけれど、確実に使用者の体力消耗を招く。
ボクは愚かにも、それをかけっぱなしで眠ってしまったんだ。
そのうえ、油断しきって懐石を使うことも考えてなかった。
いや、ふだんなら、これ、どうということはない。大事には至りようがない。
けれども、ボクは失念していた。
エネルギーの補給、つまり、栄養の摂取を怠っていたことに。
ハンガーノックって知ってる?
エネルギーの急激な消耗に供給がついていかなくなって、身体が動かなくなっちゃうことだ。
激しい肉体労働や、連続的な戦闘行動の間によく起こる。
手足が震えて、冗談じゃなく立てなくなる。
定期的にご飯やおやつを食べるだけで簡単に回避できるんだけど、一度その症状に陥ると、そのあとエネルギー源を摂取しても三十分から一時間くらいは回復しない。
師匠に怒られてからこっち、じつはボクは、ほとんどご飯を食べていない。
正直に言うと、喉を通らなかったんだ。テオが差し入れてくれたサンドイッチだけは、なんとかムリヤリ食べたけど、味がうまくわからなかった。
うまく、呑み込めなかった。
作ってくださった料理長さんや副料理長さん、厨房の皆さんに申し訳なくて、もったいなくて……それなのにダメだった。
ショックを受けてたんだな。
そこに、寝不足と異能の使いっぱなしが重なって……ボクはいま、けっこう危険な状態にある。
身体が、凍えて……動けない。
野外を甘く見ちゃいけない。
春だからって、日中は暖かいからって、甘く見ちゃ絶対ダメだ。
夕暮れ、そして、日没――気温が下がる。ぐんぐん下がる。昼間は陽光に温められてた地面は日が暮れると同時に、どんどん冷える。熱を奪う。
だから、野外で本当に防寒に努めなくちゃいけないのは地面に対してなんだ。
ここは離宮の、つまり本当は野外といったって、人家の鼻先だって、タカを括っていた。
低体温症って知ってる?
内臓の温度が下がって、機能不全が起きる。大したことないように思うかもしれないけれど、死に至る恐ろしい状態だ。
もしかしたら、ボクはもう、なってしまっているかもしれない。
備蓄の少ない子供の体は、簡単に冷える。ボクは華奢で、筋肉質。だから余計だ。
動かなきゃ、と思ったけど、もう立てない。
たすけて、と叫ぼうとしたけど、声が、でない。
もしかして、ボク、死ぬの?
こんなところで、ただ、野宿しただけで?
ボクが、そうやって恐怖に取り憑かれた時だった。
「ソラさん!」
テントにヒトが飛び込んできた。
カンテラ、人影、聞き覚えのある声。
「テ……オ……」
ボクはそれだけ言うのが精いっぱいだった。
口移しで、温かいスープを飲まされちゃった。なんどもなんども……飲まされちゃった。
「ご、ごめんなさい……その……緊急事態だったので……胸騒ぎがして庭へ出たところで、ちょうどボンサイが教えてくれたんです」
ホントは赤面して、あれこれリアクションすべきだったのかもしれないけれど、ボクは安心感とスープの温かさに、テオにしがみついたまま……泣いてる。静かに。叫ぶほどの元気が、まだない。
「身体が冷えてる……すぐにお風呂を」
「お庭だから、火が……焚けないの……忘れてました」
ああ、だから、焚火は必要なんだな。ヒトが闇を恐れるからでも、調理のためだけでもなく……熱が、いるんだ。
野生動物だって、火を恐れるっていうけれど、あれは迷信らしいし。
寄ってきちゃうんだって。
なんだろう、って?
「抱きかかえますよ?」
テオが両手にボクを抱え、ボクはテオの持ってきてくれたカンテラを、抱きかかえる。
情けないなあ、ボクは。
お庭の謎を解くどころか、死にかけるなんて。
ダメだなあ、ボクは。
と、弱った身体が弱った考えを引き出しかけたそのときだった。
きっと、それは啓示だったんだと、あとになって思う。
カンテラの光が、あの石を照らした。
へんてこな、背中合わせに繋がった椅子みたいな……椅子?
いいや……違うぞ、これは……まさか。
「テオ……降ろして」
「?! なにを言ってるんです、こんなに冷えて……ソラさん、危ないっ」
ボクは踠くようにして、テオの手から逃れる。慌てて腰を屈めたテオの腕のなかから跳び出し、つまずき転びながら、這って、やっと石に辿り着く。
「わかった! テオ! わかったよ! これ、椅子じゃない! オブジェじゃない!」
「なんですって?」
そんなことどうでもいい、って感じでボクを案じてテオが駆け寄ってくれる。
でも、ボクの頭はいま感得した事実でいっぱいだ。
冷えきっていた身体の奥に、火が灯ったみたいになる。
「テオ、テオ、わかった、わかったよ! 謎が解けた! そうか、そうだったんだ、そうだったんですね――造園伯」
ボクは泣く。理解に。意味に――託されたものに。
「テオ……薪を一束、持ってきてください」
ボクは謎解きを、披露する。
石にもたれかかり、泣いている。
そうか、そうだったんだ。そうだったんですね。そう繰り返しつぶやいて。
ほどなくして、ぱちりぱちり、と薪のはぜる音がしはじめる。
離宮の暖炉に使われていたミズナラは、火が着きさえすれば長く燃えてくれるし煤やヤニも少ない。
でも、こういう一から火を起こさないといけないときは、マツみたいな木材の小片のほうがいい。
つまり、焚きつけとなる木と、メインの火力となる薪は別々のほうが火は早く着く。
そして、かまどのあるなしは、決定的だ。
たったこれだけの構造が、火を風から護り、空気の流れを変え、停滞を防ぎ格段に火の起こり、そして、炎のカタチをよくしてくれる。
なにより、調理の容易さが違う。
ボクのたどたどしい説明でも、テオは意味を理解してくれた。
頭の聡明さだけじゃない。ずっと、ずっと、ボクと同じく考え続けてくれたからこその速さだと、ボクはその理解の速度を思う。
テオは薪だけではなく、次々と必要なものを、どこからか持ってきた。
網に大きな鉄製のフライパン。発酵中=きっと明日の朝食になるはずのパン生地の入った木鉢。でっかい骨付きベーコンの塊。卵をいくつか。
謎解きの結論から言うと――あの石は、オブジェでもなんでもなかったんだ。
道具。火を起こし、焼いたり煮炊きに使うための、つまり「かまど」に他ならなかったんだ。
その結論に辿り着いた瞬間、すべてがボクとテオのなかで繋がった。
この庭の意味が。
ここは、この場所は、あの日、テオとお兄さんとお母さんのいた――グリムグラム造園伯の“夢の場所”だったんだ。
依頼主の、庭の持ち手の心情に徹底的に寄り添う造園技術者として名を馳せたグリムグラム造園伯の遺作が、どうしてこうも腑に落ちない設計であったのかを、ボクはやっと理解した。
この庭は、テオと、そのお兄さんたちに向けて送られた、造園伯のメッセージ――己の“我”を消し去り、ヒトの想い、誰かの理想郷を地に降ろすことに仕え続けた男が、最期の最期に託した、自らの夢――あの日の風景だったんだ。
間違いだと、いただけないと、後世の口さがない批評家たちの指弾にさらされることなど百も承知で、これを遺した。
ただ、これを見たテオと兄弟たちにだけ、それが伝わってくれればと。
もしかしたら、伯はいまテアトラが陥っている内政的な危機を、この世を去るもっとずっと以前に予見・察知していたのかもしれない。
そして、その危機が現実のものとなって現れ出るとき、自分がすでにこの世にいないかもしれないと、そこまで考えてらしたのかもしれない。
ボクは、その伯の考えを知りもせず、辿り着きもせず、ただただ欠点を、不備をあげつらうことで、いい気になっていたんだ。
それは出てくるよ、どうしたって。
だって、それを承知で作られたんだもの。
それは、どうしたって完璧じゃないよ。
これは、宮廷と貴族のために作られたものじゃないんだもの。
そして、どうしたって、これは必要だったんだ。
どうしたって、伝えなくちゃいけないものだったんだもの。
伝えるために――あえて遺された不備の風景。
最初から間違えて作られた、でも、それゆえに真実の風景。
ボクたちは、深夜をまわり明け方さえ近づいた離宮の庭で火を焚き、フライパンで薄焼きパンを、ベーコンを炙り、薫りは採れたてのハーブでつける。その脂を一部流用して卵を焼き、猛然と食べている。湯を沸かし、紅茶を作る。お砂糖たっぷりのそれを啜る。
テオは煤で顔が真っ黒。たぶんボクも似た感じ。
その両頬に、道が出来てる。
涙で出来た道。
泣きながら、おいしいね、でもちょっとしょっぱいね、と言いながらボクらはひたすら、食べている。




